ウクライナ和平の動向を探る〈上〉:2022年9月以降の変遷
国際ウクライナ和平をめぐる動向について論じたい。和平議論についての整序された論考がないためである。それは、日本のマスメディアの能力が低水準である裏返しでもある。ここでは、2022年9月以降の動きを論じたい。
和平協議を拒否するゼレンスキー大統領
ウズベキスタンのサマルカンドで2022年9月15日~16日に開催された上海協力機構(SCO)首脳会議に合わせて行われた、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領とトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領との会談で、プーチン大統領はエルドアン大統領に新たな条件でウクライナとの協議を再開する用意があると述べたとの情報(https://www.vedomosti.ru/politics/articles/2022/09/27/942633-glava-mid-turtsii-zayavil)がある。
9月26日になって、トルコのメヴルト・カヴソグル外相が記者会見で明らかにしたものだ。「新しい条件」は明らかにされていない。ロシアとウクライナの代表団による協議は、4月以降行われていない。
こうした動きに対して、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は9月21日に行った国連総会向けのビデオ演説(https://news.un.org/en/story/2022/09/1127421)で、ウクライナへの軍事支援の強化を呼びかけ、ウクライナ侵攻を続けるロシアに罰を与えなければならないと何度も訴えた。国際的な場でロシアを罰することを含む和平条件を提示したが、そこに実現可能性を見出すのは難しい。
現実的な和平協議への方向性がまったく示されておらず、「被害者」としてのウクライナがロシアという加害者への罰を強く望むという方向性だけが印象づけられるにすぎない。一刻も早く戦争を終結するには何をなすべきかといった発想自体がまったく感じられない。
欧米諸国を手玉にとる
ゼレンスキー大統領はウクライナ戦争を「人質」にとることで、欧米諸国を手玉に取ろうとしている。それがよくわかるのは、2022年9月13日に公表された、Kyiv Security Compact(https://www.president.gov.ua/storage/j-files-storage/01/15/93/cf0b512b41823b01f15fa24a1325edf4_1663050954.pdf)である。
これは、「ウクライナに対する国際的安全保障の確保:提言」として、ウクライナに対する国際的安全保障に関するワーキンググループ共同議長のアナス・フォー・ラスムセン元NATO事務総長とウクライナ大統領府のアンドリー・イェルマーク長官の連名で作成されたものである。これは、米国のイスラエルへの保証をモデルにしたものだ(詳しくは拙著『復讐としてのウクライナ戦争』[p.72])。
この文書は、民主主義世界の主要な専門家による個人的な寄稿と議論に基づいて作成されたもので、欧州の新しい安全保障秩序の基礎となることが期待されている。いわば、ウクライナのための前例のない安全保障を想定した国際条約の草案とも呼べるものである。
ウクライナとしては、「キーウ安全保障条約」と呼ばれる共同戦略パートナーシップの文書を2国間協定に基づいて拘束力を持つ形で締結し、それらの国々によってウクライナの安全保障を保証してもらう体制づくりを想定している。
具体的な保証国グループは、米国、英国、カナダ、ポーランド、イタリア、ドイツ、フランス、オーストラリア、トルコのほか、北欧・バルト諸国、中・東欧諸国が含まれる。さらに、「日本や韓国を含む広範な国際的パートナーも、制裁に基づく一連の非軍事的性格の保証を支持する必要がある」と、日本を名指ししている。
驚くべきことに、ウクライナが取るべき義務についてこの提言には何も書かれていない。独裁を強めるウクライナには、独裁への規制や腐敗防止措置、各種の監視が不可欠だと思われるが、そんな話はまったく無視されている。
そう、ゼレンスキー大統領はまさにウクライナ戦争の「被害者」を装うことで、その独裁体制をより堅固なものにしようと企んでいるようにみえるのだ。
現実的な和平に向けて
それでは和平に向けてどうすればいいのか。それを考えるうえで参考になる提案を世界有数の富豪イーロン・マスク氏がしている。
2022年10月3日、彼はウクライナとロシアの和平実現のために、①国連の監視下で、併合地域の選挙をやり直す。ロシアは、それが民意であるならば、離脱する、②クリミアは1783年以来(フルシチョフの過ちまで)、正式にロシアの一部となる、③クリミアへの水の供給は保証される、④ウクライナは中立を保つ――という四つの提案をツイート(https://twitter.com/elonmusk/status/1576969255031296000?ref_src=twsrc%5Etfw)した。
さらに、「また、可能性は低いが、この対立から核戦争が起こる可能性があることも特筆すべき点である」(https://twitter.com/elonmusk/status/1576973049277992974)とした。
忘れてならないのは、マスクの所有するSpaceXがStarlink(低軌道にある衛星を使って、高速インターネットを携帯端末に転送するもので、現在ウクライナには2万台があるという。そのほとんどは欧米政府が負担しているが、マスクは通常の月額使用料を免除することで貢献している)端末を送り、衛星中継を開始したことで、ウクライナの各都市が重要なサービスを回復し、自国軍が戦場で優勢になった事実である。
「マスク氏はすでにクリミアでのスターリンク利用を求めるウクライナの要請を拒否している」との情報(https://www.economist.com/briefing/2022/10/06/elon-musks-foray-into-geopolitics-has-ukraine-worried)もある。つまり、彼の提案を無視するわけにはゆかない事情もあるのだ。
クリミアをあきらめよ:キッシンジャーの提言
拙著『ウクライナ3.0』において、アメリカのヘンリー・キッシンジャー元国務長官が2022年5月23日、世界経済フォーラムにビデオ参加し、そこで述べた発言を紹介した。
「私の考えでは、和平交渉と交渉に向けた動きは、戦争の結果の概要を説明するために、今後2カ月の間に開始する必要がある。ただその前に、とくにロシア、ジョージア、ウクライナのヨーロッパに対する最終的な関係の間に、これまで以上に克服が困難な動揺と緊張が生じる可能性がある。理想的には、分割線が現状復帰することである」としたのである。
つまり、彼もまた、クリミアをロシア領とすることはやむをえない譲歩とみなしている。この譲歩をもとに、ロシアとの和平実現をめざすことが現実和平実現のポイントとなるだろう。そのためには、欧米の武器供与を得て増長するゼレンスキー大統領に対して、多くのウクライナ国民の犠牲について理解させなければならない(注目すべきは、10月10日に「ブルームバーグ」[https://www.bloomberg.com/news/articles/2022-10-10/ukraine-s-allies-can-t-get-arms-fast-enough-as-stockpiles-shrink]が「ロシアのウクライナ戦争が8カ月目に入り、キエフに武器を提供してきたヨーロッパ諸国では、武器が不足しており、防衛関連企業が不足分を補うには何年もかかる可能性がある」と伝えた問題だ)。
他方、プーチン大統領に対しても、積極的な説得が必要になる。同年9月30日、プーチン大統領は4州のロシアへの加盟式典での演説で、ウクライナに対して、2014年にはじまった戦争、すべての敵対行為を直ちに停止し、交渉のテーブルに戻るよう呼びかけた。
だが、ゼレンスキー大統領はプーチン大統領との和平交渉を拒否している。10月4日、彼は、ウクライナ国家安全保障・国防評議会(NSDC)が決定した、プーチン大統領との会談を行わないという決定を施行し、プーチン大統領とは和平交渉をしないことを公式に決めた。
10月8日朝に起きたケルチ橋が爆破されるという事件後、その報復としてロシアが10月10日にウクライナ全域のインフラ設備などを標的に広範囲なミサイル攻撃(10月10日から11日にかけて、ウクライナはロシアが発射したミサイルの数は少なくとも119発[https://novayagazeta.eu/articles/2022/10/11/iskandery-v-isterike])あったことを受けて、緊急開催したG7サミット後に発表された共同声明(https://www.whitehouse.gov/briefing-room/statements-releases/2022/10/11/g7-statement-on-ukraine-11-october-2022/)では、「ウクライナとの連帯のもと、G7首脳はゼレンスキー大統領による公正な和平のための準備態勢を歓迎する」とされているにすぎない。
しかも、その準備に必要な要素として、国連憲章の領土保全と主権の保護、将来のウクライナの自衛能力の保護、ロシアからの資金による手段を含むウクライナの復興と再建の確保、戦争中に犯したロシアの犯罪に対する説明責任の追及があげられており、事実上、和平交渉をするつもりも、停戦するつもりもないことをあからさまに示している。
ウクライナの復興シナリオを想定すれば、即時停戦の必要はだれにでもわかるはずだ(プーチン大統領は、欧米諸国はアフガニスタンに与えた損害を補償し、戦争で荒廃した経済を再建するべきだと提案しているのだが、ウクライナ復興についてはロシアだけでなく、ウクライナに武器を供与し続けている欧米諸国にも大きな責任があることを忘れてはならない)。
1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。