[講演]小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教) 放射能汚染水はなぜ流してはならないか(上)
核・原発問題一月二十一日、福島県三春町の三春交流館まほら大ホールで、小出裕章さんの講演会「原発汚染水はなぜ流してはならないか」が開催された。「命の源である海をこれ以上汚してはならない」と訴える二十三の団体、三十八人の実行委員、多くの賛同団体、個人で作る「実行委員会」が主催し、三春町と町教委などが後援した。ときおり雪が舞う中、三〇〇名を超える人たちが集まった。(取材・構成=尾崎美代子
二〇一一年三月十一日、突然巨大な地震が発生して福島第一原発が壊れ、なすすべもなく炉心が熔けてしまうという大きな事故が起こりました。福島第一原発の敷地内はボロボロになり、電源が落ちて発電所すべての操作を行っていた中央制御室も真っ暗になりました。計器を読むことすらできない状態で、懐中電灯を照らしてなんとか事故を食い止めようとしました。東京電力の人たちも、もちろんそう思ったでしょう。しかし、いかんせん電気がなければ、原子炉を冷やすことができない。そのため、次々と原子炉が熔けてしまうことになり、原子炉から大量の放射性物質が出てきました。
少なくとも、ここに来ている方々は逃げることができたのでしょうが、逃げられなかった人たちも沢山いました。双葉病院という大きな病院では、病院関係者は必死で患者さんを逃がそうとしましたが、途中で力尽きて亡くなった人や、病院から連れ出すこともできないまま取り残され亡くなった人もいました。
未だに、自民党の政治家の中には「原発事故で死んだ人はいない」と言っている人がいるようですが、災害弱者から次々と亡くなっていったのです([図1])。原発関連死は何年も前に二〇〇〇人を超えています。自ら命を絶ってしまった人すら次々に出て、未だにそれが止まっていません。
原発建設の不公平・不公正
なぜ、原発はそんなに危険なのでしょうか。一番原理的なことをみていきます。図2の左下に小さな四角が描いてあります。これは、広島に落とされた原爆が炸裂したときに核分裂したウランの重量で、約八〇〇㌘です。ここに主催者の方が用意してくれたペットボトルがあります。これが五〇〇㌘ちょっとなので、これと大して違わない量のウランが核分裂したとき、広島という巨大な街が一瞬にして壊滅しました。すごいエネルギーを出しました。
私は心から原爆を憎みました。でも、たったこんな少量で巨大な街を壊滅させる力があるなら、私は、それを平和のために使いたいと思い込んでしまいました。そして、大学に進学する時、工学部原子核工学科を選び、原子力研究に命をかけようとしました。私が命をかけようとした原子力発電というものをやるためには、どのくらいのウランを核分裂させなければいけないか? 今日では、一〇〇万キロ㍗という原子力発電所が標準になっていますが、それを一基、一年間稼働させようとすると、一㌧のウランを核分裂させないといけません。広島原爆で核分裂させたウランの優に一〇〇〇発分を超えるウランを核分裂させなければならないのです。八〇〇㌘のウランを核分裂させるということは、八〇〇㌘の核分裂生成物、つまり死の灰を生み出すということです。一㌧のウランを核分裂させるということは一㌧の死の灰を生み出すということです。つまり、原子力発電所というのは、毎日運転しながら、膨大な放射性物質を生み出して、それを原子炉の中にためこんでいく機械だということです。
その機械を動かしているのは人間です。事故や故障を起こさない機械はありません。また、人間は神ではありませんから、過ちを犯さない人間はいません。いつか原子力発電所は事故を起こすだろうと、私は思いました。大きな事故が起きる前に、原子力発電を止めなくてはいけないと思うようになって、人生を一八〇度転換して、原子力発電をとにかく止めるために生きようと思うようになりました。
でも、原子力に足を突っ込んだ多くの人が、私のように考えることはありませんでした。彼らは「ちゃんと慎重にやればいい。安全装置を沢山つければ大丈夫」と考えたのです。国、それに寄り添う学者たち、電力会社の専門家たちは、皆、そう考えました。
でも彼らも本当は怖かった。万一事故になったらどうしようかと、普通ならそう考えますよね。彼らはどうしたかというと、非常に単純な選択をしました。原発は都会には建てないということにしたのです。日本の地図で、どこに原子力発電所を建てたかと見ていくと、一番最初が東海原発、次が若狭湾、そして福島……小さな国の海岸線を埋め尽くすように、原子力発電所を建てていった。しかも、3・11に事故が起きるまでに、この国はさらに新たに下北半島の最先端の大間と、瀬戸内海の上関に建てようと計画していました。それらはすべて東京、大阪、名古屋という大都会に電力を送るためです。
原発が多大な危険を抱えていることは、推進する人たちも知っていた。だから原発は都会には建てなかったのです。結局、小さな日本の国土の一七カ所に五七基建てましたが、すべて自民党が政権をとっている時「安全です」と認可しています。そうやって建てて、長大な送電線を引いて、都会に電気を送ってきました([図3])。
東京電力は、関東地方に電力を送る会社です。東電の火力発電所のほとんどが東京湾にあります。でも原子力発電所だけは、福島や新潟という、東北電力が電力の供給に責任を持つというところに押し付けました。挙句の果てに、青森県下北半島の先端にある東通に原発を造って、長い送電線で東京まで電気を送るという計画を持っていました。
電気の恩恵を受けるのは都会ですが、その都会は危険を受けるのはいやだということで、原発を過疎地に押し付けてきたんです。こんな不公平なことは、ただそれだけの理由でやってはいけません。電気が足りるとか足りないとか、そんなこととはまったく関係なく、こんなことをやってはいけないということに、どうして日本人は気がつかないのかと思ってきました。
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3.11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。