【連載】『日本の進路』の特集

沖ハブ2023シンポジウム:第1部「沖縄平和ハブ構築に向けて・周囲の安定が沖縄の豊かさの条件」我部政明(国際政治学者)

『日本の進路』(編集部)

 

今日のシンポジウムにあるフレーズ「沖縄を平和のハブとする」と言うけれども、誰が、という主語がありません。沖縄の人の中には、自分たちではなく周りの誰かが沖縄を「平和のハブ」にしてくれるのでは思っている方がいるのでないでしょうか。このフレーズに主語がない以上、そう考えられても致し方ないと思います。

世界を見渡してみると、20世紀半ばまで、地球上の大半が人の住んでいない地域として捉えられてきました。欧米諸国だけが世界を形成し、その中でも軍事力の強い国が世界全般に関わることを決めてきた。21世紀の日本周辺でも、米国、中国、ロシア、北朝鮮などの国名がよく登場していますね。軍事力を持っている国のことは論じられますが、それ以外の国で暮らす人たちはどう扱われてきたのでしょうか。20世紀半ばまで、欧米以外ではほとんどが植民地で、そこに人々がいても、欧米中心の世界では植民地は政治的に「無人地帯」だと捉えられてきました。
20世紀の後半からは植民地はほとんどないといってよいでしょう。しかし、玉城デニー沖縄県知事が指摘したように、沖縄で示されてきた辺野古での新基地建設を反対の意志に反し日本政府は問題ではなしとの判断です。沖縄と日本との間において、特に辺野古の問題を考えると沖縄の声は存在しないことにされています。沖縄の声が日本の政治には反映されないままである以上、日本政府や国民の間で沖縄は政治的に「無人島」だと見なされていると思います。

◆沖縄を政治的「無人島」にする

ここの会場は琉球新報ホールといいます。私や髙良さんが働いていた大学は琉球大学です。もう一方では、沖縄という名前が付いている所がたくさんあります。バス会社名にも両方あり、もう一つの新聞社も沖縄という名前が付いています。先ほど劉江永さんに伺ったら、上海の空港から那覇空港に向かうとき「沖縄」行きと表示されていたとのことです。台北の空港から那覇へ向かうときは「琉球」行きとなっています。

今もってなぜ沖縄と琉球がごちゃごちゃと使われているのでしょうか。1603年、徳川幕府が出来上がった直後09年に薩摩藩が琉球に侵攻していきます。それ以来、琉球王国は日本の支配下に入ります。それ以降、沖縄、琉球の混在が始まったのだと思います。
それ以前の琉球は中国、当時の明朝と間で朝貢貿易という関係をもつことで、中国秩序の周辺に位置付けられました。直接的な支配ではなく、琉球王国の権威づけ(authorization)を通じて明朝、その後清朝がさまざまな分野での影響を与えるようになります。薩摩侵攻以後の琉球は、日本と中国の「両属」関係のもとに置かれました。近代国家の形態をとり始めた日本は、1879(明治12)年に琉球を「処分」(琉球「併合」と呼ぶ)して、日本に設置されていた府県制を沖縄にも適用して、沖縄県を設置します。
日本では、明治に設置された都道府県は、戦争を挟んで、そのまま現在まで残存しています。沖縄の場合は、戦争により米軍占領後の米国統治の間、県が途絶えることになります。そして米国から1972年に、沖縄の施政権返還がなされたとき、再び沖縄県が設置されました。これは、再び名実ともに日本になったということです。つまり明治のころに沖縄県の設置により日本となり、米国統治を経て、2度目の沖縄県の設置となりました。日本では例外的な地域です。

沖縄では、沖縄は日本と並列的に論じることがあります。全ての場面ではありません。米軍基地の存在のような沖縄に顕著に現れる問題では、並列的な捉え方が登場します。これは沖縄だけでなく、多くの日本人にもある捉え方だと思います。沖縄と日本とは別個に存在している、と。ここに来ておられる皆さん、多分並列に捉えて沖縄と日本とを話しているのではないかと思います。
「沖縄にハブをつくる」ということ、その沖縄は日本ではない、と漠然と考えているように見受けられます。日本の沖縄ではなく、日本ではない沖縄に、というようなものが無意識のうちにあるのではないか、と思います。

沖縄の施政権返還から2023年で51年になります。6月23日の昨日、「平和の日」を迎えた沖縄では、沖縄戦が現在に至るまでの沖縄を考える上で、大きな影響を与えてきたと沖縄の人々の多くが考えてきています。沖縄戦が今に続く「沖縄の原点」と呼んでも過言ではありません。
しかし、沖縄戦は沖縄の人々が始めたわけではありません。沖縄の人が積極的に戦ったというよりも、むしろ巻き込まれたという感じで見ているのだと思います。初めて沖縄県を設置した琉球処分(琉球併合)にしても、沖縄が望んで日本の一部になったわけでありません。日本の力によって沖縄が日本の一部にされたのです。米国の沖縄統治も、米国が沖縄に自由に使える基地を置きたいとの理由から始まったのです。戦勝国である米国の要求実現に、敗戦国日本の一部である沖縄の人々は、同意を求められることなく、付き合わされてきたのです。
日本となった後の51年間、先ほど沖縄は政治的に「無人島」と見なされていると指摘しましたが、今もって米軍基地を押し付けられている沖縄には政治的意思はなく、人々は存在しないかのように日本では扱われていると思います。

そろそろ沖縄の人々が、自分たちで物事を判断しなければいけないときが来たと思うことです。時代を捉える視点を変えるのに51年という歳月は十分な長さだと思います。最初の沖縄県設置から沖縄戦までの期間は66年です。まさに沖縄が物事を決める、沖縄の人が決めて、それをもって責任を負うということだと思っています。これを「自己決定権」と呼びます。日本人が沖縄の人々に、どのような内容であれ「自己決定権」を与えることはしません。沖縄の人々が決定権の行使をするだけです。その行使を積み重ねることにより、沖縄の人々に「自己決定権」が身につくのです。

中国や日本は沖縄からどう見られているかを考えてほしい

山崎さんや劉さんの話を聴いていると、もしアメリカの人が登壇していたら、アジアや日本、沖縄に向かう自分たちの意図を語るのだろうと思います。
それぞれ国がどう見られているか、つまり中国、日本、ときに米国が沖縄の人々にどう見られているかについては、登壇者の多くは誰も語ってはくれません。
同じ国内である日本の中で、沖縄の人が他の日本人をどう見ているのか知ろうとするのはまれです。ほとんどの話は、日本人である自分たちの見る世界のことについて費やされます。中国人も同様に、中国のいいイメージを語ります。ここでもし登壇するアメリカ人がいれば、きっとアメリカの行動の正当性を述べるだろうと思います。

どの国も、自分たちは自分たちの安全のための軍事力強化をやる義務があり、軍事力を高めるのは自分たちの権利であるとさえ言います。しかし、周りの国から、とりわけ軍事力のない弱い国の立場から見ると、軍事力を持っている国に対してはそのようにはかれらの力を見ません。つまり何か隠された意図があるはずだと考えるわけです。虐げられたことのある弱者の多くは、大国の正当化の論理を字句通り真に受けるお人よしだけではありません。米中日の軍事力の前での弱者という点では、沖縄はその一つに入ります。

意図をどう読むかについては、いろんな議論があります。先ほど山崎さんが防衛3文書の中の一つ「国家防衛戦略」の文書の中では、中国や北朝鮮やロシアは軍事力を持っている、核兵器も持っていると指摘していること紹介してくれました。もちろんアメリカは中国やロシア以上の軍事力を持っています。例えば、軍事力を増強している国に対し、つまり予算の増大や兵器の最新化の進展を捉えて、自分たちは相手国に脅威を感じます。軍事力増強の意図が分からないため、増強そのものが周辺国の脅威となるのだと自ら説明します。
例えば、中国や北朝鮮の軍事力増強を日本人が脅威だと感じることです。中国や北朝鮮がその意図をそれぞれの自国防衛能力の強化だと説明しても、日本人の多くがこれらの国々を信頼できないので、隠された意図があるはずだと思い、そして日本への攻撃力の増強だと解釈しています。これが、米国の軍事力増強は日本にとって米国の意図が理解できるだけでなく同意できるとして、脅威だとは感じないということになっています。

沖縄の平和と安全という視点に立つと、中国の軍事力増強が北東アジア地域を不安定化させ、沖縄の人々に不安を与えていることを知ってほしいのです。沖縄の米軍基地での増強についても同じく、地域の不安化を招き、沖縄の人々を危険な状態に追いやると感じています。少なくとも、中国が軍事力を増強している現状を、米国や日本は好機と捉えて、沖縄や周辺での軍事力増強の口実に使っています。こうした中国の行動は、沖縄の利益と対立していると言わざるを得まません。このことを中国の人に理解してほしいのです。できれば、同意する気持ちをもっていただきたいです。

これまで沖縄の人たちは、米軍基地による負担をどうやったら減らせるのか、米国に沖縄から少しでも軍事力を減らさせるために、沖縄戦以来、考えてきました。確かに、努力の割に成果につながったことは少ないと言わざるを得ません。
その沖縄の立場からすると、中国、米国、日本はいずれも軍事力を増強してさらなる負担を沖縄に押し付けているということを、中国の劉さんに知ってほしいことです。日本の山崎さんにも理解してほしいと思います。沖縄は、大変困っています。

大国は自分たちの論理を主張し、その正当性を述べます。日本も同様です。それが力のない弱者には、この国際環境は違うように見えます。沖縄の人々が欲しいのは「沖縄に平和のハブを」ではなくて、沖縄の平和と安定につながっている地域の平和と安定をもたらすことです。
なぜ琉球王国が500年以上にわたり、平和な存在であり得たのか。日本の侵攻を受けたけど、中国と平和的な関係にあったからです。その平和が、沖縄に富をもたらしてくれたのです。豊かというには語弊がありますが、貧しい土地の散在する島々の琉球王国が立派な首里城をなぜ造れたのでしょうか。富があったからです。富のない所には大きなお城は造れません。小さく貧弱な建造物が造られます。

琉球王国の富はどこから来たのかというと、貿易です。沖縄でコメを生産し、さまざまな生産物があったから首里城が出来たわけではなく、首里の琉球王府が朝貢貿易の名の下で独占して蓄積した富だったのです。海外貿易の独占という点では、江戸幕府も首里王府と同様です。
つまり、沖縄の周りを安定化し平和にすることが沖縄の豊かさの前提にあるということです。その状態をどうやってつくろうか、ということです。私たちが考えるべきことは、沖縄の周りが安定化する、平和になるという仕組みをどうやってつくるのかに尽きます。その際に、周辺のみんなを巻き込んで考える、ということを付け加えておきます。

本記事は『日本の進路』沖ハブ2023シンポジウム:第1部「沖縄平和ハブ構築に向けて・周囲の安定が沖縄の豊かさの条件」我部政明(国際政治学者)からの転載になります。

– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –

八木啓代さんを囲んでのトーク茶話会のご案内

ISF主催公開シンポジウム:東アジアの危機と日本・沖縄の平和

※ISF会員登録およびご支援のお願いのチラシ作成しました。
ダウンロードはこちらまで。
ISF会員登録のご案内

「独立言論フォーラム(ISF)ご支援のお願い」の動画を作成しました!

『日本の進路』(編集部) 『日本の進路』(編集部)

ご支援ください。

ISFは市民による独立メディアです。広告に頼らずにすべて市民からの寄付金によって運営されています。皆さまからのご支援をよろしくお願いします!

Most Popular

Recommend

Recommend Movie

columnist

執筆者

一覧へ