【特集】新型コロナ&ワクチン問題の真実と背景

マスクからの解放、活動への自由―新型コロナウイルスの警戒度引き下げをめぐって―

森一郎

では、「マスク」とは何だろうか。

あまりに日本語になじみとなったこのカタカナ語には、言うまでもなく、顔を覆うもの、つまり「覆面」という意味がある。素顔を人前に表わすことのないようにと、自分の顔を隠して見えなくさせるのが、「マスク」である。

もとより、コロナ感染予防用マスクは、隠すべきものを覆うために着用するものではない。しかし、それが顔という「オモテ」を覆う以上、「覆面」という意味合いをどうしてもおびてしまう。覆われた素顔は「ウラ」となり、隠された影の部分という性格を持たされる。それを常時着用していれば、顔の鼻から下、とりわけ口元とは隠すべきものであり、表に出すのは恥ずかしい、という観念に当然囚われるようになる。

だからそれを、新しい世代の繊細な感受性などと持ち上げるには当たらない。要は習慣の問題なのだ。マスク暮らしが人生の十分の一、二10分の1しか常態でない者と、3分の1にわたって常態であり続けている者との違いである。人前では顔を現わすほうが、わざと隠すより自然なのだ、躊躇するまでもない、と丁寧に説明することが肝腎である。

隠すほどのことでなくても、別の理由から(つまり飛沫防止のために)覆っているうちに、いつしかそれが秘すべきものとなり、晒すのは恥ずかしい、と往々にして感じられるようになる。そんな惰性のようなマスク依存症候群に、大げさに理解や同情を示さないほうがよい。単なる一過的倒錯を、世代間ギャップと騒ぎ立てなくてよい。

マスクにはもう一つ、「仮面」という意味がある。単に素顔を隠すためだけではなく、その作られたお面を人に見せ、その扮装した自分の姿を公然と現わすために用いられる衣装である。舞台に立つ演技者が身につける「仮面」は古来、「ペルソナ」とも呼ばれてきた。ペルソナは「パーソン」の語源であり、「人格・人柄」という意味を併せ持つ。

Mask and businessman

 

では、なぜ「仮面」が、人間性に関わるものとして理解されてきたのか。

不思議と言えば不思議だが、これは、お互いどうし自分を現わし合うことを重んじた古代の公的空間に見合うものだった。人前で見せるにふさわしい「公人」の面と、人前では隠すべき「私人」の面とを分けるという「公/私」の別の観念が、舞台に立つ役者が素顔の上に着ける「仮面」という形象になぞらえられたのだった。それゆえ「仮面」には、素顔を隠すことと、自分を人々に公然と現わすことの、二重の機能がある。

仮面は、私的なものを覆うのみならず、それを身につける者が公的な世界で自由に活躍できるようにさせるものである。つまり仮面には、活動への自由を可能にするという重要な役割がある。役者(アクター)が化粧をし衣装をまとって演技するように、現実の世界に参入して活動する行為者(アクター)は、現われるにふさわしい恰好をして自分自身を現わす。だからこそ、仮面と人格は切っても切れない関係にあるのである。

ところが、飛沫感染防止用マスクは、おのれを現わさないよう、もっぱら押し隠すように着用するものである。マスクを着けた容姿を自慢しても始まらない。隠し合うことだけが公共性を席巻すればどうなるか。公的世界の公開性そのものが根絶やしとなってしまう。正々堂々と自分をお互い現わし合うという公開原則が蔑ろにされるのである。

コロナウイルスの席巻によって、いや正確に言えば、コロナ騒動の長期化によって、公的活動空間はボロボロになってしまった。人々が自由に集まり、自由に語り合い、自由に行為する、自由な共同空間は、塞がれ続けているうちに、そんなのあったっけと忘れられかねない勢いである。インターネット空間やメタバース空間が代理を務めるから要らないのだ、と太鼓判を押す言説が支配的となっているほどである。

その情勢が固定してしまう前に、われわれは自由をふたたび取り戻さなければならない。3年間のツケは大きく、ダメージも相当だが、まだ遅くないことを私は信じる。その回復の道への大いなる一歩が、マスクからの解放である。しかし、それが積極的でありうるためには、もう一歩が必要である。活動への自由を、我々は取り戻すことにしよう。

 

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森一郎 森一郎

1962年生まれ。東北大学大学院情報科学研究科教授。著書に『死と誕生』、『死を超えるもの』(以上、東京大学出版会)、『世代問題の再燃』(明石書店)、『現代の危機と哲学』(放送大学教育振興会)、『ハイデガーと哲学の可能性』(法政大学出版局)、『核時代のテクノロジー論』(現代書館)、『ポリスへの愛』(風行社)、『アーレントと革命の哲学』(みすず書房)。訳書にアーレント『活動的生』、『革命論』(以上、みすず書房)等。

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