【連載】データの隠ぺい、映像に魂を奪われた法廷の人々(梶山天)

第5回 対照的な2社の報道姿勢 

梶山天

下野新聞14年4月17日付1面トップでまさに号外のような黒地に白抜きの横カットで「今市事件 関与を自供」、さらに縦見出しで「鹿沼の30歳代男」「県警、慎重に裏付け捜査」とあり、社会面に「発生8年 重大局面」、3面にも「物証の確保へ全力 現場周辺に土地勘」などと1面から3面、社会面までを使って今世紀の大スクープであるかのように、でかでかと事件関係の記事が載っていたのだ。全く恐ろしい雰囲気をかもし出してはいるが、地方紙ならこんな記事もありうるのか、と思うようなまだ疑惑レベルの不思議な内容の記事だった。その1面トップの記事の前分はこう記されていた。

日光市(旧今市市)大沢小1年だった吉田有希ちゃん=当時(7)=殺害事件で、別の事件で逮捕、勾留されている鹿沼市内の30代の無職男が、事件への関与をほのめかす供述をしていることが16日、捜査関係者への取材で分かった。栃木、茨城両県警の合同捜査本部は、男が事件に関わった可能性もあるとみて、慎重に裏付け捜査を進めている。今後の捜査の展開次第では事件解決につながる重大な局面を迎えた。

この記事では何の容疑で逮捕されていたのかも明記されずに「別の事件」で逮捕されていた容疑者がこの事件への関与をほのめかしたというだけで、殺人容疑での逮捕状もとっていないのに、それが既に新聞記事にリークされているのである。報道の世界でいう「前打ち」だ。記事によれば、容疑者と女児との関係はほとんど接点はないらしいということらしい。

ただ、女児が通っていた小学校近くに住んでいたことはあるようで、容疑者はあたかも強制なしに自発的にしゃべっているかのように書かれていたにもかかわらず、容疑者が何を語っているのか、自白内容は全く記されていなかった。被害者の写真とともにこの事件のこれまでの経過だけで埋め尽くされていたのだ。

しかし、その供述したとされる男には、秘密裏に捜査側の罠が既に次々に遂行されていたのだ。商標法違反罪で起訴勾留中に母親にやってもいない殺人を無理やり認めさせられ、調書にサインをしたことで家族に迷惑がかかることを詫びる手紙をしたため、看守に託した。

ところが看守は母に渡すどころか、捜査上、表に出たらまずい部分を黒塗りにされた手紙を示し、書き直しをさせた。取り調べ時に女児殺害を否定する発言をすると、興奮した取調官に左頬を平手打ちされ、椅子から転げ落ち、壁に額の右側をぶつけて負傷して治療を受けた。その警察官が1週間後に交代させられるなど違法捜査の数々が密室の中で行われていたのだ。しかも、その罠は地元紙のこの新聞が出る前にだ。

地元紙の報道をうけて、当日17日には全国紙の朝日新聞が夕刊社会面で「栃木女児殺害 関与を供述」、毎日新聞も1面で「男が関与ほのめかす」、日本経済新聞が社会面で「栃木女児殺害 関与を供述」、18日朝刊では産経が社会面で「栃木女児殺害 関与を供述」などと相次いで追随した。テレビ局もNHK、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日などが一斉に報じた。

こうなると、その容疑者は裁判で判断されるどころか、殺人容疑で逮捕される前から「犯人」というレッテルが世間の風潮に流されて報道被害が起きてしまう。その反動は男の家族や親類にまでも及んでくる。おおかたの報道機関が一斉に追随した18日には桑原振一郎・栃木県警本部長は栃木県議会の文教警察委員会の冒頭で各社に掲載された30代の男が事件の関与をほのめかしたことについて「供述は具体性に欠け、鋭意捜査を継続していく」と言葉を選んだ。

地元紙が特報した内容は、読売新聞も知っていた。実は県警の桑原本部長は、まだ供述の具体性がなく、この2社に待ってもらっていたのだ。ところが地元紙は待ちきれなくなったとして、記事を出すという。桑原本部長は読売新聞に連絡を取り、事態を説明して「どうぞ」と伝えた。

すると読売新聞は「うちは書きません」ときっぱりと即答したのだ。競争相手が「書く」というのに、なぜ書かなかったのか。読売新聞宇都宮支局の支局長、デスクは警察庁担当とも相談もしているだろうし、その時点で供述の信憑性がないとの判断をしたのではないだろうか。

たとえば女児の遺体が見つかっていなかったとする。取り調べの最中に容疑者が遺体を遺棄した場所を供述し、その供述通り現場で捜査本部が遺体を確認したとか、あるいは供述によっていまだに見つかっていない下校中だった女児の衣類やランドセルなどが見つかったとするならば、その供述は犯人に限りなく近いとして犯人がどこかにいると怯える地元住民に朗報をいち早く知らせるという意味では価値ある報道だ。

しかし、当時は桑原本部長が県議会でも答弁したように供述の裏付けはとれてないし、事実、違法捜査の罠にはまっていたのだ。

一つ間違えれば、冤罪を助長する報道にもなりかねないのだ。現に冤罪「足利事件」を思い出したら、供述をしてもそれが本当なのかは供述を裏付ける証拠がないと取調室という密室で何が起きているのかは分からない。

ニュースを得てもそのニュースが本当にそうなのか、裏付けが捜査機関だけでなく、報道機関も足利事件の反省から学んだはずである。この読売新聞と下野新聞による今市事件報道は、取材にかけるしっかりした裏付けをとっての報道姿勢と、器の違いをまざまざと見せつけた一幕だった。

 

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梶山天 梶山天

独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。

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