【連載】データの隠ぺい、映像に魂を奪われた法廷の人々(梶山天)

第7回 脆弱だった検察側の客観的証拠

梶山天

一審の裁判長。DNA型鑑定のことがわからないならなぜ、その説明を受けようとしなかったんでしょうか?裁判の終盤に弁護側は、本田教授の話を裁判官に聞いてもらう機会を要望したのに、なぜ、拒否したのですか?そこで本田元教授の話を聞けば、必ず、「解析データを見てみないと何とも言えない」と検察側に全ての解析データを出すよう指示したはずです。そうするとこの粘着テープの鑑定がわずか3回だけでなく数十回か行われていることやY染色体の鑑定など何種類もの鑑定が行われたことがわかり、犯人追及が出来たことが初めてわかるはずです。冤罪を見抜くか、だまされるのかの分かれ道だったと私は思います。

殺人という重い罪で人の人生をも変える大事な裁判で何を焦って性急に判決を急いだのか。当時この一審の裁判で宇都宮地裁の裁判官3人のうち松原里美裁判長はさいたま地方家庭裁判所へ、水上周裁判官は東京地方裁判所へいずれも4月1日付で異動する辞令が出ていた。3月31日に予定されていた判決が延期になり、東京高裁は2人に職務代行命令を出して4月8日に延期された判決までこの裁判を担当させたのに、報われなかった。残念でならない。

もう一つの客観的証拠が、道路走行中の車のナンバープレートを自動的に読み取る「Nシステム」と呼ばれる自動車ナンバー読み取り装置だ。検察側はこの装置から、殺害当日とされる12月2日未明から早朝にかけてNシステムがある3地点を通過したとし、勝又受刑者が遺体遺棄現場に向かって往復したと確認できるとした。

が、3月1日の法廷に出廷した警察官に弁護側が「Nシステムで記録された地点を車が通過したことはわかってもその車がどこから来てどこに向かったかは分かりませんよね」と質問すると、警察官は「分かりません」と答えた。結局、裁判所は「推認力は限定的である」と言及した。ナンバーも不鮮明だったのか、法廷で見せることはなかった。裁判官たちは、どうしてNシステムの画像を法廷に出させて、見なかったのか。検察が通過したと主張するならきちんと調べるのが裁判官としての基本だ。

凶器や女児の遺留品が見つからない中、検察は女児の遺体に付着していた猫の毛のミトコンドリアDNA型が勝又受刑者が事件当時に飼っていた猫のDNA型と同一のグループに属するとした。証言台に立った麻布大学獣医学部の村上賢教授は、猫のDNA型を71グループに分けた場合、570匹で3匹が該当する程度で出現率は約0・5%と説明。今市事件の特捜班長を務めた丸山光廣警部は「有力な証拠で、これで逮捕できると思った」と法廷で証言した。

しかし、村上教授は「この鑑定法は、個体識別ができるものではない」とした。さらに遺体の右頸部の損傷が勝又受刑者が当時所持していたスタンガンによって生じたものとして矛盾がないとし、勝又受刑者が94年8月から97年4月までの間、今市市内に居住し、大沢小と隣接する大沢中に通学していて拉致現場付近に土地勘があったこと、事件当時、児童ポルノ画像を収集し、多数のナイフを所持していたことから、犯人像と整合的である、とした。だからと言ってそれらは、証拠を裏付けるほどのものではなかった。

また、勝又受刑者が初めて女児の殺害を認めた2月18日から6日目の24日に面会した姉を通じて、「事件」を起こしたことを謝罪する手紙を母親に渡していた。

控訴審の判決文からその内容を引用すると、「こんなに親不孝な息子でごめんなさい」などとする謝罪文言に続き、「中に入っている間今回でその間がもしばれなかったらうまれかわろうと思ってたげと(「けど」の誤記と思われる)……ておくれ……今まで、本当の本当のちゃんとした親孝行をしてこなかったことを、今ははけしく(「はげしく」の誤記と思われる)、後悔しています」と記載され、次の段落に、自分がちゃんと働き始めれば偽ブランドの販売などしなくてよかったして謝罪した後、「今回、自分で引き起こした事件、お母さんや、みんなに、めいわくをかけてしまい、本当にごめんなさい、僕がしたことは世間やマスコミなどはお母さんの育て方が悪いとかいうと思うげと(「けど」の誤記と思われる)、でも、お母さんは何一つ悪くありません。お母さんは、しっかりと僕を育てました。僕が自分の意志で、自分で間違った選択をしてしまったのです」などと記載されていた。

女児の遺体が見つかった現場

 

勝又受刑者は台湾人の両親の間に生まれ、日本人男性と再婚した母親とともに幼少期に来日し09年に帰化した。流ちょうに言葉も話せるわけではない。警察官や検察官の取り調べでの追求の言葉の意味をどのくらい理解できていたのかも分からない。検察はこの謝罪は、殺人事件のものと主張したが、当時の勝又受刑者は当初、自身が定職に就かないことや商標法違反で家族を巻き込んだことへの謝罪を具体的に記載したが、留置担当の警察官に「事件について具体的に書いては駄目だ」と文面の一部を黒塗りにされ書き直されたと法廷で証言した。法廷で審理された手紙には、この自分で引き起こした「事件」が女児殺害か商標法違反事件なのか、明確に記述されていなかった。

連載「データの隠ぺい、映像に魂を奪われた法廷の人々」(毎週月曜、金曜日掲載)

https://isfweb.org/series/【連載】今市事件/

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梶山天 梶山天

独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。

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