第27回 カメのように遅く、棄却された再審請求審に菅家さんの実兄も動いた
メディア批評&事件検証一審から上告審まで有罪判決だった足利事件の裁判。弁護団は、上告審で拘置所にいた菅家利和さんから自分の髪の毛を引き抜いて郵送してもらい、日本大学医学部法医学教室の押田茂實教授が鑑定すると、科学警察研究所(科警研)が犯人の型として公にしている型とは違っていた。真相を解明する再鑑定をしてもらうためにも検査報告書を上告審に提出していた。しかし、最高裁は裁判自体を棄却した。
こうなると、頼るのはもう、再審しかない。弁護団は02年12月25日に宇都宮地裁(池本壽美子裁判長)に再審請求を行った。再審は新しい証拠が必要だ。幸いにも最高裁が棄却した中で押田教授が鑑定した菅家さんの髪の毛については何も触れられていなかった。再度使えるとしてDNA型再鑑定を要求した。
どうしたことか、すがる思いで宇都宮地裁に託したのに、まるで亀の競走のように時間だけ食って何の音沙汰もない。結果が出たのも08年2月13日だった。しかも再審請求棄却と言うからたまらない。延々と5年もの歳月を費やしたのだ。その間の05年には、足利事件が時効が成立してしまった。
「カメの裁判」と呼ぼう。これは本当に大きい。裁判所が大切な時間を無駄にしたのである。そして菅家さんの個人的にとすれば、07年4月に最愛の母アキさんを亡くしたことだ。無実を信じてわが子の帰還を待っていた母の無念を考えるISF独立言論フォーラム副編集長の梶山天(たかし)はとても再審請求審の「カメの裁判官」たちを許せない。悪しき歴史を末代まで記録するためにも実名報道にする。
その再審棄却の理由だが、同地裁は「検査対象資料の来歴に関する裏付けのない押田報告書にあっては、その証拠価値が乏しい。押田報告書の証明力は乏しく、本件DNA型鑑定書の証拠力を何ら減殺させるものではない」と判断していた。つまり毛髪が誰のものか、明らかになっていないと指摘しているのである。
人気漫画「イチケイのカラス」のモデルになった木谷明元裁判官は再審請求審をどう見ているか、興味を注いだ。裁判官人生のなかで驚くなかれ、30もの無罪判決を出した証拠に厳しいと人だ。検察が起訴すると日本の裁判の場合、99.9%は有罪というから、驚くべき冤罪を防いでいる。
「再審請求審(宇都宮地裁)は、弁護団提出の新証拠である押田意見書を、『鑑定の対象とされた頭髪が、菅家さんに由来することの疎明が不十分である』という驚くべき理由により明白性を否定した。これは、平たく言えば(菅家さんでない)他人の頭髪を菅家さんの者であると偽って押田教授にむ鑑定させた疑いがあると、という非常識な理由である。
もし裁判所がそのような疑問を抱いたのであれば、菅家さんから再度頭髪を提出させて再鑑定すればすむことである。有罪認定の最大かつ決定的な根拠とされるDNA型鑑定にとんでもない疑問が提起されているのに、これに正面から取り組まなかった裁判所の態度はどう考えても理解できない。」
まるで映画のラストシーンを見ているような痛快な言葉である。
以外だったのが、この宇都宮地裁の悪しき、まぬけな判断にテレビや地元紙がかみついた。「拝啓、裁判長異議あり」と題してテレビ朝日のスーパーモーニングが棄却から6日後の19日(火曜日)に突如、特集を行った。再審請求裁判の中で、もしそのDNA型が違うということであれば、なぜ証人尋問をしないのですか?あるいは第三者の検証をしないのか?ということになってきたのだ。弁護団は再審棄却から5日後に東京高裁へ即時抗告した。その直後から徐々に再鑑定が必要という世論の声が列島中に高まり、弁護団を後押ししていった。
実際に「証拠価値が乏しい」と指摘されたので、あらためて弁護士立ち合いのもとに、同年6月の段階で髪の毛がビニール袋に入った封書が日大医学部法医教室でどのように保存されているのか、それから丁寧にマイナス80度Cで保存されているのかを実際に確認した。
その後で、この棄却された理由について反論しなければいけないだろうと言うことになり、6月6日に弁護団から押田教授に菅家さんより5歳年上の兄である秀典さんの血液と毛髪を採取してDNA型鑑定で菅家さんの毛髪と比較してしてほしいと依頼かあった。
鑑定した血液と髪の毛が菅家さん由来の検体であることを示すためだ。やれることはなんでもやるという弁護団の前向きな姿勢に押田教授は、大きな心でこたえた。
それから再審請求審に出された毛髪が菅家さん本人のものなのか、証明する鑑定に入った。鑑定試料は①秀典さんの血液及び毛髪。②菅家さんのものとして同大法医学教室内に保管されている毛髪G。
毛髪Gから抽出したDNAから得られたPCR産物(ID08-1-G)と、兄の秀典さんの血液から抽出したDNAより得られたPCR産物(ID08-1-Br)について行った常染色体STR多型15種のうち、同型だったのは7種(上の写真の赤まる部分)だ。他の8種は異なっており、異なる人物に由来する資料であるが、男女の区別を見るアメロゲニン(Amelogenin)座位はいずれもX、Yが検出されており、男性由来の資料であることが判明した。
次に異なる人物に由来するものと判断された場合、各資料のY染色体DNAを対象にDNA鑑定を行い、各資料の日採取者は父親を同じくするか、だ。
毛髪Gから抽出したDNAから得られたPCR産物(Y08-1-G)と、秀典さんの血液から抽出したDNAより得られた(Y08-1-Br)について行ったY染色体STR多型16種に関しては、全て同型だった。つまり、父親由来のY染色体STR多型16種類で位置していたので矛盾はなく菅家さん本人であることが証明されたのである。
同年12月2日、無罪を訴えている菅家さんの再審請求の即時抗告審で、弁護団は東京高裁にDNA再鑑定を求める補充書を提出した。この補充書は、宇都宮地裁が同年2月に「毛髪が菅家受刑者のものと言う証明がない。無証拠価値は乏しい」として再審請求を棄却した。これに対して弁護団は、補充書で菅家さんの兄である秀典さんのDNA型を独自に鑑定して比較し、毛髪は父親が同じで兄弟である「菅家さんのものと法医学的に推定てきる」とした。さらに真犯人とされる科警研が鑑定した型と菅家さんの型が一致しないとことから再鑑定は絶対必要だと主張した。
このことが、いずれ国内で初めて裁判所が検察側と弁護団に指定した「世紀の再鑑定」につながることになるのだろうが、菅家さんのために体を張った兄の秀典さんは昨年2月に亡くなった。秀典さんが再審で弟が無罪の判決を見ただけでもせめてもの慰めになった。その日を御両親が待ちわびていたのか。そう思うとたまらない。
往生際が悪いのが、警察、検察。特に科警研の連中は、自分たちの間違いで冤罪にしたことを明らかにし、自ら裁判所に犯人とは違うことを訴えることこそが人としてのも道である。
冤罪が晴れてから何度も菅家さんと会った。彼が強調したのは、「科警研のいいい加減なDNA鑑定という訳の分からない『証拠』以外には、何の証拠もありません。それがなぜ刑務所に入れられないといけなかったのか、いまだに不思議でしょうがありません。
一つだけ、はっきりと思い知らされたことがあります。日本の警察、検察は、もちろんのこと、最高裁にも「推定無罪」という原則はなかったということです。弱い者の見方ではないのはもちろんのこと、よく分からない証拠まで認めて無実の人を無理やり有罪にしてしまうのだから、最高裁でも「推定有罪」の原則がまかり通っている。それが日本の司法の実態です」。
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独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。