シリーズ日本の冤罪㉟:高知白バイ事件事故、直後から〝犯人〞は決められていた

尾崎美代子

2006年3月3日、高知県旧春野町(現高知市)の国道56号線で、遠足の中学生を乗せたスクールバスと高知県警の白バイの衝突事故が発生、バスを運転していた片岡晴彦さん(当時52歳)が、業務上過失致死傷罪容疑で現行犯逮捕された。

Police white motorcycle

 

事故後、片岡さんは同土佐署に連行されたが、白バイ隊員(当時26歳)の死亡を告げられたあと、実況見分のため事故現場に警察車両で戻った。しかし、捜査員に止められ車から降りられず、車内から事故現場を指さすだけだった。片岡さんは3日目に釈放、その後、行政処分(1年間の免許取り消し)を受け、運転手の職を奪われる。

若い隊員の死を悼み続ける片岡さんに、8カ月後、思わぬ事態が訪れた。呼び出された高知地検で、事故時、片岡さんが運転するバスは時速5キロ~10キロのスピードで走行しており、白バイと衝突すると急ブレーキをかけ、バイクを約3メートル引きずり停止したと告げられたのだ。

急ブレーキを踏んだ覚えがないため、必死に抗弁する片岡さんに見せられたのは、バスがつけたという「ブレーキ痕」の写真だった。

片岡さんは「安全を確認する注意義務を怠った」として業務上過失致死罪で在宅起訴され、裁判で禁固1年4月の実刑判決が下された。しかし、その後、開示された高知県警の内部文書では、警察の作為とみられる点が、記されていたのである。

・8カ月の間に何が起こったのか

2007年1月18日、高知地裁で始まった裁判の争点は、①事故時、バスは止まっていたか否か、②白バイの速度がどの程度だったかで、片岡さんは無罪を主張した。衝突事故に、自身の責任がまったくないとしたわけではない。刑事裁判は民事裁判と違い、起訴事実の「過失」を巡って争うもので、片岡さんは、事故が過失によるものではない、として無罪を求めたのである。

事故当時、片岡さんはバス駐車場を出たのち、左右を確認後ゆっくりと進行して中央分離帯で停車しており、事故前の時点でバスは止まっていたと主張。白バイの速度については、片岡さんは「ロケットがぶつかってきたよう」と述べている。また、バス後方を自家用車でついてきていた校長も「何か物体が突っ込んできたよう」と感じており、白バイは相当な猛スピードだったことが想像できる。

一方、検察は「バスは時速5キロから10キロメートルで走行中であり」「片岡さんが右方向の安全確認を怠っていたため、右方向から法定速度60キロで走行して来た白バイに気づかず衝突させ、急ブレーキをかけたが、白バイ隊員をひきずったまま約3メートル先で停車した」と主張した。

片岡さん側には、生徒22名と引率教諭3名、校長の26名のほか、事故前、白バイの後ろを走行していた軽トラック運転手の計27名の証言者がいた。片岡さんと面識のない軽トラック運転手は裁判で「白バイは100キロ近い速度まで加速し、車間距離を広げていった」と証言した。

一方、検察側の証人は、当日、偶然反対車線を取り締まりのため走行中だった同僚の白バイ隊員A氏のみだった。A隊員は、反対車線の約130メートル離れた位置から、交差点のバスと178メートル先の白バイの両方を目にしたのち、交差点から約80メートルの場所で衝突事故を目撃。その際、バスは時速10キロ程度、白バイは60キロ程度の速度で走行しているのを目視で確認したと証言した。

・不可解な「ブレーキ痕」の謎

同年6月7日、高知地裁の片多康裁判長は、検察側の主張を全て認め、片岡さんに執行猶予もつかない禁固1年4月の実刑判決を言い渡した。最大の争点だったバスのブレーキ痕(判決文では「スリップ痕」と表記)については、検察が提出した135枚の写真のうち、事故直後の写真にも写っている、つまり片岡さんの逮捕前から存在したことや、やじ馬や報道関係者らが大勢いる衆人環視の状況にあったことから、短時間でブレーキ痕を捏造することなど不可能であると認定した。

A semi tractor and trailer has crashed on a highway and workers are cleaning up the scene. The scorched tractor is to the left and trailer with a replacement tractor are in the background. Focus is on a the skid mark which has crossed a solid yellow road dividing line.

 

一見もっともらしいこの言い回しだが、果たしてそうだろうか?

当日、事故現場には40人以上の警察官がおり、午後2時55分~5時17分の長時間、事故車両の撤去をはじめ、様々な距離の計測、破片の片付けや周辺の掃除など多数の作業が同時並行で行なわれていた。

陶山二郎・茨城大学准教授らによる論説「いわゆる『高知白バイ事件』の再審請求について」でも指摘されているように、「現場で事故車両の撤去作業等とスリップ痕の作為との違いを見分けうる人間は少ないといえなくもない」のではないか。しかも、片岡さんを有罪とする最大の証拠のブレーキ痕を、警察官は実況見分に立ち会った片岡さんに確認させていない。

片岡さんは控訴し、同年10月4日、高松高裁で控訴審が始まった。地裁判決が片岡さんに「過失」があったとする最大の理由は、実況見分写真に写る右1メートル、左1.2メートルの「ブレーキ痕」や路面の擦過痕だった。

果たして、それらは片岡さんのバスが付けたものなのか、警察らにより人為的に捏造されたものなのか?

弁護団は、交通事故鑑定人の石川和夫氏に依頼し、同年9月24日、事故当時と同型のバスを使って実験を行なっていた。支援者や当時バスに乗っていた元生徒8人ら計27人が乗車し、重量を事故当時とほぼ同じにしたうえで、実況見分調書に沿って、バスの発進地点から6.5メートル走行し、急ブレーキをかけた。その後、石川さんが、バスの下に出来たブレーキ痕を測ったが、長さはわずか約30センチ。濃さも、目で見てわかるかわからないかの薄さだった。

弁護団は控訴趣意書で、石川氏のこの「解析書」に加え、1審で提出された高知県警科捜研の「算定書」に対する大手自動車メーカー設計士の「意見書」、事故当時バスに乗っていた女子生徒が前の席の女子生徒2人を撮影した写真1枚と、急ブレーキをかけていれば、そのような安定した写真は撮れないと訴える陳述書を提出した。

しかし検察は、全ての証拠調べを「不同意」とした。加えて弁護団は3人の証人申請を行なったが、これも検察が「不同意」とし、裁判所で合議されたものの3人とも却下され、裁判はあっけなく結審されてしまった。

10月30日、高松高裁・柴田秀樹裁判長は控訴を棄却した。「ブレーキ痕」捏造の疑いについても1審と同様に弁護側の主張を否定。その根拠として、写真撮影報告書の12枚の写真について「スリップ痕様のものは衝突直後から存在していた」とした。

一方、先端部分のみが濃くなっている不可解なブレーキ痕について、「事故によって漏れた液体がバスのタイヤの下に入り、バスを撤去した際に現れたもの」と認定した1審判決を「正確性に欠いている」としながらも、「この点の誤りは、スリップ痕様のものの由来の認定に影響を及ぼすものではない」とした。

また事故時の白バイの速度についてはA隊員の証言を認め、軽トラック運転手の証言を否定した。弁護団は即日上告したが、2008年8月20日、上告棄却で実刑が確定、片岡さんは収監されることとなった。

 

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尾崎美代子 尾崎美代子

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3.11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。

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