シリーズ日本の冤罪㊴:恵庭OL殺人事件 物証も自供もなく16年服役浮かび上がる数々の疑問
メディア批評&事件検証元判事の木谷明弁護士
ビッグボスこと新庄剛志監督が率いるプロ野球・北海道日本ハムファイターズが今年から本拠地を北広島市のエスコンフィールドに移した。その北広島市に隣接するのが恵庭市だ。札幌市と新千歳空港の中間にあり、北海道全体のほぼ中央に位置している。交通の便が良い、人口約7万の都市だ。
ここで今から23年前、2000年3月17日に事件は発覚した。
午前8時頃、恵庭市の人気のない農道の路上に焼死体があるのを地元の人が発見。北海道にはまだ雪が残っていた。遺体はタオルのようなもので目隠しがされ、後ろ手に縛られていた。死因は司法解剖によると、頚部圧迫による窒息死で、絞殺後に灯油をかけられ焼かれ、完全に炭化するほど。目を覆いたくなるような惨状で、一目では人間だとはわからない状態だった。
殺害されたのは、千歳市内にある運送会社に務めるOLのHさん(当時24歳)。前日の夜、退社後も自宅に戻らず、17日も出勤していなかった。「事件の前日、遺体発見現場のあたりで夜11時15分頃、オレンジ色の何かが燃えるような光と煙を見た」との目撃情報が複数あったことから、警察は、Hさんが会社を出た16日21時半から23時15分頃の間に絞殺され、遺体を焼かれたと見立てた。
そして警察が容疑者としてマークしたのは、Hさんの同僚女性Oさん(当時29歳)である。Oさんはやがて逮捕・起訴されるのだが、その決め手となったのは、検察によると、Oさんと交際していた男性がHさんと付き合うようになったことからOさんが嫉妬し、殺意を抱くようになったという。いわば痴情のもつれ、である。
そしてOさんは携帯電話からHさんに計230回にもおよぶ無言電話をかけていたことが判明、さらに、犯行時刻直前に灯油を約10リットル購入していた。これらの状況証拠が決め手とされたのだ。
メディアは逮捕当時「年下の女に結婚相手を奪われた29歳、嫉妬の深遠」などとセンセーショナルに報じた。しかし、直接的な物証は何もなかった。
犯行はまず、OさんがHさんを絞殺し、その後遺体に火をつけたことになっている。ここで、疑問が浮かぶ。Hさんは身長160センチ。148センチと小柄なOさんが、格闘して絞め殺すことが可能なのだろうか。というのもOさんには、Hさんから反撃を受けた痕跡は一切なかった。さらに、Hさんの遺体を遺棄現場まで運ぶことができるのか。運んだとされるOさんの車からは、Hさんの髪の毛1本すら発見されていない。
北海道警は、事件後にHさんの携帯電話が会社の女子休憩室から見つかったことから、ここに出入りできる人間が事件後に戻した可能性が高いとみて関係者に事情聴取をした。なかでもOさんは、16日にHさんと一緒に退社したことや、多くの無言電話をHさんにかけていたこともあり、早くからマークされることになった。
公判開始後に「捜査報告書」を修正
道警は、Oさんを24時間体制で尾行した。そして事件から約1カ月後の4月14日。Oさんは任意同行を求められ、千歳署で事情聴取を受けた。それから1週間、連日長時間の取調べが続いたが、Oさんは否認を続けた。
翌15日。Hさんの自宅から3キロほど離れた森の中で、それまで所在不明だった所持品が、焼かれた状態で発見された。しかしOさんは24時間体制で行動確認され、前日からは任意の事情聴取が続いている。Oさんが森に捨てに行くのは不可能だ。
そして5月23日。道警はOさんを殺人・死体遺棄・死体損壊の容疑で逮捕に踏み切った。ほかに確たる物証も、自白もないにもかかわらずだ。予断と偏見による見込み捜査である。それでも札幌地検は、6月13日、Oさんを容疑否認のまま起訴した。
4カ月後の10月、札幌地裁で公判が始まった。冒頭陳述は、「同事業所の従業員全員のアリバイ、殺害動機等を捜査したところ、被告人以外には本件各犯行の容疑性のある者はいなかった」としていた。ところがその後、多くの従業員のアリバイは自己申告だったことが判明。そのため札幌地検は公判開始後、従業員のアリバイが記された「捜査報告書」の内容の、「全員のアリバイを確認」を「大多数のアリバイを確認」に、上司のアリバイについては「証言合致、容疑性なし」を「確認できず」に修正して再提出するほど杜撰なものだった。
犯行に関する内容の変更はまだある。逮捕段階では被疑理由が、「首を絞めて殺し、午後11時15分ごろ遺体を捨て、灯油をかけて焼いた疑い」とされているが、それが起訴状では、「首を絞めて殺し午後11時ごろ遺体を焼いた」と変更されていた。
微妙な違いではある。しかし、ここにはOさんの犯人性をめぐる大きな意味がある。
どういうことか。逮捕後、Oさんへの家宅捜索で、3月16日午後11時36分と印字されたガソリンスタンドのレシートが発見されたのだ。Oさんは事件当日の午後9時半頃、Hさんとともにそれぞれの車で会社を出ている。Oさんはその後、書店に寄り、11時半頃に給油して帰宅したとされている。
遺体発見現場からガソリンスタンドまでは、雪道なので車で少なくとも30分程度かかる。Oさんは遺体発見現場を午後11時には離れ、スタンドに向かっていなければならなかったのである。それに辻褄を合わせるための変更と考えられる。
暴行殺人の可能性を示す事実
2001年5月、Oさんへの被告人質問が行なわれた。質問に立ったのは、社会党の衆院議員も務めた伊東秀子主任弁護人。
――平成12(2000)年3月16日、あなたはHさんを殺したのですか。
Oさん 殺していません。
――あなたは、Hさんの遺体を焼いたのですか。
Oさん 焼いていません。
Oさんはよく通る声ではっきりと否定したという。
Oさんは、捜査・公判を通し一貫して明確に容疑の否認を続けていた。前述のように、OさんはHさんに対して無言電話をかけている。Oさんは、付き合っていた男性が新たにHさんと交際を始めたと思ったのだ。そのことが、犯行動機の裏付けとされた。しかし、無言電話が殺人の行為と結びつくのはいささか論理の飛躍がある。
逮捕から1年、長期間の勾留生活でOさんを支えたのは、友人や知人が裁判の傍聴に来てくれることや、信頼する弁護士が無実を信じてくれていることだった。支援者も増えていった。
では、いったい誰が犯人なのか? 真犯人は複数であること、また、遺体の状態から、男性による強姦殺人の可能性を示唆する要素があると弁護団は主張。ところが、検死における司法解剖で強姦の有無は調べられていなかった。あらゆる可能性を探求すべき捜査で、明らかな手抜きといわざるを得ない。
事実、控訴審の段階で遺体の鑑定書を書いた元東京都監察医務院院長の上野正彦氏は、「(Hさんの)陰部が開脚状態で炭化が激しく、暴行の事実を隠すためと考えた。ご遺体が発見された時にも開脚していたことからして暴行殺人事件を視野に鑑定しなければいけない」との見解を示している。レイプ殺人事件の場合、犯人が痕跡を消すため遺体の下半身を焼くことが少なくない。Hさんもまた、下半身を重点的に焼かれ、それは炭化するほどだった。
そうしたなか、2003年3月26日、札幌地裁は状況証拠からOさんによる殺害を認定、懲役16年の判決を言い渡した。Oさん側は札幌高裁に控訴。弁護側はここでも、女性による単独犯行は不可能で、真犯人は男性による強姦目的の複数犯として冤罪を主張した。
しかし、札幌高裁は、「積雪時期の戸外での性犯罪は考えにくい」「はなはだ根拠に乏しく被告の犯人性を疑う合理的な推測とはいえない」などとして、2005年9月29日、1審同様にOさんの犯行と認定し、控訴を棄却した。
だが、本当に暴行殺人の可能性はないのだろうか。たとえば、車内や屋内でレイプし殺害した後、農道に遺棄し火をつけたというような可能性すら、まったく考慮されていない。
もちろん、Oさん側は上告した。が、2006年9月25日、最高裁は上告を棄却した。Oさんは最高裁に異議申し立てを行なったものの1審の懲役16年が確定し下獄。Oさんにとって最高裁は、「最後の砦」ではなく、「絶望の裁判所」となった。法は正義ではないのか。Oさんは忸怩たる思いだった。
元裁判官の燃焼実験
2018年にOさんは札幌刑務支所から出所、社会に復帰した。冤罪を主張していたことから、仮釈放は認められず、満期での出所だった。
それでもOさんは、諦め切れない。曖昧な情況証拠と大雑把な「可能性」と、予断・偏見だけで犯罪事実を認定した判決としかいいようがないからだ。
そうした思いから再審請求を決めたところ、力強い助っ人が現れた。元判事の木谷明弁護士である。木谷氏は裁判官時代、30件の無罪判決を書き、そのいずれもが無罪確定している。「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の大原則を徹底した人物だ。裁判官はあまたいるが、一度も無罪判決を出したことのない者の方が多いといわれる。
木谷氏は自らの基準に基づき、「恵庭の事件は間違いなく冤罪です」と確信する。木谷氏は、再審を念頭に置いて、豚を燃焼させる実験を実施し、「灯油10リットルでは内臓まで炭化しない」という弘前大学大学院の伊藤昭彦教授による鑑定結果を再審の新証拠として提出。さらに、「炎を目撃した住民の供述から、遺体が着火された時刻は午後11時15分頃で、犯人は早くとも事件当日の午後11時42分までは現場にいたが、Oさんは、午後11時半の時点で現場から15キロメートル離れたガソリンスタンドの防犯カメラに映っており、アリバイが成立する」と主張した。しかし2014年4月21日、札幌地裁は再審請求を棄却した。
その後、最高裁でも棄却。札幌地裁は、「アリバイが成立する可能性が一応はある」としながらも、「やはりそうではない可能性もある」と、なんとも牽強付会な解釈をした。またしても裁判官の強引な解釈によって、事実が捻じ曲げられたのである。
2017年にOさんが第2次再審を請求すると、その年、日弁連(日本弁護士連合会)は再審請求支援を決定した。
第2次再審請求でも、新証拠が提出された。被害者の死因は窒息死ではないこと、死体の燃焼方法の鑑定に誤りがあること、死体はうつぶせとあおむけで2度焼かれた、という点だ。
最初の「窒息死ではない」ことについては、検察は被害者の死因を頸部圧迫による窒息死とし、OさんがHさんの首を絞めて殺したとしている。だが弁護団が依頼した法医学者は、「鑑定書に頸部圧迫の所見がなく、他の死因についての除外判断もなされず、性犯罪がらみの薬物投与による急死の疑いがある」と指摘している。薬物による急死であれば、小柄なOさんが自分より大きいHさんを1人で絞殺し、車外に運び出すことは不可能であるというOさん側の主張に何ら矛盾することはなくなる。
また、死体はうつぶせとあおむけで2度焼かれた、という点については、当初、うつぶせで焼かれ、その後反転させてあおむけからも焼かれたとされた。もし2度にわたって焼かれたとするならばそれだけ時間が必要となり、ガソリンスタンドに寄ったOさんのアリバイが成立することになる。
明らかな見込み捜査
この事件は最初から、警察の見込み捜査によって作られた事件だった。痴情のもつれ、恋人を奪われたことへの逆恨みによる犯行だと検察側がストーリーを捏造し、1審・2審はそれを鵜呑みにする裁判に終始した。裁判の大原則である証拠に基づく判断では決してなかったのだ。
このストーリーにマスコミが踊らされ、「三角関係のもつれによるOさんの犯行」というイメージが出来上がり、司法もまた、それに依拠してしまった。
前述のように、社内にはアリバイのない男性社員が何人もいた。供述をころころ変えるなど、不審な点が多々見られた人もいたのに、警察は彼らへの追及はまったくせず、最初からOさん犯人説で固めていたのだ。証拠をきちんと精査すれば、Oさんが犯人ではないことは明白だった。
にもかかわらず、第2次再審請求も2021年4月12日、最高裁で棄却された。弁護側は前述の通り、Hさんの死因は窒息死ではないとする法医学鑑定や、被害者の遺体は最初うつ伏せで焼損された後に仰向けで焼損されたとする鑑定、灯油10リットルを人体にかけて燃焼した場合にHさんの遺体のような炭化は生じ得ないとする鑑定等、多数の新証拠を提出していた。札幌地裁と札幌高裁は、弁護人の提出した科学的鑑定の意義を全く理解せず、論理則・経験則にも反する判断をしている。それは、適正手続にも違反する極めて不当なものだ。
特別抗告審において弁護側は、原決定・原々決定の誤りを明らかにすべく、特別抗告申立書、特別抗告申立補充書や鑑定意見書を提出したが、弁護側の特別抗告を最高裁はあっさり棄却した。この決定は、検察官の主張、検察側の証拠のみを一方的に採用し、弁護人の主張や証拠を十分に考慮せず、根拠なく切り捨てた原決定、原々決定を無批判に認容し、科学的知見に基づいた判断を行っていない、と弁護側は批判した。
また、新旧全証拠の総合評価を行なうべきとする白鳥・財田川決定にも違反するばかりか、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則にも反しており、とうてい是認できない、とOさん側は強く反発している。
日弁連の支援委員会は、「弁護人は、直ちに第3次再審請求に向けた活動を行なう予定であり、当連合会は、引き続き恵庭殺人事件の再審を支援し、再審開始、無罪判決の獲得に向けて、あらゆる努力を惜しまないことをここに表明する」と強く宣言したが、Oさんの意向で現在のところ第3次再審請求はなされていない。
「何を言っても、どう頑張ってもこちらの話はまったく聞いてもらえない」。Oさんはそう思ってしまったのかもしれない。実際、再審請求は、針の穴に駱駝を通すようなものといわれるほど困難なものである。だからといって、無実の人間が16年も獄中に落ち、殺人犯とされていい道理はどこにもない。
(紙の爆弾7月号より)
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雑誌記者を経てフリーのジャーナリスト。事件を中心に社会・福祉・司法ほか、さまざまな分野を取材。袴田巖氏の密着取材も続けている。