第1回 足利事件①:世界標準無視のDNA型鑑定
メディア批評&事件検証犯罪捜査で盛んに耳にするDNA(Doexyribo Nucleic Acid:デオキシリボ核酸)型鑑定とは、そもそもどんなものだろうか。我が国の歴史から紐解いてみたい。
昭和から長い間、刑事事件で証拠の主流だった指紋、そして血液型鑑定から欧米諸国ですでに使われていたDNAという遺伝子の核を調べる方法に1985年ごろから変え始めた。導入は世界の流れを見ても当然のことだが、大きな問題が見えてきた。警察による鑑定だ。
スタート時からDNA型鑑定の結果が捜査側にとっていかようにも操作可能な仕組みになっている。それを変えないことには、冤罪は増えるばかりだ。
なぜ、DNA型鑑定を導入したのか? 指紋は、犯罪現場に残っているのが難しく、血液型はもっとも感度の高いABO式血液型では、日本人ではA型が約40%もいることからわかるように偶然の一致率が高く、とても真犯人と同一であることを見極めることに役立つものではなかった。
とりわけ東京大学や信州大学、新潟大学、筑波大学といった法医学教室などがこぞって研究を始めたのだ。この頃、全国の警察を指揮する警察庁にこの遺伝子を利用した鑑定の正確度に期待を寄せる一人の人物がいた。
時代は平成に代わり、91年に全国警察の科学捜査研究所(科捜研)に翌年度からこのDNA型鑑定を導入することを決め、その機器の予算化を行った当時の警察庁刑事局長は、後に長官となり、地下鉄サリン事件捜査中に何者かに狙撃され、重傷を負った国松孝次氏だ。歴代の警察庁長官の中でも人柄や統率力は抜群のトップと庁内でも慕われていた1人だ。
日本の捜査現場では、80年代後半に科捜研を指導監督する同庁の科学警察研究所(科警研)の笠井賢太郎技官を米国・ユタ大学のハワード・ヒューズ医学研究所に派遣。その研究室が独自に開発したDNA型鑑定方法の一つをお土産として学んで帰国し、その運用を89年から始めた。それが「MCT118」と呼ばれた鑑定法だったが、あまりにも時期尚早な実用化に踏み切ったことが悲劇を生んだのである。
もっともMCT118の実用化を後押しした研究が、それ以前に進められていたことも背景としてあった。事件現場などで被害者の体や肌着などから採取するDNA型は必ず鑑定できる量とは限らない。
ごく微量の時もありうる。そんな時に検査をより可能にするために米国の生物学者キャリー・マリスが85年にDNAを試験管内で人工的に増やすポリメラーゼ連鎖反応(PCR:Polymerase Chain Reaction)法を開発した(93年にノーベル化学賞を受賞)。「MCT118」鑑定法は、そのPCR法を活用し、第一染色体中に存在する決まった16塩基単位の繰り返し配列の1部位のみを鑑定する手法だ。
しかし、当時の「MCT118」鑑定法は、大きな欠陥があることは誰も知らなかった。その一つはPCR条件が適正ではなく、もう一つは検出方法が誤った方法だったことが91年に信州大学法医学教室の本田克也助手によって指摘されてしまう。
当時の識別精度は1,000人に1.2人の割合で同じDNA型が出るというものとされていたが、型が誤って判定される方法だった。この方法の導入は、最初からDNA型鑑定の歴史を汚す最悪な船出となってしまった。
というのも、この鑑定こそが「冤罪足利事件」を生んだ粗悪なDNA型鑑定だったのだ。この事件の一審の公判が始まった直後からこの鑑定を行った科警研や宇都宮地方裁判所に本田助手は冤罪を警告していたのだ。
しかし、それを無視してこの鑑定を押し切り、その後もやり続けたのが科警研と検察で、それを裁判所も認めてきたのだ。この鑑定は、欧米諸国ではMCT118などの実験方法の研究は進められたが、実際の鑑定でほとんど使われたことはないという。
90年代後半以降はアメリカでは常染色体、ドイツでは性染色体を中心に鑑定に使える部位が発見され、精度を上げる研究が進む。
2003年からは「MCT118」鑑定法は16塩基単位であったのに対し、その4分の1になる4個の塩基配列を基本単位とする「STR(short tandem repeat)型」を指標とした分析方法が英国で導入され、16部位の検査キットを用いた分析方法に代わり、精度は格段に上がって、4兆7,000億人に1人となった。
日本の現場では、それらの導入をはかり19年4月からは全国の警察に順次新試薬が導入され、検査部位も24部位に増えることで、精度は565京人に1人と地球の人口をはるかに超える計算値に向上した。
「国がDNA型鑑定による冤罪を本気で防ぐ腹積もりがあるのなら、今まで科警研の指導で科捜研にさせているDNA型鑑定の独自の判定基準を廃止させるべきだ」。
冤罪が続出する日本の現状を打開するために最低限しなければいけないこととして具体的にこう指摘するのは、足利事件で使われたDNA型鑑定「MCT118」鑑定法の欠陥を信州大学法医学教室の助手時代に発見した筑波大学法医学教室の本田克也元教授だ。その指摘は、まさに世界が驚くような衝撃的な内容だった。具体的にこう説明してくれた。
「鑑定で重要な問題は、試料の不完全さにある。犯罪現場で見つかる試料は、微量で汚染、または混合し、さらに古くなっているために分解、劣化、変性を免れないばかりか、複数人のDNA型が混じっていることがある。
そうした困難さの中でより良い判定をするために世界標準がある。しかし、科警研はその基準を無視し、自分たちの都合のいい結果を導くための捜査機関独自の基準を作って実行している。
詳細に言えば、科警研は判定をさらに困難にするために、メーカーが工場出荷時に決めた判定閾値を3倍に引き上げ、そして解析データ(エレクトロフェログラム)のピークの高いデータのみを拾い上げ、他は無視するという方法をとっている。
独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。