ロシアの核エネルギー産業と制裁:地政学上の意味
国際欧州連合(EU)が第7次の対ロ制裁パッケージを準備していた2022年9月、ポーランド、エストニア、ラトビア、リトアニア、アイルランドの5カ国は共同書簡で「ロシアとの核エネルギー協力の禁止」を提案した。
しかし、2023年2月の第10次対ロ制裁パッケージに至っても、この分野での対ロ制裁は実現していない。
その背後には、ハンガリーの反対があることが知られている。しかし、本当はもっと複雑な事情がある。
ロシアが長年、地政学上の影響力拡大に従事してきた「成果」が簡単にロシアを排除できない状況を生み出しているのである。
ここでは、こうしたロシアの核エネルギー産業の海外進出について地政学と結びつけながら考察してみたい。
なお、私は2009年に「ロシアの核兵器と原子力産業(上・下)」(『軍縮問題資料』10月号、11月号)という論文を書いたことがある。2010年には『核なき世界論』(東洋書店)を上梓した。これらの業績はこの論考を読む際に大いに役立つだろう。
基礎知識
核エネルギー産業は、ウラン採掘、低濃縮ウラン(核燃料集合体)製造、核発電所建設、使用済み燃料の再処理などの多様な分野にかかわっている。広義には、高濃縮ウラン(核兵器)製造、核ミサイル製造などの軍事産業も関連している。
決して忘れてはならないことがある。それは、「1946年3月以降、「原子計画」の実施に関わる機関や研究所に、防諜経験のある公認将校が配属されることになった」ことである。
この発言は、ロシアの連邦保安局(FSB)のアレクサンドル・ボルトニコフ長官がインタビューで明らかにしたものだ。
つまり、核エネルギー産業もまた「チェーカー」というソ連時代からつづく一種の秘密警察のような諜報機関の支配下に置かれてきたという事実に気づかなければならない。そして、その支配はいまでもつづいている。
つまり、拙稿「ロシアの権力構造からみたウクライナ戦争:緒戦でのFSBの大失態がすべてのはじまり」において指摘したように、ロシアの権力構造は「チェーカー」支配という面なしには決して語れないのである(民間軍事会社「ワーグナー・グループ」は「チェーカー」の系統に属し、そのマリや中央アフリカ共和国への派遣は「チェーカー」によるロシア覇権の拡大を意図していると考えられる)。
ロシアにおいて、こうした一連の核関連分野を統括しているのは、持ち株会社、「原子力国家コーポレーション・ロスアトム」(以下、ロスアトム)である。
その傘下においてウランの探査・採掘・加工などの機能を担っているのがアトムレドメトゾーラタ(ARMZ)で、2013年に国内のウラン鉱山資産を統合した(2000年代初頭までに、鉱山資産を統合し、ARMZ設立の基礎となったのが国家コンツェルンTVELである)。
大規模にウラン濃縮事業を展開するロシアはウラン鉱石の輸入もしている。カザフスタン、ウズベキスタン、ウクライナといった旧ソ連の諸国には豊富なウラン鉱石が埋蔵しているため、ロシア政府はとくにカザフスタン政府との関係を重視し、ウラン採掘のための合弁会社が複数、カザフスタン領内に設立されてきた。
ウラン濃縮については、一般にウラン235の含有率は天然ウラン鉱石で0.3~0.4%程度、核発電用低濃縮ウランになると、4~5%、核爆弾向けには、90%以上の高濃縮ウランが必要とされている。
ロシアの遠心分離機によって濃縮されたウランはそのコストが低いことから、国際競争力を有しており、その能力に注目して、2007年9月、オーストラリアの外相はロスアトム社長との間で、2010年から30年間にわたる核エネルギー利用協力合意に署名した。
ロシアは毎年、約10億ドルでオーストラリア産ウランを4000トン買い付け、それをロシアで濃縮後、海外に販売しようとようというものだ。
米国との間でも、たとえば、2009年5月、ロシアの核関連輸出企業、テクスナブエクスポルトは米国で5基の原発を保有するFuel co LLCと2014~2020年の低濃縮ウランの供給で合意した。
10億ドル規模の巨大契約だ。この契約は2014~2020年の輸出割当のもとで、ロシアの低濃縮ウランを米国のユーザーに直接、販売することを認める合意に基づいている。
なおそのころ、テクスナブエクスポルトは中部電力と浜岡原発向けに低濃縮ウランを供給することでも合意した。契約規模は約1億ドルで、2022年までの供給を予定していた。
このように、核発電用核燃料としてのロシア製低濃縮ウランは先進国にも販売されてきた。たとえば、1977年と1980年に営業運転を開始した、二つの加圧水型の発電炉、すなわちVVER(水冷水減速発電炉)を持つフィンランドのロヴィーサ核発電所には、核燃料(燃料集合体)がロシアから輸出されていた。
ソ連時代に、フィンランドとソ連の共同で建設されたものだが、前述したTVELはそこに1999年から燃料集合体を供給し始めた。
TVELはフィンランド以外にも、ブルガリア、ハンガリー、スロバキア、チェコ、ウクライナ、アルメニア、リトアニア、中国に原発用燃料集合体を輸出していた。
なお、日本政府もロシアとの間で核関連分野での協定を結び、核発電用燃料としての濃縮ウランの日本への輸出などで協力する体制を整えるため、2009年5月、ロシアのキリエンコ・ロスアトム社長と中曽根弘文外相は原子力平和利用協力協定に署名した。25年間、核エネルギー部門での2国間協力の基礎を保証することになったのだ。
ロスアトムの世界への影響力
こうした基礎知識があれば、「ロスアトムは、ウラン採掘で2位、ウラン濃縮で1位、燃料加工で3位と、核燃料サイクルサービス市場においてトップ3の一角を占めている」という記述をみても驚かないだろう(これはロスアトムの「年次報告2021」の19頁にある情報と同じである)。
それだけではない。ロスアトムは、海外における核発電所の受注台数で世界一を誇り、世界の核発電所建設市場の70%のシェアをもっている。だからこそ、おいそれと「ロスアトム斬り」はできないのだ。
別の資料によると、2009年から2018年にかけて世界で発注された核発電炉31基のうち23基、建設中のユニットの約半分をロスアトムが占めており、さらに、ロスアトムは子会社TVELを通じて燃料供給も行っており、世界のウラン転換量の38%、ウラン濃縮能力の46%を支配している。
こうして、「2000年から2015年にかけて、核発電所の建設、核発電炉や燃料の供給、廃炉や廃棄物に関する国際協定の約半数で、ロシアが供給者となっている」という。
2022年5月に公表された資料には、2021年の稼働核発電炉は439基で、うちロシアのVVERがロシア国内で38基、海外で42基稼働しているという。さらに、2021年末時点で、ロシア設計の発電炉15基が他国で建設中と書かれている。
米国のロシアへの依存については、「米国の発電炉92基の濃縮ウランの5分の1がロスアトムで占められている」という指摘がある。ほかにも、「2021年、米国はそのウランの14%をロシアから購入した」という「ワシントン・ポスト」の記述もある。
別の情報では、2021年の場合、採掘・精錬ウランの14%はロシアから、残りはカザフスタン(35%)、カナダ(15%)、オーストラリア(14%)、ナミビア(7%)、米国の国内資源(5%)と他 5 カ国(10%)から購入したという。
こうなると、依存度の低かったロシア産石油をすぐに禁輸したのとは異なり、ロスアトムを対ロ制裁対象に簡単に指定するわけにはゆかなかった。国内の核発電そのものに大きな影響が出るからである。
なお、米国の制裁はこのように自国への損失をできるだけ回避することを前提に行われており、2023年3月現在、ニッケル、コバルト、チタン、核発電所用核燃料などを制裁対象から除外している。
ただ、2023年4月12日、米財務省は、海外に核科学技術センターを建設するロスアトムの子会社「ルスアトム・オーバーシーズ」に対して制裁を課した。
同社社長も制裁対象とした(なお、財務省は同年2月、ロスアトム傘下の炭素繊維メーカー、ウマテックスの活動をすでに制限した一方、英国は、ロスアトムのトップであるアレクセイ・リハチョフ氏と、ロスアトム傘下の全ロシア実験物理学研究所に制裁を課している)。
ヨーロッパに目を転じると、ロスアトムは、ベルギー、英国、オランダ、スペイン、スウェーデン、スイスなど、欧州の多くの核発電炉の燃料供給とサービスを行っている。
ブルガリアとスロバキアは、VVERへの燃料供給をロスアトムのTVEL燃料会社に依存している。フランスの電力会社(EDF)とフラマトームは、ロスアトムと幅広く協力し、自社製品をロスアトムに販売している。
さらに、チェコに6基、スロバキアに5基、ハンガリーに4基、フィンランドに2基、ブルガリアに2基の合計19基のロシア製核発電炉がある。
このうち15基がVVER-440型で、残り4基がVVER-1000型である。ウクライナもザポリージャ核発電所をはじめ、両タイプの発電炉を数基運転している。
加えて、下表に示したように、世界中に核発電所建設をめぐってロスアトムと協力関係にある国々が存在する。ゆえに、2023年2月現在、米国もEU加盟国も対ロ制裁にロスアトムを加えることができないままとなっているのだ。
この表から分かるのは、ロシアがいわゆる権威主義的国家に核発電所を輸出しようとしてきたことである。
それにより、長期的な外交関係を締結し、ロシアの地政学上の勢力拡大につなげようとしてきたことがわかる。
その際、ロシア側が輸出国に融資し、事実上、ロシアの支援資金で核発電所を建設することで、長期にわたって相手国に影響力を行使できるようにするという手法が多用されてきた。
ここで注意喚起しておきたいことがある。それは、表にはないが、ロシアが中国向けにウラン濃縮関連施設を輸出した点だ。
2007年11月、テクスナブエクスポルトと中国核エネルギー産業コーポレーション(CNEIC)はウラン濃縮用の遠心分離機製造工場建設に関する枠組議定書に署名した。
さらに2008年5月、ドミトリー・メドヴェージェフが大統領として初めて訪中した際、2社はウラン濃縮に必要な遠心分離機製造工場の建設契約に調印した。
10億ドル強の契約額には、この工場建設以外にも、2010年から10年間、ロシアからの低濃縮ウランの中国への供給が含まれていた。
こうして、中国はすでにウラン濃縮工場をもち、今後、ロシアと同じ手法で、海外に核発電所を建設し、そこに低濃縮ウランや核燃料集合体を輸出することで長期にわたる協力関係を構築できるようになっている。
なお、いまでもロスアトムは中国に核燃料を供給している。2022年には、3億7,500万ドル相当の核燃料が供給された。
特に注目されるのは、2022年12月末にロスアトムの燃料会社TVELが中国のCFR-600炉(プール型ナトリウム冷却高速中性子炉)用核燃料の出荷を完了したことだ。
この1号機の運転開始により、福建省の核発電所はロシア以外で唯一、「高速高出力炉」を持つ核発電所となる。
これが稼働すれば、兵器級プルトニウムの生産がはじまり、2035年までに核弾頭を400から1500にほぼ4倍増させるための中核となる見込みだ。
習近平国家主席が訪ロした際、2023年3月21日に、ロスアトムと中華人民共和国原子力庁との間で高速中性子炉および核燃料サイクルの閉鎖の分野における長期協力のための包括的プログラムが締結されたことも注目に値する。
兵器用プルトニウムは、半減期2万4,100年の同位体239Puを少なくとも93.5%含んでいる。プルトニウムはウラン原子炉で連鎖反応により生産されるが、中性子減速材を持たない高速中性子炉(FNR)は、従来の核発電炉よりもこの過程の効率がいい。加えて、他の核発電炉の使用済み燃料を燃料として使用することもできる。
1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。