【特集】ウクライナ危機の本質と背景

ロシアからの新たな脅威? NATOこそが現実の脅威だ(1)

アラン・マッキノン(Alan Mackinnon)

※著者のアラン・マッキノンは1946年8月4日、英国グラスゴーに生まれ2015年9月18日に死去。医師であり、「スコットランド核軍縮キャンペーン(CND)」議長、事務局長を歴任した。ISF(独立言論フォーラム)は死の直前に書き終えたマッキノンの論文を、CNDの許可を得て4回にわたり翻訳・掲載する。

以下の記事は、ウクライナにおける2014年2月のネオナチ主導のクーデター後から15年までしかフォローしていないが、今日のウクライナ戦争を理解する上で不可欠な「東方拡大」に象徴される米国とNATO(北大西洋条約機構)の戦略及び動向を正確に分析しており、あえて掲載する意義があると判断した。

 

新冷戦へと我々が突入するなか、ヨーロッパ大陸全体が曇天になりつつある。その雰囲気の語り口には、馴染みがある。指導的立場の政治家たちは「ロシアの侵攻」に関し、厳しい警告を発する。ウラジミール・プーチン大統領は「西側に戦争を仕掛け、そして勝利しつつある」と非難されている(注1)。そして我々は、西側がこの新たな脅威に対峙するため、防衛支出と核兵器を増強しなければならないだろうと言われる。

ロシアとウクライナのヤヌコヴィッチ政権に非がないわけでは決して無い。しかし本稿では、ロシアの西と南の国境にまで拡大し続けた北大西洋条約機構(NATO)が、現在の危機を挑発した大きな要因であったと主張する。NATOの拡大は故意に、そして無謀にロシア連邦の安全保障に対して重大な脅威を与えたのだ。

NATOの拡大は、加盟国に対して何らかの客観的脅威があったからではなく、米国の対外政策上の利益に基づいて強引に行われたものであった。そしてウクライナにおいて民主的に選出されたヤヌコヴィッチ政権の転覆が、最後の一撃であった。

それゆえNATOは、表向きは抑止しようとする「ロシアの脅威」そのものを刺激してしまったのだ。その「脅威」は、NATOが新しく先鋭的な即応部隊(rapid reaction force)創設し、欧州東部の全域に軍事基地を建設することで、軍拡競争を激化させる口実としてすでに利用されている。その「脅威」はまた、NATOに配備される英国の核兵器システムを正当化するためにも利用された。

だからNATOとウクライナでの出来事は、スコットランドと全世界の平和運動にとって無視できない問題になっている。軍事同盟による積極的な軍拡、ウクライナにおけるクーデターの背後で暗躍する勢力、およびそれに付随する偏向したメディア報道に挑むことは、我々が世界平和に対するこの新たな脅威を説明し、それに対抗する上で、極めて重要になる。

2014年9月15日(月)、15ヵ国から来た兵士たちがウクライナのリヴィウの郊外で、11日間の大隊規模の軍事演習を開始した。米国とNATOの軍事演習は頻繁に実施され、米軍は毎年、世界中で数百のその種の演習に参加する。

しかしこのときの演習がそれらと異なっていたのは、それが、ウクライナ東部で内戦が起きている一方で、同国の西部で軍事演習が実施されたという点だ。そしてその演習は、民主的に選出されたビクトル・ヤヌコヴヴィッチ政権を、多くのウクライナ人が「クーデター」と描写する暴力的な転覆で追放してからちょうど7ヵ月後に実施された。この演習は、新たに就任したウクライナ政権、すなわち右翼、ナショナリスト、ネオナチから成る政権奪取勢力に対して、NATOと西側の支持を与えるためにあった。

そしてその演習は、NATOの拡張主義的な野望をあからさまに誇示していた。なぜならNATO内の11ヵ国の古参メンバー諸国に加え、NATOと協力関係を結んでいる「平和のためのパートナーシップ」の加盟国からの部隊(グルジア、アゼルバイジャン、モルドバ)が含まれていたからだ。

ウクライナへの「ショック療法」

無論、ウクライナはNATO加盟国でもなければ、欧州連合の加盟国でもない。しかしウクライナは、その両方から熱心に誘いを受けてきた。2008年のブカレストにおけるサミットでNATOは、日付を特定せずに「ウクライナとグルジアの両国がNATOの完全な加盟国になるだろう」とする声明を出した。

米国の世界支配の道具・NATOと内部の会議の全景

 

2014年6月、ウクライナはジョージアおよびモルドバと共に、欧州連合(EU)加盟に向けた準備を行うため「EU・旧ソ連3カ国連合協定(DCFTA)」に署名した。同協定の内容には、ウクライナが返済不能な債務で苦闘している最中であるにもかかわらず、EUの無関税製品を国内に開放する「高度で包括的な自由貿易圏の構築」が含まれていた。現在、国際通貨基金(IMF)とEUがウクライナに課した「ショック療法」は、同国の民営化された経済を、その国民のほとんどがより深い貧困へと追いやる負のスパイラルに陥らせている。

旧ソ連崩壊後、ロシアの影響下にあった隣国と同様に、ウクライナも急速な民営化プロセスを経て、強力なオリガルヒ(新興財閥)を生み出した。ソ連崩壊後のウクライナの指導者はすべて、これらのオリガルヒの一派のどれか1つ、あるいは2つ以上を代表した。そしてすべての一派は、腐敗で起訴された(一部は有罪となった)。追放されたヤヌコヴィッチ大統領も、例外ではなかった。

彼は原則的にはロシアとの貿易に向けられたオリガルヒの利権を代表していたが、最善の結果を得るためにEUとロシアを対抗させるという日和見主義的政策を行っていた。2013年10月、国会での議決の結果、EUの準加盟国資格を求める交渉が可能となった。

しかし、同年12月になると、彼は立場を反転させた。彼は厳格な緊縮財政を押しつけるEUの計画を拒否した。その代わりに、ロシアから150億ドルの融資と割安価格でのロシアの天然ガス供与、及びベラルーシとロシア、カザフスタンから成る「関税同盟」に加盟し、隣国とのより緊密な関係を結ぶという提案を受け入れた。その結果、右翼ナショナリストやファシストらが先導的役割を担う集団抗議行動が首都のキエフで起きた。

 

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アラン・マッキノン(Alan Mackinnon) アラン・マッキノン(Alan Mackinnon)

アラン・マッキノンはグラスゴー大学で医学士の学位を取り、同時に政治活動に参加し、そこで身につけた反帝国主義、平和的共存という理念に生涯を捧げた。結婚後、夫婦でタンザニアでの医療活動に従事。帰国後は平和運動の指導的役割を担いながらリバプール大学で熱帯医学を学び、その後は「国境なき医師団」の一員として再びアフリカに向かい、シエラレオネで医療活動にあたった。その際の経験から、現代の帝国主義、軍拡競争とアジア・アフリカへのNATOの拡大といった課題についてさらに理解を深める。 1990年代の湾岸戦争では、「スコットランド核軍縮キャンペーン」の議長として抗議運動を取りまとめ、2011年の「9.11事件」を契機とした「対テロ戦争」に反対し、「戦争ではなく正義を求めるスコット連合」を結成。英国の政党や労働組合、宗教団体、平和運動グループの代表を集め、アフガニスタンとイラクに対する米英の戦争に抗議活動を続けた。また、スコットランドへの潜水艦発射型大陸間弾道核ミサイル「トライデント」の配備に反対し、先頭に立って闘った。晩年はがんで片足を失いながらも、最後まで平和実現のための歩みを止めることはなかった。

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