【連載】鑑定漂流ーDNA型鑑定独占は冤罪の罠ー(梶山天)
死刑が執行された久間三千年さんの遺影

第42回 検察が意見書で飯塚事件を引き合いに、裁判所に「踏み絵」

梶山天

「裁判所の判断が再鑑定を実施するということであれば、あえて反対するものではない」と東京高検が意見書に記しておきながら、弁護団が詳細に中身を吟味してみると、何のことはない、ぬか喜びでしかなかった。

東京高検は、再鑑定をおおむね認める、としながら実施する鑑定にはこだわって、MCT118

やミトコンドリアDNA鑑定には反対。さらに市販のキットのみの鑑定に限定するという。しかもMCT118キットは既に販売されていない。ということは、本田克也教授の鑑定は事実上認めないと言っていることと同じなのだ。「こんなふうなら、再鑑定にはならない」と弁護団は、検察が提示した内容に落胆した。

しかし、黙って見過ごすわけにはいかない。押田鑑定によって菅家さんの型とは、異なっていることがすでに明らかになっている。まずは菅家さんの型を再確認し、その結果が肌着遺留精液のDNA型と同じかどうか異同識別する必要がある。それらの結果次第では、科警研が誤判定したという可能性も無きにしもあらずだ。それは真犯人が別にいる、ということをも意味しているから、そうであれば大変なことになることは間違いない。

再鑑定によって真犯人のDNA型が明らかになる現実が見えてきて、弁護人たちは改めて固唾をのんだ。しかし、きちんと再鑑定ができなければ誤判定の原因も、真犯人の型も分からなくなる危険も秘めている。大事な証拠物である肌着の杜撰な管理といい、再鑑定の条件といい、あわよくば鑑定不能に持ち込もうとしているのではないか、とさえ弁護団は検察を疑わざるを得なかった。

検察の条件には、もう一つ問題があった。本田教授を鑑定人にさせないための条件としか思えなかった。市販の試薬(キット)で行うべきと、鑑定方法まで限定していたからだ。鑑定嘱託では、回答してもらいたい項目のみを記載するのが普通だ。著しく専門性の高い鑑定方法について検察官が云々出来るものではない。検察が求めたのは、本田教授に優れた技能を発揮させないためのマニュアルに従った単純な鑑定だった。

元々本田教授は、検察の依頼で鑑定することが多かった。司法解剖で貢献したことも無数にあり、「捜査のピンチの時の神頼み」と言われるほど多くの難事件の解決に尽力してきた。DNA鑑定の検出能力が優れていることも検察は熟知しているはずだ。検察が提示した条件に失敗させた方がよいという邪悪な意図が垣間見える。真実が分からない法が良いといってるかのようだった。

再鑑定が必要な理由は、菅家さんの無罪を証明するだけではない。有罪とする決め手となった科警研の鑑定が本当に正しかったのか、ということも問われているからだ。DNAの部位も検査方法も異なるのでは、科警研の鑑定の真意を科学的に証明することはできない。同じ部位と同じ手法で再現することによって、誤判定が起きた原因―それが人的ミスなのかどうか、どの過程で起きたのか等―を解明できるはずだ。

しかし検察は、科警研の権威だけは、何としても守ろうとした。MCT118法をやらせない限り、科警研の鑑定では偶然に一致していたとして、判定の正しさは、覆されずにすむうえ、高精度の新しい鑑定によって不一致が見つかったことにすればいい―つまり両方とも正しいとすることができる―こういった知恵を持っている人物は、検察官の中にはおそらくいない。誰がそれを指示したのか。

検察はミトコンドリアDNA法の実施にも反対した。しかし、核とミトコンドリアでは、それぞれのDNA鑑定に代え難い長所がある。

ミトコンドリアは一つの細胞に、核DNAの数千倍程度に相当するゲノム(DNA全ての遺伝情報)がある。つまり1個の細胞が数千個に値し、ごく微量の試料に有効だ。さらに、劣化したDNAでも判定ができ検出感度が良いので、低分子化したDNAの個人識別に非常に有効な手法だ。常温で放置されてきた肌着には、この鑑定法は打って付けだった。

警察庁は、06年、当時では最新なものとして世界的にも普及していた「アイデンティファイラー」と呼ばれるSTR法が可能な市販検査キット(ABI社製)と、それを実施できる機器の配備を行い、正式な鑑定方法として採用した。アイデンティファイラーは、常染色体にある15部位を一度に検査できることに加えて、性染色体にあるアメロゲニン遺伝子を判定する検査も含まれている。DNA鑑定においては第三世代の個人識別用キットだ。

ただし、新鮮で豊富な試料を用いた個人識別はアイデンティファイラーで十分であろうが、刑事事件における微量かつ壊れたDNA資料の場合には十分に判定できないケースが少なくない。むしろ、古くなった、あるいは科警研の言葉を借りるならば「極微量のDNA試料」で低分子化がどこまで進行しているか、変性(劣化)がどうなのか不明な場合、このキットではDNAの量や質によっては判定不能となるばかりか、誤判定になる恐れも秘めている。こういう場合こそ、キットを超えた鑑定技術が求められるのだ。

その困難をクリアするためには、足利事件でいえば、たくさんの部位を一度に検査するのではなく、一カ所ずつそれぞれに最適な試薬を用い、最善の条件を設定して丁寧に検査する方がよい。反応が一カ所に集中するため、PCRがかかりやすく、型判定にも誤りがなくなるからだ。MCT118法はDNAの1部位のみの検査であり、本田教授はY-STR法でも1部位ずつ丁寧に検査していた。市販されている試薬を使う手法を「オートメーション」というなら、本田教授のような手法は「マニュアル・カスタマイズ法」と言える。生物学の実験室では、一般的に行われているDNA実験法でもある。この方法で鑑定実績を上げてきたのが本田教授だ。アイデンティファイラー等のマルチローカス法のキットを販売するメーカーに、マーカーの狂いによる適用の限界や誤判定の可能性を指摘したこともある。研究に研究を重ねた結果、キットは鑑定が易しい試料には向いているが、、難しい試料に適用できない場合があるのを本田教授は熟知していた。

同年11月14日、弁護団は意見書を東京高裁に提出した。MCT118法の他にミトコンドリア法やSTR法など、多数の部位を確実な方法で検査することによって鑑定の精度と得意性をバランスよく上げることが再鑑定の意義である、と反論したのだ。

検察側の意見書で裁判所も「踏み絵」が用意された格好になった。検察は意見書の中でなんと飯塚事件を引き合いに出していたのだ。なぜ、ほかの事件の裁判を意見書で引用するのか、そのこと自体が不自然だった。実はここに検察のトリックが仕掛けられていた。

足利事件に関してこれまで、旧マーカーによる16-26型は、新マーカーでは18-30型であると証言してきた。ところが、29型にも対応するという拡大解釈の「根拠」を意見書で挙げたのだ。

1992年、福岡県飯塚市で女児2人が殺害される事件が起きた。犯人とされた久間三千年さん(70)は再審請求中の2008年10月28日突然、死刑を執行された。検察が足利事件の再鑑定に「あえて反対するものではない」という意見書を提出してから約2週間後のことだ。この二つの事件は、科警研が全く同じ方法でDNA鑑定をした。足利事件で再鑑定が決まりかけた時、飯塚事件では再審への道を閉ざすかのように死刑が執行されたのだ。最高裁で死刑が確定してからわずか2年1カ月余り。飯塚事件の弁護士たちも、まさかこんなに早く死刑執行されるとは思ってもいなかった。そのくらい異例な死刑執行だったのだ。

死刑が執行された久間三千年さんの遺影

死刑が執行された久間三千年さんの遺影

 

飯塚事件発生後、福岡県警が久間さんに任意提出させた毛髪を科警研に鑑定させて一致するという結果を出したが、福岡地検はなぜか、帝京大学の石山昱夫教授(当時61)にも鑑定を依頼した。血痕のついた綿の糸状のもの4本ほどをミトコンドリア法で鑑定。久間さんと同じ型は検出されなかった結果が出た。捜査機関はこれをうやむやに葬ってしまった。

検察の嘱託で飯塚事件の試料をミトコンドリア法で鑑定した帝京大学の石山昱夫教授。久間三千年さんのDNAは検出されていなかった。

検察の嘱託で飯塚事件の試料をミトコンドリア法で鑑定した帝京大学の石山昱夫教授。久間三千年さんのDNAは検出されていなかった。

 

科警研は飯塚事件の被告人を16-26型と判定し、犯人の証拠とされた。控訴審では科警研の笠井賢太郎技官や坂井活子技官が証人尋問で法廷に立ち、旧マーカーの16は新マーカーの18に該当し、同様に26は29、30、31の3つの型に対応すると証言した。

福岡高裁はこの型の対応を01年10月10日の判決で認めた。それだけに足利事件抗告審の新証拠(押田鑑定で判定した18-29型)にも対応できるので、MCT118部位の鑑定を行うのは「まったく無意味であるばかりか、有害である」と検察は意見書に記した。

足利事件の再鑑定で冤罪が判明すると、飯塚事件の確定審で誤判した裁判所は、検察と共犯ともいえる関係にある―検察が意見書でこの事件を引き合いに出したのは、裁判所をも脅しているともいえる。足利事件で真実の型を明らかにしてしまえば、足利事件の前後に同じようにMCT118法による型判定を証拠として有罪にした複数の判決にも重大な影響があることを示唆している、とも受け止められる。ISF独立言論フォーラム副編集長の梶山天は、まさに突然の久間さんの死刑執行は、検察が飯塚事件でもDNA再鑑定をさせないための策略だったのではないか、と思った。というのも、なぜあんなにあわてたように早く死刑の執行をしたのか、理由が見当たらない。足利事件の再鑑定が弁護団の狙い通り成功すれば、同じ手法の鑑定で犯人とされた飯塚事件にも再鑑定が波及するかもしれないと案じての苦策だったのではないか、とも受け止められる。そうだとすれば、検察は「悪魔」だ。

検察、弁護側双方の意見が真っ二つに割れている中で、再審請求審の抗告審を仕切る東京高裁の役割は、重要だった。鑑定について高裁なりの一定のルールを決めておかないと、菅家さんの無実を懸けた再鑑定そのものが混乱しかねない。高裁がどう出てくるか。弁護団は目が離せなかった。検察も、裁判所の判断であれば、「あえて反対しない」という立場だ。高裁が再鑑定実施を決めることは、九分九厘、間違いないだろう。だが、弁護団にとって問題は鑑定のルールだった。

鑑定人は、1人か複数か。どのような方法で鑑定をするのか。弁護団にとってまずこの2点が重要だった。菅家さんの鑑定試料は、収監されている刑務所で口腔内粘膜か血液を必要な分量を採取することができる。しかし、松田真実ちゃんの肌着は、1枚しかない。鑑定人が1人なら問題はないが、複数鑑定になると、どのように切り分けて分配するのか。

《主文 次の鑑定事項について鑑定を行う。次の二つの試料のDNA型を明らかにし、二つの試料が同一人に由来するか、否かを判定すること。①自治医科大学法医学教室岩本禎彦が保管中の半袖下着に付着する遺留精液②申立人(請求人)の身体から採取するDNA型判定に適する試料》

飯塚事件の死刑執行から間もなくの12月24日、東京高裁は、国内初となるDNA再鑑定の実施を決定した。鑑定人には(次の2名を選任する)として、鈴木廣一教授と本田教授の名前を挙げ、尋問を翌09年1月23日午後2時、自治医科大学において行う旨が記されていた。2日後には本田教授のもとに、再鑑定嘱託の「鑑定人尋問召喚状」が届いた。

 

鑑定嘱託の内容を知った本田教授は、これならいかなる方法もとっていいはずと胸をなでおろした。検察、弁護側が意見書で論争した鑑定方法については、何も明記されておらず、試料と目的のみを記載した単純なものだったからだ。しかし今後、裁判所が鑑定方法を検討し、詳細を決める可能性もある。推薦された鑑定人も弁護人も、予断を許されない状況だった。

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梶山天 梶山天

独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。

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