大きすぎる「3つのリスク」 これ以上、新型コロナワクチンを打ってはいけない!
社会・経済ついに「第8波」などという言葉まで表れ、新型コロナに対する人々の不安をあらためて煽ることで、政府は年末に向け、新型コロナワクチン接種を加速させている。
しかし、街の声を拾ってみると、4回目まで打ったけれども、回数を重ねるにつれて徐々に副反応がキツくなり、5回目を打つのを躊躇している、といいった話も多く聞かれる。
筆者の知人にも、2回目の接種後に足に血栓ができ、接種1カ月後の検査で前立腺癌の数値が2倍に跳ね上がってしまった人がいる。主治医に相談したところ、ワクチン接種後に“被害”を訴える患者がほかにも多く見られるという話を聞いて、3回目からは打つのをやめたという体験談を、彼は話してくれた。
新型コロナワクチン接種開始から1年半あまりが経過し、開始当初はほとんど報道されなかった、ワクチンについての危険性やリスクについても、だんだんとベールが剥がれてきたようだ。このワクチンについて、現在わかっていることを以下、レポートする。自分の命を守るために、ぜひ参考にしていただければと思う。
・人類に初めて試す〝遺伝子ワクチン〞
今回の新型コロナワクチンは、従来のワクチンとは全く設計が異なるシロモノだ。従来のワクチンは、弱毒化あるいは無力化したウイルスそのものを注射して、それに対する抗体を体内に作らせることによって、免疫を引き出していた。
それに対して新型コロナワクチンは、ウイルスを注射するのではなく、ウイルスの表面のトゲトゲの突起の部分=「スパイク蛋白」の遺伝子情報、俗に「ウイルスの設計図」といわれるものを注射する。
細胞に取り込まれたこのスパイク蛋白の遺伝子情報により、私たちの身体の細胞そのものが、スパイク蛋白を作り出すようになる。その作られたスパイク蛋白によって抗体を作る、そういう仕組みとなっている。
厚生労働省のホームページでは、「スパイク蛋白は接種後2週間でなくなるといわれている」というような、ぼかした説明でごまかしている。しかし、いまだに治験中のワクチンであることから本当に消えるかどうかは疑わしく、実際はこのスパイク蛋白が消えずに、人体へ悪影響を及ぼしているという研究結果も出てきている。
さらに、そもそもの問題として、私たちの細胞が、得体の知れないスパイク蛋白のようなものを作り出す、そのような身体にしてしまってもいいものなのだろうか。
私たちの身体の免疫システムは、太古の昔から、病気に対抗するため、生きていくために生物として培ってきた精緻なものだ。自らの細胞が抗体のもととなるスパイク蛋白を作り出す、というような事態は想定していないのではないか。このような作為が、長期的に見て、はたして人体へどのような影響を及ぼすのか。実際のところ、まったくわかっていない。
本稿執筆の2022年11月末時点ですでにワクチン接種後に1900名以上が死亡しているということが、厚労省が主催する副反応検討部会へ報告としてあがっている。しかしこの1900名も、あくまで医師が公式に報告をあげた数字にすぎない。
ワクチン接種を開始した2021年は、前年と比べ超過死亡(想定される死亡数を超過した割合)が7万人近くも増加、2022年も同等もしくはそれ以上となる勢いだ。ちなみにコロナ禍が始まるも、まだワクチン接種を開始していなかった2020年は、死亡者が前年より減少していた。
この超過死亡の原因が、新型コロナワクチン接種によるものだとしたら、この1900名という数字でさえ、氷山の一角にすぎないことになる。
また、公式に報告された1900名だけを見ても、過去の薬害被害と比較すれば、わが国史上最大規模の薬害事件である。
また、このワクチンは、通常の承認プロセスを経て承認されたものではなく、あくまで緊急使用許可がおりているだけのものだ。通常の承認プロセスを経ていれば、このように接種後の死亡が多数報告されるワクチンは、認可を受けることはないだろう。
新型コロナワクチンはいまだ治験中であり、いわば人体実験中のワクチンだということは、接種を受けようとする全ての人に事前に周知しておく必要があると思うが、実際、接種前にそうしたインフォームドコンセントが行なわれているかは疑わしい。
逆に厚労省のホームページでは「臨床試験(第Ⅲ相試験)で、有効性と安全性に関して厳格な評価が行われた後に承認されています。その上で、効果の持続性等を確認するために、臨床試験の一部が継続されています」と喧伝されている。
人類に初めて投与する遺伝子ワクチンの公衆実験をしてみたら、大量に人が亡くなってしまったうえに、通常の社会生活を送ることすらままならない重篤な副作用に苦しんでいる方々を大量に生み出してしまったというのが実態なのではないか。
本名・岩渕政史。トランクスに「脱原発」を刺繍するボクサーとして活動。引退後は独立系メディアに勤務し、TTBジャーナルを設立。