第2回 足利事件② :犯人は顔見知り
メディア批評&事件検証刑事裁判で初めてDNA型鑑定の結果が有罪判決の決め手になったのが、栃木県足利市で女児が殺害され、後に冤罪だったと分かる「足利事件」だった。
事件が起きた同市は、同県南西部に位置し、群馬県との県境でもあり、延長107・6㌔の一級河川・渡良瀬(わたらせ)川が市の中心部を横断するように流れている。事件はその川沿いで起こった。
北陸で暮らしていた病院事務員の父親と、バスガイドだった母親の長女として生まれた松田真実ちゃん(当時4)は、両親の事情で富山県、そして京都府を経由して足利市に家族3人で事件発生の約1カ月前に引っ越してきたばかりだった。
1990年5月12日土曜日の夕方、保育園児の真実ちゃんは父親に連れられ、渡良瀬川沿いにあるパチンコ店「ロッキー」に来ていた。この店を訪れたのは5回目だ。
前日(11日)にも真実ちゃんは父親とここに訪れ、同じ年頃の男の子2人と遊んでいる。その男の子たちと遊ぶ約束をした。そのために、真実ちゃんがロッキーに連れていってと父親にせがんだらしい。
事件当日店に入って1時間過ぎた午後7時半ごろ、父親が気づいたとき、真実ちゃんの姿はなかった。父親は妻に電話をかけ、駆けつけた妻とともに周辺を捜し回った。河川敷の方も捜したが、当時その一帯には街灯がなく、夜中は真っ暗で見通しはかなり悪かった。
真実ちゃんを見つけきれなかった父親は、同日午後9時45分に足利署に駆け込んだ。報告を受けた栃木県警は、捜査員を招集して捜索を行い、翌13日午前10時20分頃、ロッキーから南約300㍍、渡良瀬川の田中橋下流約500㍍離れた河川敷で仰向けにされ、変わり果てた姿の真実ちゃんの遺体を発見した。真実ちゃんの周りには、背の高い葦がうっそうと生い茂っていた。
14日には、遺体発見現場から南へ40㍍ほどの下流の浅瀬で、真実ちゃんがはいていたスカートが発見された。褐色のネコヤナギの枝先に赤いフード状の物が引っかかり、ゆらゆらと水面を揺れていたのを、付近を捜索していた足利署の巡査部長が見つけたのだ。子ども用の白色肌着と左足用のサンダル、パンツがスカートにくるまれていた。
栃木県警は足利署に約180人体制の捜査本部を設置し、事件解明に乗り出した。真実ちゃんの遺体は獨協医科大学法医学教室の上山滋太郎教授によって司法解剖が行われた結果、死因は手指による頸部圧迫による窒息死。胃の内容物などから死亡推定時刻は、12日午後7時から8時前後とされた。
真実ちゃんが行方不明になった当日、パチンコ店近くの運動公園で幼い女の子を連れて歩いていた男を目撃した人が2人いた。捜査本部に応援派遣された栃木県警本部捜査1課の関義雄巡査部長が事情を聴いて調書を作成した。ISF独立言論フォーラム副編集長の梶山天が入手したその目撃情報に関する供述調書をここで紹介しよう。
主婦の一ノ瀬薫さん(仮名・当時33)は、事件があったあの日夕、4歳と2歳の幼い子ども2人を連れて田中橋下にある渡良瀬運動公園で遊んでいた際に4歳ぐらいの女の子を連れた男をみたという。
調書にはその男と女の子の人相などや様子が細かく記されていた。その女の子が赤いスカートをはいていることなどから、間違いなく真実ちゃんとみていいと思われるほどの記憶力に供述を取った刑事も舌を巻いただろう。供述調書には、以下のように記されていた。
男については年齢三五~四五歳位。身長一六五センチ位。体格はガッチリタイプ。髪は長髪で黒色。白っぽい上着を着た男で、子供については、四歳位、身長は一〇〇センチ位、体格中肉、赤っぽいスカートで上衣はスカートに比べて明るいものを着た女の子だったのです。
私が子連れを見た時間は平成二年(一九九〇年)五月一二日午後六時四〇分ころか五〇分ころだったと思います。なぜその時間ころかと言いますと、私が子連れの男を目撃した時は、家に帰ろうとした時であり、私はそれから車に戻り、足利市西宮の魚亀で買い物をしたのですが、その時、時計を見たところ午後七時〇五分であったのです。
渡良瀬運動公園から足利市西宮の魚亀までは一〇分か二〇分位かかり、魚亀で五分位買い物をした時に自分の腕時計を見た訳でそれを逆算すると先程お話しした時間ころに子連れの男を目撃しているのです。
この時本職は供述人が本職の面前で任意に作成し、差し出した図面一枚を受領し、本書末尾に添付することとした。只今警察の方に差し出した図面の中に×と書いてある所が子連れ男がいた所で→の方つまり今回の事件で被害者の松田真実ちゃんが発見された方に歩いて行ったんです。
私と書いてある所が私が子連れの男を目撃した位置で私の位置から子連れ男までは六〇~七〇メートルあったと思います。(中略)子連れの男は、真直ぐ前を見て堂々とした歩き方で足早に歩き、その後方に女の子がちょろちょろと追いかける様な格好で歩いていたのです。
絵心があった一ノ瀬さんは、警察の事情聴取を受けた時に男と女の子が歩く様子を描き、捜査本部に提出した。そのスケッチは一ノ瀬さんの目撃者調書の末尾に添付されていた。
もう一人の目撃者は、いつものように、田中橋下にある渡良瀬運動公園北側芝生にゴルフの練習に来ていた足利市内の会社役員の石川幸太さん(仮名・当時56)だ。目撃したのは真実ちゃんが行方不明となった日の午後6時30分ごろだという供述調書を一部紹介する。
まず最初に私が目撃した子連れの男と、一緒にいた子供について話します。男については、年齢四〇代、やせ型、小柄、顔は浅黒、カーキ色の上衣にカーキ色で同色のチェックのズボン姿であり、子供については四から五歳位の女の子だったのです。
(中略)私が目撃した距離は七〇~八〇メートル位であったため、只今おはなししたくらいの事しか判りませんでした。(中略)場所については渡良瀬運動公園内のブランコの北側堤防を下りてくるのを見たのです。
(中略)午後六時三〇分ごろと思いますが、さきほど話した子連れの男が堤防の坂の所を運動公園のブランコがある方に手をつなぎながら降りて来たのです。
私は、この子連れの男を見た時、男は四〇代であり、父親にしては年配の人だし、もしかしておじいちゃんが孫の手をつないで連れて来たのかなとも思ったのです。坂を下りる時の状態は、男が先で、女の子が男に手をつながれて後ろから降りて来る様な状態だったのです。
この2人の供述調書を読み、一ノ瀬さんが描いた子連れ男のスケッチや地図から見えてくるものがある。女の子の赤いスカートなどからほぼ真実ちゃんと見られる。おそらく、その男は犯人なんだろう。そして不思議なのが真実ちゃんの様子だ。怖がっているとは思えない。
手もつないでいる。いわばその人物は顔見知りではないか。真実ちゃんはパチンコ店に数回は来ている。パチンコ店から姿を消している。
一ノ瀬さんらが目撃した男は、パチンコ店で知り合った可能性もある。とても見逃せない重要な情報だ。
事件発生当時、栃木県警は実は、二つの未解決殺人事件を抱えていた。79年8月に福島万弥ちゃん、84年11月に長谷部有美ちゃんのいずれも5歳の女の子が被害者だった。この2人の遺体発見現場などは真実ちゃんの事件と地理的にも近かった。
連載「鑑定漂流-DNA型鑑定独占は冤罪の罠-」(毎週火曜日掲載)
https://isfweb.org/series/【連載】鑑定漂流ーdna型鑑定独占は冤罪の罠ー(/
(梶山天)
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独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。