評論「映画に学ぶウクライナ侵攻の前史―特に『ウクライナ・オン・ファイヤー』と『リヴィーリング・ウクライナ』を巡って」(3)
映画・書籍の紹介・批評第5節 所謂「陰謀論」の問題と、ウクライナ侵攻の日本への影響可能性
情報一般に対する検証と照合の必要性
ストーン氏のこれまでの実績は米国社会に多数派とは異なる視座から光を当ててきたという意味で、貴重であると私は考える。『ウクライナ~』と『リヴィーリング~』は東欧の現代史というプリズムを通した米国批判としても価値があるだろう。そうした姿勢に敬意を払いつつも、私はその主張や物の見方を無批判に受け止めているわけではない。だからこそ私は本稿でも、外部の情報源と映画の内容を照らし合わせることに努めてきた。しかしながら、本稿では多少の偏りを指摘するにとどまっており、より踏み込んだ分析を進める必要があると認識している。そのためにも、ウクライナ語に堪能な方々や、映像検証技術を持つ方々を含め、より多くの人に『ウクライナ~』や『リヴィーリング~』をご覧いただき、さらなる問題点があれば、知らしめていただきたいと考えている。
他方で、当然であるが、少数派(この場合ロシアおよび親ロシア派ウクライナ人の視点)が常に正しいわけがないが、逆に言うと多数派(欧米由来の情報またはウクライナ政府の視点)が常に正しいわけでもない。心情的には、侵攻されている側の情報を信じたくなるのは、人間の感情として自然であろう。だが少なくとも我々日本人は第三者として、いわば心を鬼にして冷静になる必要がある場面もあるだろう。
実際に、特に米国は、ベトナム戦争時のトンキン湾事件、湾岸戦争開始時のナイラ証言事件、イラク戦争開戦の大義名分とされた大量破壊兵器に関する誤った情報等、多くの重大な過ちを犯してきたのではないだろうか。両側の情報を照合して初めてわかることもあるだろう。これも自明であり本稿でもそれなりに実践してきたつもりだが、例えば対立する双方の意見が一致することについては、事実である可能性が高いとみなす、という判断の方針はありうるだろう。例えば『ウィンタ~』にも、『ウクライナ~』製作者らが革命に主体的に関与していると非難していた極右組織『右派セクター』の赤と黒の旗は、実はさりげなく映りこんでいた。
その点で、EUがロシア系メディアRTやSputnikの欧州各国語版の放送ができないようにしたことは、多くのEU加盟国がNATO加盟国でもあり、事実上の紛争当事国になっているので無理もない側面もあるのかもしれないが、全く問題なしとは断言できないのではないか[1]。今のところ日本では、これらのメディアや在日ロシア大使館ツイッターが閲覧できないということはないが、今後もEUに追随すべきではないと思う。例えば悪質なヘイトスピーチや名誉棄損に対する訴訟は日本でも実際に行われている。だが一般的な誤っている(とされる)情報に対しては、一律の排除措置よりも、できる限り言論によって対抗するのが―ロシアとは異なり表現・言論の自由を核心的価値とするはずの―真の民主社会の本来の在り方ではないだろうか。
思考停止を誘う「魔法の言葉」としての「陰謀論」の側面
ストーン氏自身、『ウクライナ~』が各種プラットフォームから排除されただけではなく、仮に映画が視聴されたとしても、「陰謀論」を信じている、と非難されることもあったと聞く[2]。例えば、実際は「クーデター」で転覆されたヤヌコヴィッチ政権が、もしデモ隊に先制攻撃して平和的な抗議行動を流血の惨事に変えたという濡れ衣を着せられているとしたら、これは現在のウクライナ侵攻でも問題になっている「偽旗」作戦に当たることになるだろう。だがこの「偽旗」だという主張こそ、大衆の「洗脳」を目的とする「愚民化政策」と並んで、陰謀論の「典型的なトピック」の一つとみなされているものだとされているのだ[3]。
もちろん、客観的根拠が何もなければ、陰謀論という誹りは免れまい。だがそれと同時に、陰謀論という概念が、少数意見を、その異質性・異端性そのもの故に貶め、信憑性を剝奪し、排除するための烙印、もしくは安楽な思考停止へと誘う罠のような「魔法の言葉」になっていないか、十分に心すべきであろう。例えばロシアのみならず、「欧米メディアも都合の良い情報操作をやっているのでは」といった疑問を何の根拠もなしに呈すれば、誹謗中傷に近い陰謀論の類と見なされても仕方がない。だが例えば、批判されているメディア自身が、自分たちに都合の悪いと考えられる動画を削除したと認めている場合、そうした疑惑を少なくとも真剣かつ慎重に吟味の対象にすべきだと私は考える[4]。
たとえ見る側に悪意がなくとも、『ウクライナ~』は、ウクライナ・ロシア・アメリカの関係について一般に流通している情報群もしくは「物語」の「筋書き」だけを知っている視聴者の認識との深刻な不整合、いわば「認知的不協和」を引き起こすのは確かだろう。そのため、これらの作品は、聞き心地の悪い陰謀論として拒否されている可能性もあると私は推察している。だが当初陰謀論とみなされていた見方が、後に本当だったと判明した事例として、70年代の米大統領による盗聴事件として暴かれたウォーターゲート事件のようなものもある、という指摘は重要だ[5]。
『ウクライナ~』が、欧米側の情報を含む相当な客観的根拠に基づいて構成されており、簡単に全体を陰謀論やプロパガンダとして片づけていい作品ではないことは、これまでの論述で十分に理解できると思う。それだけではない。マイダン革命に関しては、当時のウルマス・パエト(Urmas Paet)エストニア外相からキャサリン・アシュトン(Catherine Ashton) EU外務・安全保障政策上級代表に対して伝えられていた極めて重要な会話の内容が、リークにより暴露されている。その中では、デモ参加者らへの射撃を開始したのは、当時の野党(親欧米派)の側の人々であるはずであり、ヤヌコヴィッチ政権にはそもそもそうする動機が見当たらない。しかも新政権は調査に消極的であるという認識が示されている。しかもパエト氏はこのリークの真実性を認めており、このことは欧州議会の記録にも残されているのだ[6]。動機がないというのは、平和的デモだけで政権が強制的に退陣させられることはないはずだが、暴力が過激化して市民に犠牲者が出れば、責任を取らされる政権にとって致命的になる、という意味であろう[7]。
単純な「どっちもどっち論」を超えて、戦争に至った経緯を詳しく知ることこそ重要
無論、私が『ウクライナ~』や『リヴィーリング~』の鑑賞を勧める目的は、独立後のウクライナがソ連から引き継いだ核兵器を放棄することと引き換えに、その領土保全を米英と共に保障した1994年の「ブダペスト覚書」を無視して始められたこの戦争を擁護することではない。そもそもストーン氏自身、3月4日のフェイスブック投稿において、米国がいかに多くの侵略戦争に責めを負っていても、そのことがプーチン氏によるウクライナ侵攻を正当化することはない、と彼が犯した誤りを10項目も挙げつつ批判していることも踏まえておこう[8]。この見方は私も共有できるものである。
虚偽情報が飛び交うのが戦時の常とはいえ、ロシア軍が国境を越えて戦端を開き、ウクライナ領土内で武力行使をしている事実関係に争いはなく、重い責任を負うことは動かしようがない[9]。戦争下における現在進行形の出来事の評価についてはできるだけ慎重であるべきだ。しかし、ロシア側が否定していないものだけでも、原発敷地内を戦場にしたことや、核兵器の先制使用を示唆したこと、第三国モルドバへの威嚇等、実際に非難に値することは少なくない。この戦争の最大の犠牲者が―実は2014年の内戦勃発時から―二手に分かれて戦っているウクライナの住民であって、日本もあらゆる人道的支援をすべきであることも間違いない。現役世代の男性国民一般に出国を禁じて総動員体制を敷いたウクライナ政府の方針には疑問も抱くが、正当な自衛と抵抗の権利があることも、私は当然認めている[10]。こういった意味では、私は単純な「どっちもどっち」論に与するものではない。
[1] “EU imposes sanctions on state-owned outlets RT/Russia Today and Sputnik’s broadcasting in the EU”(2022年3月2日)
https://www.consilium.europa.eu/en/press/press-releases/2022/03/02/eu-imposes-sanctions-on-state-owned-outlets-rt-russia-today-and-sputnik-s-broadcasting-in-the-eu/
[2] 例えば以下のステパン・ヴァリチェンコ氏という歴史学者による公開書簡を参照。この書簡は、殆ど全ての革命に何らかの外国の介入があるが、だからといって、そういった革命は外国製ということにならない、とストーン氏の見方を批判している。だが『ウクライナ~』は資金提供から現場での「激励」、実行まで米国の関与が疑われ、それなくして「革命」が成就したかまで問うているように見えるので、この反論よりもさらに深刻な問題を提起しているように思われる。
https://krytyka.com/en/articles/open-letter-oliver-stone
[3] 辻隆太朗「陰謀論へのイントロダクション」(『現代思想 特集 陰謀論の時代』、2021年5月号、青土社、特に55-56頁)。
[4] ジャーナリストの櫻井春彦氏のブログ記事「米国やウクライナの政府にとって不都合な住民証言を独誌が間違って報道して混乱」(2022年5月8日)による。マリウポリの製鉄所から逃げた地元住民が、自分はウクライナのアゾフ連隊によって2カ月も閉じ込められ避難を妨害されたと訴えたロイター通信発の動画が独誌シュピーゲルによって配信された後、すぐに削除された経緯について報告されている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202205070001/
この記事にリンクされているドイツ語の記事の内容も私は確認した。ロシアの国連大使代理との論争を通じたロイター自身の釈明は、次の記事で読める。
“Russian envoy says Reuters ‘censored’ Mariupol evacuee’s comments”(2022年5月7日)
https://www.reuters.com/world/europe/russian-envoy-says-reuters-censored-mariupol-evacuees-comments-2022-05-06/
[5] 朱喜哲「陰謀論の合理性を分節化する」(『現代思想 特集 陰謀論の時代』、2021年5月号、青土社、特に203-204頁)。朱氏も言うように、いわゆる陰謀論が「すべて排除すべき悪しきものであるとは限らない」という点には留意しなければならないだろう(同199頁)。
[6] この経緯に関しては、西谷公明「続・誰にウクライナが救えるか」、『世界 ウクライナ侵略戦争』臨時増刊号、2022年5月、64-72頁によって教示された。欧州議会の記録は以下を参照。Willy Meyer: ”Leaked conversation between Catherine Ashton and Urmas Paet, Estonian Minister of Foreign Affairs”(2014年3月19日)
https://www.europarl.europa.eu/doceo/document/E-7-2014-003239_EN.html
パエト氏の発言は、実は日本のメディアでも報じられた。『毎日新聞』東京版夕刊2014年3月6日付、「ウクライナ『新政権側が狙撃か』エストニア外相が指摘」。
[7] 動機の問題は重要だが、ヤヌコヴィッチ政権側が命令していなくても、現場の部隊が独自の判断で先制攻撃を開始した、といった可能性は論理的には残されている、とも念のため指摘しておこう。
[8] https://ja-jp.facebook.com/TheOliverStone
[9] ロシア側の主張する個別的自衛権、両「人民共和国」の要請による集団的自衛権、ジェノサイド防止といった理由が、国際法上、武力行使を合法化しないという―恐らくは「正統派」と目される―見解については、酒井啓亘「ウクライナ戦争における武力行使の規制と国際法の役割」(『世界 臨時増刊号 ウクライナ侵略戦争』、2022年5月、73-96頁)を参照。他方で、恐らく異端の少数意見ではあろうが、今回の侵攻は国際法的に正当化されうると主張する米国の学識者の筋の通った反論も存在することも踏まえて議論すべきだと私は思う。それは、今回の侵攻を、ウクライナ軍による8年来のロシア系住民に対する攻撃や、ロシア語冷遇政策を踏まえて、皮肉なことにかつてヒラリー・クリントン氏、スーザン・ライス氏ら米国のリベラル強硬派(「リベラルホーク」とも呼ばれた)が唱えた人道介入論とも関連づけた「保護責任原則」の事例とするものである。
ダン・コヴァリク「ロシアのウクライナ介入が国際法上、合法である理由」(寺島メソッド翻訳News、2022年4月23日、原文へのリンクも以下で提示されている。
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-895.html)
なお、保護責任原則には触れていないが、同じくロシアと両「人民共和国」の集団的自衛権行使は国際法的に成立する可能性があり得ると述べるのは、伊勢崎賢治氏である。『毎日新聞』デジタル版(2022年3月5日、「『プーチン悪玉論』で済ませていいのか 伊勢崎賢治さんの知見」、
https://mainichi.jp/articles/20220304/k00/00m/040/254000c)
また、日本政府や主要各党は制裁による強制的停戦ばかりに熱心であるのに対して、伊東孝之氏、塩川伸明氏、和田春樹氏ら著名研究者が加わる「憂慮する日本の歴史家の会」が、個人の集まりとして、ロシア大使館やインド大使館を訪問して仲裁に動いていることに注目すべきである。個人として実践できていることを、なぜ国家としてやらないのか、と問うこともできるだろう。
https://peace-between.jimdosite.com/
[10] こういったウクライナの戒厳令措置については、「主権国家のために命を賭けるというのは 19 世紀や20 世紀の発想であり、国家よりも一人一人の命のほうが大切ではないか」といった塩原俊彦氏のメタレベルの視点が参考になる。『プーチン3.0 殺戮と破壊への衝動: ウクライナ戦争はなぜ勃発したか 』(社会評論社、2022年、299頁)。
現在のロシアをどう見るかは日本にも影響する
だがロシアは本当に、特に国際法的には正当化し難くても、少なくともその理路を論理的に追跡可能ないかなる「大義」も欠き、突如として「侵略戦争」を始めるような、完全に「非道」で交渉不可能な国であるのか。それとも少なくとも2014年の革命(クーデター)以来、8年間に及ぶ米国によるウクライナへの執拗な介入や、旧ソ連加盟国を含むNATO東方拡大、ウクライナ政府軍や民兵組織による東部ロシア系住民への攻撃等の挑発が続いた末の「対抗行動」もしくは「反撃」として軍事行動を起こした、と理解するのか。どちらの見方を選択するかによって、ウクライナと同じくロシアの隣国である日本にとっても、対処の仕方は異なるのではないか。
主権国家同士の関係という次元では、ロシアがウクライナの領土内で主権を侵害していることは明白であるように思われる。だが国境を越えたロシア系住民の「民族問題」もしくは民族紛争としての次元を考慮すれば、全体の構図の見え方は少し変わってくるのではないだろうか[1]。今回問題になっているのは、ウクライナ領土内では少数派である東部のロシア系住民がウクライナ政府側から、文字通りの武力攻撃や露骨な言語冷遇策などの「迫害」(または少なくとも欧米や国際機関も問題視していた不当な差別)を受けたことに対して、彼ら・彼女らを「同胞」とみなすロシアが武力介入したことだからだ。挑発を受けたからといって、他国に戦争を仕掛ける正当な権利が生じるわけではない。だが本稿で検討してきたように、他の主権国家に対して、多かれ少なかれ、紛争や戦争の種をまくような暴力的な体制転換支援や挑発をした人々の道義的・政治的責任を不問のままにしておくと、似たような挑発と戦争の連鎖がこれからも世界各地で繰り返されるのではないか、という危惧が払拭できないと思う。そしてこうした問題行動を国際法的に裁けないとしたら、できるだけ多くの人がそれを認識し、批判の声を上げ続けることこそが、「陰謀」ではなく堂々たる論争を是とする民主主義社会においては、一つの有効な手段ではないか。問題の所在や論点を広く世論に知らしめるという意味では、本稿で取り上げてきたような映像作品の力は大きい。その意味でも、特定の見方を取る作品を一律に排除するような措置は有害だと思われる。
本稿で見てきたような戦争に至った詳しい経緯を知ることなしに、ロシアは交渉も理解も不可能な、突如として侵攻を始めた「悪」だ、といった見解を取るならば、日本はその軍事力に単独で対抗できない以上、さらなる米軍との一体化を余儀なくされるであろう。2015年に解禁された集団的自衛権以上の軍事的選択肢を容認するであろう、いわゆる「便乗改憲」すら視野に入り、「敵基地攻撃能力」や防衛費の大幅増額を求める議論も盛んになっている。
誤解のないように確認しておくと、私は今日の日本で盛んに聞こえてくる「戦争反対」の声や平和主義の理想には賛同を惜しまない者である。国際法の役割を軽視する訳でも決してない。だが遺憾ながら既に実際に戦争が勃発して暴力の嵐が吹き荒れている。この現実を踏まえると、「戦争反対」や「国際法・国連憲章違反」と訴えつつ、経済制裁によって圧力をかけるだけでは、ロシアのような経済大国ではないが資源・食料大国である国による戦争を止められないのではないか[2]。制裁によって、一般のロシア国民の怒りが向かうのはロシア政府ではなく、むしろ制裁に加わる外国である、というロシア在住日本人記者による冷静な指摘もある[3]。多数を占めた国連総会での対ロシア非難決議に目を奪われがちであるが、その効果は象徴的なものにとどまることを忘れてはならない。それに対して、抜け道も指摘されるが相対的に実効性はあると考えられる対ロシア制裁に参加しているのは、2022年4月5日時点で北米と欧州、日本、韓国、オーストラリア等、米国の同盟国が中心であって、アジア・アフリカ・中南米では完全に少数派であり、実は全世界人口の約15%にすぎないというノーム・チョムスキー氏の冷静な指摘は重要だ。その後制裁参加国が大幅に増えたという話も寡聞にして聞かない。彼が示している図表は、米国主導の制裁が世界全体にブロック化をもたらしていることを如実に示している[4]。
制裁や反撃による強制的な戦争終結策だけに固執するよりも、ロシア側のNATO諸国への怒りや不信の原因、ロシア側が糾弾するウクライナの反ロシア民族主義勢力の真相、そしてウクライナ政府の背後にいる米国による露骨な介入の実態を知りその思惑を見極めた上で、妥協による現実的な和平への道を促し、模索せねばならないのではないだろうか[5]。戦争を仕掛けた側の論理や事情を「理解」しようと試みるのは、現代においては確かに勇気が要ることかもしれない。だが「理解」は「正当化」や「是認」とは異なる。そもそも日本は直接的な紛争当事国ではなく、米国の同盟国であってもNATO加盟国ではない、という事実を冷静に思い出すべきだろう。トルコのようにNATO加盟国でありながら仲介に尽くす国すらあるのだから。
ロシア・中国・台湾・米国の境界に位置する日本
また、既に度々指摘されているように、この戦争は少なくとも実態としては、実戦部隊としてのウクライナ軍と、ロシア軍および一部のロシア系ウクライナ人の部隊との代理戦争となっている側面があるのではないか、という疑問を抱かざるを得ない。前者の強力な兵站部隊を務めているのがNATO諸国である。長期戦になるほど、勝敗を分けるのが兵站であることは戦争の常識であり、ロシア軍の「苦戦」という評価も必ずしも不思議ではない[6]。同じ図式が、核保有国である中華人民共和国による「台湾有事」に際して、全面的に対決することをためらう米国との集団的自衛権の発動によって、自衛隊が台湾軍と共に代理戦争をさせられるという形で繰り返されることは決してない、と誰が保証できるだろうか。これは、かつて安保法制との関連で、自衛隊が「米軍の2軍」になる恐れがある、と指摘されたことの一つの具現化の可能性であると思われる[7]。沖縄をはじめ基地が立地する地域は、直接的な攻撃対象になり、住人の巻き添え被害も懸念される。その意味では、今回の戦争をどう見るかは、日本にとって完全に人ごとだとは言い切れない[8]。
『ウクライナ~』と『リヴィーリング~』は、日本についてもこういった批判的想像力を働かせることを促してくれる。両作品に、本稿で指摘してきたような問題点があるのは確かだ。にもかかわらず、根拠ある異論または「対抗言論」、もしくは少数意見が尊重されるべき民主主義社会においてこそ、より広く知られている『ウィンター~』と併せて見る価値があると思われる作品であることを最後に確認して、本稿を閉じることとしたい。
付録 ウクライナ戦争の背景をより深く理解するための情報源の一覧
各資料は、本稿の本文で参照した順番で並べた。
〇The Internet Encyclopedia of Ukraine
http://www.encyclopediaofukraine.com/default.asp
カナダのアルベルタ大学に拠点を置くCanadian Institute of Ukrainian Studiesの運営するインターネット上の百科事典。全5巻のEncyclopedia of Ukraine (edited by Volodymyr Kubijovyc and Danylo Husar Struk, University of Toronto Press, 1984-93)の記載事項の一部が転写されている。歴史、地理、人物、文化、文学等、ウクライナ全般についての知識を得ることが便利な情報源である。ただし、本稿でも言及したステパン・バンデラ、ミュコラ・レベドのナチス協力者としての側面を捨象している等、西部ウクライナ寄りの姿勢が見て取れる。
〇ジョン・ミアシャイマー(Mearsheimer)シカゴ大学教授の動画
空軍軍人出身で、リアリズム政治学の泰斗による今日のウクライナ戦争への見解を示す動画が、現在ユーチューブにて日本語字幕付きで視聴できる。開戦直後の2022年3月3日に収録されたものだ。
https://www.youtube.com/watch?v=cZaG81NUWCs
ミアシャイマー氏はこの動画の中で、戦争を始めたロシアの責任を問題としつつも、この戦争を誘発した第一の責任は米国にある、と宣言する。その理由は、2006年に、NATOが東方拡大の一環として、将来的にウクライナとジョージアを加盟させる方針を決定したところに求められるという。08年にロシアがジョージアの内戦に介入する形で起こった戦争と、今回のウクライナ戦争が同根であることが示唆される。
ミアシャイマー氏は、2014年のマイダン革命が、米国が支援したクーデターである、というストーン氏らの見解を共有している。ロシアによるクリミア併合と、ウクライナ東部の内戦への介入はそれに対する反応として見られる。近年では、ウクライナが事実上NATOの加盟国になりつつあった、という実態も指摘される。なぜならNATOは(ウクライナ侵攻に先立って)ウクライナ人を武装、訓練させたあげくドンバス地方を攻撃させ、それがロシアを刺激したからだ、とされる。NATOの東方拡大はロシアを標的にしたものではない、あるいはウクライナには主権国家としてNATOに加盟する権利がある、といった公式見解ではなく、リアリズムの立場から、NATO加盟が実質的にいかにロシアに脅威として受け止められるか、を重視しているわけである。マイダン革命以前、欧米人はプーチン大統領を侵略者としては見ていなかった、とも指摘される(これについては、プーチン氏はかつては欧米に親和的であり、ロシアのNATO加盟すらありうると述べていたことも思い起すべきだろう)[9]。今日のロシアはテキサス州程度の経済規模しかなく、旧ソ連の勢力圏を全て奪い返す、といった西側が勘ぐっている野望は非現実的である、といった示唆も重要だ。経済的には弱者だが、なお核大国であり、存亡の危機を感じて戦うロシアを、クマの目を突くような挑発をして、追い詰め過ぎるべきではない、としめくくられる。『文芸春秋』2022年6月号には、この動画とほぼ同じ趣旨のミアシャイマーのインタビューが掲載されており、こちらでは、米国が周辺国に適用してきたモンロー主義をロシアの勢力圏に当てはめるなど、よりわかりやすくなっている。
〇塩原俊彦・元高知大学准教授のウクライナ・ロシア関連の一連の著作
・『ウクライナ・ゲート : 「ネオコン」の情報操作と野望』(社会評論社、2014年、絶版だが電子版がアマゾン等で購入可能)
・『ウクライナ2.0 地政学・通貨・ロビイスト』(社会評論社、2015年)
・『プーチン3.0殺戮と破壊への衝動: ウクライナ戦争はなぜ勃発したか』(社会評論社、2022年、電子版も購入可能)等
本稿では、これらの著作の詳しい引用や関連付けは残念ながら十分にできていない。しかし、ロシア経済が専門の著者は、次のような点でストーン氏と見方を共有していると思われる。
・マイダン革命を米国による介入と強く関連付ける点
・マイダン革命での「超過激派」ナショナリストの関与を問題視する点
・ヤヌコヴィッチ元大統領を単純な親ロシア派とはみなさない点
・欧米の主流メディアの偏りを指弾している点
他方で、塩原氏はプーチン大統領の暴力的姿勢や、ロシアの政治経済一般の腐敗した実態を容赦なく告発している点で、より不偏不党であるように思われる。さらに塩原氏の議論の特徴は、単なるロシアやウクライナの地域研究の範疇を超えて、個人を戦争に強制的に引きずり込む主権国家そのものが孕む問題や、核抑止論や官僚制、ロビイストによる支配等、近現代社会の構造そのものへの批判的な視座を持っていることであると私は考える。いずれの著作も大変読み応えがあるが、塩原氏の研究の一端には、『論座』や「ちきゅう座」、または同氏のブログ「21世紀龍馬会」でも要約的に触れることができる。
http://chikyuza.net/
https://www.21cryomakai.com/
〇清義明「ウクライナには『ネオナチ』という象がいる~プーチンの『非ナチ化』プロパガンダのなかの実像」【上】【中】【下】(『論座』2022年3月23~24日)
https://webronza.asahi.com/national/articles/2022032200001.html
本稿では殆ど言及できなかったが、ロシアが今回の戦争の大義の一つとしているウクライナの「非ナチ化」が―残念ながら―事実無根の陰謀論ではないことを、国際機関や欧米側の資料・報道のみを用いて示した貴重な論稿。今日の日本のテレビ番組でも頻繁に取材を受け、現地の映像を提供している「アゾフ連隊」のみならず、「右派セクター」、「アイダール大隊」等、数十もの民兵や財閥の私兵出身の組織等が割拠してきた経緯や、しかも軍隊や政治、司法にも食い込んできた特異な実態がわかりやすく解説されている。これは「過激派はどこの国にもいる」という反論への再反論となるものである。日本で一般に流通している公式見解としては、「アゾフ連隊」等はかつては確かに極右的な要素も濃厚だったが、今日では違うというものが多いように思われる(例えば『毎日新聞』朝刊東京版2022年4月22日付、「ウクライナ戦闘部隊『アゾフ大隊』露『ネオナチ』強弁、標的に」)。しかしヨーロッパの白人至上主義の「聖地」もしくは「国際的なハブ」として数年前まで危険視されてきたウクライナの状態が、短期間でいわば完全に「浄化」されるのかどうか、疑問は残るだろう。実際に清氏は、こういった過激な右派民兵が東部での内戦についても、今回のロシアとの戦争についても、ウクライナ政府の停戦努力を妨害してきたことを指摘している。ウクライナから避難する黒人やインド人らがウクライナの国境警備隊により暴行・差別されたという報告も懸念材料だとされる。なおこの記事の目的は、ロシアによる戦争を正当化することではないと清氏が断っていることも踏まえておきたい。
〇アンヌ・ロール・ボネル氏のドキュメンタリー作品『ドンバス』
https://www.youtube.com/watch?v=ln8goeR5Rs4
フランス人ジャーナリストによる2016年公開のドキュメンタリー作品。日本でも2022年に映画館で上映されたセルゲイ・ロズニツァ監督による同名の作品と混同しないように、ご注意いただきたい。
ボネル氏の『ドンバス』では、ウクライナ政府軍によるドンバス地方のロシア系自国民への攻撃がもたらした結果として、廃墟になった街、爆撃を恐れて地下室に避難して暮らす人々の有り様が見せつけられる。その様子は今日テレビに映るウクライナの街にとてもよく似ている。現在はユーチューブで、日本語字幕付き版が視聴できる。本作で最も衝撃的なのは、冒頭のポロシェンコ元ウクライナ大統領による演説であろう。「私たちは仕事にありつけるが、彼らはそうはいかなくなる」、「私たちは年金が受けられるが、彼らはそうならなくなる」、「私たちの子供は毎日学校や保育園に通う」「だが、彼らの子どもは洞窟で暮らすことになる」。彼らとは、ドンバス地方のロシア系住民のことだとされる。ただ私はフランス語字幕から日本語字幕への翻訳が概ね正確であることを確認できたが、ウクライナ語からフランス語への翻訳が正確かどうかはわからない。どの文脈の発言かも明示されていない。作品全体がCGや役者を用いた大掛かりな「フェイク」である、といった見方もありうるかもしれない。そのため、作品全体を、語学や映像技術に通じた方に、検証していただきたい。
〇「IWJ」とジャック・ボー氏の論考
https://iwj.co.jp/
独立系ウェブメディアIndependent Web Journalによるニュースサイト。2014年のマイダン革命(クーデター)前後からウクライナ情勢を集中的に報道しており、欧米の外交・軍事専門雑誌等、大手メディアとは異なる情報源による独自の視点が光る。欧米や日本の報道に対するメタレベルの批判も参考になる。有料であるが、それぞれの記事の途中までは無料でも読むことができる。
とりわけ注目に値するのが、スイス情報局の元参謀本部大佐で東欧専門家のジャック・ボー(Jacques Baud)氏による論文「ウクライナの軍事情勢」の翻訳である(号外第19~21弾)。ボー氏は、2月16日に激化したウクライナ軍によるドンバス地方への激しい攻撃が、この戦争の引き金になったことを示唆している。これを詳しく検証することはもちろん私にはできないが、少なくとも、2月16日前後から、ドンバス地方で、停戦違反の攻撃が相次いでいたことは、 欧州安全保障協力機構(OSCE)の日報でも見て取れるとはいえる。今日の「ウクライナ人への思いやりを、ドンバスの人たちに少しでも向けていれば、こんなことにはならなかった」というボー氏による、世界の人々の無関心をとがめる結論には、私達日本人も大いに耳を傾けるべきであろう。
https://www.osce.org/ukrainesmm/reports?page=1&filters=%20ds_date%3A%28%5B2022-02-01T00%3A00%3A00Z%20TO%202022-03-01T00%3A00%3A00Z%5D%29&solrsort=score%20desc&rows=10
(上記のウクライナ情勢に関する日報は、不可解にも、閲覧できなくなった。)
なお、ボー氏の論文のフランス語原文は、以下で無料で閲覧できる。
https://cf2r.org/documentation/la-situation-militaire-en-ukraine/
この論文の英訳は以下で読むことができる。
https://www.unz.com/article/is-it-possible-to-actually-know-what-has-been-and-is-going-on-in-ukraine/
〇「中国問題研究家 遠藤誉が斬る」
https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare?page=1#artList
少女時代に国共内戦時代の中国を生き抜いた著者による「ヤフーニュース個人」における一連の発信記録。ウクライナ侵攻開始後は特に米国に対して批判的な視点を提示している。特に参考になるのは、以下の記事である。
・2022年2月20日配信「なぜアメリカは『ロシアがウクライナを侵攻してくれないと困る』のか」:欧州への天然ガス輸出で、米国がウクライナ侵攻(とそれに伴うロシア排除)によって結果的に多大な利益を得ることを指摘。
・2月25日配信「バイデンに利用され捨てられたウクライナの悲痛」:ホワイトハウスによる「アメリカは如何なる状況になろうとも決してウクライナに派兵しない」という宣言が、事実上ロシアによるウクライナ侵攻を誘発するものとなったと分析している。
・3月29日配信「プーチンが核を使えば、習近平はプーチンを敵として戦わなければならなくなる――中ウ友好条約の威力」:「もしプーチンがウクライナに核攻撃をするようなことがあったら、習近平はウクライナ側に立ち、プーチンを敵として戦う」ことになりかねない、という条約が存在することを解説する。
・5月1日配信「2014年、ウクライナにアメリカの傀儡政権を樹立させたバイデンと『「クッキーを配るヌーランド」』:当時のヌーランド米国務次官補と、ジェフリー・パイエット駐ウクライナ大使による、マイダン革命への介入の様々な証拠を提示している。
・5月12日配信「ウクライナの次に『餌食』になるのは台湾と日本か?―米政府HPから『台湾独立を支持しない』が消えた!」:米政府の台湾に対する態度変更を目ざとく見つけ出し、そのことが日本を巻き込んで中国による台湾侵攻を引き起こす可能性を指摘。在日米軍は議会承認なしには出動しないのは周知の通りである。
なお遠藤氏には、『ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略 世界はどう変わるのか』(PHP研究所、2022年)という著書もある。
〇岡部芳彦『マイダン革命はなぜ起こったか―ロシアとEUのはざまで―』、ドニエプル出版、2016年。
本稿で直接引用はしていないが、日本語で書かれたマイダン革命を書名に持つ数少ない著作。ウクライナ研究会会長も務める著者は、マイダン革命の「非合法のクーデター」説は「支離滅裂」と評している点では、ストーン氏らの見方とは対立し、『ウィンター~』の見方に近いように思われる。それでも、多くの現地人との交流に基づく著者の体験的知見は、この問題に関心を持つ人ならば、知っておくべきであると考える。
[1] 民族問題の視点を持ち込む必要性を指摘するのは、浅野健一氏の取材を受けた三浦元博氏である。浅野健一「停戦を遠ざける史上最悪の偏向報道 ロシア“悪玉”一色報道の犯罪」(『紙の爆弾』2022年5月号、鹿砦社、10-17頁)。
[2] 他方で、(戦争に反対する人々も含めた一般の)ロシア人全体を直撃する現状の制裁ではなく、ロシアの政治家らの制裁逃れも支援するオリガルヒに特化した新しい制裁を考えるべきだ、というトマ・ピケティ氏の提案は建設的なものに思われる(「欧米諸国の考える『制裁措置』は“標的”を大きく見誤っている」、クーリエ・ジャポン編『世界の賢人12人が見た ウクライナの未来 プーチンの運命』、講談社、2022年、127-133頁。
[3] 徳山あすか「在モスクワの日本人もびっくり、実態とかけ離れたロシア報道」(JB press, 2022年4月28日)https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/69899
[4] 『長周新聞』2022年5月4日「 ノーム・チョムスキーが語る ウクライナ戦争とアメリカの巨大な欺瞞 スケイヒル氏のインタビューより」
https://www.chosyu-journal.jp/kokusai/23459
[5] 「ネオナチ」(と呼ばれる人々)の問題については、本稿付録で紹介している清義明氏の包括的記事をお読みいただきたい。
[6] 「代理戦争」という様相を主張しているのは、ロシア側の人間だけではなく、特異な議論でもない。例えばNew Yorkerによる2022年3月1日の記事“Ukraine Is Now America’s War, Too”を参照。この記事では、オースティン米国防長官による「我々は、ウクライナ侵攻のようなことができないほど、ロシアが弱められるのを見たい」という4月24日の発言も記録されている。
https://www.newyorker.com/news/daily-comment/ukraine-is-now-americas-war-too
2022年3月26日のバイデン大統領による、「この男は権力の座にとどまることはできない」というプーチン大統領に関する発言も、併せて想起しておかねばならないだろう。
“Biden says Putin ‘cannot remain in power’”
https://edition.cnn.com/2022/03/26/politics/biden-warsaw-saturday/index.html
[7] 2015年6月15日に行われた記者会見での、法学者の小林節氏による表現である。https://www.jnpc.or.jp/archive/conferences/31174/report/
[8] 二大勢力圏の狭間に存在する「緩衝地帯」として、ウクライナと日本を比較する以下の『長周新聞』記事を参照。「ウクライナとそっくりな日本列島」(2022年3月3日)。
https://www.chosyu-journal.jp/column/22881
『リヴィーリング・ウクライナ』の数少ない評論である田中良紹「ネオコンの手によって日本が『戦争をする国』に仕立て上げられることはないのか」(ヤフーニュース個人、2022年4月30日)も同じ趣旨であろう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakayoshitsugu/20220430-00293955
本稿付録で紹介している遠藤誉氏の5月12日配信の記事も参照。
[9] 以下のBBCインタビューの記録が有益である。BBC BREAKFAST WITH FROST
INTERVIEW:VLADIMIR PUTIN(2000年3月5日)
※本稿は、2022年5月31日に脱稿した。ウェブサイトの最終閲覧日は5月25日である。
本稿の原稿に対して有意義なコメントをお寄せいただいた鬼頭孝佳さん、高橋徹志さん、秦融さん、藤井基貴さん、松浦章子さん、森一郎さんに感謝します。『ウクライナ~』や『リヴィーリング~』等の映像にボランティアで日本語字幕を付けて理解を助けてくれた皆さん、両作品の書き起こしをご提供していただき本稿に両作品の詳細な要約をつけることをご許可いただきました著作権者Global 3 Pictures Inc.とイゴール・ロパトノク監督に謝意を表明致します。
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本稿はオリヴァー・ストーン氏のウクライナ作品を中心に据えた評論であり、『人文×社会』第6号、2022年6月号、49-86頁からの転載です。ウクライナでの戦争にも触れていますが、当然ながら戦争勃発当初の情報に基づいています。この戦争についての私のより新しい見解は、近刊の拙著『ウクライナ・コロナワクチン報道にみるメディア危機』(本の泉社)をご覧ください。ご感想やご質問は以下のメールアドレスにお送りください。elpis_eleutheria@yahoo.co.jp
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しまざき・ふみたか 1984年生まれ。MLA+研究所研究員。東京大学文学部卒、同大学院人文社会系研究科修士課程(哲学専門分野)修了。著書に『ウクライナ・ コロナワクチン報道にみるメディア危機』(本の泉社、2023年6月)。記事内容は全て私個人の見解。主な論文に「思想としてのコロナワクチン危機―医産複合体論、ハイデガーの技術論、アーレントの全体主義論を手掛かりに」(名古屋哲学研究会編『哲学と現代』第39号、2024年)。論文は以下で読めます。 https://researchmap.jp/fshimazaki 記事へのご意見、ご感想は、以下までお寄せください。 elpis_eleutheria@yahoo.co.jp