第17回 アゾフスタル製鉄所の攻防戦 「全員、玉砕せよ」とゼレンスキーが命令
国際前章では埼玉の施設に入所していた弟が急死したという知らせが入ったこと、ところが火葬場が混んでいるからお通夜の日は10日後になるという驚くべき事態だったということを書きました。
その葬儀がやっと先週の土曜日(16日)に終わったので、いよいよ今日は「ゼレンスキー大統領とは誰か」を書く予定だったのですが、ウクライナ危機の焦点であるマリウポリ市の攻防戦が、いま頂点に達しているというニュースが飛び込んできました。
そこで急遽、予定を変更することにしました。
というのは、マリウポリ市は、 「ロシア軍によってドンバス地方から駆逐されつつあるウクライナ軍」を実質的に支配してきたネオナチの武装集団(とくにアゾフ大隊)の最後の拠点になっていたからです。
この間の事情を非常に簡潔かつ見事に述べた論考が次のものです。
*How Mariupol Will Become a Key Hub of Eurasian Integration「いかにしてマリウポリが、ユーラシア統合の重要拠点になる可能性をもつか」( 『翻訳NEWS』2022/04/01)
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-874.html
この論考の著者ペペ・エスコバール(Pepe Escobar)は、その冒頭で、マリウポリ市について次のように述べています。
アゾフ海の戦略港であるマリウポリは、依然としてウクライナの台風の目となっている。
NATOの話では、アゾフスタル製鉄所(ヨーロッパ最大の製鉄所の1つ)は、マリウポリを「包囲」したロシア軍とその同盟国ドネツク軍によってほぼ破壊されたということになっている。
しかし真相は、ネオナチのアゾフ大隊(マリウポリ駐留)が、ロシアのウクライナ軍事作戦開始以来、マリウポリの市民数十人を人間の盾として奪い、最後の抵抗としてアゾフスタル製鉄所に退却した、ということである。
先週、言い渡された最後通告の後、彼らは今、ロシア軍とドネツク軍、そしてチェチェン戦争に投入されたスペツナズ(ロシア特殊任務部隊)によって完全に駆逐されつつある。
こうして、アゾフ大隊はマリウポリの市民数十人(あるいは数百人?)を「人間の盾」として奪い、 「アゾフスタル製鉄所」を拠点にして最後の抵抗を試みているわけです。
しかし、このような抵抗は、高度の武器を備えたロシア軍と戦っても勝つ見込みはなく、かつてアジア太平洋戦争のとき米軍の侵攻を受けた沖縄の日本軍と同じく、 「玉砕」を運命づけられていると言ってよいと思います。
ところが、キエフ政権は製鉄所に立てこもっている軍にたいして「絶対に投降するな」という命令を出しているようです。これはアジア太平洋戦争のとき、米軍の攻撃対して「玉砕するまで戦え」「絶対に投降するな」という命令を出した天皇制政府・軍部の言い方とそっくりです。
このような政府の命令で、どれだけ多くの日本人兵士が無駄な死を遂げねばならなかったことでしょう。
さらにこのため、どれだけ多くの特攻隊員が無駄な死を遂げねばならなかったことでしょう。それどころか日本の軍部は、天候のため敵艦に自爆攻撃をできず戻ってきた特攻隊員を、 「生きて戻るな」と、再び出撃させることさえしました。
国際法の「戦争法規」では、 「投降した捕虜、その捕虜の身柄は保証しなければならない」ことになっています。ですから、勝つ見込みのない戦いで玉砕するより、 「部下の命を救うために投降させて自刃した指揮官」も現れたほど、日本軍の戦い方は非道なものでした。
それどころか沖縄では、兵士だけでなく一般住民にまで、 「生きて辱めを受けるな」という理由で、住民同士に殺し合いをさせたり、崖から身を投じさせたりしました。
地下壕に隠れていた沖縄の人たちを追い出して自分たちの身を守ろうとする部隊まで出てくるという悲劇は、こうして生まれました。
私の眼には、現在のマリウポリ市のウクライナ軍の状況は、かつての沖縄における日本軍と重なって見えます。彼らも投降することを許されず、 「玉砕のみ」を強制されているからです。今のキエフ政府の対応は、かつての日本政府が犯した同じ犯罪を犯そうとしているように見えます。
ゼレンスキー大統領は、製鉄所に立てこもっている兵士に「絶対に投降するな」 「死ぬまで戦え」と言っているようですが、自分みずから戦場にいて、自分も兵士と一緒に共に戦って死ぬと言っているのであれば、この言葉には少しは重みがあるかも知れません。
しかし自分は後方にいて、前線にいる兵士に死ねと言っているだけでは、兵士の耳には大統領の命令は全く虚ろな響きとしてしか聞こえないのではないでしょうか。
大統領は毎日、ホワイトハウスに電話をして指示・助言を仰いでいるようですから、その眼に映っているのはバイデンの顔だけであり、前線にいる兵士の顔ではないでしょう。
このウクライナ危機は、もともとアメリカが仕掛けた2014年の政権転覆(クーデター)が出発点になっています。その目的は、アメリカの覇権を脅かす存在になりつつあるロシアを、どう
すれば政権転覆に追い込むことができるか、そのためにウクライナをその道具として、どのようにうまく使うことができるかにありました。
というのは、ソ連が崩壊した後、アメリカの言いなりになっていたロシアが、プーチンの登場により独立を取り戻し、アメリカ財界の食いものになる政策を止めた結果、少しずつ豊かになりつつあったからです。貧困のなかで極端に落ち込んでいたロシア人の平均寿命(1994年で男性57.6歳)も、やっと2020年に67.3歳に上昇しました。
ですから、中国とともにアメリカの覇権を脅かす存在になりつつあるロシアを、どこかの時点で潰す必要がありました。それがウクライナに「カラー(色の)革命と呼ばれる攻撃」が2度もかけられた理由でしょう。しかし2014年に成功した2度目の革命も、 「ミンスク合意」で破綻しそうになりました。
そこで、せっかく到達した「ミンスク合意」も、そのたびに裏からアメリカの指導が入り、いつも実行されずに終わりました。それで業を煮やしたロシアが「ミンスク合意」の実行を、実力で迫るという行動に出ました。
「ドンバス2カ国の独立承認」と、 「ウクライナ軍からネオナチ勢力を一掃する」という行動です。
この間(8年間)、ドンバス2カ国の多くの住民の命が奪われ、学校・空港・病院など多くの公共施設も破壊されました。
失われた命は、この8年間で1万3,000~4,000人にも及びますが、西側メディアは、このことを一切、報道してきませんでした。そして報道したのは、 「ロシア軍侵攻」による最近の被害のみでした。
それはともかく、シリア政府からの要請でそこに巣くっていたイスラム原理主義者の勢力(ISIS)をあっという間に駆逐したロシア軍の実力からすれば、いくらアメリカやNATO軍が裏でウクライナ軍(とりわけネオナチの武装集団アゾフ大隊)を訓練してきたといっても、戦いになりません。
そこで敗色が濃くなれば「停戦」と「交渉」に応じ、西側の支援で態勢を立て直すと、またロシア軍に対する攻勢を再開するということが、同じく、この1カ月でも繰りかえされてきました。このロシア軍の馬鹿正直な対応を、元財務次官ポール・クレイグ・ロバーツは、次のように辛辣に論評しています。
ロシアの軍事力を持ってすれば3日で成し遂げられたことが(プーチンの、民間人の殺傷を避けるという良心的な戦術のため) 今や41日目になっている。NATOによる 「ロシアの侵略」というシナリオは初めから決まっており、プーチンの善意はロシア軍を無能なものに見せるだけで終わった。
こうして、プーチンによる撤退命令によって、キエフ側の挑発行為を迅速かつ決定的な行動で終わらせるチャンスは失われてしまった。
* The Kremlin Never Learns「クレムリンは学ぶことがないのか」( 『翻訳NEWS』2022/04/08)
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-872.html
この「プーチンによる撤退命令」というのは、キエフ政権との合意にまたもや欺されてロシア軍をブチャから撤退させたことを指します。ところが案の定、いわゆる「ブチャにおける虐殺事件」なるものをゼレンスキー大統領は大々的に宣伝することになります。
バイデン大統領も「プーチンによるジェノサイド(大虐殺)」 「プーチンを国際刑事裁判所(ICC)にかけて死刑にしろ」とさえ言い始めました。自分たちの犯した数々の戦争犯罪を告発されるのが怖くてICCに加盟していない国の大統領が、こんなことを言い出すのはまさに噴飯物です。
それはともかく、この「ブチャにおける虐殺事件」が全くのでっち上げであることは数々の証拠がありますし、私も『ウクライナ問題の正体1』の最終章で詳述しましたから、ここでは、その説明は割愛させていただきます。
国際教育総合文化研究所所長、元岐阜大学教授