インタビュー:水戸喜世子さん(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表)、「子ども脱被ばく裁判」長い闘いを共に歩む
核・原発問題・10年も空白のままの基準値
──改めて判決文を読むと、ICRPに頼ってばかりいる。どなたかが「ICRPにおんぶにだっこ」状態とおっしゃっていましたが。一方、原告・弁護団は一審で、ICRPの歴史や、組織の果たす役割についてもきちんと批判してきたにもかかわらず、あのような判決がでることについて、どうお考えですか?
水戸:確かに判決文は、ICRPの2007年勧告の内容のオンパレードです。ご存じのように、日本の法令が採り入れた勧告は1990年版ですから、法律になっていない2007年版を根拠にして裁判所がこんなに堂々と裁定を下すことに、法律に疎い一市民としては大いに疑念がわきます。
2007年勧告は、3.11事故当時、文科省管轄下の放射線審議会で審議中だったのが、2012年9月から原子力規制委員会の諮問機関に引き継がれることになって、そのまま審議中で、まだ法律になっていません。ICRP基準を法制化することにまったく関心はありませんが、問題は環境基本法に放射性物質の基準値が明記されていないことは、子どもを守るうえで大きな障害になっています。裁判の中で、事故直後に、小中学校を高線量の中で再開したことを追究しましたが、法律がないから裁量権で決められているのです。実害をうけたのは子どもです。
あした原発事故が起きたら、また「裁量」権に委ねられるのでしょうか。不安でなりません。弁護団は控訴審の一つの柱に据えて、取り組もうとしています。
またこれも裁判の過程で学んだことですが、「学校保健安全法」という法律があって、それを具体化したものが「学校環境衛生基準」で、「学校の安全」をよく考えた素晴らしい規則で感心しました。黒板の照度は十分か、温度、換気、浮遊粉塵、照度、飲料水の水質、総トリハロメタンなどについて、詳細な制限値を決めています。その数値もたえず告示で見直されています。最近ではシックハウスに関わる化学物質七種類をあげ、室内空気汚染に関わるガイドラインとして、キシレンについては870マイクログラム/㎥を200マイクログラム/㎥に改定するなど配慮しています。それなのに、みんなが一番心配している放射性物質についての基準値が空白のまま十年間も放置されている異常さに目を向けてほしいと思います。裁判以前の問題です。
・山下俊一の発言こそ「風評被害」
──山下発言について原告は「放射線の健康被害に関する科学的に著しく反する内容であり、混乱をさけ、福島県の復興を最優先課題とする発言だった」と主張し、判決は「一部の発言は訂正もしたし、積極的に誤解を与えようとする意図はなかった」、また山下氏をアドバイザーとし、各地で講演させた福島県に「違法性はない」としました。柳原弁護士が「とにかく山下氏の応援団のような判決だ」と批判されていました。
水戸:法廷での一問一答については、さすがに恥ずかしくて、判決には入っていませんが、裁判の様子を振り返ると、例えば井戸弁護士が「『ニコニコ、くよくよ発言』は、ユーモアで言ったという趣旨で理解していいですか?」と質問すると、山下医師は「緊張を解くという意味で話をしました」と答えています。また、井戸弁護士が「聞いていた人たちは、当時放射能について、真剣に心配していたので『自分たちはニコニコではなく、くよくよに属する。自分たちには放射能がくる』と愚弄されているように受けとめるのでは?」と質問し、それに対して山下医師は「不快な思いをさせた方には、まことに申し訳なく思っています」と答えています。
また井戸弁護士が「福島市は大体毎時10マイクロシーベルト程度の線量があったと思うのですが、子どもを外で遊ばせて、マスクもさせるなというのは、故意に子どもを被ばくさせる意図だったのですか?」と質問し、山下医師は「まったくそういう意図はありません。むしろ子どもを部屋に閉じ込める、制限するということに対して、外に出ても大丈夫だという話をさせていただきました」と。
「毎時10マイクロシーベルトくらいであれば、外に出して被ばくさせてもいいというお考えですか?」に対して、「過剰に被ばくをさせることは良くないというふうに思います」と答え、井戸弁護士の「毎時一〇マイクロシーベルト以下で外で遊ばせることは、過剰な被ばくにはあたらないのですか?」には「リスク・ベネフィットのバランスを考える必要があるというふうに考えています」と答えていました。
重大な虚偽発言への追及へとまだまだ続きますが、これだけのやりとりからも、専門家としての驕り、リスクの過小評価、被ばくの軽視、リスクアドバイザーとして不適格性があらわだと思いました。放射線の感受性には個人差が大きいこと、子どもは大人の6倍以上あることを知らないはずはないのに、10マイクロシーベルトという、事故前の200倍も高い線量の中に、子どもを放置するということに匹敵するデメリットってあるのでしょうか?
──今後の控訴審でもさらに追及しなくてはなりませんね?
水戸:その通りです。7年間の全法廷の中で傍聴人が一番多く詰めかけたのが、山下俊一証人が出廷した日でした。法廷に入れない人が多くいたので、私や県外の人は抽選にあたった傍聴券を福島の方に譲りました。この日の朝、福島駅前で「今日福島地裁に山下俊一証人が出廷します」というビラをまきましたが、自分から手を出してきて受け取るという人もいて、びっくりしました。県民の怒りの度合いを知る思いがしました。放射線なんて考えたことのない市民にとって、原発が爆発したと聞いたとき、恐らく藁にも縋る思いで駆け付けたと思います。
(山下が)長崎の被爆者・永井隆の崇拝者でカソリック信者、チェルノブイリでの実績ありと聞いたならなおさらです。しかし、科学的事実に反するようなうそ・でたらめを聞かされたと知って、まず被害者としての尊厳が侵されたことに怒り、それから県民を避難させないための県の謀り事だったと知った時の思いは、いかばかりだったことでしょう。
うそをばらまいて人心を惑わすことを風評被害というのであれば、県の委託をうけた公人として人命に関わるような風評被害をばらまいたわけですから、だれが聞いても有罪でしょう。線量の高い時期の被ばくを、避けたか避けなかったかは、子どもの将来の健康に関わってくる大きな要因になります。原爆訴訟では国ですら、一定期間内の入市被爆者を「被爆者」として認めています。
それなのに、判決文は「一般聴衆に対する誤解を招く内容や不適切な表現を一部に含む内容ではあったが、放射線の健康被害に関する科学的知見を一般の参加者向けに平易に説明したものであり、一部の発言に対しては訂正し、積極的に誤解を与えようとする意図はうかがわれない」とし、県の違法性を認めなかったのです。
当時、福島各地はざらに毎時数10マイクロシーベルトを超える状態にあったのに、山下医師はいわきでも飯舘でも福島でも「毎時100ミリシーベルト以下」を繰り返していたのは、誤解でもなければ、平易な説明でもない。ましてや訂正して済む内容でもなく、避難の必要がないことを訴えるため、確信に基づいた発言にほかならないと弁護団はみています。
ICRPを多用するのであれば、せめてLNTモデル(しきい値なし直線仮説)、どんなに微量であっても放射線被ばくによる健康被害は伴うものだという考え方を県民に伝えるべきでした。山下医師は、国の被ばく行政を仕切る影響力の大きな放射線の専門家です。私たちが提訴している国賠訴訟の個々のテーマすべてについて、水面下でつながっています。「被ばくを小さくみせる」という被ばく行政と今後も闘いは続きます。
・「黒い雨」判決は大きな援軍
──判決全体について、弁護団長の井戸弁護士は「裁判所には、子どもの健康と今後の人生にかかわる問題であるという位置づけを自覚して、検討してほしかった」と感想を述べられていましたが、水戸さんはどのような感想をお持ちですか?
水戸:一審を終えての感想は「被ばく」の捉え方が、国側と原告側ではまったく違うということです。ベースが違っているのですから、結論が違って当然です。この違いがすべての争点の原因になっていました。一言に要約すれば、とりわけ低線量領域においては、実効線量シーベルトで、内部被ばくも外部被ばくも健康影響を測れる(ICRPの考え方)とする国側と、内部被ばくと外部被ばくではメカニズムがまったく違うので、シーベルトで内部被ばくは測れないとする原告側の違いにいきつきます。これって、実態を伴わないと科学論争になって裁判になじまない。郷地・河野両証人の証言もスルーされ、裁判長のICRP信仰を変えられませんでした。二審でも大きな課題です。
ところが大きな援軍が現れました。「黒い雨」判決です。こちらは実態を伴うリアリティのある裁判です。YouTubeに広島経済大学の学生さんたちが現地に行って作った「短命村」という20分のドキュメントがアップされています。ぜひご覧になってください。私が訪ねた同じ村です。
内部被ばくを社会に広めるには有益です。生き証人ですから。「黒い雨」裁判の原告の皆さんは、被爆当時は子ども裁判の子どもとほぼ同じ年ごろでした。発症歴など引き続き勉強したいと思っています。認定されるのに、七五年もかかるなんて、福島の子どもにその苦労を繰り返してはなりません。
──控訴審はすぐに結審されることが多いのですが、この裁判は何度か法廷が開かれるそうです。控訴審でポイントになるのはどのような点でしょうか?
水戸:個人としてですが、山下発言です。公人としてクライシスコミュニケーションと称して意図して虚偽発言を振りまいたのは立派な犯罪です。公権力を利用して、被ばく防護を解除し、無用な被ばくを強いた罪は裁かれねばなりません。あと一つは、黒い雨訴訟では残留放射線による内部被ばくを認めたのですから、高線量下に放置された福島の子どもに何としても適用すべきだと考えます。
──控訴審が始まった「こども脱被ばく裁判」ですが、改めて全国の皆さんへ訴えたいことがありましたら、お話しください。
水戸:私たちには道理があります。子ども脱被ばく裁判の中で、弁護団はとても重要な事実を突き止めました。環境法がきめる一般の毒物の基準に合わせたら、放射性物質は極めて微量でも易々と危険量を超えてしまうという事実。その実証例として黒い雨訴訟判決はうってつけでした。「被爆地帯(放射能を含んだ雨が降った地域)に居た人はすべて被ばく者である」という判決内容は、まさに微量な被ばくでも「被爆者」として発症する可能性があることを生き証人で示したのです。この2つを結びつけて語ることが重要です。70年経って、平均年齢86歳、黒い雨訴訟の原告全員が、国が定める原爆症に該当していたのですが、高裁判決では、まだ発症していない人も今後発症する可能性を秘めているので、被爆者として認定できるとしました。この事実を多くの人に知ってもらいたいと思っています。
──お忙しいところ、ありがとうございました。
[2021年11月3日電話インタビュー]
(季刊「NO NUKES voice No.30」より 〔現在は誌名を「季節」に改題〕)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3.11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。