第25回 弁護団の秘策
メディア批評&事件検証一審とは違って控訴審は、日本大学医学部法医学教室の押田茂實教授らDNA型鑑定の専門家から実習を受けた弁護団が警察庁の科学警察研究所(科警研)によるDNA型鑑定の重大な問題の数々を実際に鑑定した技官たちの証言を通して明らかにした。手ごたえを感じた弁護団は、無罪判決を疑わなかった。ところが、東京高裁(高木俊夫裁判長、岡村稔裁判官、長谷川憲一裁判官)は、科警研のDNA型鑑定の結論には疑問を持つこともなく、一審判決をほぼそのまま追認し、控訴棄却を言い渡した。弁護団にとっては予想もしていなかった事態。即日、菅家利和さんと弁護団は最高裁に上告した。
一審の弁護団と違って、おめおめと引き下がる弁護団ではない。秘策を練って立ち向かおうと意欲満々だから裁判にいどむ姿勢が全然違う。佐藤博史主任弁護人は、控訴審の法廷で菅家さん自らが「科警研のDNA型鑑定は間違っている。もう一度やり直して下さい」と自ら声を上げたことを見逃さなかった。
一審では、1992年に弁護側申請の福島章上智大学文学部教授の精神鑑定で、菅家さんは成人女性の代わりに子どもを性的対象にする「代償性小児性愛者」だと診断された。初めて菅家さんと面会した佐藤弁護士は、女児に全然興味を持っていないことを確信したという。そのときから足利事件の裁判は、何かしら菅家さんを見る視線が一方的に「犯人」と見られているように思えてならなかった。
菅家さんは、殺人を体験していないので、DNA型鑑定で何かの間違いがあったのだろうと思い、声にしたのだ。しかし、裁判官たちには、その思いが届かなかった。届かなかったというよりは、届くはずがない。一審で最初から罪を認め、途中から否定したということが裁判官の心証を悪くしたのは仕方がない。とはいえ、この裁判官たちは、DNA型鑑定について勉強を何もしていないことが情けない。なぜならば、法廷に立った科警研の技官が鑑定結果に影響する重大なことを証言していることも気づかなかった。それほど重大なことが法廷で証言されたのだ。気づいていたら再鑑定はするはずだ。もし、裁判官たちがそれに気づいて再鑑定をしていれば、私がこれから描く事実を考えると控訴審で冤罪が晴れたはずだ。それほど重要な犯人かどうか見極める唯一の手段を裁判官たちが葬ってしまったのだ。
前回私が『裁判官不在』と指摘したのは、ズバリこのことだ。裁判で初めて証拠として出てくるDNA型鑑定について何も学ばずに裁判に臨む、法廷で審議する資格がない裁判官たちが、どうして真実を見極める再鑑定をしようなどと考えるだろうか。懲りもせずに二度も冤罪を作った裁判長に叙勲をあたえ、讃えるのだからこの国の司法が本当に腐っていることを象徴している。
浅見理都作の漫画と映画化された「イチケイのカラス」のモデルになったあの裁判官は、たぶん私と同じことを考えているのだろうか。既に退官されたが、裁判官人生で30もの無罪判決を出して証拠に厳しい裁判官として検察に恐れられた人だ。こんな人が裁判官の中にいたんだ。いや、いるんだということを忘れてはいけない。
長崎県五島出身の私は、小学6年生の時に同県佐世保市で暮らし、社会科の授業で法律を定める「立法権」、法律に沿って政策を実行する「行政権」、法律違反を罰したりする「司法権」に分けて、三つの権力が互いに抑制し、均衡を保つことによって権力の濫用を防ぎ国民の権利と自由を保障する「三権分立」を学んだ。
国の権力が一つの機関に集中すると濫用されるおそれがあるためだ。でも現実は違った。特に安倍晋三内閣になってからこれが破壊され、内閣主導で裁判官人事が行われ、中立な裁判が「忖度裁判」になってしまうなど目に余る様相だ。戦後、日本は憲法のもと、戦争は絶対しないと誓ったはずだが、異常なほどの軍事予算。もうすでに「敵基地攻撃」なるものができるようになったと人々が口にするようになった。恐ろしい現実だ。おかしいよ、そんなの!!
話を戻そう。佐藤弁護士が動いた。行き先は、日大の押田教授のもとにだった。佐藤弁護士は、ちょうど2年前の94年9月6日に押田教授らの分かりやすくコンパクトな1日だけのDNA型鑑定実習に参加した、日本弁護士連合会(日弁連)に所属する有志の弁護士たちの一人だった。
佐藤弁護士は「菅家氏のDNA型を新しい鑑定法でチェックできないか」と相談した。押田教授は「もう、判決が控訴審まで来ているし、判決の中で、DNA型についても公表されているので、今さら検査をしても無駄だし、やる必要はあるんですか?」と渋った。
控訴審で鑑定を行った技官らから鑑定に使ったMCT118法(今ではD1S80型)は、旧マーカーの123ラダーでは基準である塩基組成が異なっているのに、それによる誤差が生じることに気づかずに検査を行ったことなどを証言として引き出しただけに、佐藤弁護士は一歩も引かない姿勢を見せた。しかたなく押田教授が折れて、もともとの科警研の鑑定書を見せてほしいと言い出した。
それに目を通すと、いくつかの大きな問題があることに押田教授は気づいた。だから科警研が鑑定した内容を詳細に検討した。同大に留学していた中国医科大学卒の鉄堅講師が一緒に手伝ってくれたのも大きい。
まず、当時から問題が指摘されていたサイズマーカーという、長さを測る物差しに問題があった。MCT118型というのは、16塩基の繰り返しが何回あるかという測定をしているもので、例えば、16cmの繰り返しが何回あるかと問われたときに、正しく判定するには、物差しに最低16cmの目盛りがついていなければできないわけで、できれば、半分の8cm目盛りの物差しがなければ正確に判定できないことは一目瞭然だ。
しかし、当時一般的に使われていたサイズマーカーの123ラダーマーカーは、なんと123cmの目盛りの物差しだったのである。その後に開発されたアレリックラダーマーカーは
16cm間隔の目盛りで、このアレリックラダーマーカーによって、菅家さんのDNA型を検査してみる価値はあるということになった。そして菅家さん逮捕に動いたそもそもの科警研が松田真実ちゃんの半袖下着をMCT118法で検査した犯人とされる結果は、当時で言う16-26型。その後科警研は、16を18、26は30という型だというふうに論文で訂正し18-30型になったとしている。
ただ押田教授が行う鑑定には問題があった。菅家さんは控訴審で無期懲役の判決を受けて拘置所に収監されている。直接本人の身体から試料採取できないから、菅家さんの血液を採取することができないのだ。
そこで、いろいろ考えた末に菅家さんの毛髪を自分で引き抜いてもらい、それをビニール袋に入れてもらう。さらに毛髪が入ったビニール袋を封筒に入れてもらって送ってもらう。注意してもらうのは、封筒に入れるのはビニールに入れた毛髪だけで、手紙など文字で書いたものは一切なにも入れないこと。手紙など文字を書いたものなどを入れると全てチェックされてしまう。だから「先生お願いします」など余計なことは一切書いたものを封筒に入れないことを注意してほしいとアドバイスした。
菅家さんには、佐藤弁護士が面会した時に説明して手筈が整った。実は菅家さんには、2回髪の毛を引き抜いて封書で送ってもらった。というのも押田教授によると、初回は弁護士事務所に届いた封書を事情が分からない事務員がはさみで切って封書を開けてしまったのだ。検査をする押田教授に封筒を渡し、そこで封書を開けずに封書が開いていないことを証明する写真を撮っておかなければ裁判には使えないからだ。封書を切ったのだと、誰かが偽造したと言われかねない。慎重に遂行したのだ。
そして97年1月に2度目の封書が弁護士事務所に届いた。実際に封筒の中に収められていたのは、ビニール袋入りの毛髪で、合計44本あった。頭から引き抜くことが大変だったことを想像させる本数で、それだけ菅家さんがこの鑑定にかけていることが一目でわかった。
毛髪の内訳は、黒い毛髪が31本、白い毛髪が13本。44本の毛髪のうち、毛の根元の方、毛根部のはっきりしている毛髪を仮にA・B・C・D・E・Fと名付けた。まず毛髪Aについて、従来から押田教授らが施行しているMCT118型の型判定ができるか、否かについて予備試験的に検査をすると、良好な結果が得られたので、正式な鑑定に入った。
次に毛髪BについてDNA型鑑定を行ったところ、犯人とされている18-30型ではない18-29型という結果が出た。まさかと思ったが、この結果を見た時には非常に驚いたという。予想としては、科警研のDNA型の当時の最新の検査をして、その結果に基づいて控訴審の東京高裁でも無期懲役という判決が出ているので、今回の検査は間違いではないか? 現実には18-29という、一つ型が違えば他人であるというこのDNA型の特徴に照らし合わせると、これは大変なことになったと思ったという。
そこで、この1本だけでは正確性に欠けるということで、その次にC・D・Eと3本について同時に検査を行った結果、この3本とも同じように18-29型という型判定がなされた。こうなると、一つは真犯人ではない人を逮捕してしまっているのか? それとも、科警研のDNA型鑑定が間違っていて、実は真犯人なのか? いずれにしても重大な結果であるということで、この結論のところをしっかりと記載して、「検査報告書」に署名して最高裁に提出した。
残りの毛髪は、疑いが生じた場合に第三者が検証する必要があるため、手を加えないことにし、日大医学部法医学教室にマイナス80度Cで保存した。
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独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。