【連載】データの隠ぺい、映像に魂を奪われた法廷の人々(梶山天)

第12回 どうやって犯人像つかんだの???

梶山天

現場での殺害はあり得ないというのは、現場の状況と死体所見から明白であったし、また胃内にわずかに食物片が残っていたといいうことは、殺害したのは食事後、数時間、少なくとも2時間以内というのが、法医学の常識である。

胃内容物が女児が昼ご飯で食べた物と中身が一致していたとすると、学校給食は決まった時間に取られるはずだから、通常の時間帯である午後0時から午後1時の間に取ったと仮定すると、殺害はおよそ午後3時か4時ぐらいになるはずである。ところが、自宅近くの行方不明の場所から死体遺棄現場まではどんなに急いでも車で3~4時間を要する。

帰宅時間は約2時か3時だったとされているので、そうなると、学校を出た後、1~2時間の間に殺害されていなければならない。死体発見現場まで生きたまま連れていかれて、そこで殺害されたとすると、昼食をとって、最短でも5時間以上は経っていることになるから、給食の食物が胃の中に残っているということはありえないことになる。こういうすべての事実を踏まえると、現場での殺害はありえないことは明白である。

そこで本田元教授は「この事件、本当に大丈夫ですか?もう少し、慎重に調べた方がいいのではないのですか」と本当に心配になって尋ねたところ、刑事は「今、取り調べているところですので」という答えがかえってきた。自信満々なようなのである。もはや引き返すという選択肢はなく、容疑者が犯人であることは絶対に間違いないという自信が感じられた。

ただ興味は自白の中身を裏付ける事実を集めているだけだったようで、それにしても死体所見とまったく異なる自白しか得られていないとすると、どうそこに整合性をつけるのだろうと心配になってきた。

元教授が説明していたように、すでにこのような容疑者の供述が固まっており、今更、動くことはないのではないとすると、この時の刑事が本田教授自身に意見を聞きたいという態度ではまったくなく、本田元教授の解剖所見を、容疑者の供述と矛盾しないように解釈してもらえないかという態度が見え見えだったことがよくわかる。しかしこのような供述があるとすれば、どう見ても死体所見とは合わない。この容疑者は本当に真犯人なのであろうか、と元教授は大変な不安に曝されてしまった。

元教授は、もっとこちらに心を許して「容疑者がこのように言っているのですが、それでいいか、どうか」という質問が来ると思っていたのだが、捜査に関わる秘密は絶対に明かさないという態度で、刑事たちは容疑者が何を話しているか、についてもまったく教えてくれなかった。

容疑者が何をどのように喋っているかについては一言も説明がなくひた隠しに隠して、自分の聞きたいことだけを聞こうとしている。悲しいかな、そこに元教授としては栃木県警が自分を利用しているという思いしか抱けなかった。元教授は自分が信用されていないようで、不愉快に思った。足利事件同様に栃木県警の暴走なのではないか、という予感を打ち消すことができず、気まずい感じで別れた。

容疑者は、栃木県警の刑事が言ったようなこと、つまり現場で殺害したというようなことを供述しているに違いないと元教授は思った。後で知ったことでは、容疑者は6月11日にこの事件の関与を自白したとされていたのである。それから約10日後に教授の解剖所見を「自白と合わせる」ために、栃木県警が訪問してきたことは明らかである。

本田元教授が最も興味があったのは、凶器は果たしてどのような物と言っているのか、ということだった。それが死体所見と合えば、容疑者が真犯人である可能性は極めて高い。教授としては、胸の刺傷については、どちらかというと厚みが細い刃物で、しかも切れ味の悪いものという印象を持っていたし、傷の長さから凶器の長さを推定していたから、それが容疑者本人が言う凶器と合致しているかどうかに関心があったのである。しかし、「それはまだ出ていない」という答えだった。

それから2週間後、今度は宇都宮地検の検事が元教授に話を伺いたいと言っているとの電話が茨城県警からあった。ただし、栃木県警の刑事も同席したいというのである。

そこで本田元教授は検事に「できれば凶器はどういうものとされているのか、について教えてもらいたい。それと検事さんとだけ話をしたいので、検事さんだけで来てくれないか」と言った。凶器が遺体の傷と合うかどうかは大変重要な問題である。検事が解剖医とすり合わせをするべき最大の点はそこだと思ってそれを要求したのである。

ところが「それは今のところ難しい。また刑事を同行させたい」とあくまで言うので、本田元教授が「それでは困る」と返事すると、それ以来連絡はなかった。本田元教授は先に刑事たちの見解を否定しているのにもかかわらず、彼らの意向が分かっていたので、同席となるとさらに教授自身に説得にかかる可能性がある。だったら、検事にありのままの見解を話して起訴には慎重になってもらいたいと思ったのである。しかし、教授の意図は全く伝わらず、というより無視しようとされたようで不毛に終わった。

それから数日後、驚いたことにこの容疑者が殺人罪で起訴されたという新聞記事を目にした。元教授があれほど死体所見と合わないままにそこの溝を詰めることなく起訴すると言うことは本田元教授が出した死体所見を無視して、あるいはねじ曲げたとしか考えられない。

単なる自白、それも客観的事実に合わない自白で事実を確定しようとしているのでは、と危惧した。最初から解剖結果とも合わない事実で検察が起訴していた。基本中の基本が崩れていたのだ。とんでもない捜査だ。

しかし検察は勝又被告を起訴した以上、本田元教授の解剖所見は有罪を勝ち取るためには絶対、表にはしていけない「証拠」だった。そうなると一審の裁判員裁判に本田元教授の鑑定所見がでることはまずいことになる。

そのために解剖をしていない別の法医学者2人に出廷を依頼し大筋で「矛盾しない」と答弁させ、法廷に提出した鑑定書も本来なら本田元教授の鑑定書であるはずなのに、検察に都合のいいように部分だけ抜き書きした「遺体の状況及び死因等に関する統合捜査報告書」を提出するなどこれは改ざんに等しい。正義の仮面をかぶった検察の実態は、真実の追究はおろか、何が何でも犯人にしてしまおうという、まるでっち上げの「今市劇場」の開幕といわざるを得ない。

連載「データの隠ぺい、映像に魂を奪われた法廷の人々」(毎週月曜、金曜日掲載)

https://isfweb.org/series/【連載】今市事件/

(梶山天)

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梶山天 梶山天

独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。

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