第28回 ウクライナ軍は勝っているのか 負けているのかーアメリカとNATOによるユーゴスラビア空爆1999年ー
国際先日、 『健康とくらし』第286号(2022年7月号)が郵便ポストに入っていました。
これは連れ合いが加入している地元の「健康友の会」というサークルが発行しているニュースレターです。岐阜県民医連の下部団体のようです。
その1頁の一番下に「健康春秋」というコラム欄があります。中日新聞では「中日春秋」というコラムがあるので、それを真似たのかも知れません。
それはともかく、その「健康春秋」に次のような随筆が載っていて驚かされました。
というのは、コロナ騒ぎの時は、コロナウイルスやワクチンについて少しでも疑問を呈すると「陰謀論者」扱いされるのが一般的でしたが、今度はロシアやプーチン大統領の悪魔化が大手メディアを賑わせているので、それと同じ臭いを感じたからです。
さて、そのコラム欄の随筆は次のようなものでした(以下に引用する都合上、私の方で段落番号を付けました。)
(1)中学生の頃、トルストイの 「戦争と平和」 を読み、 読書の醍醐味を知りました。トルストイの他の作品を読み、その後ドストエフスキーやゴーリキーを読み、またウクライナの東部に近いドン川の周辺を舞台にしたショーロホフ 「静かなるドン」など、高校時代、ろくに勉強もせずに読み継いだ経験があります。
(2)その後、文学的ロシアの世界はチェーホフでした。そのチェーホフの作品「子犬を連れ
た奥さん」は、高級リゾート地、クリミア半島南部のヤルタが舞台となっています。そのクリミア半島を武力でもって支配しているのが今のロシアで、今回のウクライナ侵攻と深いつながりがあります。ウクライナにとってその事件は許されないもので、おそらく、いつか取り返すべき準備がなされていたようです。
(3)クリミアと同じように、プーチンのロシアは簡単にウクライナを手玉にとることができると軍事侵攻を始めたのですが、(5月8日)決着はつかず、 攻めあぐねているロシアと必至に抵抗しているウクライナ、 という構図は変わらないようです。
(4)膨大な死者を出した独ソ戦の舞台となり、またスターリンによる「ホロドモール」と言われる大量の餓死等、悲惨な歴史を持つウクライナの歴史から学ぶべきことは多いようです。
(5)そのうえで、 「平和」 を取り戻すためになにが必要かを学ぶ努力が求められています。その努力は日々流されている情報を正しく理解するためにも必要なようです。(K)
私は理科系の人間だったせいか、ここに列挙されているロシア文学をほとんど読んだことがありません。読んだのはせいぜいゴーリキーの『どん底』 程度です。
ところが、この筆者Kさんは、 「中学生の頃、トルストイの『戦争と平和』を読み、読書の醍醐味を知りました」と書いているのですから、 驚きです。
しかもKさんは、 「その後ドストエフスキーやゴーリキーを読み、またウクライナの東部に近いドン川の周辺を舞台にしたショーロホフ『静かなるドン』などを高校時代読み継いだ」というのですから、私にとっては驚異的人物です。
そのKさんが、 話をさらに、チェーホフの作品「子犬を連れた奥さん」の舞台となっているクリミアに移し、次のように述べています。このような話のつなげ方は見事と言うしかありません。
「そのクリミア半島を武力でもって支配しているのが今のロシアで、 今回のウクライナ侵攻と深いつながりがあります。ウクライナにとってその事件は許されないもので、おそらく、いつか取り返すべき準備がなされていたようです」
しかし、このような学識豊かなKさんでさえ、今のウクライナ問題が2014年にアメリカが仕掛けたクーデターに起因することは御存知なかったようで、非常に残念なことです。いかに日本のメデ ィアが偏向しているかを示す典型例のように思えます。
この2014年のクーデターでいかに多くの血が流されたか、しかもアメリカは裏で「100人以上の血が流されないと外部からウクライナ問題に介入できない」と言いつつ、流血を促した研究成果も現れ始めています。
これについては拙著『ウクライナ問題の正体1、2』で詳述したので、割愛させていただきます。
また、ロシア軍が2022年2月にウクライナへ進攻したがゆえに「ウクライナ危機」が始まったかのように言われていますが、クーデター政権ができた直後から、ウクライナ南東部「ドンバス地区」(5頁、69頁の地図参照)への爆撃・砲撃も始まっているのです。
これも前掲書で詳述しましたが、それは、2014年のクーデターのあとに行われた選挙で大統領になったポロシェンコの、次のような演説をみればよく分かるはずです。
この演説から分かるように、ウクライナ戦争はロシア軍の進攻(2022年2月)に始まったものではなく、2014年から既にドンバスの子どもたちは民家への爆撃から逃れるため地下生活を強いられてきたのです。
上記の動画は25秒程度ですから是非すべてを見てください。なお、この動画の投稿者は、動画の解説として、次のような「短いが、鋭いコメント」を残していました。
「この演説は、ドンバス地方の親露派グループに対するジェノサイド(大量虐殺)そのもの
です」
この動画では、ポロシェンコ大統領は「私たち年金受給者と子どもたちは様々な恩恵を受けられるが、彼らはそうはいかなくなる」とも述べています。事実そのとおりで、ドンバス地区のひとたちは、2014年から8年間にもわたって、毎日のように砲撃・爆撃にさらされ地下生活を強いられました。
しかしプーチン大統領は、クリミアの人たちには独立を認め、住民投票の結果を受けてロシアへの編入を認めましたが、残念ながらドンバス2カ国(ドネツクとルガンスク)については、ロシア編入どころか独立すらも認めることはありませんでした。その結果、国連の発表でも、この8年間で1万3,000~4,000人もの命が奪われることになりました。
次の記事は、ドンバスのひとたちはキエフ政権から人間とは見做されず、言わば「ゴキブリ」扱いだったことを示しています。
*A view from Donbass: Ukraine has treated the people of this region as sub-humans, this made peace impossible 17 Jul , 2022 By Vladislav Ugolny(ドンバスからの視点。 ウクライナはこの地域の人々を人間以下の存在として扱い、 それが平和を不可能にした)
https://www.rt.com/russia/559061-children-donbass-world-not-care/
しかもドンバス地区のひとたちは母語のロシア語で教育を受けることはおろかロシア語で話すことすらも禁じられてきました。
次の記事は、ソ連が崩壊してウクライナが独立国家となってから30年間、ロシア語とロシア語話者に対する差別が続いてきたことを詳述しています。
*The Russian language in post-Soviet Ukraine: 30 years of discrimination against the country’s most popular tongue Jun 10, 2022(ソビエト連邦後のウクライナにおけるロシア語:同国で最も人気のある言語に対する差別の30年)
https://www.rt.com/russia/556942-language-discrimination-ukraine-oppression/
ところが、ア メリカが裏で主導した2014年のクーデター以降、この「ロシア語とロシア語話者に対する差別、 弾圧」はいっそう厳しさを加え、 今や、ロシア文学・ロシア音楽などロシア文化にまで弾圧が及んできています。
次の記事は、有名なロシアの詩人プーシキンまで今や読むことが禁じられるようになってきていることを示しています。
*With attempts to ‘cancel’ Pushkin, Ukraine’s drive to eradicate Russian language and culture has reached the level of farce ,Jul 3, 2022 By Alexander Nepogodin(プーシキンを「焚書扱いする」試みで、 ウクライナのロシア語・ロシア文化撲滅の動きは茶番の域に達している)
https://www.rt.com/russia/558197-ukraine-decided-eradicate-rus-culture/
これが現在のウクライナの現実なのです。つまり、Kさんの愛するロシア文学は今やウクライナでは禁書 ・焚書扱いになっているのです。このことも、たぶんKさんは御存知なかったのでしょう(焚書。は第2次世界大戦時にナチスがやったことでした。 )
ですからクリミアやドンバ スのひとたちが自治 ・独立を求めたのは必然だったのですが、そのことをKさんは御存知なかったからこそ、前掲のようなコラムになったのだろうと思います。
しかし、これはKさんの責任ではなく、 NHKや朝日新聞を初めとする大手メディアが、ロシア軍を侵略者扱いする記事を湯水のように視聴者の頭に流し込んできたのですから、当然とも言えます。なにしろ共産党の機関紙『赤旗』でさえ、同じ論調なのですから。
さてKさんは、段落(2)の最後で、チェーホフの作品「子犬を連れた奥さん」の舞台となっているクリミアについて次のように書いています。
「そのクリミア半島を武力でもって支配しているのが今のロシアで、今回のウクライナ侵攻と深いつながりがあります。ウクライナにとってその事件は許されないもので、おそらく、いつか取り返すべき準備がなされていたようです」
このようにKさんは「クリミア半島を武力でもって支配しているのが今のロシア」だと言っています。
が、アメリカが裏で仕組んだウクライナのクーデター政権(2014年)を認められないとするクリミア住民は、ロシア連邦への編入を求める住民投票を行いました。
こうして、クリミア自治共和国ならびにセヴァストポリ特別市で2014年3月16日に、ロシアやCIS諸国の投票監視団が投票の行方を見守るなかで、ロシア連邦への編入の是非を問う住民投票が実施されました。
ちなみに、ここで投票監視団を派遣した「CIS諸国」とは、「独立国家共同体」 、すなわち「旧ソ連に属していた12カ国」によって結成されたゆるやかな国家連合体(コモンウェルス)を指します。
さて投票結果は、ウィキペディアによれば次頁の通りでした。
ご覧の通り投票の結果、クリミア、セヴァストポリともにロシアへの編入に賛成する票が全体投票数の9割以上を占め、2014年3月18日、ロシア連邦は両者の編入を宣言するに至ったのです。
ですから、Kさんは「クリミア半島を武力でもって支配しているのが今のロシア」だと言っているのですが、事実経過は全く違います。
もしKさんが、 「ロシアが武力をもってクリミアを支配した」というのであれば、アメリカ・NATO諸国によるコソボへの大空爆、それによるコソボ独立こそ、 「武力をもって」にあたるのではないでしょうか。
以下、項を改めて、それを説明したいと思います。といっても、これを書くために調べてみて、新しく発見したことも多く、私にとって大きな勉強になりました。
ソ連のスターリン主義から決別したユーゴスラビアは「労働者自主管理型の分権的な社会主義」として、私が学生だったときから有名な国でした。
そのユーゴは同時に、第1回非同盟諸国首脳会議の開催国となるなど、チトー大統領が死ぬまで(1980年5月5日)非同盟諸国のなかで中核的な役割を果たしました。
しかし、このような社会主義国家が存続することを嫌ったアメリカは、チトー大統領の死後、密かにユーゴスラビアの不安定化を目論み、そのひとつの材料となったのがコソボ自治州でした。
たとえば、アメリカを初めとするNATO諸国は、ユーゴの解体を促進させるために、 「コソボ解放軍」を裏で訓練し、1999年にはアメリカ主導のNATO軍は、ユーゴ全土にわたる大規模な空爆を行いました。
アメリカ国防総省は、 1999年6月2日までに使用された20,000発の爆弾およびミサイルのうち
99.6%は目標に命中していると主張しましたが、劣化ウランやクラスター爆弾の使用、そして「環境への攻撃」として批判を受けた製油所や化学工場への攻撃など、その非道さは目に余るものがありました。
また「コソボ解放軍」をNATO諸国が裏から支援していたことについては、最近とくに体制寄りになっているウィキペディアですら、次のように書いているのです。
ジェーム ス・ビセット(James Bissett)は1990年の時点でユーゴスラビア、ブルガリア、およびアルバニアの大使であり、辞職後に、 ロシア政府が新しい出入国管理機関を設立するのを援助するモスクワの国際機構の首班の地位についた。
ビセットによれば1998年以来、CIA(米国中央情報局)はイギリス特殊武装隊の支援の下、コソボでの武装反乱を支援する目的でアルバニアでコソボ解放軍の兵士を訓練し武装支援していた。
コソボ解放軍の代表者ティム・ユダフ(Tim Judah)によると、 コソボは一九九六年あるいはそれ以前の時点で既にアメリカ合衆国、 イギリス、 スイスの情報機関の職員と接触している。
ザ・サンデー・タイムズ(The Sunday Times)によると、 アメリカの情報機関のエージェントらはNATOがユーゴスラビア空爆を始める前からコソボ解放軍の訓練に携わっていた。
つまり、アメリカを初めとするNATO諸国がウクライナにクーデターを仕掛けるために「アゾフ大隊」などを裏で訓練してきたことは、拙著 『ウクライナ問題の正体1,2』でも触れましたが、同じことをコソボでも行っていたわけです。
しかし、クリミア独立・ロシア編入にあたって、ロシアが武力を行使したり、ウクライナを爆撃することはありませんでした。なぜならロシア軍がウクライナに進攻したのは、クリミアが独立してから8年後の2022年2月24日だったからです。
前述のとおり、クリミア独立・ロシア編入にあたって住民投票に対する国際監視団すら組織されていました。ところがNATO・欧州安全保障協力機構(OSCE)は監視団派遣を拒否しておきながら、 「ロシアはクリミアを武力で奪った」と主張しているのです。
事実は全く逆でした。先述のとおり、この8年間、ドンバスを武力で砲撃・空爆し続けたのは、むしろキエフ政権でした。攻撃の対象も、住宅・学校・病院などの公共施設が多く、死傷者は1万3,000~4,000人にも及びました。
なお、「ユーゴスラビアがコソボで民衆を弾圧している」という口実で、アメリカ(民主党クリントン政権)とNATOがコソボ問題に介入し大惨事をつくり出したことの偽善を、詳細に暴いたものとして、チョムスキー『アメリカの「人道的」 軍事主義—コソボの教訓』(現代企画室、 2002年)があることを付記しておきます。
以上で見てきたとおり、クリミア独立・ロシア編入を「武力で行った」とプーチン大統領を批判するのであれば、その批判は「コソボ独立」を武力で行ったアメリカとクリントン大統領にこそ向けられねばならないものでした。
それどころか、コソボ問題を口実にユーゴスラビアを不安定化させ大規模な空爆を行ったのは、 「労働者自主管理型の分権的な社会主義」のユーゴを解体し、資本主義国家にすることが目的だったのではないかという疑いすら生まれてくるのです。
それは空爆の攻撃対象を見れば分かります。体制寄りとされるウィキペディア( 「コソボ紛争」)でさえNATOによる空爆の対象に関して次のように述べています。
攻撃目標の選定についても批判がある。ドナウ川にかかる橋への攻撃は、その後数箇月にわたってドナウ川の水上交通を遮断し、ドナウ川沿いの国々の経済に深刻な影響をもたらした。
生産設備も攻撃を受け、多くの町の経済を破壊した。
また国有の工場のみが標的とされており、そのため、外国資本主導による民間ベースでの再建まで見据えて空爆の標的が選ばれたのではないかとの疑念を持たれた。私有、あるいは外国資本の生産施設は一切攻撃を受けていなかった。
最も批判の強かった空爆対象は、4月23日に行われたセルビア公共放送の本社への攻撃であろう。この攻撃では少なくとも14人が犠牲となった。NATOはこのセルビア公共放送への攻撃について、ミロシェヴィッチ政権のプロパガンダの道具を破壊するためのものとして正当化した。
5月7日、アメリカ空軍はB-2によって、 ベオグラードの中国大使館をJDAM爆弾で攻撃し、3人の中国人ジャーナリストを殺害し、26人を負傷させた。
このようにチョムスキーの言う「アメリカによる『人道的』軍事主義」は、ウクライナだけではなく、イラクやシリアやアフガニスタンで多くの惨事をもたらしてきました。
このような反省からでしょうか、今度のウクライナ紛争では、アメリカやNATOは正面からロシアと戦うことはせず、膨大な資金と武器を供与しつつ、ウクライナに代理戦争をさせる方法を選んだようです。
かつてソ連をアフガニスタンに誘き出して、イスラム原理主義勢力と10年間も戦争させ続け、結果としてソ連の疲弊と崩壊を導き出したと同じやり方です。しかも今回は、ロシアに対する経済制裁と併行しているのですから、ロシアの疲弊と崩壊は、いっそう容易であるように思われました。
そのためには、アメリカは、キエフ政権が交渉しているドンバス2カ国との合意、いわゆる「ミンスク合意」が成立し平和が回復することを何としてでも許してはなりません。
なぜなら平和が回復すれば、ロシアをウクライナに引きずり込んで「第2のアフガン」にすることができないからです。
だからこそ、2014年9月5日「ミンスク合意1」が成立しても実行されず、それを受けた2015年2月12日「ミンスク合意2」も実行されることはありませんでした。
これに業を煮やしたロシア側が、2022年2月21日にドンバス地域の2カ国独立を承認し、翌22日の会見で「ミンスク合意は長期間履行されず、もはや合意そのものが存在していない」として破棄されました。そして2月24日のロシア軍のウクライナ進攻になったことは、御承知のとおりです。
この後も交渉は継続されましたが、ウクライナ側の交渉員の1人デニス・キリーエフがロシアの意向を代弁しすぎるとして暗殺されることすら起きました( 『問題の正体2』62頁)。
このようにNATO側が「ミンスク合意」によって平和をもたらされることを嫌っていたことは、最近、次の記事によっても暴露されました。
*NATO Admits It Wants ‘Ukrainians to Keep Dying’ to Bleed Russia, Not Peace By Ben Norton, April 13, 2022(NATOは、平和ではなく、ロシアに血を流させるために、 「ウクライナ人が死に続ける」ことを望んでいる、と認める)
https://www.globalresearch.ca/nato-admits-wants-ukrainians-keep-dying-bleed-russia-not-peace/5777411
何と!NATOは、「平和ではなく、ロシアに血を流させるために『ウクライナ人が死に続ける』ことを望んでいる」と認めたのです。やはり私が拙著『問題の正体』で述べたことは正しかったのです。
国際教育総合文化研究所所長、元岐阜大学教授