メルケル発言の真意:紛争・戦争を望んだ「ネオコン」の存在
国際米国の影を追え
実は、この問題を解くには、ドンバス和平に表立って登場しない米国政府の影を追う必要がある。そのために参考になるのは、ロシア科学アカデミー欧州研究所のウラジスラフ・ベロフドイツ研究センター長の見方(https://expert.ru/expert/2022/50/angela-merkel-strannyye-zayavleniya-naschet-minska/)である。彼は、前述のメルケル発言についてつぎのように述べている。
「彼女はいま、欧米のマスコミから、この発言でモスクワに贈り物をしたと非難されている。悔い改めないからと迫られている。間接的には、『アンゲラ、私たちは皆、ロシアの熊に対抗してここに集まっているのに、あなたは拒否している』と聞こえる。しかし、彼女は一体何を言ったのか? 私、メルケルが2013年11月に想定した紛争を解決しようとしたが、その後、調停を許されず、2015年にそのような解決策を提案したのに、失敗したこと。そういうことだ。メルケル首相が世界の運命を悟ったのは、2021年8月、お別れツアーでゼレンスキーに会った後だった」。
ベロフ同研究所センター長によれば、メルケル前首相は二重基準をもたない誠実な政治家である。その彼女が約1年にわたる沈黙を破って、一連のインタビューで語ろうとしている真意に気づかなければならない。
ドイツではすでに彼女を黙らせ、局面を縮小させようとしているようにみえる。だが、「2014年のミンスク合意は、ウクライナに時間を与えるための試みだった」とあえて発言したメルケル前首相には、2013年11月の段階から、メルケル前首相によるロシアとウクライナとの調停活動を妨げる「大きな力」が働いていたことを示唆したい想いがあるのではないか。
当時のバラク・オバマ大統領や、ウクライナを担当していたジョー・バイデン副大統領、同地域の直接の担当者ヴィクトリア・ヌーランド国務省次官補がこの「大きな力」そのものであったのではないかと想像される。
2013年11月のウクライナ情勢
ここで、2013年11月のウクライナの情勢を思い出してみよう。2013年の段階で、当時のヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領が抱えていた難題はウクライナ経済の立て直しであった。
ヤヌコヴィッチ大統領が就任した2010年に、それまでの国際通貨基金(IMF)からのスタンド・バイ・アレンジメント(SBA)と呼ばれる融資条件を取消し、新たなSBAに基づく融資を受けることにする。
IMF理事会は同年7月28日、ウクライナ当局の経済調整・改革プログラムを支援するため、29カ月間の100億SDR(約151億5000万ドル)のSBAを承認した(資料[https://www.imf.org/en/News/Articles/2015/09/14/01/49/pr10305]を参照)。
ところが、2011年になって、ウクライナ政府が国内のガス価格を引き上げるという約束を破ったため、IMFはウクライナに対する融資の一部を凍結する。
その後、ウクライナはますます深刻な経済危機に直面するが、こうした過去の経緯もあって、IMFはウクライナへの追加支援交渉において家庭の公共料金の値上げや政府の支出制限といった厳しい条件をつきつける。それに助け舟を出したのがプーチン大統領だ。
ロシアがその国民福祉基金から150億ドルを使ってウクライナのユーロ債を購入し、ロシアの国営エネルギー会社ガスプロムがウクライナに輸出するガス価格を引き下げ、ウクライナに年間約20億ドルの節約をもたらす、と2013年12月に発表したのだ。
これは、11月にヤヌコヴィッチ大統領がEUとの広範囲な政治・自由貿易協定への署名を断念したことの見返りとみられた。こうしたヤヌコヴィッチ大統領のロシアへの接近が反政府勢力によるヤヌコヴィッチ政権打倒への勢いを強めることになる。すでに、11月24日に武力衝突が起きていたが、この武力による政権打破の動きが加速化するのである。
こうした動きを後押ししていたのが当時のヴィクトリア・ヌーランド米国務省次官補である。いわゆる「ネオコン」(新保守主義者)の代表格の一人である彼女は12月6日に首都キーウの独立広場(マイダン)でピケをはる反政府勢力を激励する。
同月15日には、当時のジョン・マケイン上院議員も同じ行動に出る。彼らの行動をわかりやすく言えば、日本の霞が関の経済産業省、財務省、外務省、農林水産省のある交差点の経済産業省側で核発電所反対のピケを張っていた人々のところへ中国外交部のナンバー2とかナンバー3の人物や中国共産党幹部が激励に訪れるようなものであり、米国政府幹部や米国の政治家がこんな大胆な行動をとっていたことの意味を想像してほしい。
マイダンにいた多くは米国が支援してきたナショナリストたちであった。米国は、ウクライナ国内で冷遇され貧困にあえぐ西部住民を焚きつけて反ロシア・親米のウクライナ政権樹立をめざすナショナリズムを高揚させようとしてきたのである。このナショナリズム煽動工作は、失業率が高く、くすぶっていた若者を取り込むことに成功し、彼らに武装闘争を仕込むまでになる。
ヌーランド国務次官補は当時のジェフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使、野党のアルセニー・ヤツェニューク誌などと毎日のように連絡を取り合い、ウクライナ政府の人事などにも介入する。
その一端は、オリバー・ストーン監督の「ウクライナ・オン・ファイヤー」(https://www.youtube.com/watch?v=twWOyaY-k6o)のなかでも紹介されている。盗聴結果のリークがはっきりと映し出されている。
このなかで、ヌーランド国務次官補が「ファックEU(欧州連合よ。くたばれ)」と話している部分も紹介されている。この会話は事実であり、彼女はこのリーク後、謝罪に追い込まれる。
ここまでの記述からわかるように、2013年11月当時、ヌーランド国務次官補らが中心となって、ナショナリストを利用したヤヌコヴィッチ打倒運動が仕組まれていたことになる。
EUを小ばかにしたネオコンは、ウクライナ問題へのメルケル前首相による「干渉」を許さなかったのである。それからずっと、ウクライナは米国政府の掌の上に置かれることになるのだ。ネオコンは、過激なナショナリストを煽動して彼らが親ロシア派とみなすヤヌコヴィッチ大統領を政権から追い出すことに成功した。
しかし、ナショナリストによるロシア系住民への暴力がプーチン大統領の干渉を引き起こし、クリミア併合という思いもかけない事態になる。だからこそ、ネオコンはドンバスでの紛争をきっかけにロシアとの戦いを通じて、ドンバスだけでなくクリミアの奪還をもめざすようになるのだ。
そのためには、ウクライナにおける過激なナショナリストは米国政府にとってなくてはならぬ存在となる。だからこそ、ペトロ・ポロシェンコ大統領という親米政権が誕生しても、彼らの武装解除は不徹底で、2014年春の暴動の責任も問われなかった。その結果、米国政府はいつでも彼らを利用して、再びマイダンでひと騒動起こすことができたのである。その証拠が前述した2019年10月6日の大規模デモということになる。
米国政府の重い責任
このようにみてくると、「2014年のミンスク合意は、ウクライナに時間を与えるための試みだった」というメルケル前首相の発言は、ミンスク合意そのものを裏で操っていた米国政府がこうした「時間稼ぎ」にコミットしてきたことを暗示しているように思えてくる。
メルケル前首相自身が最初からこの「時間稼ぎ」策に気づいていたのか、それとも、シュタインマイヤー方式の提案時点でも気づいていなかったのかは判然としない。紹介したベロフ同研究センター長は、シュタインマイヤー方式の提唱ころまでは、メルケル前首相は誠実にミンスク合意を履行させようとしていたとみなしている。
いずれにしても、メルケル前首相はある時点で、米国の「時間稼ぎ」という目論見に気づく。そして、米国政府がロシアと戦争をしたがっている事実に呆然とするのである。それは、2021年8月以降のことだった、とベロフ同研究センター長はみている。
ここまで書いたことが的を射ているならば、やはりウクライナ戦争のはじまりを2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻にみるのは早計であることがわかる。
むしろ、2013年秋から2014年2月のクーデター(米国政府が支援)にこそ、ウクライナ戦争の大元があると考えるほうが正しいように思えてくるからだ。そうなると、米国、ドイツ、フランスの責任はきわめて重い。だからこそ、これらの国々はウクライナ戦争の全責任をロシアだけに負わせ、自らの責任を隠蔽しようとしているように思えてくる
。その証拠に、12月13日現在、「ニューヨーク・タイムズ」も「ワシントン・ポスト」も、このメルケル発言について報道していない。無視することで、米国政府の責任に気づかれたくないのではないかと疑わせるに十分なのだ。
こうした暗い過去を知ると、今後、ウクライナ戦争を終結させる和平協定が結ばれたとしても、戦争に決着がついていない段階での勝者なき協定では、その効果は時間稼ぎでしかなく、ミンスク合意と同じように、将来、再び戦火を交える可能性が高いことがわかるだろう。だからといって、このまま戦争をつづけていいはずはない。
できれば、メルケル前首相には、「本当のこと」を語ってほしい。それを知ることで、はじめてミンスク合意の顚末を繰り返さないようにすることにつながるはずだからである。同時に、G7の議長国となる日本は、本当の「悪」の存在に気づかなければならない。
私は拙著『復讐としてのウクライナ戦争』の第1章の注において、笠井潔著『煉獄の時』を紹介し、そのなかの記述、すなわち、「二つの悪のどちらかを選ばなければならない場合には、より小さな悪を選ぶしかない」が「私の心をいまでも離さない」と書いた。
プーチン大統領の悪はあまりにも明らかだ。それに対して、侵攻を受けたウクライナや米国が善ということには決してならない。大切なことは、悪の存在を知り、複数の悪に対してどう対処するかを真摯に問うことである。
複数の悪に機序をつけ、より小さな悪にも目を瞑らないようにしなければ、結局、悪ははびこりつづけるだろう。その悪の一つがネオコンなのである。
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1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。