絞首刑は残虐か? 死刑制度は憲法違反

戸田清

・冤罪刑死の悲劇

冤罪によって間違って死刑判決が確定した場合は、犯罪が0であるから、犯罪との対比で死刑は「果てしなく無限に残虐」とみなければならないだろう。冤罪を0にするためには、裁判官が「無謬」でなければならない(司法エリート無謬説=無謬神話)。

戦前は天皇が無謬の「現人神(あらひとがみ)」とみなされたが、戦後の「人間宣言」で否定された。裁判官は神でなく人であるから、無謬(infallible)ではなくて、可謬(fallible)である。つまり誤判を0にできないだろう。

中世ヨーロッパではローマ教皇も無謬とみなされたが、現在では否定されている。教皇はガリレオ裁判などの誤りを認めた。森炎弁護士は、「自分は冤罪刑死のリスクは引き受けるから、あえて死刑存置に賛成だ」と述べている(森2015)。

しかし裁判官出身の弁護士である同氏が戦後司法のなかで冤罪被害者になる可能性はほぼ0であろう。「アメリカで死刑廃止の議論が起きたのは1990年以降、20人もの冤罪死刑囚が処刑され、156の事件が再審で冤罪とわかったからだ」(菊田2022:204)。

殺人犯の場合は刑罰の残虐性が犯罪の残虐性によって相殺されるので、刑罰の残虐性については判断することができない。つまり「正解」がない。しかし冤罪の場合は犯罪が0であるから、犯罪との対比で刑罰は「果てしなく無限に残虐」となる。

ところで、冤罪を100%識別することは、人間技では不可能である。したがって、制度としての死刑は憲法違反とみるほかない。英仏台湾などでは冤罪刑死の発覚が死刑廃止の大きな理由となった。亀井静香が警察庁時代の経験をふまえて死刑廃止をとなえる理由のひとつも冤罪リスクだ(亀井2002)。

・死刑制度の残存と日本国憲法

前述のように憲法36条を素直に解釈すれば、「判事の無謬性」という非現実的な仮定をおかない限り死刑は憲法違反のはずであるが、日本国憲法のなかに「死刑を想定している」ように見える条文(13条と31条)があることもよく知られている。

ここで「判事の無謬性」と述べたのは、たとえ検察や警察が間違った捜査や隠蔽や捏造をしても、判事が本当に慧眼・無謬であれば、冤罪を防げるからだ。すべての人間は可謬であるから、無謬の人間はありえない。中世ヨーロッパの教皇無謬論や戦前日本の天皇無謬論は神話であった。

憲法13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

憲法第31条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

日本国憲法の制定は1946年、施行は1947年であった。東京裁判による東条英機、松井石根らの刑死は1948年であった。1940年代の国際世論は死刑存置論であり、死刑廃止論が主流になったのは1980年代からである。36条(残虐刑の禁止)をまじめに(裁判官の無謬性を仮定せずに)解釈すれば死刑廃止のほかに結論がない。

では、13条と31条による「死刑の想定」と36条による「残虐刑の禁止」の「矛盾」をどう考えるべきであろうか。なお、本当に「矛盾」があるとしても、「矛盾があるから改憲して死刑廃止を明記すべきだ」という話でもない。

最近の改憲の議論は9条改憲をねらう右派が独占しており、「死刑廃止の明記」が発議される可能性はゼロである。海外の死刑廃止国でも、憲法への廃止の明記は少ない。1989年のアンケートで憲法学者の6割以上が死刑反対だが、当然であろう(菊田2022:161)。

憲法13条、31条、36条と死刑制度の関係については、刑事法学者平川宗信の考察が重要である(菊田2022:191-195;平川2014)。平川の名著の「第2部 憲法的死刑論の展開」(平川2014:187-257)の熟読をすすめたい。

「適正手続[憲法31条がそれを規定する]の原理の基本は、「無辜の不処罰」すなわち無実の者が誤って有罪とされることは絶対にあってはならないということである。この見地からすれば、誤判により無実の者に科せられる死刑が「残虐」で違憲の刑罰であることは、疑いのないところであろう。そして、さらに、誤判による死刑を生み出す可能性があるような手続で死刑を科すことも適正手続の原理に違反し、かような手続で科される死刑も「残虐な刑罰」に当たると解しうるのではあるまいか。そうだとすれば、死刑確定者が再審で無罪になるという例がすでに四件も現れている(免田事件・財田川事件・松山事件・島田事件)ことからみて、日本の刑事手続は誤判による死刑を生じる相当の可能性を有し、そのような手続で科されている死刑は「残虐な刑罰」に当たるといえることになろう」(平川2014:207、[ ]内は引用者注)。

「誤判の可能性が皆無の手続でなければ、死刑事件としては適正な手続とはいえないであろう」(平川2014:208)。

「死刑と適正手続に関わるもう一つの問題は、死刑の適用基準の明確性の問題である。死刑があるとすれば、死刑を適用する基準、死刑と無期刑とを振り分ける基準は、明確でなければならない。同一の事件が裁判官によって死刑になったり無期刑になったりするのでは、手続が適正とはいえない。不明確な基準によって言い渡される死刑も、「残虐な刑罰」で違憲と解されなければならない。」(平川2014:208)。

永山事件のような「死刑→無期」の判決変遷が問題なのだから、名張毒ブドウ酒事件のような「無罪→死刑」の変遷はなおさら論外である。

適正手続(31条)を保証できず、残虐な刑罰(36条)の発生を防止できないのであれば、当然、個人の尊重(13条)にも個人の尊厳(24条)に反することになろう。まとめると次のようになる。

もし冤罪刑死があれば「果てしなく残虐」なので36条違反
死刑事件の冤罪を阻止できない司法は適正手続きに反するので31条違反
確定死刑囚再審無罪4件、帝銀事件、名張毒ぶどう酒事件、袴田事件、飯塚事件、足利事件、布川事件などを参照
以上の性質を有する現行制度は個人を尊重していないので13条違反

このように、憲法36条、31条、13条を総合的に考察すれば死刑制度が憲法違反であることが了解できるが、そのための最良の手引きが前述の「第二部 憲法的死刑論の展開」(平川2014)なのである。

さらに、連合国軍総司令部(GHQ)も参照した憲法研究会(鈴木安蔵ほか)の「憲法草案要綱」(1945年)の源流のひとつである自由民権期の植木枝盛の「日本国々憲案」(1881年)が「第45条 日本ノ人民ハ何等の罪アリト雖(いえど)モ生命ヲ奪ハレサルヘシ」という条文で死刑廃止を明記していたことも想起しておきたい(田中1999:188)。

明治憲法・刑法の権威主義的性格を象徴したのが「大逆罪」や「尊属殺人罪」である。「大逆罪」により、天皇および皇室関係者に対する殺人、殺人未遂だけでなく「殺人計画」も死刑とされた。1910年の大逆事件には冤罪も多数含まれていた。

「主犯」とされた幸徳秋水自身も天皇暗殺計画には反対であった。「大逆罪」は1947年の日本国憲法施行によって失効した。他方「尊属殺人罪」は「温和な権威主義」なので戦後も20年以上生き延びた。「尊属殺人罪」は1973年の最高裁違憲判決を経て、1995年の刑法改正で削除された(近藤2008)。

このたび、法学者による死刑制度(井田2022)および冤罪・誤判問題(吉弘・宗岡編2022)についての本格的な学術的考察が出版されたので、是非とも熟読されるべきである。その一部を紹介してみたい。

「規範保護型の応報刑論の立場からすれば、現行法における死刑制度は、殺人を禁止する刑法規範の保護のために犯人の生命を奪う制度、したがって公益のために個人を犠牲にすることを本質とする制度として捉えられることになる。戦前の日本のような国家主義的な政治体制の下では、そのことに心理的抵抗は働かなかったのかもしれないが、個人主義を基本原則とする現在の日本国憲法の下では、公益のために人命を犠牲にすることは問題視されるのではないだろうか。そのように制度を理解するときには、死刑適用の抑制、さらにはその廃止も視野に入らざるをえないことになる」(井田2022:167)。

「(死刑制度の当面存続を仮定するならば)不必要な苦痛と恐怖を与える現在の執行方法(絞首刑)はやめるべきであり、薬物注射の方法に移行すべきであろう」(井田2022:213)。

自殺幇助(スイスなど)や「安楽死」(オランダ)も手段は薬物注射である。話題の日本映画『PLAN75』(2022年)で描かれた仮想の近未来の「高齢者の死の選択」ももちろん薬物だ。

吉弘、宗岡編(ともに久留米大学教授)の12名の共同研究は、帝銀事件、松川事件、菊池事件、免田事件、飯塚事件をはじめとする23件の「暗黒裁判」の分析から誤判の構造的要因(とくに客観的事実の軽視と「自由心証主義」の暴走)と冤罪防止の方策を考察した力作である。

冤罪・誤判(過失致死などを殺人と誤認する部分冤罪を含む)による冤罪刑死の事例として、菊池事件、飯塚事件、福岡事件(いずれも九州)をとりあげている。

客観的証拠の軽視と自白・第三者証言の重視・偏重は、13-16世紀欧州の異端審問(佐藤2003:333)を連想させると言っても過言ではない。

なお帝銀事件(1948年)では、確定判決の瑕疵に疑いを捨てきれない歴代担当検事がついに平沢貞通死刑囚の「死刑執行起案書」を作成することができず、平沢は確定判決から32年を経て、1987年に95歳で獄死した(青木2009:188)。

・犯罪を抑止するとともに誘発する死刑制度

死刑制度に犯罪抑止効果はあるのだろうか。今世紀最悪の個人犯罪として知られるノルウェーのアンネシュ・ブレイビーク(1979年生まれ。2011年に77人を殺害)の事例を考えてみよう。

Utoya island with green forest and a house in norway near Oslo where Breivik shot a lot of students in 2011

 

欧州の死刑廃止が彼の犯罪をもたらしたとは考えにくい。彼の犯罪は特発的な事例であり、模倣犯も類似の事例も知られていない。ノルウェーで死刑制度復活を求める世論もない。取材に対して彼は「会ってみたい政治家は麻生太郎、ウラジミル・プーチン、李明博などだ」と述べた。

「改憲のためナチスの手口に学ぼう」と述べた麻生と、2022年ウクライナ侵略を主導したプーチン。ブレイビークは極右キリスト教過激派のクリスチャン・シオニストで、反社会主義・反イスラム・反移民の思想をもっていたと言われる。最高刑の懲役21年で、還暦前に社会に戻ってしまうようなので、無期懲役や終身刑の制度設計も課題だ。民主主義への敵意が凶悪犯罪やテロを生むという教訓も重要である。

常識的にみて、死刑制度にはおそらく犯罪抑止効果と犯罪誘発効果の両方があるだろう。しかし、死刑制度を思い浮かべて犯行を思いとどまった人は市民社会でふつうに生活しているので、見つけ出してインタビューすることができない。

だから犯罪抑止効果のエビデンスはない。また、たとえば米国の死刑廃止州と死刑存置州を比べて廃止州のほうに犯罪が多いという事実もない。どちらかというと犯罪の多い州で死刑を存置する傾向があるようだ。旧西ドイツでは、1949年に死刑が廃止されたのち、どの州でも犯罪が減少した(菊田2022:134、出典はアルベール・カミュの『ギロチン』)。

他方、犯罪誘発効果のほうは、2001年池田小学校事件をはじめとして、「死刑になりたくて殺しました、刺しました」という事例がたびたび報道されている(インベ2022;平野2022;菊田2022:3)。20世紀末の米国では、「死刑執行の報道があると殺人が増える」という指摘もあった。

死刑判決とは「あいつは生きる価値がない」というレッテルはりを国家(司法)が行うことだ(平川2014:216、231)。2016年相模原事件の植松聖死刑囚の「優生思想」と変わらない。

このレッテルはりが誤解(冤罪)にもとづくときは、さらなる悲劇となろう。川目武彦弁護士も死刑存置論と優生思想の関係に言及しているようだ(菊田2022:188)。また犯罪人引き渡し条約の障害になることも死刑制度のデメリットだと指摘されている(菊田2022:189)。

たとえば日本の凶悪犯罪者がEU諸国のどこかに逃亡した場合、引き渡してもらうことができない。EUは死刑を廃止しているからだ。堺で日本人の妻とハーフの娘を殺害した疑いのあるバルボサ・アンデルソン・ロブソン容疑者は、母国ブラジルへ出国した。死刑廃止国ブラジルとは犯罪人引き渡し条約がないので、府警は代理処罰の要請を検討している(朝日新聞2022年9月10日夕刊)。

 

[参考文献]
青木理2012『絞首刑』講談社文庫 単行本2009 飯塚事件の章あり
青地晨1975『冤罪の恐怖 無実の叫び』社会思想社現代教養文庫
秋葉忠利2019『数学書として憲法を読む』法政大学出版局
阿部峻介「死刑前日「姉さん、ありがとう」 執行告知の肉声テープ、法廷へ」『朝日新聞』2022年9月24日
飯塚事件弁護団編2017『死刑を執行された冤罪・飯塚事件 久間三千年さんの無罪を求める』現代人文社
五十嵐二葉1991『代用監獄』岩波ブックレット
石川逸子2022『三鷹事件 無実の死刑囚竹内景助の詩と無念』梨の木舎
井田良2022『死刑制度と刑罰理論 死刑はなぜ問題なのか』岩波書店
岩崎圭祐2022「中学生と学ぶ「大逆事件」 なぜ多くの社会主義者は死刑となったのか」『歴史地理教育』9月号66-71頁、歴史教育者協議会
インベカヲリ2022『「死刑になりたくて、他人を殺しました」 無差別殺傷犯の論理』イースト・プレス
内海愛子、韓国・朝鮮人BC級戦犯を支える会1992『死刑台から見えた二つの国』梨の木舎
江川紹子2011『名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者』岩波現代文庫
NHK2022『NHK BS1スペシャル 正義の行方 飯塚事件30年後の迷宮』4月23日、2時間30分
大河内秀明1998『無実でも死刑、真犯人はどこに 鶴見事件の真相』現代企画室
小田中聰樹1993『冤罪はこうして作られる』講談社現代新書
鎌田慧1990『死刑台からの生還』岩波同時代ライブラリー
亀井静香2002『死刑廃止論』花伝社
菊田幸一2022『死刑と日本人』作品社
木谷明2020『「無罪」を見抜く 裁判官・木谷明の生き方』岩波現代文庫
木下信男2001『裁判官の犯罪「冤罪」』樹花舎
児玉聡1998「なぜ死刑制度は廃止されるべきなのか? 誤判可能性を論拠とする死刑廃止論の検討」
https://plaza.umin.ac.jp/kodama/deathpenalty/resume980112.html
後藤昌次郎1979『冤罪』岩波新書
近藤昭二2008『誰も知らない「死刑」の裏側』二見書房 1998書籍の改訂新版 入門書としてベスト
再審・冤罪事件全国連絡会編2001『えん罪入門』日本評論社
坂上香2022「平野『死刑について』書評」『しんぶん赤旗』9月4日
佐藤賢一2003『オクシタニア』集英社[小説]
里見繁2015『死刑冤罪 戦後6事件をたどる』インパクト出版会
時事通信2022「ロシア軍が「明らかな戦争犯罪」=ウクライナで即決処刑 国際人権団体」5月19日
瀬木比呂志2014『絶望の裁判所』講談社現代新書
高橋和利2011『「鶴見事件」 抹殺された真実』インパクト出版会
高野和明2004『13階段』講談社文庫[小説] 単行本2001 2001年江戸川乱歩賞受賞
武田砂鉄2022「平野『死刑について』書評」『週刊金曜日』7月29日号55頁
田中彰1999『小国主義 日本の近代を読みなおす』岩波新書
団藤重光1997『死刑廃止論』第5版、有斐閣
戸田清2017『核発電の便利神話』長崎文献社 第6章 死刑制度とは何か
中川智正弁護団、ヴァルテル・ラブル2011『絞首刑は残虐な刑罰ではないのか? 新聞と法医学が語る真実』現代人文社
根本行雄2009『司法殺人 「波崎事件」と冤罪を生む構造』影書房
死刑廃止論者の根本と死刑存置論者の森が『司法殺人』という同じタイトル[サブタイトルは異なる]の力作。
袴田巌、袴田巌さんを救う会編1992『主よ、いつまでですか 無実の死刑囚・袴田巌獄中書簡』新教出版社
袴田事件弁護団2003『はけないズボンで死刑判決 検証・袴田事件』現代人文社
浜田寿美男2001『自白の心理学』岩波新書
林克明2022『プーチン政権の闇』増補版、高文研
平川宗信2014『憲法的刑法学の展開 仏教思想を基盤として』有斐閣 第二部 憲法的死刑論の展開
平野啓一郎2022『死刑について』岩波書店
保阪正康2022「戦後の司法の歪み 丹念に追う 『犯罪の証明なき有罪判決 23件の暗黒裁判』」『朝日新聞』4月16日書評欄
堀川恵子2012「絞首刑は残虐か」『世界』1月号63-72頁、2月号122-131頁、岩波書店
堀川恵子2016『死刑の基準 「永山裁判」が遺したもの』講談社
正木亮1952「絞首刑は残虐か」『法律のひろば』4月号、8-13頁
宮地ゆう2022「平野『死刑について』書評」『朝日新聞』8月6日
宮本倫好1998『死刑の大国アメリカ 政治と人権のはざまで』亜紀書房
免田栄1994『死刑囚の手記』イースト・プレス
森達也2022「死刑制度を下支えする国民のひとりである僕たちに、ミナとレザの苦悩と絶望が提起するもの」『白い牛のバラッド[イラン映画]』東宝
森炎2012『司法殺人 元裁判官が問う歪んだ死刑判決』講談社
森弁護士は死刑存置論者でありながら、現実の死刑判決を批判している。
森炎2015『死刑肯定論』ちくま新書
安田好弘2022「加藤さんを執行してもなに一つ変わらない」『死刑廃止国際条約の批准を求めるFORUM90』183号、9月、1頁
豊秀一(聞き手)2022「刑罰は何のために インタビュー 刑法学者 井田良さん」『朝日新聞』9月23日
吉弘光男、宗岡嗣郎編2022『犯罪の証明なき有罪判決 23件の暗黒裁判』九州大学出版会 飯塚事件の章あり
和田稠2000「まなざし仏教塾」「仏教から見た先祖崇拝とたたり」
http://manazasi-letter.com/index.php?%CF%C2%C5%C4%A1%A1%E3%C7#ma40a482

アルベール・カミュ1957「ギロチン」『カミュ全集』第9巻、大久保輝臣 [ほか]訳、新潮社1973
ジャン・マリ・カルバス『死刑制度の歴史』吉原達也・波多野敏訳、白水社文庫クセジュ2006
デビッド・ジョンソン2019『アメリカ人のみた日本の死刑』笹倉香奈訳、岩波新書
スティーブン・ピンカー2015『暴力の人類史』幾島幸子・塩原通緒訳、青土社
チェザレ・ベッカリーア1764『犯罪と刑罰』岩波文庫
ヴィクトル・ユゴー1829『死刑囚最後の日』小倉孝誠訳、光文社古典新訳文庫2018

https://ja.wikipedia.org/wiki/死刑制度合憲判決事件(2022年2月19日アクセス)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/名張毒ぶどう酒事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/永山則夫連続射殺事件
日弁連「飯塚事件」https://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/deathpenalty/q12/enzaiiizuka.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/アンネシュ・ベーリング・ブレイビク(2022年5月20日アクセス)。
https://en.wikipedia.org/wiki/Anders_Behring_Breivik 英語版
https://fr.wikipedia.org/wiki/Anders_Behring_Breivik 仏語版
https://eo.wikipedia.org/wiki/Anders_Behring_Breivik エスペラント版
刑法第十一条 死刑は、刑事施設内において、絞首して執行する。
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=140AC0000000045
監獄法[明治41年、1908年] 第72条 死刑ヲ執行スルトキハ絞首ノ後死相ヲ検シ仍ホ五分時ヲ経ルニ非サレハ紋繩ヲ解クコトヲ得ス
http://roppou.aichi-u.ac.jp/joubun/m41-28.htm
青木2009:6 近藤2008:210参照。
根本2009の巻末付録 日本の主な冤罪事件 白鳥決定と財田川決定/免田事件/財田川事件/帝銀事件/名張毒ぶどう酒事件/狭山事件/袴田事件/布川事件/八海事件/甲山事件/松本サリン事件 (他)
死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90 https://forum90.net/
国際人権NGOアムネスティ日本 https://www.amnesty.or.jp/

I shall ask for the abolition of the punishment of death until I have the infallibility of human judgment demonstrated to me.“–the Marquis de Lafayette
児玉1998の冒頭に引用 infallibilityは無謬性と訳される。ラファイエット侯爵については
https://ja.wikipedia.org/wiki/ラファイエット
https://en.wikipedia.org/wiki/Gilbert_du_Motier,_Marquis_de_Lafayette
https://eo.wikipedia.org/wiki/Marie-Joseph_Motier,_markizo_de_La_Fayette

 

ISF主催トーク茶話会(12月25日):望月衣塑子さんを囲んでのトーク茶話会のご案内

※ご支援のお願いのチラシ作成しました。ダウンロードはこちらまで。

https://isfweb.org/2790-2/

「独立言論フォーラム(ISF)ご支援のお願い」の動画を作成しました!

1 2
戸田清 戸田清

長崎大学名誉教授、専門は環境社会学・環境思想・平和学。

ご支援ください。

ISFは市民による独立メディアです。広告に頼らずにすべて市民からの寄付金によって運営されています。皆さまからのご支援をよろしくお願いします!

Most Popular

Recommend

Recommend Movie

columnist

執筆者

一覧へ