第29回 真実ちゃんに2回話しかけていた男
メディア批評&事件検証足利事件の被害者である松田真実ちゃん(当時4歳)にパチンコ店「ロッキー」で2回も話しかけている男がやはりいた。
私の手元にその男を聴取した調書がある。驚いたことに菅家さんが91年12月2日未明に逮捕されているのに、その15日後の12月17日に足利署に呼び出されて調書が作成されていた。さらに驚いたことには、調べをしたのが警察ではなかったことだ。宇都宮地検の高橋章副検事と荒井紀幸検察事務官の名前と捺印が調書の末尾にあった。
この男は、群馬県太田市に住む会社員で、事情聴取当時は30歳だった。その後この男は極一部の報道によって「ルパン」と呼ばれるようになる。歳月が流れるのが早く、彼は今はもうかれこれ62歳になっているだろう。
検察にとられた調書の一部を紹介する。
「私は事件の二、三日後、新聞かテレビで真実ちゃんの顔を見て真実ちゃんは行方不明になる前の五月十二日に夕方、ロッキーパチンコ店の南側出入口付近で私が見かけ、声を掛けた女の子であることが判ったのです。私は昭和六二年三月ころから平成二年五月二五日に窃盗事件で捕まるまで、いわゆる『パチプロ』のような生活をしておりました。平成二年八月一四日に執行猶予の判決を受けて釈放されてからは太田市内でまじめに仕事をしております。
私がパチンコロッキーで松田真実ちゃんという女の子を二回見かけております。二回目が真実ちゃんが行方不明になった平成二年五月十二日ですが、一回目は、それより二、三週刊前のことでした。
友達のY君とロッキーパチンコ店に遊びに行ったときのことで、午後九時ころロッキーパチンコ店の北側出入り口から出たとき、その出入口の西側のところで、雨に濡れた頭をして立っておりました。
真実ちゃんは、一見活発そうな女の子で、おかっぱ頭をし、私が「風邪ひいちゃうぞ」などと話しかけたとき、はきはきと受け答えしておりました。
二回目に私が真実ちゃんを見かけた平成二年五月一二日のことについて話します。
五月一二日は午後六時少し前まで健康ランドの隣にあるパチンコ『トムトム』で遊んでおりました。そのあと私は、ロッキーパチンコ店では午後六時三〇分ころ、打ち止め台の解放があるので、ロッキーパチンコ店に行くことにしました。
「トムトム」から「ロッキー」までは、徒歩で十五分から二〇分位の距離ですが、私は、まだ六時三〇分まではかなり余裕があると言う気持ちで、歩いてきました。
途中、渡良瀬川にかかる田中橋を渡り、右折し、さらに丸山食堂のところを通ってロッキーパチンコ店にやってきました。
そのころはまだ外は、明るい時間帯でした。私がロッキーパチンコ店の南側出入り口付近に来た時間は午後六時一五分から二五分頃の間と思います。
このあとは図を書いて説明します。このとき供述人作成にかかる図面一枚を受領し本調書末尾に添付することとした。
私が赤のボールペンで矢印で示したように歩いて来て、私のところまで来た時、真実ちゃんはAの辺りにしゃがんで花か草をむしって遊んでしました。そこは丁度、鏡の前でした。
私は立ち止まる真実ちゃんに、今回も来てるん、何時ごろ来たんなどと話しかけました。真実ちゃんは,私が話しかけたことに対して何か答えておりましたが、覚えておりません。
真実ちゃんは上半身は、黄色っぽいものを着ておりました。その他は覚えておりません。そうしているとき、ロッキーパチンコ店の女マ店員さんがパチンコ店の前を北から南に向かって歩いて来て、「ロッキーの女店員」と書いたあたりで、真実ちゃんに一言、二言、声をかけておりました。
女の店員さんは、制服ではなく私服姿でした。この女の店員さんを私はよく見かけておりました。おととい、即ち平成三年一二月一五日、足利警察署において長谷川あかね三の写真を見せてもらいましたが、先ほどから話している私が真実ちゃんと話をしている時に、そばを通ったロッキーパチンコ店の女の店員さんは、長谷川あかねさんに間違いないことが判りました。
長谷川さんは、そのあと丸山食堂の方に歩いていきました。次いで真美ちゃんも道路を渡って南側の駐車場の法へ行こうとしたので、私が道路を見て車が来てないことを確認し、真実ちゃんが道路に二、三歩出たところまで見て、そのあと私は、赤の矢印のように「ロッキー」の店内に入りました。
それから店内の南側半分位を占めている「平台」のコーナーを一回り見て私と書いたところの椅子に腰かけてテーブルの上にあった二、三部のスポーツ新聞を広げて見ました。
私がロッキーパチンコ店の中に入って五、六分したころですが、私が私のところにいるとき真実ちゃんがいつの間にか再び、鏡の前のAのところに立っていて、スカートをめくったりして自分の姿を鏡に写して遊んでいるように見えました。
私は店の中におりましたから、そのときは、声をかけておりません。このころも、まだ打ち止め台の解放を知らせる音楽はかかっていませんでした。
パチンコ台の解放が六時三〇分丁度であるかどうかは判りませんが、いつもその頃の時間であることは、間違いありませんので、私がロッキーパチンコ店の中から最後に真実ちゃんの姿を見たのは六時半前ではないかと思います。
真実ちゃんの姿はそれっきり見ておりません。間もなく打ち止め台の解放があり、私も開放代をもらってパチンコを始めましたが、結局、この日は玉が出なかったので、午後八誌前にはやめて帰りました。
私が真実ちゃん事件を知ったのは最初に話したように、事件のあった二、三日後です。真実ちゃんの姿を最後に見かけたのが私だったということで、私も色々と警察の事情聴取を受けましたが、このたび、菅家利和という犯人が捕まってほっとしました。
真実ちゃんは利口そうなかわいい子でした。このような子供を殺すなんてとんでもないことですから厳罰は仕方ないと思います。
なお、菅家については、捕まったあと、テレビでも見ましたが、私の見たことのない男でした。」
この男については、これで収まったかのように見えた。ところが、関東地方北部の地図を広げ、渡良瀬川を挟んで栃木県足利市と群馬県太田市という隣接する2市でなんと1979年8月から96年7年までの17年の間に、足利事件の松田真実ちゃんを含め計5人の少女たちが姿を消していることが明らかになる。そしてまたこの男がごく一部の報道によって浮上してくる。目が離せない。
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独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。