【連載】平成・令和政治史(吉田健一)

第2回 海部内閣期(1989年8月~91年11月)~宮澤内閣期(91年11月~93年8月)

吉田健一

(2)宮澤内閣期―1991年11月~93年8月―

宮澤政権と海部政権時期の決定的な違いは、政界再編論議が、自民党の外から野党に広がっただけではなく、野党の外にまで広がり、在野から新しい勢力(日本新党など)が登場してきたことでした。この結果選挙制度改革への賛否を問う狭義の「政治改革」論議は、広義の政治改革論議に広がって行きます。

宮澤内閣は91年11月5日に発足し、93年8月9日まで続きました。91年11月5日、112回(臨時)国会で宮澤は首班指名を受けます。しかし直後に、自民党4役は政治改革法案の棚上げ、党内論議のやり直しを決定しました。91年12月にはソビエト連邦が解体します。

92年は内外ともに大きな出来ごとに見舞われます。1月に阿部文男元北海道開発庁長官が汚職事件で逮捕されました(共和事件)。さらに、この月、東京佐川急便事件が起こります。この年の5月には細川護熙前熊本県知事(当時)が日本新党を結成します。日本新党は当初、「自由社会連合」と名乗っていました。

この時期、細川の新党を、そこまで脅威に感じた政治家は少なかったのですが、この日本新党こそが、1年後、大きな動きを起こすこととなります。

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6月にはPKO法案への賛否をめぐって、国会が荒れます。社会、共産両党が牛歩戦術を行い、PKO法案は結局、成立しましたが社会党と社民連の141人の全議員が辞職願を提出するという事態に発展しました(実際には、議長斡旋によって、議員は全員、辞職しなかった)。

そして 7月には第16回参議院選挙が行われました。この選挙では日本新党は4 議席獲得しましたが、当時はまだそこまでの存在感はありませんでした。8月になり、第142回国会(臨時会)が召集されました。この月、自民党の金丸副総裁が東京佐川急便事件をめぐって辞任に追い込まれました。

さらに9月、金丸は略式起訴されました。ここから竹下派(経世会)の後継争いが起こります。ついに、10月、竹下派は分裂します。竹下派の後継者は小渕恵三に決まりました。小渕(橋本)らの勢力が正式な後継者になったことによって、小沢、羽田らは「改革フォーラム21」を結成します。

11月には、江田五月社民連代表ら27名が「シリウス」を結成しました。11月竹下元首相が佐川急便事件で証人喚問を受けます。このような状況の中で、12月に改正公職選挙法、改正政治資金規正法が成立しました。

93年になっても政界の激動は続きます。1 月には社会党新委員長に山花貞夫が選出されました。1 月22日、第126回国会(常会)が召集され、2月には、竹下元首相が再び証人喚問を受けます。3 月には、金丸元副総理が、受託収賄で逮捕されるという衝撃的な事件が起こりました。

93年4月、自民党は単純小選挙区制を柱とする政治改革関連4法案を提出します。これが宮澤内閣期の「抜本改革」でした。海部内閣期には、第8次選挙制度審議会の「小選挙区比例代表並立制」が提案されましたが、この時、自民党はさらに野党から拒否感の強い「単純小選挙区制」を提出します。

これに対し、社会党・公明党は、「併用制」を柱とする政治改革関連 6法案を提出して対抗します。社会党、公明党にとっては「併用制」までには海部内閣期に舵をきっていたもので、両党は一致して自民党への対抗案として提出しました。

5月、社会、公明、民社、社民連、民主改革連合、日本新党が党首会談で民間政治臨調案の連用制を軸に妥協案をつくることで合意します。社会党、公明党は「併用制」を主張していましたが、自民党に対抗するためには、全野党で対案を出すべきだという考えから方針を転換しました。ここで「並立制」、「併用制」でもなく「連用制」というものが初めて登場しました。

6月、社会、公明、民社3党、連用制を骨格とする法案修正に乗り出しました。社会、公明両党も連用制修正を党議決定し、法制化を衆院法制局に要請しました。

自民党では総務会を開催したものの、混乱に陥ります。その結果、与野党合意に向けた調整作業を打ち切り、会期延長を行わず、与野党原案を採決することを決定します。与野党の原案同士を採決すれば両方案とも否決されることが確実で、宮澤はこの総務会の決定を了承したことによって、この国会での法案成立を断念することとなりました。

6月18日、この宮澤の断念の決断に対して、社会、公明、民社が内閣不信任案を提出します。そして、宮澤内閣不信任案は可決されました。宮澤は総辞職せず、衆院を解散します。 6月18日、武村正義他10人が自民党を離党し、21日に「新党さきがけ」結成しました。その 2日後の23日、羽田・小沢派44名が自民党を離党「新生党」を結成しました。これまで水面下で動いていた政界再編は、この時からはっきりと表に見える形で動き出したのです。

7月18日、第40回衆議院議員選挙が行われました。この選挙では日本新党(細川)、新生党(羽田・小沢)、新党さきがけ(武村)の保守 3新党が躍進します。自民党は敗北し(解散時の現有議席は守ったので、その議席を比較すると「敗北」というほどのものでもなかったのだが、分裂前の議席と比較すると激減し、過半数割れした)、22日に宮澤は退陣を表明しました。

この選挙では社会党も大敗し、議席を半減させます。自民、社会両党が敗北したことをもって、今日では55年体制が崩壊した選挙と位置付けられています。7月29日には、非自民 8 党会派の代表者が、連立政権を樹立し細川日本新党代表を首相候補とすることで合意しました。

そして、8月6日、衆参両院の首班指名で細川日本新党代表が内閣総理大臣に選出されました。ここに38年に及ぶ自民党政権は幕を閉じたのです。政治改革問題はこれで決着がついたわけではなく、この細川連立内閣に持ち越されます。

(註)

1)公職選挙法改正案、政治資金規正法改正案、政党助成法案の3案を指す。
2)海部俊樹はポスト中曽根のニューリーダー(竹下・安倍・宮沢)にも入っていないのは勿論のこと、少数派閥の領袖ですらなく、総裁選  出馬時点でも、将来の総裁候補と見なされる実力者ではなかった。

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吉田健一 吉田健一

1973 年京都市生まれ。2000 年立命館大学大学院政策科学研究科修士課程修了。修士(政策科学)。2004 年財団法人(現・公益財団法人)松下政経塾卒塾(第22 期生)。その後、衆議院議員秘書、シンクタンク研究員等を経て、2008 年鹿児島大学講師に就任。現在鹿児島大学学術研究院総合科学域共同学系准教授。専門は政治学。著作に『「政治改革」の研究』(法律文化社、2018 年)、『立憲民主党を問う』(花伝社、2021 年)。

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