思想としてのコロナワクチン禍試論(3) ―「半ポスト真実」とメディア批評の視点から
社会・経済(6)2021~22年の莫大な超過死亡と死者数激増の問題
少なくとも部分的には、膨大な接種後死亡の統計的帰結の一つであるかもしれない統計的現象
2021年に、最大で5万人強の人口動態等に基づく「予測死亡数を上回る死亡数」、つまり戦後最大級ともいわれる超過死亡数が記録
22年は11万人強の超過死亡数と報告
厚労省主導の研究班による「日本の超過および過少死亡数ダッシュボード」、2023年3月18日閲覧。
https://exdeaths-japan.org/graph/numberof
厚労省:人口動態統計速報(2022年12月分、赤が22年分、青が21年分)https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/s2022/12.html
人口動態統計(2020年12月分:赤が2020年、青が19年)https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/s2020/dl/202012.pdf
2021・22年の死者数の急上昇のタイミングが、コロナワクチンの大量接種後に起こっている、という相関関係が読み取れるため、ネット上では一部で激しい論争に
デジタル庁ワクチン接種記録システム (VRS)「新型コロナワクチンの接種状況」より引用https://info.vrs.digital.go.jp/dashboard/
〇前年の2020年は、新型コロナウイルス禍はすでに存在したが、日本ではワクチンはまだ導入されていなかった:超過死亡なし、むしろ予測死亡数を下回る「過少死亡」が生じた
〇しかも新型コロナでは、実はこれほど死んでいない:
21年は1万5000人程度、22年は3万8000人程度
厚生労働省ホームページの「データからわかる-新型コロナウイルス感染症情報」のエクセルデータ「死亡者数(累積)」から算出
https://covid19.mhlw.go.jp/
上述の通り、コロナ死者数は水増しされているが、それでも、差分の数万人は何に求めるべきか?
主要メディアも、消極的ながら超過死亡や死者の急増について一定程度は報道:
〇『日経新聞』(2021年12月10日付朝刊「死亡数、コロナ余波で急増、震災の11年上回るペース、宣言長期化、受診控えも、心不全や自殺、大幅増」):21年の途中経過段階で超過死亡数について取り上げているが、いずれもワクチンについては一言も触れず、「医療の逼迫」が超過死亡の主要因だと推測する感染症疫学センター長の考えを紹介するのみ
〇作家の大村大次郎氏:2021年の死因を分析した上で、医療の力で防げず、原因不明で高齢者が心停止した場合に分類される心疾患や、老衰による死が増えていることに注目
「6万人もの異常増加。日本で2021年に『戦後最大の超過死亡』が起きたワケ」、2021年12月21日。
https://www.mag2.com/p/news/522195
人口動態統計によると、老衰死は、20年は13万2440人、21年は15万2027人、と約2万人も増加
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/kakutei21/dl/11_h7.pdf
荒川央氏:コロナワクチンの後遺症疑い事例として報告される心筋炎、脳梗塞、自己免疫疾患等は、加齢によりリスクが高まる→コロナワクチンの隠れた副作用は老化(『コロナワクチンが危険な理由』花伝社、2022年、223頁)。
〇井上正康氏:超過死亡数は「その年の前年までにはなく、その年に付け加わった事象が死亡の主因」と考えることが基本と論じ、21年について、ワクチンをその筆頭の事象に挙げる(『マスクを捨てよ、町へ出よう』方丈社、2022年、74頁)
〇コメント:そもそも、ワクチンに重症化予防効果があると盛んに主張される中(当初は感染予防効果もあると主張され、後に撤回)、しかもインフルエンザ並みに弱毒化したオミクロン株の蔓延で、なぜ大量に死者が増えるのか?
統計では把握できていない隠れコロナ死(暗数)が多くある、という議論→ワクチンを大量接種した状況で、膨大な隠れコロナ死が発生しているとしたら、ワクチンに効果はなかった、と失敗を認めたようなものでは?
〇補足:自殺も、2020年から21年にかけて、2万243人→2万291人、とわずかしか増えていない
小島勢二「超過死亡に関する海外からの最新情報」『アゴラ』2023年3月11日。
https://agora-web.jp/archives/230310000730.html
フィンランド、ドイツにおける追加接種と超過死亡発生の連動を示す
また、英国では、2022年に、ワクチン2回接種者の死亡率が、未接種者を上回ったと報告
〇小島勢二「昨年後半から激増が続くわが国の超過死亡について」『アゴラ』2023年3月14日。
https://agora-web.jp/archives/230313015326.html
図3:「全国における月別全超過死亡とコロナによる死亡の推移」も参照
〇コロナ下の自粛による運動不足に起因する生活習慣病の悪化を死者激増の原因として推測する記事も(2022年6月5日付『日経』朝刊「死亡数1~3月急増 国内 3.8万人増、『感染死』の4倍」)→2020年こそあらゆる施設を閉鎖して徹底的に自粛して、緊急事態宣言も発令したが、超過死亡は生じなかった
22年は、第7波で過去最多の感染者数を記録したが、緊急事態宣言は発令されなかった
主要メディアの一連の報道は、政府やそれに近い専門家の見解を伝えるのみで、ワクチンを候補として挙げるものは殆どない
〇イムレ・ラカトシュ「研究プログラム」論の応用:ワクチンが是が非でも守り抜きたい「反駁不能」な「硬い核」となり、医療逼迫や運動不足といったそれ以外の要因候補が、それを守るための「補助仮説」からなる「防御帯」となっていないか?
『方法の擁護 科学的研究プログラムの方法論』、村上陽一郎他訳、新曜社、1986年、70-79頁。
教条的にワクチンを守り抜き、自己目的的に接種を推進し続ける、疑似宗教的信念?
既に引用した大村氏の記事:「まるでワクチン教にでもとりつかれたかのように、コロナの収束手段はワクチンしか認めないし、ワクチンに疑問を呈すればたちまち陰謀論者のレッテルを貼られてしまいます」
〇相関関係と因果関係が異なるのは当然
しかし相関関係がずっと後になってから、因果関係と判明する場合も
[〇仮に問題になっているワクチン由来のスパイクタンパク質が、接種後死亡者の患部から見つかっても、「別の要因で亡くなって、たまたまスパイクタンパク質が検出」という言い逃れが可能、と指摘する専門家も(宮沢孝幸『ウイルス学者の絶望』、宝島社、2023年、24頁以下)→超過死亡のようなマクロな現象のみならず、個別の現象についてすら、完全な因果関係の立証はずっとできない可能性もある。このような現実を踏まえれば、厚労省等の「因果関係不明」という説明に与して沈黙するのが正しいのか]
〇メディアの超過死亡問題とワクチン死の関係性に対する消極的報道姿勢:ウクライナ問題で、かつては欧米も「ネオナチ」と呼んでいた過激ナショナリストの存在や、米国による2014年の「クーデター」支援という側面と同じく、「部屋の中のゾウ」になっていないか?
このような態度は、薬害犠牲者になった可能性のある人々を、暗黙のうちにもう一度葬り去ることになるのでは?
(5)で見たように、接種後死亡の暗数が莫大に多い可能性があるなら、尚更
〇夏の猛暑、冬の寒波、運動不足等の別の要因の寄与分を否定するわけではないが、ワクチンの影響の可能性があることを最初から排除するのではなく、公平にその寄与分を求めることが妥当では
〇何万人もの人が死んでいるという可能性を排除しつつ、世界の大部分はもう接種を中止したのに、23年には「定期接種化」まで図る日本政府の姿勢と、それに異議を殆ど唱えない主要メディアは半ポスト真実を創出?
(7)コロナ予防薬・治療薬候補「イベルメクチン」への敵視・排除と、自然免疫軽視という問題
〇大村智編『イベルメクチン』(河出書房新社、2021年)
抗寄生虫薬として知られるイベルメクチンは「多機能医薬品」、免疫調整、ウイルスの複
製阻害等の効用も
非常に安価かつ安全であり、インド、アフリカ等で新型コロナに効果、論文も多数
それでも日本の報道では否定的記述が殆ど
WHO、販売元のメルク社(高価なコロナ治療薬「モルヌピラビル」を生産)、国際学会の不可解な反対姿勢…
ユーチューブ等の動画排除措置も
寺島隆吉『コロナ騒ぎ謎解き物語3 ワクチンで死ぬか イベルメクチンで生きるか』(あすなろ社、2022年)も参照
〇米国の医師団体FLCCC:イベルメクチン、ビタミン剤服用にコロナへの効果を認め推奨
イベルメクチンや、16時間程度の絶食期間をつくる「オートファジー断食」にワクチン後遺症への効果があると臨床経験に基づき報告→接種をしても対策の仕様はあるが、主要メディアはそもそも殆ど報道しない
https://covid19criticalcare.com/
〇柳澤厚生・国際オーソモレキュラー医学会会長『新型コロナウイルスはビタミンC、D、亜鉛で克服できる! 専門医の栄養術』主婦の友社、2021年:エビデンスに基づく研究
〇厚労省、主要メディア:ワクチン接種は任意と言いながら、接種を選択しない人がどのようにして、コロナ感染から自らを守るか、の選択肢は殆ど提供せず→間接的に「接種一択」に追い込む
栄養摂取、睡眠、運動、体温維持等の生活習慣が総合的に関わる自然免疫は総じて軽視
ワクチンによる抗体免疫の過剰重視と合わせ鏡では?
新型コロナウイルスに対する自然免疫の役割を重視する研究者:井上正康『マスクを捨てよ、町へ出よう』(方丈社、2022年)
宮沢孝幸・京都大准教授『コロナワクチン失敗の本質』(宝島社、2022年)
第6節 思想としてのコロナワクチン禍試論
〇これだけ問題や疑惑にまみれたワクチンを巡る壮大な不条理劇のような「コロナ騒ぎ」(寺島隆吉氏)が、日本では1億人以上を巻き込んで起こるには、単に時事評論、メディア批評をしているだけでは不十分
→人文的知恵を用いて、文明論的視野を持って出来事の意味を分析する必要
[「だまされる人」の定義:かつての私のように、ろくに主体的に調べもせず、いわゆる「公式見解」を信じる人
十分に調べた上で接種を選択した人は、「だまされた人」とはいえないし、その判断に一定の合理性があったことを否定するものでもない
接種を受けた人を非難するのが目的ではない
本書で分析した事実や疑惑をどう見るかも、最終的には個人の判断として尊重]
(1)ワクチン危機とウクライナ戦争、福島第一原発事故の比較
全く異なるとみなされている事象に共通点を見出すことで、見えてくる本質がある
〇ウクライナでの戦争:実は2014年の米国や、欧米でも「ネオナチ」と呼ばれてきた過激ナショナリストも深く関与したマイダン「クーデター」以来の内戦で多くの命が失われ、22年のロシア軍侵攻以降はザポリージャ原発と核兵器使用を巡る危機も発生
→“見える戦争”、メディア報道により派手に“演出された戦争”
「ワクチン」という美名の下に行われた、遺伝子操作薬の大量接種という未曽有の試み:
いわば私達の身体を戦場とした“見えない戦争”、または“静かなる戦争”
←2000人超の接種後死亡例ともっと莫大な暗数疑惑、膨大な“謎の超過死亡”、多数の副反応疑い事例…:戦争並みに多くの人が死に、傷ついているのでは、という疑惑
荒川央博士:コロナ禍を巡る情報戦という「新しい戦争」に使われた「銃弾」は「ワクチン」
(『コロナワクチンが危険な理由』花伝社、2022年、222頁)
ウクライナでの戦争で莫大な利益を計上したのは軍産複合体
コロナ禍において莫大な利益を得たのはいわば「医産複合体」(大橋眞・細川博司『PCRとコロナと刷り込み』、ヒカルランド、2021年、204頁)では?
医産複合体は、軍産複合体より認識し難い“悪”:
人を殺す戦争に対して、医療は人を救う“善”として現れがち
国際機関、政府機関、巨大製薬会社、巨大学会、巨大医療法人、巨大メディア・プラットフォーマー等からなるワクチンを推奨した医産複合体:軍産複合体と並び、ハイデガーが技術の本質として名指したGe-stell(渡邊二郎訳:「巨大収奪機構」、森一郎訳:「総駆り立て体制」)の表れではないか
「総駆り立て体制」という訳語を使うのは、森一郎編訳『技術とは何だろうか』、講談社学術文庫、2019年。「巨大収奪機構」という訳語を採用するのは、渡邊二郎訳『「ヒューマニズム」について』、筑摩書房、1997年、289頁
〇3・11の原発安全神話に痛い目に遭わされた我々日本人の中の多く:
今度は巨大製薬会社、国際機関、厚労省、巨大メディアがつくりだした「ワクチン安全神話」に無批判に便乗したのでは
「ワクチン安全神話」:『The Liberty』、「効かないワクチンと政府の隠蔽」、幸福の科学出版、2022年10月号、36-43頁:「政府は因果関係を認めるハードルを異常に高く設定することで、ワクチン関連死を人為的に減らして問題を隠蔽し、“ワクチン安全神話”をつくり上げているのではないか」。同誌は2022年に大規模なワクチン検証特集の連載という実績、小島勢二氏、福島雅典氏をはじめ、一般メディアが事実上締め出してきた批判的専門家らに、副反応・超過死亡問題等を丁寧に取材
[当然ながら、この雑誌の中国敵視論や原発推進論など、その他の問題での論調に私が賛同するわけでは全くないが、個別の話題ごとに評価が必要、というメディアリテラシーの教訓]
〇故梅原猛:原発事故は「近代文明の悪をあぶりだした」「文明災」
「原発事故は『文明災』、復興を通じて新文明を築き世界の模範に」、『東洋経済オンライン』、2011年4月5日。https://toyokeizai.net/articles/-/6624
コロナワクチン禍も、少なくとも潜在的には、ウクライナでも危惧されている原発事故に匹敵しうる文明の災禍でありうるし、多くの共通点:
①巨大資本が投下され、巨大組織により開発・推進される巨大技術であること
②高度に専門的で、「企業秘密」「守秘義務」を建前とする秘密主義や「由らしむべし、知らしむべからず」の精神が横行し、ブラックボックス化しやすく、主流・多数の専門家への判断丸投げが誘発されがちであること(SPEEDIによる放射性物質の拡散状況の国民への隠蔽、黒塗りだらけのワクチン審議報告書、第三者によるワクチン現物の検証ができない…)
③人間の遺伝子に影響を与えうること
現代の科学技術の特徴が、原子核と細胞核という二つの核への介入に存する、という見解
(渡辺格「教育と遺伝」、『日本工業教育協会誌』、第30巻、第4号、1982年)
3・11原発事故によって原子核への介入というヒュブリス(高慢)について、自然からの復讐(ネメシス)を受けた我々は、今度は細胞核(もしくは遺伝子)への介入というヒュブリスについて復讐されたのでは?(Illich, I., Medical Nemesis, Pantheon Books, 1976, p.265。邦訳は金子嗣郎訳『脱病院化社会―医療の限界』、晶文社、1998年、209頁)
④推進機関と規制当局が極めて近く、統制が十分に効いていないこと
ワクチン接種を推進した厚労省と、副反応を認定するPMDAの近過ぎる関係
⑤国策に近い見方を示す専門家らが、関連する産業界や行政組織とも一体になって大きな権力を行使し、異論を唱える専門家は、政府の委員会や主要メディアから排除される傾向があること(「原発ムラ」「感染症ムラ」の問題)
⑥大多数の人々の無関心が引き起こした人災という側面があること
原発事故が起きる前には、放射線に対して大多数の人々は無関心、
薬害が起きる前には、ワクチンに対して大多数の人々は無関心…
モデルナのコロナワクチンの審議結果報告書(2021年5月20日)の黒塗り例は以下を参照:
https://www.pmda.go.jp/drugs/2021/P20210519003/400256000_30300AMX00266_A100_4.pdf
(2)イヴァン・イリイチ:医原病と脱病院化
ワクチン禍についての見解を最も聞いてみたい思想家
ワクチン禍は典型的医原病では
iatro-genetic disease:医療が原因となって起きる病気
「臨床的医原病」:「医療的ケアから苦痛、病気、死」が生じる→薬害の本体
「文化的・象徴的医原病」:「医学的に支援された振る舞いと幻想」が人々の「生き生きとした自律」を制限←一部の専門家に判断を丸投げし、自分で主体的に考えて判断しなかった大多数の人々
「社会的医原病」:「健康政策が不健康をつくりだす産業組織を強化する」←国策と医産複合体の結託
「医者ではなく素人が、現状の医原病の流行を止めるための潜在的展望と実効的な力を持つ」→今こそ教訓を汲むべき脱病院の精神
Illich, I., Medical Nemesis, Pantheon, 1976, pp. 270-271邦訳は金子嗣郎訳『脱病院化社会―医療の限界』(晶文社、1998年、216頁)
(3)カント:未完の「啓蒙の世紀」
〇18世紀の「啓蒙とは何か」から学べること:なぜ8割もの人は国家、WHO、製薬会社、学会の主流派、主要メディアの主張を受け入れたか(中には「職域接種」などで事実上強制された人も)
「自らの悟性を用いる勇気を持て」「理性の公共的使用」をせよ、自分の頭で考えることを呼び掛けたカントが認めていたこと:「怠惰であること」(Faulheit)の根深さ、「未熟であること」(Unmündigkeit)の安楽さ
「私の代わりに悟性を持ってくれる書物、私の代わりに良心を持ってくれる聖職者、私の代わりに栄養について判断してくれる医者」がいれば、自分で苦労する必要はない
Kant, I. Was ist Aufklärung, in: Was ist Aufklärung, herausgegeben von Bahr, E., Reclam, 2002, S. 9-17. 邦訳は中山元訳『永遠平和のために/啓蒙とは何か』(光文社、2006年、10-29頁)→古典的な「啓蒙の世紀」はまだ終わっていなかった
〇怠惰との関連:自然免疫を高める健康な生活習慣を毎日実践するのは、とても手間がかかるから、簡単に解決できるワクチンに頼るという心性?
〇荒川央博士の自律的思考への啓蒙的呼び掛け:「最終的に自分の体と命に一番の責任を持つ必要があるのは自分自身です。自分の命は他人任せにすべきではないのです」、「誰もが自分自身にとっての医者であり、科学者である必要がある」
「病気とホメオスタシス (生体恒常性) 」、2022年11月23日。
https://note.com/hiroshi_arakawa/n/n76308098990e
〇だまされる側にも、怠惰あるいは多忙等の故に、あるいは何らかの分野の専門家であっても、自分はこの分野では専門外だからといった理由で、自分の頭で考えたくない、いわばだまされたいという“需要”に付け込まれる→だます側とだまされる側の共犯・共依存関係?
〇重大な副反応疑いの有害事象に苦しむ人々も、「これはワクチン副反応ではない、偶然に過ぎない」と自分を説得すれば、判断の間違いを認めなくて済む→被害者が加害者を実質的に擁護する「ストックホルム症候群」の薬害版のようなものではないか
(4)ハイデガー:「世人」/「みんな」の圧力
〇日本の高い接種率をもたらしたのは、das Manの力?
一般的な「世人」「ひと」よりも「みんな」が適切な訳語では
「みんな」(大多数の人々)が接種を受けているから、WHOのような国際機関、厚生労働省、医師団体や専門家の多数派、主要メディアが挙って太鼓判…
→「事象」(そのもの)へと立ち入らないこと(Nichteingehen <auf die Sachen>)の正当化:
過去の薬害の歴史に学ぶことや、接種が先行していた外国の事情を調べること、ワクチンの添付文書を地道に読むこと、警鐘を鳴らしていた少数の批判的専門家・有識者の声にも耳を傾けること、等を怠る
「みんな」が判断することは、決断することを予め定め、各人から責任を奪う、とも
Heidegger, M., Sein und Zeit, Max Niemeyer, 18. Auflage, 2001, S. 126-127.
邦訳は原佑・渡邊二郎『存在と時間Ⅰ』、中央公論新社、2003年、326-336頁。
〇國部克彦(神戸大教授、経営学博士)『ワクチンの境界 権力と倫理の力学』(アメージング出版、2022年、特に第2章):ウィリアム・キングドン・クリフォードの「信念の倫理」:「探究の義務」を怠り、軽々しく何かを信じることの罪・有害性(数少ない国内の人文系研究者によるワクチン禍の批判的分析)
たとえ、たまたま結果が良くても、軽信的なままだと、いつ誤るかわからない
[自分や家族に副反応らしき症状はないから問題ない、といった「結果オーライ」への戒め]
Clifford, W. K., The Ethics of Belief, in : Lectures and Essays, Macmillan and Co., 1886, pp.339-363.
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本稿は、2023年4月15日に、東京唯物論研究会で行われた発表のレジュメを改稿したものです。[ ]内は発表後の補足です。実際の発表では、詳しく読まなかったところも多くあります。貴重な発表の機会をお与えいただき、転載に同意していただきました研究会の皆さまに感謝致します。なおこのレジュメを読まれて興味を持たれた方は、近刊の拙著『ウクライナ、コロナ報道に見るメディア危機』(仮題、本の泉社)もご参照ください。また、ご感想があれば、次のメールアドレスにお寄せください。elpis_eleutheria@yahoo.co.jp
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しまざき・ふみたか 1984年生まれ。MLA+研究所研究員。東京大学文学部卒、同大学院人文社会系研究科修士課程(哲学専門分野)修了。ISF独立言論フォーラム会員。著書に『ウクライナ・ コロナワクチン報道にみるメディア危機』(本の泉社、2023年6月)。記事内容は全て私個人の見解。主な論文は、以下を参照。https://researchmap.jp/fshimazaki 記事へのご意見、ご感想は、以下までお寄せください。 mla-fshimazaki@alumni.u-tokyo.ac.jp