[講演]今中哲二(京都大学複合原子力科学研究所研究員) 懲りない原子力ムラが復活してきた──日本の原子力開発五〇年と福島原発事故を振り返りながら(上)

尾崎美代子

二月四日、大阪クリスチャンセンター(大阪市天王寺区)で、「原子力ムラが復活してきた 日本の原子力開発五〇年と福島原発事故を振り返りながら」と題する今中哲二さんの講演会が行われた。主催は、日本基督教団大阪教区の核問題特別委員会。三年前に予定していたが、新型コロナ感染拡大のため中止を余儀なくされ、ようやく開催が実現した。(取材・構成=尾崎美代子)

福島の事故が起こる前までは、日本にもたくさん原発があるから、日本でもチェルノブイリのような事故が起きる可能性があると言っていればよかったのですが、情けないことにホントに事故が起きてしまいました。

事故までの私は、一般の方に原子力の話をする時、原発の仕組みの細かいことを知っている必要はない、電力会社が原発を造るときにやってきたことを考えてもらえれば、原発というものがあやしいものだとわかるはずだと言ってきました。というのも、原発は絶対安全といいながら、反対する人々の運動を金と力で押しつぶしながら建設されてきた歴史を見れば、うさんくさいものだとわかっていただけると思っていました。

ところが福島の事故後、私自身が福島で汚染を測定し、地元の方とお話ししていると、それではすまないと考えるようになりました。福島の皆さんは、自分の周辺に汚染がある中で暮らしていらっしゃる。私としては、放射能、放射線がどういうものか、原発事故がどんなものかを理解してもらわないと、放射能汚染に向き合えないと思うようになり、最近はずいぶん細かい、教科書のような話もしています。

原発事故がもたらしたセシウム137

[図1]で示すのは、福島の原発事故がもたらしたセシウム137沈着量の地図です。原発事故でさまざまな放射能が外に飛び出して汚染を生み出しましたが、中でも長期的な汚染として一番問題になるのがセシウム137です。大気中に放出されたセシウム137の七~八割は偏西風に乗って太平洋に流れていきました。残りがたまたま陸地の方に流れ、雪や雨と一緒に降って汚染地が出来ました。セシウム137が半分になるのに三〇年かかります。[図1]の濃い色のところは、一平方㍍あたり一万ベクレル以上あり、無視できないレベルの汚染を受けたと考えています。色がないところがゼロというわけではありません。東京の周囲や都心にもそれなりに汚染はあります。事故から十二年経って減ったのは二割ぐらい。三〇年経って半分、六〇年経って四分の一。この汚染に対し、我々は五〇~一〇〇年間相手をしなくてはいけません。

[図1]

 

私が子どもの頃、雨に当たったら頭の毛が抜けるといわれました。一九六〇年代初め、アメリカとソ連が大気圏内核実験をやって、日本どころか世界中が汚染されました。その頃の数年間で降った量が、日本は結構多くて、だいたい一平方㍍当たり五〇〇〇~一万ベクレルでした。そこで我々は汚染されて生活していた。それから六〇年経って四分の一、人の手で荒らされていない場所では一平方㍍当たり一〇〇〇ベクレルぐらいに減っていました。そこにまた一万ベクレルの放射能が一度に降ってきたというのが、原発事故でした。

福島の事故が起きた当時、民主党政権は、今後、原発を徐々に減らしていこうという方針を打ち出し、世論も「原発はもういらない」となっていったと思います。その後の安倍政権でも、新しい原発は造らない、稼働も四〇年、長くても六〇年となっていました。それが岸田政権になった去年の十二月、原発回帰に転換してきました。ロシアのウクライナ侵攻で石油・ガスが高騰したり、地球温暖化問題で二酸化炭素を出さない原子力発電を使おうという流れに乗って原発回帰しようという考えが突然出てきた。岸田さんは「聞く耳があります」などと言っているが、私からしたら、岸田さんは国民の声を聞く気はないし、説明する言葉も持っていない。答弁なども役人が作ったものを読んでいるだけで、自分で考えているのか? と感じます。国葬もいつのまにか内閣で決めているし、防衛費、防衛計画も勝手に決めている。結局、権力を振り回しているだけだと思っています。この話は最後にまたします。

最初に、私自身の自己紹介をします([図2])。一九五〇年に広島で生まれ、高校までいました。母が、原爆の時に広島にいたので、被ばく二世です。六九年に大学の原子力工学に入りました。当時は、科学技術がどんどん進んでいく高度成長期で、原子力工学というのは面白そうだと思ったのですが、それがそもそもの間違いだったと悟るのはしばらく後です。七〇年、大阪万博が開催されたとき、日本の原子力開発が本格的に始まり、同じ頃、私も原子力の勉強を始めました。原子力が胡散臭いと思い始めたのは、東京の大学院生時代です。原発の建設計画が持ち上がっていた新潟県の柏崎に行くと、地元の人たちから「国や電力会社は、原発は絶対安全で、造ったら金も落ちるし仕事も増えると言っている。では、そんないいものをなぜこんな田舎に持ってくるのか」と聞かされて、「なんだか変だな」と感じ始めました。

[図2]

 

その後、たまたま京都大学の原子炉実験所に採用になり、そこで原子力の持つ危険性について勉強を始めました。七九年の米国スリーマイル島事故や、とりわけ八六年の旧ソ連チェルノブイリ事故のことを調べ、そろそろ定年かと思っていたところに、福島の事故が起きました。二〇一六年に定年になりましたが、福島の放射能汚染調査などを続けたりして、いまも非常勤の研究員で大学にいます。

原子力研究のはじまり

一般の皆さんに、放射能のことを理解してもらうには、そもそもの研究の始まりからお話しした方がわかりやすいだろうと思っています。それで、放射線・放射能の発見から、原爆、原発、福島原発事故の話、そして岸田政権の原発回帰の話などをしたいと思います。

人類が、放射線というものがあると知ったのは一八九五年です([図3])。ドイツの物理学者レントゲンが、大きな真空管に電気を流すと光ったりするので、その性質を調べていました。たまたま、真空管の周りを黒い紙で包み実験をしていたら、その隣に置いてあった蛍光板が光った。調べてみると、真空管から目に見えない何かわからないものが出ていて、蛍光板を光らせていました。そして一八九五年の終わりに論文を出し、手を透かして骨の写った写真を掲載したので、ヨーロッパ、アメリカでセンセーショナルな話題になりました。こうして、いまから一三〇年ほど前に放射線というものが見つかりましたが、正体がわからないのでX線と名前がつけられました。

[図3]

 

翌九六年、燐光、つまり光を当てたらぼんやりと残光が出てくる現象を研究していたフランスの学者ベクレルは、光を当てた物質からもX線のようなものが出てくるかもしれないと考え、ウランの化合物を使って実験を始めました。あるとき、天気が良くなかったので、写真乾板でウランを挟んで机の中に何日かしまっておき、その後現像してみたら感光していました。ウラン化合物から、レントゲンのX線みたいなものが出ていたのです。放射線を出す物質、放射能(放射性物質)の発見です。

その後、我々がよく知っているキュリー夫妻がこの放射性物質の正体を調べる実験を始めました。ベクレルは精錬後のウランを使いましたが、キュリーさんが調べると、ウランそのものより、ウラン鉱石の方が強く放射線を出すことを見つけました。キュリー夫妻の仮説はウラン鉱石の中に、ウラン以外の放射性物質が混じっているに違いないというものでした。そこで、ウラン鉱山から精錬後の鉱滓を大量にもらってきて溶解分離作業をし、当時としては精度の良い測定器で測り、ウラン鉱石の中にウラン以外にラジウムとポロニウムという放射性の新元素が混じっていることを発見しました。その論文で、一九〇三年ベクレルと一緒にキュリー夫妻はノーベル賞をもらうわけです。

ただこのときも、放射性物質や放射線の正体はよくわかっていません。この頃から、放射線の正体を探る研究がヨーロッパを中心に行われ、電子が発見されたり、放射性物質が出す放射線には、アルファ線、ベータ線、ガンマ線と三種類あることがわかったりしました。当時は、あらゆる物質は原子でできていると考えられていましたが、原子そのものがどうなっているかもわかっていません。それが放射線の研究・実験をしているうちにいろんなことがわかってきました。一通りのことがわかったのは、三、四〇年後で、一九三二年に中性子が発見され、ようやく原子というものがどうなっているかがわかりました。

原爆と原発

地球上の万物は原子から出来ています。原子の中心には原子核があります。原子核は、陽子というプラスの電荷を持つ粒と、ほぼ同じ大きさで電荷を持たない中性子が集まった塊で、その周囲にマイナスの電荷を持つ電子が回っています。

いろんな実験でわかったのは、原子の大きさは大体一億分の一センチ㍍で、そのまん中の原子核は約一兆分の一センチ㍍です。つまり、原子全体と原子核では一万倍違います。陽子はプラス同士で反発しているので、物凄く狭いところに閉じ込めるには強い力が必要で、繋ぎとめる糊の役割をしているのが中性子です。我々が息をしている酸素の原子核には、陽子が八つと中性子が八つあり、中性子があることで、一兆分の一の中に閉じ込めておくことができます。

物質世界は、原子核の陽子と中性子、その周囲を回っている電子で構成されていることを理解したうえで、[図4]の周期表を見てもらいます。水素が一番軽く、ヘリウムも軽い。いま、電池などで使われるリチウムは三番。酸素は八番目。この周期表は元素を軽い順番に並べて出来ました。周期表の順番は原子核に入っている陽子の数で決まるということです。自然界の中で普通に存在する原子の中で、92番目のウランが一番大きい。

[図4]

 

第二次世界大戦直前の一九三八年、ドイツの研究所で化学者ハーンらが、92番のウランに中性子を当てる実験をしていました。もともとの目的は92番に中性子を当てて、新しい元素を作ってみようということでした([図5])。ウランに中性子を当てて、出来たものを化学的に分析してみると、バリウムとしか考えられないものが見つかりました。ハーンはその意味がわからなかったので、スウェーデンにいる同僚の物理学者マイトナーに手紙を書きました。一九三八年ですから、ユダヤ系のマイトナーは、ナチスの弾圧を逃れてスウェーデンに亡命していました。

[図5]

 

92番にウランに中性子を当てると、56番のバリウムが出来るとわかったので、マイトナーは、九二個の陽子が割れて、片方が五六だったら、片方は三六個のクリプトンが出来たに違いない、つまり原子核が分裂したと考えました。核分裂の発見です。強く固まっている九二個の陽子が、二つに割れたら物凄い勢いで離れ、その時凄いエネルギーが出ます。そして、割れるときに、また中性子が二個か三個出るらしいともわかった。ならばこれをうまく使えば、ウランの原子核が分裂してエネルギーが出て、さらに中性子が二、三個出て、隣りの原子核に当てれば連鎖反応ができるということで、ドイツ、イギリス、アメリカ、日本の学者も色めき立ちました。

アメリカは核分裂連鎖反応で爆弾を作ろうという「マンハッタン計画」を始めます。日本が真珠湾攻撃をした後、その計画は本格的に立ち上がり、アメリカの大規模な工業力と優秀な学者が大勢集まったことで、三年かけて出来上がったのが広島・長崎の原爆です。原爆というのは、核分裂の連鎖反応をできるだけ短い時間で、できるだけ沢山起こす装置です。どれくらい短いかというと、一〇〇万分の一秒です。速くしないと、途中で飛び散って半熟爆発みたいになるからです。

広島はウラン、長崎はプルトニウムを原爆の材料に使いました。ウランには二種類あって、核分裂を起こしやすいウランと起こしにくいウランがあります。核分裂を起こしやすいウラン235は、陽子が九二個、中性子は一四三個です。ウラン235の原子核が中性子を吸収すると不安定になって二つに割れる。一方、もう一つのウラン238は、中性子が一四六個あります。これはウランを吸収してもほとんど核分裂しません。自然界にあるウランのうち、核分裂を起こしやすいウランは〇・七%しかなくて、核分裂を起こしにくいウラン238が九九・三%です。

広島の原爆は核分裂しやすいウラン235の割合を濃縮して八〇%くらいに高めて使ったわけですが、長崎の方は、ウラン238からプルトニウム239を作りました。マンハッタン計画では、まず天然ウランで核分裂を起こす原子炉を造りました。原子炉の中でウラン238が中性子を吸収してウラン239が出来ます。その原子核には中性子が一四七個ありますが、中性子が多すぎて、その中の一個が電子つまりベータ線を出して陽子に化けます。すると92番のウランが93番のネプツニウム239になる。ネプツニウム239も不安定で、ベータ線を出してプルトニウム239になります。ウラン239の半減期が二〇分くらいで、ネプツニウム239の半減期が二日くらいです。プルトニウム239の半減期は二万四〇〇〇年なので、結局、原子炉を運転すると、プルトニウムがどんどんたまっていきます。このプルトニウム239もウラン235と同じく核分裂しやすく、それで長崎の原爆を作りました。

戦争が終わると、核分裂連鎖反応で出るエネルギーで電気を作ってやろうというのが原子力発電です。核分裂を瞬間的にドンとやったらどんなものでも壊れてしまうので、原子炉では、連鎖反応の進み方をコントロールします。原子炉の中に核燃料を入れて核分裂を起こし、連鎖反応の進み具合を制御棒でコントロールします。核分裂を媒介しているのは中性子ですから、制御棒には中性子を吸収しやすい物質であるホウ素やカドミウムが使われています。

原発の仕組みと危険性

福島の原発は沸騰水型(BWR)と呼ばれる原発で、お釜(原子炉圧力容器)の中に燃料を入れて核分裂を起こし、お釜の中で作った蒸気でタービンを回しています。二八〇℃、七〇気圧という高温、高圧の蒸気です。何が原発の問題かというと、原子炉を運転して核分裂が進むと、核分裂生物、つまり強い放射性物質で「死の灰」と言われるものが炉心にたまっていきます。

どのくらいの量かというと、いま日本で造られる原発の出力はだいたい一〇〇万キロ㍗で、この原発が一日動くと原子炉の中で約三キロ㌘の核分裂が起き、一年動かすと死の灰が約一〇〇〇キロ㌘出来ます。ちなみに、広島、長崎ではだいたい一キロ㌘くらいの核分裂でした。つまり、広島、長崎原爆の一〇〇〇倍くらいの死の灰が出来るということです。

原発の安全上の課題は、この大量の死の灰をいかに完全に閉じ込めておけるかです。[図6]は沸騰水型とは違う、加圧水型(PWR)の原発です。お釜の中では沸騰させずに、隣りの蒸気発生器で蒸気を作ります。この一次系の圧力は三二〇℃、一五〇気圧くらいです。先日、中性子信号の異常が出たという高浜原発はこのPWRです。一五〇気圧、三二〇℃の水がぐるぐる大量に回っています。ちょっと想像してみてください。地震で配管が壊れたら、一五〇気圧なので猛烈な勢いで蒸気が噴き出しあっという間に水がなくなります。水がなくなり空焚きになると、燃料が熔けてお釜の底も熔けてしまう。その時、最後に放射能漏れを防ぐ壁が格納容器です。

[図6]

 

私たちが心配していた原発事故というのは、主に二つで、一つは核分裂のコントロールに失敗する事故、もう一つは冷却に失敗する事故でした。核分裂のコントロール失敗で起こったのがチェルノブイリ事故です。

日本で最初に商業用で造られた原発は、一九六六年に出来た茨城県東海村の東海原発という電気出力一六万キロ㍗の小さい原発ですが、この原発で事故が起きたらどういう被害が出るかという試算を、一九六〇年に当時の科学技術庁と原産会議が行っています([図7])。結果は一兆円ぐらいの被害が出るとか、永久立ち退き人数三万人とかでした。その資料はなかなか表に出てきませんでした。

[図7]

 

一方、六四年、当時の原子力委員会が、原子炉を安全審査する際の「原子炉立地審査指針」を決定しましたが、この中で「技術的見地から起こるとは考えられない事故(以下「仮想事故」)の発生を仮想しても、周辺の公衆に著しい放射能災害を与えないこと」と書かれています。福島の事故が起こるまで、日本の原発はすべてこの指針を満たしているとして国は認可してきたわけです。こんな二枚舌はインチキです。

チェルノブイリの事故は一九八六年四月二十六日に起きましたが、周辺の汚染状況がわかったのは、事故から三年後でした。当時はソビエトの時代で、ほとんど情報が出てこず、三年経ってからゴルバチョフ書記長のもとで少しずつ出てきました。あんな大きな事故だから汚染があるのは確かだろうと私たちは想像してたけど、特に驚いたのは、二、三〇〇キロ離れたところにも大変な汚染があったことと、地元の人たちにその情報が知らされていなかったということです。それを知った人々が怒りだし、その運動がソビエト崩壊に繋がる理由の一つになったと思っています。

私はそれから二〇年ぐらいチェルノブイリを調べていますが、そこで学んだのは、「原発事故が起きると突然家を追われ、人が住めなくなった町ができ、地域社会がまるごとなくなる」ということです。いまでも原発の周辺三〇キロは立ち入り禁止です。人口密度は違いますが、大阪府の二倍以上の面積です。もう一つ、「原子力の専門家として放射能、放射線のことは話せるが、人々にもたらされた災難の大きさは私にはわからない」ことを痛感しました。

福島の事故が起きるまで、日本で一番危険な原発は、東海地震が心配されている静岡県の浜岡原発と言われていまし。[図8]は浜岡の市民グループが、チェルノブイリ事故の汚染状況と浜岡原発の地図を重ねたものですが、チェルノブイリのような事故が起きたら、静岡どころか東京も丸ごと住めなくなるということがわかります。そして福島の事故が起きました。

[図8]

 

[二〇二三年二月四日、大阪クリスチャンセンターにて]

[講演]今中哲二(京都大学複合原子力科学研究所研究員) 懲りない原子力ムラが復活してきた──日本の原子力開発五〇年と福島原発事故を振り返りながら(下)に続く

(「季節2023春」より)転載

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尾崎美代子 尾崎美代子

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3.11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。

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