
不法移民とアメリカ社会は共依存なのか カリフォルニアワインの産地で私が見た現実
社会・経済国際※この記事は「SouthernCross(サザンクロス)〜現地採用から起業した海外生活者の異文化雑記~」
https://note.com/southern_x777/n/nfef545a1a565
このところ仕事が忙しく、久しぶりのnote投稿になりました。この間、トランプ関税が「有言実行」されたり、かねてから「陰謀論者(既に死語でしょう)界隈」で取り沙汰されていた人々が明らかに追い詰められている様子を、胸のすく思いで眺めておりました。
トランプ政権が始まってわずか4ヶ月。この間の彼の公約実行は見事であり、かたや「トランプが大統領になったらアメリカを出る!」と公言していた著名人が、なぜかひっそりと国内に留まっている様子を見ると、口だけ番長と本物の番長との器と力量の違いを見せつけられる思いです。
既に不法移民は米政府が帰国費用を負担して次々に追い返すとのこと。これまでトランプ大統領を「大口叩いてもあれはパフォーマンス」と侮っていた世間も、これだけ有言実行を繰り返されればもはや侮ることはできず、途方もない人数であろうと次々に強制送還されていくのだと思います。
さて、不法移民である以上それは道理であり、トランプ政権の政策に異議を唱えるものではありませんが、一方、アメリカ社会の実態を少しばかり自分の目で見てきた経験から言えば、不法移民の出身国と当のアメリカが複雑な共依存関係にあることを無視しては事態を語れないと感じています。
この10年間で私がアメリカを訪問したのは、2017年7月のカリフォルニア、2019年5月のシカゴとイリノイ州郊外でした。バイデン政権前ですから、今ほど南部国境から際限なく移民が押し寄せてはいなかった時代です。
2017年7月は、サンフランシスコから入国し、数日市内に滞在した後、レンタカーでカリフォルニアワインの産地であるナパバレーを巡りました。今は大手百貨店も含めて軒並み店舗がクローズしてしまったという、日本で言えば銀座に相当するサンフランシスコのユニオンスクウェア地区に泊まりましたが、日が暮れても普通に夕食にでかけることができましたし、元々治安の悪い内陸部の南部(海とは反対側)以外で路上のホームレスを見かけることもありませんでした。
2019年の訪問時はシカゴの中心部にあるグラントパーク前のホテルに滞在し、夜は2ブロック離れたジャズクラブにひとりで夕食と演奏を聴きに出かけたりもできました。治安の悪い南部以外は夜でも歩けましたし、地下鉄にも乗れました。
その後のバイデン政権4年間で、いかにアメリカと世界が大きく変わってしまったことを思うと残念でなりません。
とは言え、アメリカの不法移民の歴史は今に始まったことではないこと、そしてアメリカ社会こそが、言い方は悪いですがこうした「使い捨てにできる人材」を求めるばかりか、不可欠な存在として実は黙認してきたことを私は知っています。
元々、共和党は資本家側、民主党は労働者側という明確に分かれた支持層でしたが、今やその実態は逆転しているようです。民主党が法を冒しても移民を積極的に流入(逮捕しないなら、そういうことです)させている理由は、アメリカこそがこうした安く使えて保障も最低限で済む人材を必要としているからであり、そうした経営者側のニーズに応えると共に、不法入国を黙認し、身分証をばら撒き選挙権を与え、社会保障制度に組み込むことで新たな票田としたい民主党の思惑が見事に一致した、いわば「共依存関係」が必要だからでしょう。
カリフォルニア、ナパバレーのワイナリーを訪ねる旅の中で、灼熱の太陽のもとで黙々と作業に励む移民の姿を目にしました。顔立ちからして明らかに中南米の出身者であり、彼らは最低限の英語すらも話せたり話せなかったり。労働契約書なるものがあったとしても、殆ど理解できないままサインしているか、雇用者側も証拠を残さないために口約束で雇っているかのいずれかでしょう。
元々が違法な入国ですから入管に密告されればアウト。その足元を見るかのように、過酷な労働条件で安く使うワイナリーオーナー。テイスティングをしながら経営者と世間話をしましたが、「移民を使うのは何もそれを望んでのことではない。どこからか密告されればこちらも罪に問われるからね。でも、ぶどう園での農作業なんて募集したってアメリカ人など応募してこないよ。仮に面接まで設定したとしても当日現れなかったり、採用しても初日から休んだり、と正直使いものにならない。収穫時期には大量の労働力が必要になるのに、そんな不安定な人材ばかりだったら経営が立ち行かない。でも移民は文句も言わずよく働いてくれる。だから賃金は安いけど、うちはそれなりに厚遇しているよ」と。
ナパバレーには1週間ほど滞在しました。その間、B&Bに滞在しながらレンタカーでかなり広範囲を走り回り、10軒以上のワイナリーを訪ねました。カリフォルニアでの運転は血中アルコール濃度が0.08%で飲酒運転とみなされるので、テイスティングでは殆ど飲み込まず、飲んだ時は数時間置いてから運転再開。そのため1日2軒ぐらいの訪問でしたが、その分、ワイナリーの敷地を散歩したり、経営者からじっくり話を聞くことができました。
どこの農園でも畑で見かけるのは中南米からの労働者。高額な手数料を「呼び屋」に払って、場合によっては命からがらやってきたアメリカで、このような暮らしをすることが彼らの夢であったのでしょうか。しかし、それも道理と思えるのは、私が交換留学生としてアメリカで過ごした中で出会ったコロンビアからの留学生との思い出があるからです。
時は1981年、私はインターナショナルフェローシップという非営利団体による留学制度に応募し、1年間をニューヨーク州の田舎での高校で過ごしました。その団体が主催したニューヨークとワシントンD.C.を巡る社会見学ツアーに参加した時に出会ったのが、同じ団体を通じて留学している中南米からの高校生でした。コロンビア、メキシコ、エルサルバドル、ボリビア、ペルーなど。留学生には欧州出身者もいましたが、半数は中南米の出身者。コロンビアからの女の子と仲良くなり、ツアー中はほぼ彼女と一緒に行動していたのですが、奨学金を貰えたとはいえ、こうした制度に応募して選考試験に合格でもしなければアメリカに来ることなどできなかったこと(1ドル250円ぐらいの時代でしたから、これは私も同じことでした)。そして、これを足がかりになんとかしてアメリカの大学に進学して、祖国を出たいこと。祖国にいては碌な仕事にありつけない、それ以上に麻薬カルテルが政府と結託しているので凶悪犯罪は減らず、仕事がない若者は次々とこうしたマフィアの使い走りとなり、いずれは密輸の実行犯にさせられること。抗争で命を落とす若者が後を絶たない。アメリカに来て銃声を聞かずに済むことが本当に嬉しいと。
彼女はテネシー州の田舎に留学していたし、そもそも交換留学の高校生の行き先は田舎も田舎、私などニューヨーク州といっても人口5千人のBrewsterというど田舎でしたから、時代が違ったとはいえかなり平和な環境でした。でも、その時代から彼女の祖国では日常生活で銃声が聞こえ、抗争が起きれば一般市民も巻き添えになる。そんな毎日であったようです。
アメリカで麻薬の消費が格段に増えたのはベトナム戦争後だと言われています。PTSDや負傷の後遺症に悩む帰還兵が治療の一環として使い出したドラッグは、ウッドストックに象徴されるフラワーチルドレンの平和運動の中で「愛と平和」の一環として市民権を得て今に至ります。
イーグルスの名曲「ホテル・カリフォルニア」に、ワインを注文したら、バーのマネジャーが「We haven’t had that sprit here since 1969」と返事をする歌詞がありますが、酒のスピリットと精神のスピリットを掛けた皮肉であることに気付いた人は、とりわけアメリカ人には多かったのではないかと思います。
アメリカで消費されるドラッグの中心はコカインですが、これはもともとイタリアのシチリア島出身のマフィアが祖国で栽培、精製したものをアメリカに持ち込んで財を成したものです。映画「ゴッドファーザー」は話を美化し過ぎていますが、彼らがコーザノストラを形成し、ルチアーノ、ブォナンノ、ガリアーノ、プロファチ、マンガーノの各ファミリー(ニューヨーク5大マフィア)を中心に、旧くは禁酒法下での密売酒販売、その後はドラッグで財を成したことはよく知られた事実です。
ベトナム戦争後、アメリカでのドラッグ消費が増えるにつれ、その供給元はシチリア島から中南米に移りました。70年代以降、中南米で急速に力をつけてきたのは、パブロ・エスコバル率いるメデジンカルテル(コロンビア)、シナロアカルテル、ロス・セタス、グアダラハラカルテル、ガルフカルテル(共にメキシコ)など。彼らはアテにならない政府に代わってそれなりに貧民街の支援などもしましたが、その根底には貧民街の若者をドラッグの運び屋などに使う思惑があってのことでしょう。その武闘派ぶりはイタリア出身者で固めたコーザノストラ以上の激しさでした。
そこで必要となるのは運び屋を引き受けてくれる密航者。貧しく英語もままならない中南米人が、こうした呼び屋の口車に乗せられ、アメリカに行けば良い暮らしが待っていると吹き込まれ、社会不安の蔓延る祖国に見切りをつけ立ち上がるのは、ある意味必然とも考えられます。
トランプ大統領の不法移民強制送還には賛成です。ただ、送り返した先の国の貧困と社会不安が解消されない限り、これはイタチごっこになると思います。同時にアメリカ人が、実直に労働に従事することの意義を理解し、それを美徳と考えない限り、引き受け手のない仕事の補完勢力として、経営者視点では不法移民への需要は減らないと思われます。Make America Great AgainはMake Americans Great Againである必要もあると思うのです。
近年さらに恐ろしいのは、消費市場は既にヘロインやコカインではなく、合成ドラッグに移っているということ。持ち運びしやすく、少量で効き、中毒性が高い。合成ドラッグの主たる製造元は中国であるという話も聞きます。近年、南部国境だけでなく、カナダのバンクーバーあたりから不法入国してくる中国人が増えたのは、このビジネスに関わっている可能性が高いのではないでしょうか。
自国を守るという政策には全面的に賛成はしますが、トランプ氏の根底にある孤立主義思想。今日の犯罪は、国内単独で発生するより複数国との連携で発生することの方が多い。そうした犯罪の「ステイクホルダー(利害関係者)」を無視しては、さらなる孤立に向けてのイタチごっこになると思います。
合成ドラッグ、臓器売買、子供を中心とした人身売買。そしてマネーロンダリング。トランプ政権によって排除されつつあるこうした犯罪組織はどこへ向かうのか。
人権や多様性といったふわふわした甘い考えで悦に入っている間に、こうした勢力が次なる狩場、次なる拠点を探して動いていることを忘れてはならないと思うのです。特定出身国、特定勢力が移民として日本に押し寄せてくるのであれば、それは自然発生的な移民ではなく、何らかの意図を持って送り込まれた勢力であると疑うことも、国防上、必要な意識であると私は考えます。
そして日本人として私たちがかつてのSpirit(精神)を取り戻すことも。

1996年に現地採用者として単身シンガポールへ。シンガポール資本の会社2社で働き、2002年に永住権を取得。その後、シンガポール企業の日本駐在員として3年半勤務。任期終了後シンガポールに戻り2008年に起業。現在、自分自身のシンガポールの会社の代表を務めると共に、マレーシア企業での役員も務める。2023年にはシンガポールから橋一つ渡ったところにあるマレーシア・ジョホール州の経済特区イスカンダルプテリに在住する。シンガポール、マレーシアの二拠点生活をしています。