【特集】統一教会と国葬問題

世界を裏から見てみよう:やっぱり謝罪しないバイデン大統領

マッド・アマノ

〝誰が〞過ちを犯したのか?
 78年前に日本は戦争に負けた。広島平和記念公園の原爆死没者慰霊碑(公式名は広島平和都市記念碑)には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の文字が刻まれている。

戦争を起こした日本が全面的に悪かったのか。真珠湾攻撃さえなかったら広島・長崎への原爆投下はなかったというのか。つまり悪いのは日本であり、原爆を投下した米国は悪くない、という意味だ。

碑文は1952年、当時の浜井信三広島市長の命を受けた秘書係長が、広島大学の雑賀正義教授に作成を依頼し、翌日決断したという。しかし、私はこれを額面通りには信じない。GHQにお伺いを立てていたに違いないと思うからだ。

2005年7月26日に発生した慰霊碑の破損事件を憶えているだろうか。「過ちは」の部分がハンマーとノミで傷つけられた。広島県警に出頭した右翼団体の構成員とされる27歳の男は動機として、「過ちを犯したのはアメリカで、慰霊碑の文言が気に入らなかった」と語ったという。犯人が「右翼の若者」と報じられたため犯行動機に注目は集まらず、ただひたすら碑文の破壊は良くない、ということになった。

行為は確かに褒められたことではないが、碑文は東京裁判で日本無罪論を主張したインド人判事パール博士も批判するところだ。彼はこう言った。

「『過ちは再び繰り返しませんから』とあるのは、無論日本人を指しているのは明らかだ。それがどんな過ちであるのか私は疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落としたのは日本人でないことは明瞭である。落とした者の手は、まだ清められていない。この過ちとはもしも前の戦争を指しているのなら、それも日本の責任ではない。その戦争の種は西洋諸国が問うように侵略のために起こしたものであることも明瞭である」

なお、広島市は従来から、慰霊碑の「主語は『世界人類』であり、碑文は人類全体に対する警告・戒めである」(1970年、山田節男元市長)との見解を示している。

さてさて、はたしてこれは妥当性があるだろうか。原爆を投下したのが米国であることは間違いなく、無辜の市民を殺害することが国際法違反であることも間違いない。現在も日本が米国政府の統治のもとにあるゆえに、「原爆投下の罪」を問うことはタブーなのだ。これもまた、GHQが日本占領政策の一環として行なった日本国民に対する再教育のたまものだろう。

もちろん、戦前・戦中の日本が正しかったと言いたいわけではない。私の親の世代(明治30〜40年代生まれ)は、自分の親から日清・日露戦争で勝利に湧く模様を聞かされている。JR山手線の駒込駅近くにある国の特別名勝・六義園では、東郷平八郎海軍元帥を筆頭に、軍関係と協力会社の幹部などが芸者やホステスをあげて祝勝会を行なった。日比谷公園や銀座通りの提灯行列には多くの市民が集まり盛り上がった。各家庭の居間には明治天皇・皇后、昭和天皇の額入り写真が飾られていた。

海外の戦地で敵の銃弾を受けて命を落とすときには「天皇陛下万歳!」と叫んだとされるが、今考えると果たして本当なのだろうか、と怪訝な気持ちになる。大本営による「勇敢な兵士の死」を国民に刷り込むための作り話だったのではないか。第1次上海事変で爆弾を抱えて敵陣に突っ込んだ3人の兵士は「爆弾3勇士」として、そのレリーフが靖国神社に飾られているが、作られた美談との指摘もある。零戦の特攻隊員が「靖国で会おう」と言って飛び立ったというのも、もしかすると作り話だったかもしれない。

私の母の弟は戦時中、大学を卒業すると近衛工兵隊に入隊した。彼が入隊できたのは、父親が兵庫の赤穂出身で、忠臣蔵の浅野家とよしみがあり、東京で市会議員も務めた人だったからだ。入隊すると即、少尉となり、終戦時には中尉に昇進していた。盛大な出征祝いや、サーベルを腰に下げての勇ましい写真が残っている。なんと好きな乗馬を活かして馬に跨って通っていたという話も、終戦後に聞いた。

叔父は決してそれをひけらかしたりはしなかったが、将校が着用する軍帽や乗馬用の皮製長靴などが戦後、東京の家に残っていたのを今でも憶えている。叔父は戦地に赴くことなく終戦を迎え、幸い命を失うことはなかった。そんな叔父の家の居間には、明治天皇が示した「五箇条の御誓文」が額に入れ飾られていた。

さて、進駐軍のGHQマッカーサー最高司令官が天皇に代わりわが国の統率者となると、日本国民も手のひらを返すように米国に恭順の意を表するようになった。アメリカ文化、とくにハリウッド映画がドドドッと押し寄せてきた。

昨日まで戦闘帽をかぶり、腰に刀をさして鉄砲を担いでいた6歳頃の私は、お手製のカウボーイハットにブリキの拳銃を手に、親父が作った「アリゾナ」と書かれた立て看板の横で、カウボーイ気取りでカメラに収まった。この変わり身の早さには後年、わがことながら感心したものだ。中学時代に覚えたエルビス・プレスリーの「ラブミー・テンダー」の歌詞が、今でも淀みなくスラスラ出てくる自分に、少々呆れている次第なのだが。

バイデンもオバマも変わらない
 G7広島サミットでは、平和公園を訪れた参加国首脳が、日本のシンボルでもあるソメイヨシノの苗木を植樹するシーンがテレビで中継された。ウクライナのゼレンスキー大統領が急遽飛び入り参加したが、それならロシアのプーチン大統領も招待するのが筋ではないか。

出席が危ぶまれていたバイデン大統領は開催前日、米軍岩国基地に到着し、岸田文雄首相と握手を交わした。大統領補佐官は「大統領の理解ではこれはG7首脳の一人として歴史と広島を地元とする岸田総理大臣に敬意を表するためのものだ」と述べた。岸田首相への敬意より、広島・長崎の犠牲者とその家族への謝罪を、日本政府は求めるべきだろう。

2016年に広島を訪れたオバマ大統領は、「私の国のように核を保有する国々は恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければならない」と演説した。その直後、被曝者の一人で歴史家の森重昭さんと長い握手を交わし、肩を抱き合った。森さんは広島で被爆死した米兵捕虜12人を、30年以上に及ぶ独自の調査で明らかにし、遺族とも交流してきた人だ。

オバマ大統領は、太平洋戦争の全ての犠牲者を追悼するため広島を訪れたと説明したうえで、こうも述べていた。「いつか証言する被爆者たちの声は聞けなくなる。それでも1945年8月6日朝の記憶は風化させてはならない」「広島と長崎は核戦争の夜明けとしてではなく、道徳的な目覚めの始まりとして知られるだろう」しかし、資料館に足を踏み入れたのはわずか10分。はなからじっくり見る気はなかったのだ。やはり、原爆の是非と謝罪への明言は避けた。

私が1980年夏に家族とともにロサンゼルスに移住したとき、米国の原爆記録フィルムを10フィートずつ買い取る「10フィート運動」事務局長の岩倉務さんと記録映画の監督・羽仁進さんらが私の元を訪れた。そこで約20分の映画「予言」の英語バージョンのナレーションを、往年の大女優・ジェーン・フォンダさんに依頼することになり、資料として分厚い被爆の記録写真集をジェーンさんに直接手渡している。

GHQ焚書図書とは何か?
「焚書(ふんしょ)」とは、書物の存在を歴史的に消すべく焼却することだ。太平洋戦争終了後の日本におけるGHQによる焚書の数は、1928〜45年に出版された約22万タイトルの刊行物のうち、7769点だったとされる。没収リスト作成は、帝国図書館館長室と首相官邸によって秘密裏になされた。GHQによる焚書の第1号は、『米英挑戦の真相』(毎日新聞社、1943年6月刊)だという。内容は米英中蘭のABCD包囲網についてだった。一部の書物は米国の図書館に保管されているらしいから、公開して改訂版として販売したらいいだろう。

(月刊「紙の爆弾」2023年8月号より)

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マッド・アマノ マッド・アマノ

日本では数少ないパロディスト(風刺アーティスト)の一人。小泉政権の自民党(2005年参議院選)ポスターを茶化したことに対して安倍晋三幹事長(当時)から内容証明付きの「通告書」が送付され、恫喝を受けた。以後、安倍政権の言論弾圧は目に余るものがあることは周知の通り。風刺による権力批判の手を緩めずパロディの毒饅頭を作り続ける意志は固い。

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