第12回 どうやって犯人像つかんだの???
メディア批評&事件検証今市事件の被害者の司法解剖を捜査本部から嘱託を受けた茨城県つくば市の筑波大法医学教室の本田克也元教授。一審裁判で当然、身内とも言える検察側の証人として法廷に出廷するはずの解剖医がとった行動は、弁護側証人だった。
ええっ!どうなっているの? 解剖医に取材をしてない報道陣にとっては、考えられない法廷の一コマだったに違いない。
ISF独立言論フォーラム副編集長の私の手元にある文書がある。本田元教授宛てにFAXで送られてきた文書だ。日付は、文書の最後にさかさまに2014年6月10日午後0時20分となっている。
捜査本部が勝又拓哉被告を殺人容疑で逮捕して8日目だ。「イマイチソウサホンブ 本田先生に確認させていただきこと 宇都宮地検 三席検事 岡山賢吾」という頭書きで始まるA4判の用紙2枚には、あきれたことに9年程前に解剖した今市事件被害女児の解剖結果について横書きで十数もの質問が並んでいた。解剖後これが栃木県の捜査機関との初めての接触になるからたまらない。
これまでに1万体もの執刀をしているベテラン教授にとっては異常事態だ。「今更どういうことだ?解剖結果を聞きに来るなら、どんなに遅くとも犯人を逮捕する前だろ!?」。何か胸騒ぎを感じた。
FAX用紙に目を通し始めた。途中で文字を追う目がとまった。いやな予感が的中した瞬間だった。「右側頸部の4個の線状の表皮剝奪は、スタンガンによるものとして矛盾はありますか」とある。首筋にあった擦り傷のことだ。とっさに「こりゃー、やばい」と吹き出しそうになった。
文章にある「スタンガン」という言葉は、本田元教授が解剖結果を記した鑑定書には一言もない。勝又拓哉被告を別件の商標法違反容疑で逮捕した後にアパートを家宅捜索した際に倉庫から見つけたスタンガンの空箱を押収。捜査本部が作った自白調書には見つかってもいないスタンガンは犯行に使ったことになっていた。
宇都宮地検は、今頃になって自分たちで勝手に作った自白内容とのすり合わせをしようというのが見え見えだった。私は、勝又被告の母親にこのスタンガンについて取材をした。彼女によるとずいぶん昔、勝又被告が買ったもので、その後弟にやったもので、そのうちに捨てたのか、どうなったのか覚えていない代物だった。
さらに同月20日ごろに「解剖所見に関して本田先生にお話を伺いたい」という話が栃木県警からきているという電話が茨城県警の鑑識課長代理から元教授のオフィスにあった。電話を受けたのは、秘書業務を行っている女性で、とりついでもらった。元教授は「鑑定書は既に出してあるので、それを読んでいただければ全て分かると思います」と断ったが、「そうですが、先生にお会いしてお話を伺いたい、ということらしいので」と言われたので応じることにした。
それから数日後に栃木県警の捜査一課から2人、茨城県警の捜査1課1人の計3人がオフィスを訪れた。
本田元教授はこれまで自分が行った被害者の遺体の解剖について何ら説明を受けにも来ないで、容疑者を逮捕した途端にいきなり相談に来たことに違和感を覚えた。本来なら新聞などにスクープさせる以前にこの容疑者が本当に犯人なのかについての情報収集があってしかるべき、と思ったからだ。
今になっては、これだけ大きく新聞に取り上げられた以上、これはもう犯人という前提になっているはずである。元教授は、この段階になって相談に来るとすると、自分たちの描いた内容に合わせてもらうために自分を口説きに来ているのでは?鑑定書は既に出している以上、これがすんなり納得できるものであればあえて会いに来ることもないであろうから、おそらく自白と矛盾を解決するため、それはむしろ、自分の判断を変えさせる為に来ているのでは、という予測がついた。
刑事:「もうご存じかもしれませんが、今市市内で反省した吉田有希ちゃん殺害事件の容疑者がいまして、その件で教えていただきたいことがあるのですが」。
本田:「どういうことですか?」
刑事:「質問は三つあります。一つは殺害現場が死体遺棄現場でいいかどうかということです。そしてその殺害方法は立ったままで刺されたということでいいかどうか、ということです。もう一つは、胃内容物からわずかな植物残渣が出ているということで、それが学校の給食と一致したということなのです。これについては茨城県警の科捜研で顕微鏡検査をして確かめてあります。ですので、それと解剖所見と矛盾しないか、ということです。最後の一つは被害者に性的な暴行を受けた痕跡はなかったか、どうかということです」
本田元教授は、余りにも的外れで、あきれかえりつつ、そんなバカなことはあり得ない。どうしてこういうことをと、頭をひねった。それでこう即答した。
本田:「殺害現場が死体遺棄現場では絶対あり得ません。というのは、現場には流出血の痕跡はないことの報告を受けておりますし、また死後硬直の形態が遺棄現場で放置された形態では絶対にあり得ないことを示しているからです。立ったまま刺された、ということも十数個以上の刺傷行為をほぼ同一方向に行うということは、現実には不可能と思われますので、これもあり得ません。
また、ご遺体に凝血とともに付着した流血痕は体表を上下左右に走っており、重力の方向であるはずの下を向いていませんから、これは寝た状態で刺されたことを意味します。胃内容物からも食後2時間ぐらいということになりますが、それだと、被害者が行方不明となった時間からすぐに死体遺棄現場に向かったとしても時間的に間に合いません。
したがって、やはりどこかで殺害し後、死体遺棄されたことは間違いありません。また性的な虐待や暴行の痕も一切ありません。これは注意深く確かめました」。
刑事:「(納得しない顔をした上で)そうですか……」。
刑事たちは決して不愉快な態度ではなかったが、質問の仕方には、こちらに教えてもらいたいという思いが感じられなかったのも事実である。なぜなら、答えだけを聞きたいということだけで、なぜそれを聞きたいのか、の説明がまったくなかったからである。
独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。