「マイナンバー法改正法案」 政府による内なる管理と外なる監視
政治マイナンバーカードを利用した国民の管理
岸田政権は、今年の通常国会に「マイナンバー法改正法案」を提出した。法案に書かれている提案理由は「国民の利便性の向上及び行政運営の効率化を図るため、個人番号等の利用の促進を図る行政事務の範囲を拡大」を目指すこととされる。
しかし、それを具体的に説明した「法案の概要」によると、その理由は「今般の新型コロナウイルス感染症対策の経験により、社会における抜本的なデジタル化の必要性が顕在化。デジタル社会の基盤であるマイナンバー、マイナンバーカードについて国民の利便性向上等の観点から、行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律(マイナンバー法)等の一部改正を行う」ことだという。
これを単純に言えば、マイナンバーカードの利用範囲を拡大し、「国民の利便性の向上及び行政運営の効率化」を図ろうとするものであり、次のようなことをもくろんでいる。
1 マイナンバーの利用範囲の拡大としては、従来、「社会保障制度、税制及び災害対策に関する分野」に限定されていたものを、「社会保障制度、税制、災害対策その他の行政分野」にまで広げる。具体的には、理容師・美容師、小型船舶操縦士及び建築士等の国家資格の手続きや自動車に関わる登録、外国人の在留資格に係る許可等の行政手続きなどにマイナンバーが使えるようになる。たとえば、美容師や建築士が資格を更新するときは、これまでは自治体などで住民票の写しなどが必要であったが、マイナンバーカードを利用した「書類のいらないオンライン申請」が可能になるという。
しかし問題は、利用範囲の拡大が次々と図られることである。基本理念を定めている3条2項に「その他の行政事務」を加えることで、具体的な利用範囲を定める9条を受けた別表に新たな行政事務を加えれば足りることになる。「概要」では「具体的な利用範囲の追加は、従来通り法律改正で追加」としているが、これ自体、別表改正で済まそうとするもので、姑息な手段と言わざるを得ない。
2 準法定事務処理規定の導入により、行政機関の判断で利用範囲が拡大される。つまり、すでに法律でマイナンバーの利用が認められている事務に準ずる事務(準法定事務)を新設し、それについてもマイナンバーの利用を可能にしようとしている。しかし、「準ずるものとは何か」についての規定はない。「事務の性質が同一であるものに限る」とはいえ、行政機関の恣意的判断で何でも「準法定事務」とされる危険性が存在する。
その利点として、「主務省令に規定することで情報連携を可能とする」とされている。情報連携が行なわれた記録は、マイナポータル上で照会が可能。さらには、新規で必要とされる機関間の情報連携のより速やかな開始が可能になるという。
これらは、本当に利点なのであろうか。国民目線から見た場合、個人情報の連携が可能になり、情報のマップ化の推進に一役買うことになる。マップ化が進めば、個人は国家の前で裸にされ、その人の特徴が一目でわかるようになってしまう。
3 マイナンバーカードと健康保険証を一体化し、保険証を廃止するという。すでに、マイナンバーカードの取得を事実上強制するものだとの批判が起きたことで、カードを取得しない人には、資格確認証を発行する例外を認めるとされている。
健康保険証ではその内容の相互連携は不可能だが、マイナンバーカードになれば、主務官庁である厚生労働省では、病歴や投与された薬剤等の情報を閲覧し、他の情報と組み合わせることが可能になってしまう。また、マイナンバーカードへの対応(切り替え)は多額の設備費用を必要とし、街の医院がそれに耐えうる能力があるのかも問われている。
年金などを受け取る金融機関の口座とマイナンバーを紐付ける「公金受取口座」という仕組みを導入するという。既存の給付受給者等(年金受給者を想定)に対して書留郵便等により一定事項を通知したうえで同意を得た場合、または一定期間内に回答がなく、同意したものとして取り扱われる場合には、内閣総理大臣は、当該口座を公金受取口座として登録が可能になる。
年金機構から年金受給者に、現在の受け取り口座に対して、「公金受取口座」に登録する同意を尋ねる書類を送り、回答しなくても、一定期間の経過後は同意と見なされてしまう。つまり、自分から「紐付けは嫌だ」と拒否しなければ、自動的に紐付けられることになるのだ。
政府としては、コロナ禍で給付金の支給に時間がかかったため、「紐付けると支給や受け取りが楽になる」とアピールしているが、ゴリ押しであることは間違いがない。
中国化する日本の国民管理制度
ところで、日本ではすでに、基礎年金番号・健康保険被保険者番号・パスポート番号・納税者の整理番号・運転免許証番号・住民票コード・雇用保険被保険者番号等で個人番号の利用が進められている。これらを統合するために作られたのがマイナンバー制度だが、実態としてはうまく機能していない。そこで政府は、国民皆保険のように、国民のすべてにマイナンバーカードを持たせ、情報を統一して管理したいのが本音である。
個人情報の中には、個人の所得や社会保障の受給歴等の秘匿性の高い情報が多数含まれる。対象者識別機能を有する個人番号を利用してこれらの情報の集約や突合を行ない、個人の分析をすることが可能となるであろう。
ところで、個人情報の国家管理が行なわれている中国では、1995年に「居民身分証条例」、翌1996年に「居民身分証条例実施細則」が定められ、国内に居住する満16歳以上の中国公民を対象として「居民身分証」が配布されるようになった。記載項目として氏名・性別・民族・生年月日・住所ならびに15けたの「居民身分証番号」があり、発行日・有効期限・番号・顔写真とともに担当部局である公安機関(本人の居住地の戸口登記機関)の印章を捺したうえで、1人に1枚交付された。
1999年10月に改正された「実施細則」では、「居民身分証」の番号は公民身分番号を使用することとし、「戸口登記機関は公民の出生登記を行なうとき、公民に公民身分番号を編成する」と定められ、「居民身分証番号」から「公民身分番号」へと変更された。2003年には居民身分証条例が改正され、「居民身分証法」が成立した。さらに、2011年の居民身分証法の改正により、指紋情報も登録されるようになったという。
中国式居民身分証は、本籍による管理と相まって、徹底的に人民を管理するシステムだと思われる。それは、個人情報の国家管理が徹底化された姿であろう。そこには、個人情報の国家からの自由という発想は見られない。
現在の日本に話を戻すと3月9日、最高裁第三小法廷は、マイナンバー制度を合憲と判断し、利用差し止めを求めた住民側の上告を棄却した。判決は、マイナンバーと紐づいた個人情報は、法律上、正当な行政目的の範囲内で利用されることとされているうえ、漏洩など悪用される具体的な危険も生じないような保護措置が講じられているため、憲法13条の保障する「個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由」を侵害するものではないとした。
行政の効率化の推進を理由としたデジタル化はひたすら進展の道を歩んでいる。それは、行政の側からの推進であり、国民の側からのものではない。このデジタル化は国民にどのようなメリットをもたらすものなのかについて、すべての国民が納得できる説明が必要である。
現在の政府の在り方を見ていると、行政の効率化を名目とした政策が次々に現れている。それは、効率化を理由とした個人情報の管理を目指したものにほかならない。
そこでは、次のように言わざるを得ない。「どこまで管理すれば済むのか」と。
監視カメラによる国民監視
1月23日付の朝日新聞は、「市民発街に防犯カメラ増。町内会や商店街、6年で1623台行政も補助。事件捜査に不可欠慎重に映像管理」という見出しの、次の記事を掲載した。
〈神奈川県内で、防犯カメラの設置が「市民発」の動きで広がってきている。行政の補助もあり、住宅街でも設置台数が増えているという。
犯罪を未然防止するための防犯カメラだが、事件が起こってしまった後にも欠かせない存在になっている。県警捜査1課は昨年5月、横浜市の20代女性宅に侵入し、現金などを奪って性的暴行を加えたとして、横浜市南区の男(59)を住居侵入、強盗・強制性交等の容疑で逮捕した。「事件後の時間帯に被害女性の目撃証言に似た男が、現場付近から立ち去る姿が防犯カメラ映像で確認された」と捜査関係者は明かす。県警はこの男を重要参考人とみて捜査。防犯カメラの映像解析を担う同課の初動捜査係は、男を映す約50台分の映像を「リレー方式」でたどって住所を特定した。その後、この男の容疑を固める捜査を継続し、逮捕に至ったという。
県警幹部によると、ここ10年ほどで設置台数が増え、事件捜査に防犯カメラ映像が大きな役割を占めるようになったという。幹部は「防犯意識の高い街づくりを後押しした行政のおかげで、この男を逮捕できたとも言える」と話す。
県などは2016年、防犯意識の高まりを背景に、カメラ設置への補助事業を開始した。22年度は1台当たり県の補助4万円が出るが、横浜市はこれに加え、12万円を補助している。県警が県内に216台を設置している一方で、町内会や商店街などはこの補助を利用し、6年間で1623台を設置した。(以下略)〉
ここには、防犯カメラの設置により犯人検挙に繋がった喜びが表れているが、犯罪が未然に防止されなかったことについては一言もない。「防犯カメラ」の映像が犯人検挙の一助になることは、喜ばしきことではなく、悲しむべきことである。カメラを設置した町内会は、「防犯カメラ」を設置しているにもかかわらず、「犯罪の発生を防ぐことができなかった」事実をどのように見ているのであろうか。また、カメラの設置を推奨している神奈川県警は、この事実をどう評価しているのであろうか。
昨年11月にキャンパス内で起きた宮台真司・東京都立大学教授襲撃事件では、多くの「防犯カメラ」の映像を積み重ねることにより、実行行為者の行動が把握され、犯人特定へと繋がったといわれている。ここでも防犯カメラは、犯罪を防ぐことはできずに、その威力を発揮している。まことに皮肉というほかはない。
このカメラの本質は、人間の行動を監視するためのものである。犯罪を抑止し、犯人を特定するためのものではない。それは、付随的効果でしかない。つまり、これは、「監視カメラ」と名づけられるべきである。
ところが、カメラの設置を推進する警察当局は、「防犯カメラ」との名称を用い、「監視カメラ」とは言わない。カメラの持つ本質を隠してでも、国民受けする言葉を選択し、その設置を推進しようとする意図が見えてくる。
横浜市では、個人情報保護に配慮した防犯カメラの設置・運用に関するルールについて、弁護士や学識経験者等の外部委員で2006年5月にガイドラインを制定した。これは、不特定多数の人が利用する施設や場所において、「犯罪予防を目的として設置・運用される防犯カメラ」について、個人情報保護法に則った運用となるよう事業者等が配慮すべき基本的事項をまとめたものである。
そこでの防犯カメラの定義は、「不特定多数の者が利用する施設や場所において、犯罪の予防を目的(犯罪の予防を副次的目的とする場合も含む。)として、特定の場所に常設し、画像記録装置を有するカメラをいう」。この定義の中に、日本の現実が表れている。
言葉は、真実を表すものである。「防犯カメラ」と「監視カメラ」は同一であっても、その言葉から受ける意味は全く異なる。本質を隠し、国民受けする言葉を用いることにより、その普及を図ろうとするやり方は、まったく姑息としか言いようがない。
通信傍受法しかりである。なぜ、本質を表す「盗聴法」としないのか。これらの2つの言葉の中には、国が国民の行動を監視し、国民の電話を盗聴するという監視機能が含まれている。その監視機能を隠すために、「防犯」と言い、通信傍受と言っているのだ。
内なる管理と外なる監視
近代市民社会は、ルネサンスから力を得て、個が確立され、政府からの自立が目指された。「民ハ依ラシムベクシテ、知ラシムベカラズ」からの脱却である。
その精神の中から民主主義社会が誕生し、代議制民主主義が確立された。そこでは、本来は国の主人公である主権者が国の在り方を決めるべきところを、主権者に代わり、主権者による選挙で選出された議員で構成された議会での審議で国の在り方を決することになった。
国は、国民から統治を依頼されているにすぎない。国民を離れた統治は存在せず、国民の意思を無視した場合には、国民は、本来有する抵抗権を発動することになる。
ところが、日本という国の現実を見た場合、国を動かす政策を立案しているのは、議員ではなく行政スタッフや官僚である。政府は彼らの作成した政策を利用し、国を動かしているにすぎない。
すなわち、官僚が国民を統制するために様々な方針を決め、政府を利用して議案化している。そこでは、本来主権者であるべき国民の意思は無視され、その意思とは乖離したものが作成されている。立案の基準は行政当局であり、主権者たる国民の利益ではない。つまり、行政当局に都合がよいものが立案されているのである。
行政当局が推進する政策に異を唱える者は監視・管理の対象とすることにやぶさかではないはずである。なぜならば、彼らの判断基準は、円滑な統治の推進であり、総体としての国民の利益の推進ではないからである。
このような行政国家においては、国に含まれている国民は管理され、行動する国民は監視され続ける。これは国民主権の国家ではない。主権者の手に国家を取り戻すためには、第2のルネサンスが必要であり、国からの自由を獲得する戦いが行なわれなくてはならない。
わが手に自由を!
わが心に自由を!
(月刊「紙の爆弾」2023年5月号より)
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「ブッ飛ばせ!共謀罪」百人委員会代表。救援連絡センター代表。法学者。関東学院大学名誉教授。専攻は近代刑法成立史。