第1回 分断される世界
国際・少数民族問題としてのウクライナ問題
今、これをどう考えるべきか悩むテーマにウクライナ問題があるが、それを「世界の分断」という視角から論じた本を9月5日に出版した。『ウクライナ戦争と分断される世界』というタイトルで、本の泉社からの出版である。
ウクライナ問題をめぐる世間の論調は「ロシア非難」一色で「ウクライナは可哀そう」となっているが、少数民族問題を研究している身としてはとてもその気になれない。だいたい、ウクライナでの紛争は今に始まったのか。それとも2014年以来の内戦こそが問題なのかが最初に問われなければならないのではないだろうか。
アゾフ大隊をはじめとするネオナチがウクライナ東部にいるロシア人(ロシア系話者)を虐殺し差別するようなことがなければ2014年以来の内戦もなかった。
西側世界は中国において多数派民族(漢民族)が少数民族を抑圧しているとして多数派民族による少数派への抑圧を問題とするが、この地ウクライナではそれはウクライナ人によるロシア人への抑圧となる。一方の多数派民族の「抑圧」を問題としても他方の多数派民族のそれを問題としないこのダブル・スタンダードはあまりに甚だしい。
私にとって今回、最も耐え難いのはこのダブル・スタンダードである。各論者がいろいろな価値判断、判断基準を持つことはもちろん許容され、尊重されるべきではあるが、論じる対象によって基準が変えられてはならない。その「当たり前の基準」が、今、西側では暴力的に踏みにじられているのである。
実際、ここでも強調したいのであるが、「ウクライナ人によるロシア人の虐殺」は国連の人権委員会(UN Human Rights Office of the High Commissioner)でも確認されている問題である。
“ARBITRARYDETENTION, TORTUREANDILL-TREATMENT INTHECONTEXT OFARMEDCONFLICT INEASTERNUKRAINE 2014-2021”という報告書が出されているので、読者はぜひネットで確認されたい。ここでは「独立した」とされるドンバスの2国の戦争犯罪にも言及がされているが、基本はウクライナ政府とウクライナ議会の責任を追及するものとなっている。これを放置してきた国際社会(より正確には西側世界)の責任も問われなければならない。
・西側民主主義がもたらした内戦
ただし、この「民族間紛争」で私が読者に訴えたいことには、つい最近まで両民族が平和に暮らしていたということ、それが急に殺しあうことになってしまった原因に西側民主主義がある、ということがある。
私は中国の新疆ウイグル自治区の民族問題を研究するのでここではっきりと述べたいが、新疆ウイグル自治区に西側民主主義を導入すればすぐさまこの地域は大変な大混乱に陥る。選挙で漢族の利益を代表する人物が立候補し、一方で少数民族の利益を代表する人物が立候補する。そして、必ずどちらかが勝ち、その打ち出した民族的政策を「民意だ」といって実行する。
この時、負けた民族が黙ってみておくわけにいかないからである。もっと言うと、ユーゴで、イラクで、シリアで、アフガンで、そしてミャンマーで起きた内戦はすべてこのようなものであった。西側民主主義がなければ発生しない殺し合いが「西側民主主義」によって引き起こされているのである。
最近、「アラブの春」で「民主化」したはずのチュニジアで大統領に独裁的権限を与える憲法改正が通ったが、これは国民自身も「民主主義」のこの危険性を認識したことによっている。なんと世間で言われているのとまったく逆に、中国は「民主主義」でないがために内戦に陥らずに済んでいるのである。我々も「民主主義」を何も考えずに万能と考えるやり方はこのあたりでやめた方がよいと思う。
もちろん、私はここですべての民主主義をよくないと言っているわけではない。たとえば、いろいろ問題があっても韓国の民主主義は正常に機能していると思う。
私の慶應での研究グループは最近、「民主主義の有効性」についての研究を深めているが、そこでの結論は、複数の民族や宗派によって構成されない国では民主主義によってこの種の分断が形成されない。(実は琉球の問題があるのではあるが)日本もほぼその状況にあると理解される。
が、当初に民族間ないし宗派間に対立がなくとも、「民主主義」は勝利をめざす政治勢力が「多数派民族」ないし「多数派宗派」の利益を「少数派」と区別して対立を作り出そうとさせる誘因を持っている。簡単に言えば、それで選挙で勝てるからである。
実際、ゼレンスキー大統領の政治的変遷はこの典型であった。ゼレンスキー大統領は当初、そう「ウクライナ民族主義的」ではなかったが、不安定な政権を安定させるために「ウクライナ民族主義」を煽るに至っている。そして、それがアゾフ大隊らの蛮行を許す社会状況を作り出しているのである。
なお、最近知ったことであるが、この特徴はインドのモディ政権にもあるようである。下位カースト出身のモディ首相自身、本来「ヒンズー主義者」ではないはずが、インドにおける多数派宗教=ヒンズー教を前面に打ち出す政治をはじめ、それによって安定的に多数派を形成できるようになっているという。似た例は世界にいくらでもある[1]。これらがすべて「西側民主主義」の帰結として生じているのである。
ちなみに、ここで論ずるウクライナの分断を決定的にした2014年のマイダン革命には「西側の価値」を叫んだアメリカが相当強力に介入している。アメリカの連邦議会議員がマイダン広場にいきなり登場し、その背景には当時のバイデン・アメリカ副大統領がいた。
現在のバンデン政権で国務次官補に昇進したビクトリア・ヌーランド氏を当時もバイデン氏は重用し、ウクライナに送ってこの革命を引き起こしている。「価値」を論じないトランプ政権の際にはこのようなことが起きなかったが、アメリカが「価値」を論じるとこのようなこととなる。気をつけなければならない。
1956年京都府生まれ。京都大学大学院経済学研究科修了。立命館大学経済学部助教授、京都大学経済学研究科助教授、教授、慶應義塾大学経済学部教授を経て、現在、京都大学・慶應義塾大学名誉教授。経済学博士。数理マルクス経済学を主な研究テーマとしつつ、中国の少数民族問題、政治システムなども研究。主な著書・編著に、『資本主義以前の「社会主義」と資本主義後の社会主義』大月書店、『中国の少数民族問題と経済格差』京都大学学術出版会、『マルクス経済学(第3版)』慶應義塾大学出版会、『マルクス派数理政治経済学』慶應義塾大学出版会などがある。