【対談】 小坂浩彰(NGOレインボーブリッヂ事務局長)×木村三浩(一水会代表) 政府とエセ保守勢力による「拉致問題」利用の大罪
政治・「ウソ」と「裏切り」を続ける日本政府
小坂:拉致問題に話を戻せば、本来、人が亡くなった証拠というのはないものなんです。生きている証拠はシンプルです。なんでそんなことが、わからないのでしょうか。
木村:14年3月には横田めぐみさんの娘のキム・ウンギョンさんが、祖父母である横田さんご夫妻とモンゴルで水入らずで話している。しかし、何を話したかは公表されなかった。
小坂:国費で行っているんだから、プライベートなことを除けば国民には知る権利がある。
木村:そうしたことが、政治利用を許しているわけです。そのなかで小坂さんは、北と信頼関係をもって話をしてきた。過去には外務省にも、裏を取る人物がいたんだろうけれども、それができなくなっているわけです。
朝日新聞(2021年10月30日付)に、「拉致問題交渉 消えた『キム』氏」という記事が出ています。北朝鮮の秘密警察・国家保衛省で、対日関係を担当、日本側から見れば“パイプ役”とされた「キム」と名乗る人物が、18年ごろに消息が途絶え、日本政府にとって痛手である、“粛清”された可能性がある、という内容です。
小坂:記事では、日本の外務省も2000年ごろに「キム」と名乗る人物と接点を持ち、02年、小泉純一郎首相と金正日国防委員長(ともに当時)の初の日朝首脳会談に至る秘密交渉が本格化した、ともあります。どちらの「キム」も同じ人物のように記事は匂わせているが、少なくとも前者は架空の人物だと思いますよ。
木村:両方架空の可能性もあるのではないですか。そのくらい、北朝鮮に関しては、まともな情報が出てこない。朝日も、はっきりしたソースのない情報をそのまま書いている。
小坂:私がNGOレインボーブリッヂを立ち上げたのは2000年の4月。私も北朝鮮側と付き合いをしてきたけど、思い当たる人物はいませんよ。私はNGOとしての活動をレポートにまとめましたが、記者がそれを読んでいる可能性はあるかもしれません。いずれにせよ、外務省は「カウンターパートナーがいなくなった」とか「粛清された」といった言い方をよくします。それ自体、情けない話ですが、先ほども言った通り粛清など嘘で、されていません。
また、14年のストックホルム合意後に、安倍首相が北から非公式に得たという田中実さんの「生存情報」にしても、私は何度も平壌に確認しましたが、誰も言っていないというのです。外務省はあえて事態を膠着させるために、口実をつくってごまかしたり、適当な情報を流したりしているようにしか、私には見えません。今でも北朝鮮側に、カウンターパートナーとなる人物はいますよ。
木村:私も北京で一人とお会いしたことがあります。
小坂:そのときには木村さんの一水会の働きかけがあり、その幹部が「やりましょう」と言うので、私が日本のある政治家をつけて、北京で何度も会談し、14年のストックホルム合意に至った。あの頃は日朝関係が非常に悪化し、きっかけが少なかった。そこに、北朝鮮で命を落とした人々の遺族による「墓参」という、人道的な名目を用意することで、日朝両者が会談する場所をつくれたのです。向こうは日本国内の世論を気にしていた。その対応に一水会が日本の民族派として責任を持ったことも、日朝の公式協議が実現した背景にはありました。
木村:前提として、1959年に日朝の赤十字が結んだ赤十字協定がありました。朝鮮内の日本軍人・軍属などの71箇所の墓地を確認し、2万~3万の遺骨を守る、という内容です。それを私が引っ張り出してきて、小坂さんに遺族連絡会などにつないでいただき墓参が実現した。それまでは洋上から、北朝鮮に向かって祈るしかなかった。
小坂:平壌の龍山(リョンサン)墓地、ほか元山(ウォンサン)や清津(チョンジン)にも行きました。
木村:その結果のストックホルム合意は4項目、拉致の再調査・遺骨・日本人妻・行方不明者の確認。これはすごい成果だったんですよ。
小坂:私は準備しただけですがね。
木村:いやいや、そうではないでしょう。現場を知り、かつ北朝鮮側に影響力がある人が必要です。そして、北朝鮮側と信頼関係を築いて、交渉を進めなきゃいけないわけです。
小坂:北も、たしかに硬直化していますから、ドアをこじ開けるときには大義名分が必要です。そのうえで、「いまの時代に何をすべきか」ということになるわけです。
いま、いくら岸田首相が「条件を付けずに対話をする用意がある」と言っても、向こうは絶対に対話などしません。日本国内では報道されませんが、「紙の爆弾」21年9月号で書いた通り、交渉において日本政府は裏切りを繰り返してきたからです。だから、日本側が問題で、ボールは日本側にあります。では、何をすべきか。
実は、北朝鮮は非常にわかりやすい国です。たとえば南北間通信連絡網が、10月4日に復旧されました。あれは、元をたどれば18年2月の平昌オリンピックに行き着きます。北朝鮮が参加し、4月には南北首脳会談で板門店宣言が出されました。次いで6月、トランプ米大統領がシンガポールで米朝首脳会談。その動きのなかで、南北の大使館的なものを置きましょうということで、9月に平壌に南北連絡事務所が建てられました。
しかし、19年2月の米朝ハノイ会談がうまくいかなかったこと、6月に韓国から金正恩中傷ビラが撒かれたことで、20年6月に爆破されてしまいます。それでも、連絡手段だけは温存されました。コロナ禍で人の行き来ができなくなったために、通信網にして、7月に再開されました。
この時期、アメリカが、韓国が北に傾くのを足止めするための政策、ワーキンググループを、韓国が脱退した。それを北朝鮮が前向きな姿勢として受け止めたわけです。しかし、8月には米韓合同軍事演習、これは机上のものでしたが、それにより通信網は再びストップしました。すると今度は文大統領が「朝鮮戦争終結」に言及した。それが評価されて、10月4日にまた再開した、ということです。
だから、北からすれば、関係が切れたり繋がったりというのは、政策いかんで変わるわけです。彼らはいちいち我慢しないということでもあります。とにかくわかりやすい。ならば、日本も北朝鮮に対して明確な姿勢を見せれば、必ず応じる。たとえば日本が独自に経済制裁を緩めたり、国内の朝鮮学校への補助なども、それにあたるでしょう。これが対話の仕方です。だから「条件を付けずに対話する」というのは意味不明で、岸田内閣が「対話する」というのであれば、こちらが条件を満たすべきなのです。
株式会社鹿砦社が発行する月刊誌で2005年4月創刊。「死滅したジャーナリズムを越えて、の旗を掲げ愚直に巨悪とタブーに挑む」を標榜する。