[講演]小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教) 放射能汚染水はなぜ流してはならないか(上)
核・原発問題福島原発事故はどういう放射能をどれだけ出したか
では、福島原発事故でいったいどれだけの放射性物質が環境に吹き出してきたのでしょうか? [図4]は、IAEA、国際原子力機関という国際的に原発を推進する団体に対し、日本政府が、福島原発事故でどういう放射能をどれだけ出したかを数字で報告したものです。
その中から一つだけ、大気中に放出されたセシウム137の量を見ていただきます。ウランが核分裂すると核分裂生成物という死の灰が出来ます。これをもう少し正確にいうと、およそ二〇〇種類の放射性物質の集合体です。セシウム137のほかにストロンチウム90、プルトニウム239、ヨウ素131などいろんなものがあります。その中で、人間に対し一番危害を加えると私が考えているのはセシウム137です。それを尺度にして話していきます。
[図4]の左下の小さい四角は、広島で原爆が爆発したときに、きのこ雲と一緒に大気中に出たセシウム137の量で、数字でいうと八・九×一〇の一三乗ベクレルです。では、福島原発事故では、どれだけ出たのか? 1号機だけで、広島原爆の六~七発分で、一番酷かったのは2号機で、1、2、3号機あわせて、一・五×一〇の一六乗ベクレルのセシウム137を大気中に出したと、日本政府は報告しています。広島原爆と比較すると、なんと一六八倍です。広島原爆一発分の死の灰でも猛烈に恐ろしいのに、なんと、その一六八発分も大気中に出してしまったと日本政府が言っているわけです。
では、出された放射能はどうなったのでしょうか? 風に乗って流れます。[図5]はその結果、どんな汚染地帯が出来たかを日本政府が地図を作って示したものです。福島第一原発は福島の浜通りの真ん中あたりにあります。ここから放射能が噴き出してきました。
日本は、北半球温帯にあって、上空の高いところには偏西風という猛烈に強い風が吹いています。そのため、福島原発から噴き出した放射能の約八割は太平洋に流れていきました。残りの二割くらいが東北地方、関東地方の広大な地域に降り注いだということです。
[図5]は、汚染の強さを、色の濃さで表してあります。猛烈な汚染をした部分は、福島第一原発から北西の方向に多いです。放射能が風によって北西に飛んでいった時、その地域で雨と雪が降ったからです。雨と雪で放射能が地面に落とされて、猛烈な汚染地帯になりました。そういうところから一五万人を超える人たちが強制的に避難させられました。会場の中にもいらっしゃると思いますが、突然、手荷物一つで、犬や猫、牛や豚も置き去りにして避難させられた。そのまま帰れない人たちは、いまでも何万人もいます。
南北の濃い帯のところが中通りです。北から、伊達市、福島市、二本松市、郡山市、須賀川市、白河市と連なっています。そこを放射能の雲がなめるように通過していったということがわかります。その濃い帯は栃木県や群馬県の北部にも繋がっています。群馬県の西側には長野県がありますが、その県境には浅間山をはじめとして結構高い山があるため、流れてきた放射能の雲は、山を越えるのではなく、群馬県、埼玉県の西部、東京の奥多摩などを汚染しました。
三春町全域が放射線管理区域に
今日、浜通りやいわきから来てくださった方も沢山いらっしゃると思いますが、北風が吹いているときには、放射能の雲は南に流れて、浜通り一帯を汚染させました。茨城県の北部、南部、千葉県北部、東京の下町を、風の吹くまま気の向くまま汚染させたわけです。
[図5]の右下に汚染の程度が数字で書いてあります。あまり細かく説明できませんが、せっかく日本の政府が数字を書いているので、少し見ていただきます。群馬県の西部に、くすんだ箇所があります。ここは、放射性セシウム137と134の両方をあわせて、三万ベクレル~六万ベクレル降り積もったというところです。福島の会津、宮城県の南部・北部、岩手県の南部、茨城の北部・南部、千葉県の北部、東京の下町にもあります。そこは、一平方キロ㍍当たり三万~六万ベクレルのセシウムが積もったところです。その数字を聞いても皆さんピンとこないと思うので、比較する例をひとつ聞いていただきます。
私が二〇一五年三月まで勤務していた京都大学の原子炉実験所という、非常に特殊な職場の仕事と比較してみます。危険な放射能を扱う仕事は、普通の人が近づけるようなところでしてはいけない、仕事は放射線管理区域という場所でやると決まっていました。そこから出るときは、自分の身体が放射能で汚れていないか測定しないといけない。汚れていたら出さないという規制をしていました。また、汚染した実験道具を管理区域の外に持ち出すと、普通の人を被ばくさせてしまうので、持ち出してはいけないと法律で決まっていました。その数値は、一平方㍍当たり四万ベクレルです。
しかし、図5の地図だと、群馬県の西部でもすでに三万~六万ベクレルあります。実験道具が汚れているのではなく、大地全部が汚れている。中通りでは、一番低いところで、六万~一〇万ベクレル、中通りをほとんど埋め尽くしている薄い色の部分は一〇万~三〇万ベクレル、さらにその中にある淡い色のところは、三〇万~六〇万ベクレルあります。一平方㍍当たり四万ベクレルを超える地域は、放射線管理区域の外側にはあってはならなかったのです。それなのに、何十万ベクレルという汚染地帯があったのです。東北、関東地方の広大な大地が放射線管理区域の基準を超えて汚れてしまったんです。この国は、猛烈に汚染させた場所からは住民を強制避難させましたが、それ以外のところでは人々をそこに棄ててしまったんです。
今年で、事故から十二年経ちます。事故当日に発令された原子力緊急事態宣言はまだ続いています。COVID‐19という新型ウイルスの緊急事態宣言は発令と撤回を繰り返してきましたが、福島の原発事故で発令された緊急事態宣言はいまでも続いています。
ここ三春町は、当時、町全域が放射線管理区域にしなければいけないほど汚れていました([図6])。皆さん、ここにいてはいけなかったのです。ただ、この地図は、セシウム137のほかにセシウム134という放射性物質なども加え合わせて表示されています。半分はセシウム134で、この半減期が二年なので、二年経つと半分になります。すでに十二年経っているので六〇分の一ぐらいに減って、実質的にはなくなっています。しかし、セシウム137の方は、半分に減るまで三〇年かかるのでほとんど減っていません。なので、事故当時の汚染からは大体半分に減っていると考えてもらえばよいです。でもこの濃い色の場所は、一平方㍍当たり五万~一〇万くらいセシウムが残っているので、ここは放射線管理区域です。皆さん、あまり考えずに三春町や郡山市に住んでいらっしゃると思いますが、いまでも放射線管理区域にしなければいけないような汚染地が沢山あることを知っていただきたいのです。
[二〇二三年一月二十一日、福島県田村郡三春町にて]
[講演]小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教) 放射能汚染水はなぜ流してはならないか(下)に続く
(「季節2023春」より)転載
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新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3.11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。