編集後記:調査報道の原点

梶山天

2月になると、なぜか骨の難病と闘いながらクラスのみんなと一緒に卒業を目指した山口県宇部市立西岐波小6年の永山陽子ちゃん(当時12)のことを思い出す。

梶山天の調査報道の原点でもある難病と闘い、小学校を卒業した永山陽子ちゃん(中央)。

 

1980年代後半でかれこれ30数年前のことだ。山口県宇部市は朝日新聞記者として2番目の赴任地で、彼女との取材体験が僕の徹底した証拠集めによる調査報道の原点になる。

きっかけは「とても重い病気の子が皆と一緒に卒業したいと頑張ってる。なんとか励ましてほしい」との同小の父兄たちの情報だった。本人や両親、クラスの担任、校長らに取材すると発症は4年生の時。山口大学附属病院に入院し、左足を太ももから切断した。その後も点滴、検査、義足訓練を繰り返す。半年後に退院したが、そのあとの1年間は通院。薬の影響で髪の毛が抜け、カツラをかぶっての学校生活だった。

体育の時間にミニバスケットボールの試合をする級友たちの中で足を引きずりながらボールを追う陽子ちゃん。口に加えた笛を勢いよく吹いて身を乗り出し、反則のジェスチャー。「押しちゃいかんよ」との注意に、「きびしかね」と苦笑いする級友たち。陽子ちゃんの夢は「和紙人形やフェルト手芸の店をもつこと」だという。

入院中に同じ病室にいて互いに励ましあった3つ年上の女子中学生から作り方を教わった。その子はその後、闘病の甲斐なく亡くなった。お姉ちゃんからもらったキーホルダー「勇気の神様」を毎日持っていくの。お姉ちゃんもきっと学校に行きたかったろうから……」と陽子ちゃんの両親たちは僕の取材に「娘の生きた記録ができる」と肩を震わせた。

ところで、肝心な主治医の取材をしてないことに気づいて、陽子ちゃんへの励ましの言葉をもらおうと病院に足を運んだ。若い医師だったがしっかりとこう言った。

「彼女と一緒の病気の子供たちが次々に亡くなっていくのを目の当たりにし、彼女は毎晩、病室で、その病気では自分はない。間違いであってほしい、と泣いていたんです。そんな彼女にあなたは活字で病名を告知するのですか」。

自分の思い上がりを反省させられる一言だった。その後に病名を難病として原稿を書きかえ、さらに病名をわからないようにするために取材を一からやり直した。そしてニュースを新たに見つけた。

彼女が書いた作文だ。担任から見せてもらった。読み終わると涙が止まらなかった。

けんかをした友達に「私が義足だからいじわるするの」と聞いたら「違う」といってくれた。良かったと思った。足は直せないけど、私の性格が悪いのなら直せるからだ。

 

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梶山天 梶山天

独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。

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