第22回 HLA・DQα型検査の「未鑑定」は、「時効」という名の砂時計
メディア批評&事件検証2023年春。いつもと違って雨が多い季節だった。私は、東京のJR新橋駅前広場で、行き交う人々に思いのまま聞いてみた。「足利事件って知ってますか?」。ほとんどの人たちが「菅家さんの冤罪事件」という声が返ってきたが、違う言葉にドキッとした。「栃木県と群馬県で幼女5人が対象の未解決事件ですか?たしか、時効になった…」。胸に響いた。凶悪犯が未だに市民が生活する、すぐそこにいるのだ。
ずばり事件は終わってはいない…。終わったのは、ずっと冤罪を知りながら隠し続けた捜査機関だけだ。何の責任も取らないし、担当者の謝罪もない。
さあ、前回の続きに戻ろう。筑波大学法医学教室の本田克也教授は、新たに浮上した足利事件で警察庁の科学警察研究所(科警研)が行ったHLA・DQα法の謎を解明すべく再鑑定でチューブにこびりついて残っていた試料を持って車で信州大学医学部の太田正穂(まさお)准教授に会いに行った。時は逆戻りし、2009年6月下旬ごろで、梅雨時期には珍しく晴れた日だった。
太田准教授は、HLA研究では世界的権威者として名が知られている。本田教授は、研究室に入ると、早速チューブを取り出しこう挨拶して一応の説明を行った。
「どうかよろしくお願いします。非常に古く、検査が難しいサンプルですが、大変に重要なものです。少しでも類縁関係の可能性があるかどうかが分かれば助かります。サンプルBは比較的状態が良いものですが、サンプルAの試料は劣化が強いものです。サンプルCはやや劣化しています。分かる範囲でいいので、よろしくお願いします」
太田准教授も懐かしそうに目を細め、うなずきながら「分かりました。可能な方法を選択しながらやってみます」と応じた。
本田教授は、太田准教授に全ての検体名を匿名にしたが、ここで検体名を明かしておこう。サンプルAは、松田真実ちゃんの半袖下着。サンプルBは、菅家利和さんの試料。サンプルCは、ちょっと意表を突く検体だ。というのも、日本テレビの清水潔記者と、早い段階から足利事件の犯人ではないか、と「ルパン」と呼ばれる男を追いかけていた小林篤記者の2人から鑑定を依頼された男性由来の試料Xだ。
サンプルAとBは、チューブにわずかに付着していた試料を水で薄めたものだ。果たして鑑定可能なのか。不安はあったが、太田准教授は見事に型判定した。サンプルBから出した型は「1.1-1.3」。ということは、菅家さんの資料は、旧鑑定書に記された型と一致したことになる。
科警研のHLA・DQα法は、正常に型判定できていた。それなのになぜ、半袖下着を未鑑定にしたのか。疑惑はここにある。半袖下着遺留精液の結果も気になるはずだ。
太田准教授が他に第一段階で判定したのは、サンプルCで「3-3型」だった。サンプルAからは最初、明確には出なかった。そのため、本田教授は一旦戻り、残っていた溶解液を少し濃縮し、追加サンプルとして再度郵送して試してもらっていた。その結果を心待ちにしていたのである。
本田教授のパソコンに1通のメールが届いたのは、2009年9月24日午後4時前のことだった。この日は司法解剖が入らず、久しぶりに暇を持て余していた。白衣姿のまま本田教授はディスプレイを何気なく覗(のぞ)いた。
差出人の名まえを見て目の色が変わった。信州大学の太田准教授だった。DNAの1部位であるHLA・DQαの検査を依頼し、その結果を待っていたところだった。「来たか」。そうつぶやき、パソコンのマウスを手慣れた様子で操った。視線は画面に映し出された文字を追いかけた。
《サンプルAについては、DQα『3-X型』。これはDQα3型と、それ以外の複数の分子が含まれているという意味です。したがってAは3-3型かあるいは3と別の型かもしれません。バックグラウンドノイズが出ているだけとすると、3-3の可能性が高いです》
「やっぱり……」。本田教授は思わず声を漏らした。旧鑑定書では、菅家さんがゴミとして捨てたティッシュペーパーに付着した精液と逮捕後に菅家さんの血液を採取してHLA・DQα型を鑑定した結果「1・1-1・3型」で、太田准教授の鑑定でそもそもの半袖下着とは、菅家さんの型は一致していなかったことが明らかになった。
検査をする際に、菅家さんの試料だけ鑑定して、事件の犯人のDNA付着が一番期待できる半袖下着の鑑定をしていないとはあり得ない。科警研は検査を行い。、菅家さんの型と一致しなかったために「未鑑定」に変えたのだ。これは、れっきとした改竄で、いわば犯罪だ。
「47都道府県警察本部の科捜研を指導、監督する科警研の技官たちが、なぜこんなことをしたのだ?何にそんなに追い詰められたのか?」。同じ鑑定人としてプライドもない科警研技官たちのモラルのなさに怒りが込みあげてきた。
それにもう一つ興味深かったのは、菅家さんは犯人ではなかった。だとすると、犯人は誰?何型なのか?日本テレビの清水さんらから鑑定を依頼された「ルパン」と呼ばれている男性由来の試料が、HLA・DQα型がほぼ半袖下着と一致しているのには、驚きを隠せなかった。
本田教授は後でSTR法(Short Tandem Repeat)でも再度確認してみる価値があると思った。この鑑定法は、それぞれの人が得意的に持つ2~5塩基の単純な繰り返しからなるDNAの領域を検査する鑑定だ。一度に15部位と、男女の区別(アメロゲニン)が調べられ、世界中で使われている。本田教授はいち早く導入していたのだ。
この男性が、ISF独立言論フォーラムのホームページで昨年12月から展開しているこの連載「鑑定漂流」3回で、足利事件の容疑者リストから外され、後に「ルパン」と呼ばれた男性だ。事件当初、犯人リストに上がり調べられてもいたのだ。ところが菅家さんがゴミとして捨てた中にあったティッシュペーパーを尾行をしていた警察官が押収。MCT118法によるDNA型鑑定で一致したとして菅家さんが逮捕されたのだ。
実は渡良瀬川を挟んで、約10㌔圏内である栃木県足利市と群馬県太田市内で足利事件の被害者である松田真実ちゃんを含めて、1979年8月から96年7月までに4歳から8歳までの幼い5人の女児が殺害、失踪の被害に遭っていて、未解決だったのだ。2011年3月に中野寛成・国家公安委員長は、参議院予算委員会で有田芳生参院議員(民主党)から一連の事件について質問を受け、「一般的には同一犯による犯行の可能性が否定できないものというふうに警察としても認識しております」と答えた。
結局、時は流れ、真犯人に「時効」という名の砂時計の特典を与えたのだ。真犯人は逮捕されないというライセンスを得たのだ。こんなひどいストーリーがあっていいのか。
話をHLA・DQα型による検査に戻そう。一審裁判が終わり、新たに組織された弁護団の中の佐藤博史弁護士がそのHLA・DQα法について控訴審で質問していた。94年9月22日、東京高裁(高木俊夫裁判長、岡村稔裁判官、長谷川憲一裁判官)での第4回控訴審公判のことだ。佐藤弁護士は、なぜHLA・DQα法による検査をしなかったのかと質問した。
法廷に出廷した向山明孝氏は、足利事件のDNA型鑑定を坂井活子技官と一緒に行った上司だ。菅家さんが逮捕されてから5カ月後の92年4月、理由は不明であるが、定年を待たず科警研を辞職し、JRA競走馬総合研究所(生命科学研究グループ)に再就職していた。
向山元技官は「鑑定するには(MCT118法の)約10倍量のDNAがないとPCR増幅できません」「半袖下着から切り取った斑痕からは30ngを抽出しましたが、それはMCT118法が2回できる量にすぎません」と言い切った。
佐藤弁護士は首をかしげた。「一審では、MCT118部位の検査には2ng必要と答えていますね。2ngでこの部位の検査を1回行い、残りの18ng、あるいは20ngを用いてHLA・DQα部位の判定をするという方法も取り得たのではないですか。それなのにMCT118法を2回しかできなかった、と言われる。しかも30ng全て消費してしまったのはどうしてですか」。素朴な疑問をぶつけた。
すると向山元技官は「肌着の瘢痕の状態などから、ゲノムが壊れていて測定のしようがありませんでした。実際にMCT118型の鑑定に使っているなかで、いわゆる壊れないで残っているDNAがどのくらい入っているということが計算できませんでした。1回目のPCR増幅産物からMCT118型を検査した結果を見て、HLA・DQα型の検査には足りないだろうと判断しました」。
確かめることなく、できないはずと判断するとは、どういうことだろうか。未検査の理由を向山元技官は一審では、量が不足していたと証言し、控訴審では、DNAが壊れていると質の問題にすり替えていた。
科警研はHLA・DQα法を行ったのではないか。再鑑定で、17年前の試料から本田教授はDNAを抽出できた。足利事件はDNA型鑑定を証拠として一人の男性を逮捕するという、国内初の重大事案だ。MCT118法だけに全量消費するなど、とても考えられない。
肌着には多数の精液斑を確認でき、何カ所からでもDNAを抽出・精製可能だったはずだ。より確実性を得るためには、別の方法も試すはずで、確かめられないなどあり得ない。向山元元技官は、抽出量にあまり触れられたくなかったのだろうか。
初めからMCT118法とHLA・DQα法で検査すると決めていれば、試料は後者のためにも残しておいたはずだ。前者の結果が不満足なものであれば、後者で再確認する意味は大きい。2枚の泳動写真から察すると、少なくとも二つの検査を行う必要量はあったと考えられる。そのうえで、何かの理由で科警研は「鑑定しなかった」ことにするしかなかったのだろう。
おそらく、もっといい、結果を求めて検査を繰り返したのだろうが、さらに悪く、捜査側には不利だと判断され隠したのではないだろうか。
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独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。