【連載】塩原俊彦の国際情勢を読む

ロシアの権力構造からみたウクライナ戦争:緒戦でのFSBの大失態がすべてのはじまり

塩原俊彦

何がロシア軍内で起きているのか

容易に想像できることがある。それは、ロシア軍内部で軍を監視するFSBがその権限を拡大した結果、軍内部において軍幹部とFSB幹部との確執が深まり、ウクライナ戦争に悪影響を及ぼしているのではないかという疑いである。つまり、2000年2月にプーチン大統領代行によって承認された「規則」が裏目に出たのではないか。

ウクライナとの戦争では、FSBはロシア軍が破壊工作にさらされないようにすることなども行っている。そのため、軍司令部に対して、FSBが命令したり干渉したりする余地がある。他方で、FSBは、占領地における政治的統制を確立し、部隊内の情勢を監視する役割も担っている。そうなると、FSBが軍よりも「上」に立つ局面も生まれるだろう。

こうした状況下で、FSB第5局の大失態によって、キーウ占領を狙ったロシア軍正規部隊が大損害を被った。軍幹部からみれば、「FSB憎し」の感情が生まれても仕方ない。

その一方で、プーチン大統領はFSBのネットワークに属する民間軍事会社(PMC)、「ワーグナー・グループ」(日本語訳で「ワグネル」とするマスメディアが多いようだが、大切なことはナチスが政治利用したヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナーの名前を借用している点だ。)のような非正規の武力を活用せざるをえなくなる。ここに、軍とFSBとの対立が深まるのだ。

「ワーグナー・グループ」

「ワーグナー・グループ」をめぐっては、欧米や日本のほぼすべてのマスメディアは、プーチン大統領の「コック」、エフゲニー・プリゴジン氏が主導するこのPMCの本質を誤解したまま報道しているようにみえる(PMCについては、近く、このサイトで学術的に論じる予定である)。

「ワーグナー・グループ」は、もともとはGRUと呼ばれた機関の非合法部門であり、モリキノ(クラスノダール地方)の第10特殊部隊旅団に所属する軍事部隊番号51532に所属していた。その設立は、プリゴジン氏自身の言葉では2014年5月1日とされている。

プーチン大統領は、さまざまな国家契約の下でロシアの予算から引き出された「闇」の金の流れが通るルートの監督者として親しい関係にあったプリゴジン氏を抜擢したとみられている。傭兵を雇い入れ、軍備を調達し、本格的な戦闘を行なうにはカネがかかる。

そうした闇のカネの出し入れを通じて、プリゴジン氏は巨額のカネを横領する一方で、非合法活動を通じてプーチン大統領を支える役割を果たしてきたのだ。つまり、一種の「チェーカー」として、プリゴジン氏はFSBに近い人脈に属している。

このGRUは、1992年5月7日に署名された、ソ連軍の最終分割に関する国際条約とロシア連邦軍創設に関する大統領令に基づいて、ロシア連邦軍参謀本部諜報総局として創設されたものであった。その後、2010年にGRUの名称は参謀本部総局になったが、その実態は国防省対外諜報機関と軍中央諜報機関から構成されるものだ。つまり、GRUはFSBに近い。

そのもっとも明確な証拠が「ワーグナー・グループ」による囚人利用である。「ワシントン・ポスト」によれば、「米国は、ワーグナーが現在ウクライナに展開している軍隊は、1万人の契約社員と刑務所から採用した4万人の囚人を含む5万人と推定している」という。

囚人を兵士として利用するという方法は、ソ連時代、「チェーカー」が囚人を労働力として活用したやり方に呼応している。「ワーグナー・グループ」が「チェーカー」の遺伝子を引き継いでいると考えれば、囚人の兵士としての利用はまさに「チェーカー」の本質を示しているとみなすことができる。

さらに、「ワーグナー・グループ」が自前の戦闘機や戦車を保有しているのも、FSBに認められた「規則」にしたがっているだけと考えれば、頷ける。

「音楽隊」はあだ花

プリゴジン氏がウクライナ戦争で注目されるようになったのは、2022年2月24日の戦争勃発直後のロシア正規軍の敗戦およびその後の苦戦であった。とくに、9月、ロシア軍がウクライナ東部ハリコフ州から敗走して以降、正規軍への批判が高まる。

そうしたなかで、東部ドネツク州の要衝リマンがウクライナ軍に奪還されると、チェチェンのトップ、ラムザン・カディロフ氏は10月1日、「リマンで起きたことを黙って見ているわけにはいかない」として、地域の防衛を担当していた中央軍管区司令官のアレクサンドル・ラピン大将を厳しく批判する発言を「テレグラム」にアップロードした。

「ラピンが凡人であることが痛いのではない。参謀本部の上層部に隠蔽されていることだ。もし、私にその気があれば、ラピン大将を二等兵に降格させ、勲章を剥奪し、前線に送り込んで機関銃で恥をかかせていただろう」と書いた。この上層部とは、ワレリー・ゲラシモフ参謀総長を指している。

同日、このカディロフ発言に対するプリゴジン氏の発言が別のSNSに紹介される。「カディロフの表情豊かな発言は、たしかに私のスタイルとはまったく違う。でも、『ラムザン、可愛い子、燃えろ』と言うことはできる。この野郎どもは全員、裸足で機関銃を持って前線に行け」という投稿は注目を集めた。そして、ラピン大将は更迭され、10月8日には、ウクライナの軍事作戦地帯の統一部隊の司令官にセルゲイ・スロヴィキン陸軍大将が就任したことがわかる。

カディロフ氏もプリゴジン氏も、自分たちに近いスロヴィキン大将の司令官就任を喜んだ。とくに、プリゴジン氏はシリアでの作戦においてスロヴィキン大将とパイプをもつ機会があり、彼の昇進が自分の影響力拡大につながると期待したはずだ。だが、2023年1月11日、このスロヴィキン大将に代えてゲラシモフ参謀総長が統合軍司令官に任命される。スロヴィキン大将はゲラシモフ統合軍司令官の副官になった。1月10日には、ラピン大将は陸軍参謀長に任命されていた。

つまり、ロシア軍内部で再び正規軍主導による秩序を取り戻そうという明確な意思表示、すなわち、プーチン大統領の決定が人事を通じてなされたことになる。このようにみてくると、「プリゴジン対ゲラシモフ」という対立の構図がマスメディアによってつくられた「おもしろおかしい」ものでしかないことがわかる(「ワーグナー・グループ」の実態に関心のある人は同部隊から脱出したとされる人物のを参考にしてほしい)。

たしかに、「ワーグナー・グループ」の傭兵の制服や武器(多連装ロケットシステム[MLRS]や航空隊まである)、さらに給料が正規軍兵士の羨望の的となっている面はある。他方で、彼らは「音楽隊」と呼ばれ、軽蔑されている。

説明したように、傭兵への注目は正規軍の不振の結果であって、正規軍が復活すれば傭兵は再び陰の存在になるだけなのだ。その意味で、もっとも注目されるのはゲラシモフ新司令官の手腕である。

正規軍が成果をあげることができれば、FSBの息のかかった「ワーグナー・グループ」はあだ花に終わるだろう。だが、正規軍が苦戦を強いられれば、FSBの口出しが再び強まるかもしれない。

要するに、ロシア側は軍内部の統制が十分にとれてこなかったのである。紹介したように、緒戦におけるアントノフ空港での攻防戦で敗れたことが決定的な痛手となっていることになる。その意味で、FSBによる軍への干渉に大きな問題があるとみて間違いない。

プーチン大統領の決断

プーチン大統領自身、ウクライナ戦争において、FSBが大きな役割を担ってきたことをよく承知しているはずだ。そう考えると、戦争勃発前の2021年7月19日、プーチン大統領が「軍の義務と軍務に関する法律」の第49条を改正する法案を国会に送付していた点がきわめて重要であったことに気付く。

プーチン大統領は、2021年11月15日、ボルトニコフFSB長官が70歳の誕生日を迎える前に法律を改正しようとしたのである。この法律は、ロシア軍、国家警備隊、非常事態省、連邦保安庁での勤務を規制している。

同法第49条は、「兵役の年齢制限」を定めており、元帥、大将の場合、その制限は65歳であった。そして、70歳まで個人的な契約を結ぶことが可能とされてきた。

プーチン大統領の草案では、元帥と大将の年齢制限をすべて撤廃し、「ロシア連邦大統領が定める期間」、彼らと契約を結ぶことができるようにすることを提案されていた。プーチン大統領はボルトニコフFSB長官のもとで、ウクライナ戦争を戦うためにわざわざ法律を改正したのではないかと思えてくる。

もっとも、FSBに対する影響力は基本的にプーチン大統領が独占しており、安全保障会議書記のニコライ・パトルシェフ前FSB長官が「お目付け役」のような役割を果たしているようにみえる。その意味で、ボルトニコフFSB長官の権限の大きさを過大評価してはならない。

実は、2021年2月24日、プーチン大統領は2020年10月から空席となっていたFSBの第一副長官のポストに58歳のセルゲイ・コロレフFSB経済安全保障局長を任命する大統領令に署名した(前任のセルゲイ・スミルノフ第一副長官は安全保障局内のK局[信用・金融部門の防諜支援を担当]のFSB2人の逮捕を受け、年齢を理由に解職されていた)。

経済安全保障局長というポストには、ヴィクトル・イワノフ元FSB副長官、パトルシェフ安全保障会議書記、ボルトニコフFSB長官も就いたこともあるポストであり、コロレフ氏昇進は順当な人事であった。ただ、この時点で、2021年11月に70歳になるボルトニコフ長官の後任をどうするかが課題となっていたはずだ。

結局、プーチン大統領はボルトニコフ長官を慰留することで、FSBに対する自らの権力を温存した。しかし、それは、プーチン氏への忠誠心を永続させることにつながったのかどうかははっきりしない。

老い先の短いボルトニコフ長官による上意下達のピラミッドより、プーチン氏に評価されることばかりが優先される構造がFSBの組織的で包括的な分析力を貶めているようにみえる。「最近のFSB職員は、大統領にのみ仕え、命令に従っている。彼らの主な役割は、異論を唱える者を問答無用で排除することである」という見方からすると、こうしたFSBの組織上の問題点がウクライナ戦争を機に顕在化しているように思えてくる。

このFSBの問題点はFSB第6局に関わる騒動として過去に噴出したことがある。紙幅の関係からこれ以上は書かないが、FSBの人事や組織構造に詳しくなければ、そもそもロシアの権力構造を論じることはできないとだけ指摘しておこう(その意味で、テレビに登場する「似非専門家」は単なる軍事オタクにすぎないと私は思っている。ロシアの権力構造を知らないのだ)。

「プーチンは裸だ」と諫めることができない忠臣だけでは、戦争は戦えない。プーチン大統領はFSBという権力基盤に支えられながら、実は、FSB自体の脆弱性によってその権力の土台が揺らいでいる。ウクライナ戦争の「結果」がロシア軍とそれを内部から蝕むFSBという伝統的な組織構成の危うさをはっきりと示しつつあると、私には思われる。

 

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塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。

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