第6回 G7広島サミットで、ウクライナ・ゼレンスキー大統領と会談したインド・モディ首相の思惑とは?
国際5月19日、世界唯一の被爆国日本の広島(会場はグランドプリンスホテル広島)で開催されたG7サミット(先進7カ国=日本・フランス・アメリカ・カナダ・ドイツ・イタリア・イギリス始めEU大統領・委員長ほか、招待国9カ国の代表19名が参加)は、21日幕を閉じた。
この間、オンライン参加するはずだったウクライナのゼレンスキー(Zelenskyy)大統領(1978年生まれ)の来日が急遽決まるなどのドラマもあり、グローバルサウス(末尾の※注1参照)の一国として招かれていたインドのモディ首相(Narendra Damodardas Modi、1950年生まれ、2014年から首相、詳細は末尾の※注2参照)はウクライナ側の要請に応じて、ロシア侵攻後初の同国との会談に臨んだ。
その一方で、グローバルサウスの1国としてインドとともに招かれていたブラジルのルーラ(Lula)大統領(1945年生まれ)は、G7サミットは気候変動や経済を論議する場で、戦争を論じるなら国連でせよと歯に衣着せず批判、ウクライナ側からの会談の要請もなかったようだ。中立の立場を取る第3世界にとっては、ゼレンスキー大統領のG7会場への抜き打ち参加は、騙し討ちにあったようなもので、不快感を隠し切れなかったらしい。
インド側は、ロシアの反応を気遣いながらも、ウクライナとの会談に応じたが、平和的解決に向けての努力と、人道的支援を表明するのみで、あくまで中立の立場を崩さなかった。ロシアと長年友好関係を結び、原油や武器を輸入しているインドは、2022年9月国連安全保障理事会に提出されたロシアのウクライナ侵攻を非難する決議案に際しても棄権していた。
反面、近年アメリカとの関係も徐々に強化されており(今回のサミットでは、自国で債務問題を抱え不評の米バイデン大統領がモディの内外の人気ぶりを羨み、サインまでねだったと言われる)、世界の二大強国間のバランスをとりながら、したたかな外交を繰り広げている。
初代ネルー首相時代(1947年就任)から旧ソビエト連邦とは、経済・軍事両面にわたって緊密な関係を結んできたインドだけに、日本や西側諸国のロシア批判を尻目に、中立の立場をとり、 岸田首相の2度にわたる訪印に際しても(2022・2023年3月)、立場を崩さなかった。昨年3月には、インドに5年間で5兆円投資を表明した日本だったが、5兆円でインドを買えるのかと皮肉るネットメディアもあったほどだ。
今回のウクライナとの会談内容を見ても(30分という短いものだった)、姿勢は変わらず、露宇両国が対話路線を推し進め平和的解決に至るためにできるだけのことはすると、仲裁のための努力を惜しまない旨表明し、移動(モビール)病院や、魚雷の解除などの人道的支援に尽力すると応じたのみで、どちらにも与しない姿勢は変えなかった。戦争が世界的な物価高や食糧不足など悪影響を招いているとした上で、平和的解決のために新興大国として、できるだけのことはする、ベストを尽くすと、仲裁役を買って出たが、あくまで第3者的立場を維持するにとどまった。
来たる2024年に総選挙をを控えているだけに、対外的にも用心深く立ち回り、平和の使者という国内向けにも歓迎される危なげないアピール度を演出、さすがというか、したたかな外交戦術を披露した。ゼレンスキー大統領より1枚上手で、うまく煙に巻いた感じだ。
ヒンドゥー至上主義を標榜するインド人民党(Bharatiya Janata Party, BJP)に所属するモディ首相は、信仰心が篤く、インド独立の父、マハトマ・ガンジー(Mohandas Karamchand Gandhi=1869-1948、マハトマは「偉大なる魂」という意味の通称)のアヒンサ(非殺生)主義に則るガンジー信奉者でもあり、広島平和記念公園に、ガンジーの胸像を寄贈、平和の象徴としてのシンボル提示にも一役買った。
中国を抜いて世界一の人口大国(約14億8千万人)にのし上がったインド、世界最大の民主主義国家であるインドが今後、仲裁役として、長引く露宇戦争を対話路線に持ち込み、平和的解決の推進力となることを祈ってやまない。
※一言/今回のサミットに果たして、実りはあったのか。G7共同文書「広島ビジョン」には核兵器廃絶の文言も盛り込まれず、F16戦闘機供与や操縦訓練の根回しに走るゼレンスキー大統領に、被爆者の1人、サーロー(Thrulow)節子さん(1932年生まれの91歳、岸田首相の遠縁でもあり、カナダ在住)は怒りと失望を隠さなかったが、私自身も落胆させられた。好戦的な7カ国首脳が世界唯一の被爆地に集合したことは、逆説的皮肉、広島への冒涜以外の何物でもなかったとの思いを強くした。
なお、インドは9月に首都ニューデリーで、G20サミット(ロシアや中国も含む)を開催予定で、ロシア・ウクライナ間の対話路線に向けての第3国の努力の実が結ばれることを改めて祈りたい。
トピックス/飛ぶ棺桶(フライング・コフィン)
インドは長年、軍事面でロシア)に依存し、武器や戦闘機を購入してきたが、ここでは特にミグ(MiG)29戦闘機にまつわるエピソードを紹介したい。この旧ソ連時代からのロシア製の著名な戦闘機は安価で堅牢なことから、途上国に人気が高いが、実はよく墜落することでも悪名高い。現地メディアはフライング・コフィン(frying coffin)、「飛ぶ棺桶」との辛辣な異名で、度重なる墜落事故のたびにその性能に疑問を呈してきた。
35年にわたるインド滞在中にも、うちで取っていた現地英字紙2紙で、ミグ29の墜落事故はしょっちゅうベタ記事になり、またかと呆れたものだ(ちなみに、「インド、ミグ、墜落」と検索すれば、近年のインド空軍・海軍のミグ墜落事故記事がいくつも出てくる)。
近年は、フランスから戦闘機(ラファエル=Rafale)購入、アメリカからも武器を調達しているが、過去スウェーデンからの大砲買い付けに際して、巨額の賄賂が動き、当時のラジブ・ガンジー(Rajiv Gandi, 1944~1991)政権失脚に繋がった(1987年のボーフォース=Borfors事件、詳細は末尾の※注3参照)。
なおインドは、ロシアのウクライナ侵攻・欧米からの経済制裁に伴って、軍事装備の調達多様化の緊急性に迫られており、東欧からの輸入や国内生産拡大を模索中である。
トピックス2/核の抑止力
インドはご存知のように、核保有国(アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国に次いで、1974年に世界で6番目の保有国になった。ほかにパキスタン・北朝鮮・イスラエルと計9カ国が保有)。
仮想敵国であるパキスタンや中国と国境を接しているため、核を持つことで互いに抑止のバランスを保ち合っている。
インドはパキスタンをテロ輸出国家として非難、犬猿の仲で、過去印パ核戦争一触即発の危機を招いたこともあった。2001年頃と記憶するが、当時私は核戦争が勃発したら、北東インドのティーで有名なダージリンの寄宿舎に送っていた息子を引き上げて、車でネパールに逃れようと思っていたが、クリントン米大統領の介入であわやの危機は免れた。あのときは戦々恐々、生きた心地がしなかったものだ(ネットで調べたところろによると、1990年、近年では2019年にも印パ核戦争一触即発の危機があったらしく=インド本国は否定、仮に印パ核戦争が勃発すれば、犠牲者は1億2500万人にのぼると予想される)。
そもそもは、1947年インドとパキスタンに分離独立を余儀なくされたことに遡る怨恨が今も尾を引いているわけだから、根は深い。分離独立が決まったとき、民族大移動や、その後のカシミール地方(イスラム教徒が多い)の帰属をめぐって第1次印パ戦争が勃発したことによる、ヒンドゥー・ムスリム間の殺戮の血塗られた歴史が深い傷跡を残しているのだ(印パ戦争は1947年、1965年、1971年と過去3回)。マハトマ・ガンジーは分離独立に反対していたと言うが、イスラム法治国家・パキスタンが誕生し、領土が東西に分かれたパキスタン(西側に中央政府)からさらに東側が分離独立して、インド支援のもとにバングラデシュが生まれた(1955年の東パキスタンから1971年バングラデシュへと独立)。
インドは核の先制使用は行わないと表明しているが、被曝の惨事に遭遇した広島に降り立ち、原爆ドームや原爆資料館を見学したモディ首相の胸に去来したものはなんだろう。世界唯一の被爆国である日本に産まれた私はもちろん、核のない平和な世界を望むが、長年インドに暮らしたがゆえに、核保有を余儀なくされ抑止のバランスを保とうとするインドの立場も、賛成はしないが、理解できる。
中国とも、表向きは通商上欠かさざる取引国となっているが、近年も国境紛争があり、死者が出(2020年6月インド兵士20名が殺戮、1962年の印中紛争来45年振りの犠牲者)、インドの中国製品不買運動が起こったばかりだ(インド国内はスマホ始め中国製品が溢れている)。しかし、インド首相はしたたかで、ロシアはいうまでもないが、習近平主席とも上辺上は仲が良いという。とまれ、第3世界としての中立の立場から、今後インドが国際秩序を保つために果たす役割は大きい。世界最大の民主主義国家であるインドの将来の国際的使命、平和貢献に期待したい。
※注釈
1.グローバルサウス(Global South)とは、主に新興国・発展途上国と同様の意味で用いられることが多い。南北問題とも言われるように、新興国や発展途上国の多くが南半球に位置することに由来している。グローバルサウスには、アフリカ、ラテンアメリカ、アジアの新興国などが当てはまり、対義語として、経済的に豊かである国々を「グローバルノース」と呼ぶ。
注2.ナレンドラ・モディ(Narendra Damodardas Modi、1950年インド西部グジャラート(Gujarat)州メサーナ(Mehsana)地区のヴァドナガル(Vadnagar)生まれの72歳、グジャラート大学の政治学修士号習得、87年グジャラート州議会議員=BJP)は第18代インド首相(2014年5月26日~)。就任前はグジャラート州首相を務めており(2001年~2014年の3期連続、インフラ整備や外資受け入れで同州の経済成長に貢献)、2002年に勃発したイスラム教徒のヒンドゥー教徒に対する列車焼き討ち事件に端を発するグジャラート州暴動で、報復措置として殺戮されたムスリム2千名(公称7百人だが、当時の現地メディアでは2千人と報じられた)を見殺しにしたことで、欧米諸国から総スカンをくらい、米政府も2005年よりモディ州首相にビザ発給停止措置を課していたが、2014年首相に就任したことから解除された。
異教徒共存(世俗主義)の前国民会議派(Congress I)政権(2004~2014年)と違い、BJP(Bharatiya Janata Party=インド人民党)政権は、少数派であるイスラム教徒はヒンドゥー教徒の優位性を認めるべきとするイデオロギーによるヒンドゥー至上主義国家で、モディ自身極右団体RSS(民族義勇団)の活動家であった(マハトマ・ガンジーの暗殺者ナトラム・ゴドセも所属)。が、首相就任後は、「全国民とともに」をスローガンに掲げ、州首相時代の反イスラム的言動を和らげ、宥和政策を推し進めている。
バックワード(後進)カースト出身の貧困家庭に育ち、少年時代はチャイ(北の現地民の愛飲する甘ったるいミルクティー)売りの父親の給仕手伝いをしていたことで知られる。前政権、シルバースプーンをくわえた(裕福な家庭=上流階級に生まれたことを意味する英表現)名門政治家一家ガンジー家とは対照的で(暗殺されたラジブ・ガンジーのイタリア出生未亡人ソニアは首相職は辞退したが、代役=マンモハン・シンを立て裏で牛耳った)、汚職まみれの前国民会議派政権に比べると、清廉潔白な点が庶民の人気の秘密だ。
2016年の廃貨政策の失策(偽札防止とタンス預金あぶり出しに突如500・1000ルピー札を廃止して市場を大混乱におとしいれた)で再選が危ぶまれていたが、2019年総選挙直前にテロ報復としてパキスタン領域を空爆した強行が功を奏して続投、期待された経済政策はいまいちだが、したたかな外交戦略には定評がある(就任来、周辺国や主要各国との会談を積極的に推し進めている。ちなみに、各国との交渉にあたっては、英語も喋れるが、母語のヒンディー語を使用)。
グジャラート州首相時代から、日本企業の誘致奨励など、日本とは友好的な関係を築き、故安倍晋三前首相(1954-2022)とは、「安倍派のインド首相」と言われるほどの信頼関係にあったことからも(昨年9月の国葬にも列席)、親日家で知られ、スズキ自動車の鈴木修とも親しい。なお、書類上は妻帯者だが、婚姻関係は初期に破綻しており、公的には独身で通っている。
注3.ボーフォース(Borfors)事件とは、インド政府が1980~1990年にスウェーデンのボーフォース社からの大砲(155mm field
howitzer gun=榴弾砲を410丁)買い付け(15億ドル)に際して、巨額の賄賂(4%)が支払われたことが1987年発覚した汚職事件。スキャンダルが明るみに出た当時のラジブ・ガンジー首相率いる国民会議派(Congress I)単独政権は、野党の追求を免れ得ず、失脚を余儀なくされた。インドの政治家に汚職はつきものだが(必要悪の側面も)、国民会議派連立政権は以後も携帯電話の2世代(2G)周波数割り当てに関する巨額の汚職事件(2008年、日本円にして約3兆3千万円の歳入ロスを招いた)始め度重なる醜聞発覚、国民もさすがにスキャンダルまみれの与党政権に辟易して、当事野党第1党だったBJP(インド人民党)政権の誕生に繋がった。
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作家・エッセイスト、俳人。1987年インド移住、現地男性と結婚後ホテルオープン、文筆業の傍ら宿経営。著書には「お気をつけてよい旅を!」、「車の荒木鬼」、「インド人にはご用心!」、「涅槃ホテル」等。