メルケル発言の真意:紛争・戦争を望んだ「ネオコン」の存在
国際2022年12月7日、ドイツの『ツァイト』誌に掲載されたインタビュー(https://www.zeit.de/2022/51/angela-merkel-russland-fluechtlingskrise-bundeskanzler/komplettansicht)のなかで、アンゲラ・メルケル前首相が、「2014年のミンスク合意は、ウクライナに時間を与えるための試みだった。また、ウクライナはより強くなるためにその時間を利用した」と述べたことがロシアにおいて大きな波紋を呼んでいる。
なぜかといえば、これが事実とすれば、ドンバス和平を実現するために結ばれたミンスク合意がロシアに和平を実現すると見せかけて時間稼ぎをするための手段にすぎず、その間にウクライナ側の軍事増強がはかられていたことになるからだ。そして、2021年春以降、ウクライナ側からロシアへの挑発を活発化し、ロシアを戦争に駆り立てたのではないか、との憶測が真実味を帯びることになる。
いわば、プーチン大統領はミンスク合意の実現を誠実に信じていたのに、この合意を結んだ当事者およびそれを見守ったドイツやフランスの首脳は、あくまで時間稼ぎのために合意したにすぎないことになる。プーチン大統領はだまされていたという結論になりかねない。
この発言を聞いたプーチン大統領は12月9日、「正直なところ、私にとってはまったく予想外の出来事だ。残念な結果になってしまった。前連邦首相からこのような話を聞くとは、正直言って思っていなかった」と述べた。
「私は常に、連邦共和国の指導者が我々に対して誠実に行動しているという前提で話を進めてきた」というプーチン大統領にとって、ミンスク合意を保証したドイツ、フランス、そしてウクライナおよび裏で糸を引いていた米国にだまされたと言いたいのかもしれない。
メルケル前首相の発言は、ロシア側を大きく揺さぶっている。
まず、12月8日、ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官は、「2014年から2015年にかけて行われたことはすべて、現実の問題から世界社会の目をそらし、引き延ばし、キエフ政権に武器を持たせ、問題を大きな紛争に導くという一つの目的があったのだ」とした。
ヴャチェスラフ・ヴォロディン下院議長はテレグラムにおいて、「ドイツとフランスはウクライナで起きていることに対して道徳的、物質的な責任を負っている」として、ドンバスの人々に8年間の大量虐殺と被害に対する補償を支払わなければならないだろうと主張した。
「ミンスク合意」から読み解く
メルケル発言の真意を読み解くには、「ミンスク合意」について説明するところからはじめなければならない。拙著『ウクライナ3.0』では、つぎのように説明しておいた(82頁)。
「ミンスク合意は、2014年9月と2015年2月に締結された。2014 年の合意には、ロシア主導の軍が大規模な戦闘でウクライナ政府軍とボランティア軍を破った数日後に署名された12項目のミンスク議定書(2014年9月5日付)と、停戦と国際監視団のための措置をまとめたフォローアップのミンスク覚書(9月19日付)が含まれていた。
ミンスク議定書は、戦闘を終わらせることも、紛争の政治的解決を促すこともできなかった。ウクライナとロシア、そしてフランスとドイツの指導者たちは、再び大規模な戦闘が発生した 2015年2月に再び会合を開き、「ミンスク2」と呼ばれるより詳細な「措置パッケージ」(「ミンスク協定遂行措置」)を策定した。プーチン大統領、ポロシェンコ大統領、メルケル首相、オランド大統領(いずれも当時)は 2015年2月12日に採択・署名した同措置を承認した」。
「『ミンスク2』は、ロシア、ウクライナ、欧州安全保障協力機構(OSCE)の代表者(いわゆる3カ国間コンタクトグループのメンバー)がウクライナ東部のロシア代理当局とともに署名したものである。
同合意はノルマンディー 4人組(またはノルマンディー方式)と呼ばれるより広範な国際グループによって支持されている。フランス、ドイツ、ロシア、ウクライナの4カ国がそれである。なお、米国の名前がないのは、ウクライナのポロシェンコ政権の背後で、米国政府が事実上、これを指導していたためである」。
この「ミンスク2」は全部で13項目ある。このうち、11番目では、地方分権を含む憲法改正と、ドネツクとルハンスクの特定地域の特別な地位に関する恒久的な法律を、非政府支配地域の代表と合意して制定することが定められた。12番目には、ドネツクとルハンスクの特定の地域で、それらの地域の代表者との合意の下、OSCE の基準に従って地方選挙が実施されることも決まった。
「ミンスク2」がまとまった背景には、ウクライナ側の敗走があったことは間違いない。『ウクライナ3.0』では、2015年1月、ドネツク空港を失った後、「さらに、数週間後、ドネツ ク州とルハンスク州の境にあるデバリツェヴォでの戦争が激化、ウクライナ軍は撤退する。
このころに結ばれたのが第二次ミンスク協定(「ミンスク2」)だ」と書いておいた。つまり、ウクライナ側としては、妥協しなければ、みすみすドンバスを失いかねないほどの痛手を負っていたのである。
だからこそ、最初に紹介したインタビューのなかで、メルケル前首相は、「2015年初頭のデバルツェヴォの戦闘が示したように、そのときプーチン大統領は簡単に奪取できたはずだ」とまで述べている。
つまり、ウクライナの大幅として結ばれた「ミンスク合意」であったから、それを実現しようとすると、国内の過激なナショナリストの猛反発を受けることになる。彼らからみると、このミンスク合意はドンバス地域がウクライナから分離することを意味し、決して受け入れられない内容であったのだ。
だからこそ、ミンスク合意を履行しようとすると、ウクライナ国内の過激なナショナリストが公然と反対運動を展開したのである。
「シュタインマイヤー方式」への疑念
ミンスク合意が「時間稼ぎ」のために結ばれたものであったとすると、ミンスク合意の具体的な履行への前進とみられていた、いわゆる「シュタインマイヤー方式」もまた、最初から実現を前提としていなかったことになるのだろうか。
説明しよう。2015年の「ミンスク2」はなかなか実現に向かわなかった。そこで、ドイツのフランク=ヴァルター・シュタインマイヤー外相(2017年2月から大統領)は、ウクライナによるドンバスの特別地位の承認と欧州監視下のドンバスでの完全選挙を前提とする「シュタインマイヤー方式」を提唱する。
2019年10月1日、3カ国間コンタクトグループ(ウクライナ、未承認のドネツク人民共和国[DNR] とルハンスク人民共和国[LNR]、ロシア、仲介役の OSCE の代表者)は、ミンスクにおいて、「シュタインマイヤー方式」に合意する。
この合意は、同年12月のノルマンディー 4カ国首脳会議(ロシア、ウクライナ、フランス、ドイツ)の一環として行われたプーチン大統領とゼレンスキー大統領の初会談のモスクワ側の主要条件であった。
実は、この合意は簡単なものではなかった。『ウクライナ3.0』に書いたように、この合意は、9月18日の3カ国間コンタクトグループ会議で署名されることになっていたが、ウクライナを代表して参加しているレオニード・クチマ元ウクライナ大統領は、この文書がウクライナのマイダン革命を再び引き起こすかもしれないとして、署名を拒否したのだ。
そして、やがてこれが現実となり、キーウのマイダン広場にドンバス地域をウクライナから分離しかねない動きに反対する勢力が集結する事態を招くのである。
すなわち、10月6日には、ウクライナの20都市で、「シュタインマイヤー方式」への合意に反対する抗議デモが開催される。キーウ中心部では、約1万人規模の最大のデモが行われた。
この動きこそ、ミンスク合意をロシアへの譲歩とみなし、あくまでクリミア奪還をめざす超過激なナショナリストがその気になれば、再びクーデターを起こし、現政権を崩壊させるだけの力をもっていることを示したものだったのである。
ナショナリストはその後もますます力をつけ、暴力による奪還さえ目論むようになるのだ。
ウクライナのこうした内情にもかかわらず、この合意をもとに、2019年12月9日、パリでノルマンディー4カ国首脳会議(ゼレンスキー大統領、プーチン大統領、メルケル首相、マクロン大統領)がドンバス和平の共同合意(https://www.president.gov.ua/ru/news/zagalni-uzgodzheni-visnovki-parizkogo-samitu-v-normandskomu-58797)に達する。
だが、案の定、この合意にある「2020年3月末までに軍と資産を切り離すことを目標に、三つの追加切り離し地点についてコンタクトグループ内で合意することを支援する」といった目標は達成されず、「合意事項が確実に実行されるように外務大臣や政治顧問に依頼し、地方選挙の実施を含めた政治・安全保障上の条件を協議するために、4カ月以内にこの形式で再開することに合意する」という文言は実現しなかった。
それは、シュタインマイヤー方式を前提とするドンバス和平共同合意が、まったくの「でまかせ」であったことを意味するのだろうか。
1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。