【連載】鑑定漂流ーDNA型鑑定独占は冤罪の罠ー(梶山天)

第28回 気になる未公開の赤いスカート

梶山天

足利事件の連載を始めてから最近になって、ふと思い出したことがある。この写真をご覧になってもらいたい。写真は、1990年5月12日土曜日の夕方、父親と一緒に渡良瀬川を挟んで栃木と群馬の県境にある栃木県足利市のパチンコ店「ロッキー」に行って行方不明になり、翌日遺体で見つかった松田真実ちゃん(4)が当日に身に着けていたスカートと靴下だ。

特にこのスカートは、真実ちゃんが失踪して2日後の午前中に遺体発見現場から南へ約40㍍の渡良瀬川下流の浅瀬で見つかった。褐色のネコヤナギの枝先に赤いフード状の物が引っ掛かり、ゆらゆらと水面を揺れていたのだ。そのスカートには、真実ちゃんの白色肌着と左足用のサンダル、パンツがくるまれていた。

資料(1)のスカート

資料(1)のスカート

 

松田真実ちゃんの靴下

松田真実ちゃんの靴下

 

いずれも赤色に統一されているのだが、特にスカートの赤の鮮やかさがひときわ目立って、見る人の印象に残りやすい色なのだ。真実ちゃんら家族3人は、1カ月ほど前に北陸から京都を経由して引っ越してきたばかりで、パチンコ店で迷子にならないように、と母親が目立つ赤色の服装にしたのかもしれないと想像してしまう。どうして栃木県警は、特徴のある赤色のスカートを初動捜査の段階で公開しなかったのだろうか。

というのも、私がこの真実ちゃんのスカートの写真を見た際、思わず「アアッ」と驚きの声が漏れるほど興奮した。私がISF独立言論フォーラムホームページで執筆を続けているこの連載「鑑定漂流」第2回で紹介しているが、遺体が見つかった近くの渡良瀬運動公園で赤いスカートをはいた女児を連れて歩いている男を目撃している人が少なくとも2人はいるからだ。

この2人は、それぞれ栃木県警から目撃の事情聴取を受けており、調書が作成されている。そのうちの主婦の一ノ瀬薫さん(仮名・当時33)は、絵を描くのが達者で、警察の事情聴取を受けた時に男と女児が歩く様子を描き、そのスケッチが調書に添付されていた。その聴取の際に女児が赤いスカートをはいていたと話しているのだ。

一ノ瀬薫さんが描いた男の後から女児がついていく様子を描いたスケッチ。

一ノ瀬薫さんが描いた男の後から女児がついていく様子を描いたスケッチ。

 

このスケッチを見つめてみると、一目瞭然分かるのは、女児の表情だ。子ども特有の見ず知らずの人に対しての警戒感が見られず、自然体である。ということは、どうもその男は顔見知りのようだ。真実ちゃんがこのパチンコに来たのは失踪当日を含め5回目という。これは単なる私の想像なのだが、もしかしたら、パチンコ店で大人から声をかけられ、知り合っていたのかもしれない。

前日にも真実ちゃんは父親とここに訪れ、同じ年頃の男の子2人と遊んでいる。その男の子たちと遊ぶ約束をしたからこそ、真実ちゃんがパチンコ店に連れていってと父親にせがんだらしい。

一ノ瀬さんは、真実ちゃんが行方不明になった夕方、4歳と2歳の幼い子ども2人を連れて田中橋下にある渡良瀬運動公園で遊んでいた最中に、4歳ぐらいの女児を連れた男と遭遇したと警察に話している。

その供述調書には、男と女児の人相などや様子が細かく記されていた。その女児が赤いスカートをはいていることなどからまず真実ちゃんとみていいと思われる。その調書はこうだ。

目撃女性の調書1

目撃女性の調書1

 

目撃女性の調書2

目撃女性の調書2

 

「男については年齢三五~四五歳位。身長一六五センチ位。体格はガッチリタイプ。髪は長髪で黒色。白っぽい上着を着た男で、子供については、四歳位、身長は一〇〇センチ位、体格中肉、赤っぽいスカートで上衣はスカートに比べて明るいものを着た女の子だったのです。私が子連れを見た時間は平成二年五月一二日午後六時四〇分ころか五〇分ころだったと思います。なぜその時間ころかと言いますと、私が子連れの男を目撃した時は、家に帰ろうとした時であり、私はそれから車に戻り、足利市西宮の魚亀で買い物をしたのですが、その時、時計を見たところ午後七時〇五分であったのです。

渡良瀬運動公園から足利市西宮の魚亀までは一〇分か二〇分位かかり、魚亀で五分位買い物をした時に自分の腕時計を見た訳でそれを逆算すると先程お話しした時間ころに子連れの男を目撃しているのです。

この時本職は供述人が本職の面前で任意に作成し、差し出した図面一枚を受領し、本書末尾に添付することとした。只今警察の方に差し出した図面の中に×と書いてある所が子連れ男がいた所で→の方つまり今回の事件で被害者の松田真実ちゃんが発見された方に歩いて行ったんです。私と書いてある所が私が子連れの男を目撃した位置で私の位置から子連れ男までは六〇~七〇㍍あったと思います。
(中略)子連れの男は、真直ぐ前を見て堂々とした歩き方で足早に歩き、その後方に女の子がちょろちょろと追いかける様な格好で歩いていたのです。」

一ノ瀬さんは、女児を連れた男を60~70㍍離れて見ている。当初、足利事件捜査に携わった栃木県警の捜査員の数人が菅家さんではなく、真実ちゃんが失踪したパチンコ店「ロッキ―」に週に2回ほど通う男を秘かにマークしていたのだ。一度任意で事情聴取をしている。捜査本部は、一ノ瀬さんにその男の写真を見せていないのか、と気になる。写真を見せていれば、なんとなく一ノ瀬さんはわかり、「この人です!」といったかもしれない。

実は、今でも足利事件の捜査について悔やんでいるデカたちがいる。捜査本部は、当初犯人ではないか、と目をつけていたのは、菅家利和さんではなかったのだ。

一ノ瀬さんの描いたスケッチを見て私が直感した通り、パチンコ店の前で真実ちゃんに話しかけていた男がいたのだ。真実ちゃんは、そのパチンコ店に5回訪れているが、そのうち2回も真実ちゃんに話しかけていた。しかも真実ちゃんが失踪当日もなのだ。パチンコ店前で同店の従業員の女性にも目撃されていた。それに刑事たちが気づかないはずがない。

この男は、当時30歳の群馬県太田市在住の会社員。足利事件発生から13日後の同年5月25日に群馬県警大泉署に窃盗容疑で逮捕され、栃木県警は捜査員3人を急遽、7月下旬に大泉署に派遣して調べた。真実ちゃん殺害の自供は得られなかったが、真実ちゃんが行方不明になった当日、パチンコ店南側出入り口付近でこの男は真実ちゃんに話しかけたことは認めたが、話が終わるとすぐにパチンコをしに店内に入ったという。その時、真実ちゃんはその場から離れたという。

狙った獲物は逃さない。逮捕しか頭になく、人権無視も甚だしい栃木県警の刑事たちが諦めるはずがないことは、菅家さん逮捕のこれまでの経緯からすれば読者の皆様はお分かりになると思う。

ところが栃木県警は、翌年の91年6月に菅家さんがゴミとして捨てたティッシュぺーパーを尾行していた警察官が押収。

菅家さんがゴミとして捨てたティッシュペーパーには精液が付着し、科警研によってDNA型鑑定が行われた。

菅家さんがゴミとして捨てたティッシュペーパーには精液が付着し、科警研によってDNA型鑑定が行われた。

 

そのティッシュペーパーと真実ちゃんの肌着とのDNA型鑑定が一致したとして突如、同年12月1日に菅家さんに任意同行を求めた。足利署で取り調べを行い、翌日未明に菅家さんが犯行を自供したとして逮捕した。

いきなり警察庁から被害者の半袖肌着と菅家さんのDNA型が一致と有無を言わせない指令が下される。泣く泣くそれに従うしかなかった刑事もいたのだ。振り上げたこぶしを体を震わせながらしまう刑事が少なくとも一人はいたということだ。

この男はその後、ごく一部のジャーナリストから「ルパン」という名で呼ばれ、今でもそのジャーナリストの心の中に残って揺れている。

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梶山天 梶山天

独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。

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