【連載】鑑定漂流ーDNA型鑑定独占は冤罪の罠ー(梶山天)

第11回 菅家さんに次々と降りかかる別の未解決事件の火の粉

梶山天

保育園児の松田真実ちゃん(4)の殺害を自供して1991年12月2日に栃木県警に逮捕された元幼稚園バス運転手の菅家利和さん(当時45)は、同年12月21日、宇都宮地検から殺人罪などで宇都宮地方裁判所に起訴された。しかし、栃木県警の追及は、それだけでは終わらなかった。

足利署には、足利事件の発生した12年前(1979年)から女児を対象とした2件の未解決事件に関する捜査本部が設置されていたのだ。菅家さんが自供した真実ちゃん殺害は、2件の未解決事件と同じ女児がターゲットで、殺害方法なども酷似していた。

同県警は、足利事件で菅家さんを起訴する前日の1991年12月20日に、2件の未解決事件も追及し、いずれも菅家さんに殺害を自供させたのだ。その殺害動機は、真実ちゃん事件と同様に女児に悪戯することが目的だったと認めたことになっている。これで一気に計3事件が繋がったことになり、裁判になれば極刑は免れない様相となった。

ここで2件の未解決事件の概要を説明しよう。

①福島万弥ちゃん殺人事件(1979年8月3日)

1979年8月3日に足利市の八雲神社付近から、福島万弥(まや)ちゃん(5)が行方不明になった。6日後に自宅から約2㌔離れた渡良瀬川河川敷の茂みで万弥ちゃんは、遺体で見つかった。

1979年8月に行方不明となり、6日後に遺体で発見された福島万弥ちゃん。

 

発見現場は、足利事件の真実ちゃんの遺体があった場所の対岸にあり、その距離は約70㍍しか離れていなかった。万弥ちゃんの遺体は、パンツ1枚の姿で、蝦反りに折り曲げられて、ビニールひもで手足を縛られていた。

Watarase River

 

さらにその遺体は、黒いビニールのゴミ袋に入れられたうえで、足利市内の業者「加賀屋」手製の古いリュックサックに詰め込まれていた。司法解剖の結果、死因はひもによる絞殺と推定された。

福島万弥ちゃんの遺体が詰められていたリュックサック

 

この事件では、目撃情報がいくつかあった。父親の譲さん(当時25)もその一人だ。譲さんが警察に説明した内容によると、1979年8月3日正午前だった。自宅隣の八雲神社付近で万弥ちゃんに「おーい、万弥。お母さん、ご飯だってよ」と声を掛けていたのだ。それが父親の譲さんには娘との最期になった。その時、譲さんは万弥ちゃんが白髪の足の悪そうな50代の男性といたことを記憶している。

午後1時すぎには公民館職員が同神社の境内で子供と万弥ちゃんが地面にお絵描きしている姿を目撃している。万弥ちゃんといた子供の性別までは思い出せなかった。

さらに、午後2時過ぎには同神社から少し離れた足利市通4丁目の中華料理店「中央軒」の前を同年齢ぐらいの男児と一緒に渡良瀬川方面へ駆けていくのを配達から帰ってきた中央軒店員の新泉祥さん(当時24)が見ていた。万弥ちゃんの消息は、その後ぷっつりと途絶えた。

 

②長谷部有美ちゃん殺害事件(1984年11月17日)

84年11月17日、家族4人で同市山川町のパチンコ店「大宇宙」に行った際、そこから長谷部有美(ゆみ)ちゃん(5)が失踪。1年4カ月後の86年3月8日にパチンコ店から約2㌔離れた同市大久保町の畑から白骨化した有美ちゃんの遺体が発見された。

1984年11月にパチンコ店から失踪し、86年3月に遺体で発見された長谷部有美ちゃん。

 

畑の所有者は飼い犬が畑を盛んに掘り起こそうとしているのを不審に思い、掘り起こすと、女児のスカートや下着が出てきた。その後、畑の所有者が足利署に通報し、畑から白骨遺体が発見されたが、死因を特定することはできなかった。遺体発見現場から有美ちゃんの靴が見つからなかったため、別の場所で殺害されたとみられる。

新たに自供させられた2件の未解決事件について、菅家さんの最初の自供は、大筋で以下のような内容だった。

「万弥ちゃんについては、八雲神社において手で首を絞めて殺した。遺体はリュックに詰めて、自転車で渡良瀬川まで運んで捨てた。有美ちゃんは、パチンコ店『大宇宙』の駐車場にいた有美ちゃんを自転車に乗せて畑まで行き、手で首を絞めて殺した。遺体は、その場に埋めた」。

このように、ごく簡単なものだった。だが、犯行内容は、取り調べが進むにつれて基本的な部分でさえ、当初の供述とは変化していったのである。

栃木県警は、足利事件で菅家さんを起訴した3日後の91年12月24日には、再び菅家さんを福島万弥ちゃん事件で再逮捕した。山本博一県警本部長は、記者会見で「12年間続いた足利の地域社会の不安解消ができ、本当によかった。3件目でやっと検挙になったのは、警察の執念でしかない」とコメントした。

さらに菅家さんは長谷部有美ちゃん事件で92年2月10日に書類送検され、同年2月20日には、捜査本部は足利署に掲げていた3件の北関東連続幼女誘拐殺人事件の看板を降ろした。ところが、宇都宮地検は、足利事件以外の2事件を起訴しなかった。

その背後で、捜査本部は2件の未解決事件も解決したいとの欲に囚われ、新泉さんに圧力をかけて福島万弥ちゃん事件発生当時に作成した、万弥ちゃんの目撃情報を記録した証言調書の内容を変更させたのだ。その詳細は後述する。

 

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梶山天 梶山天

独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。

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