第41回 再鑑定への意見で、検察が仕掛けた罠
メディア批評&事件検証たたかれても、たたかれても菅家利和さんと弁護団は歯を食いしばって立ち上がった。その報いが来ようとしている。開かずの扉だった『DNAの再鑑定』の扉を開けようと、東京高裁(田中康郎裁判長)が動き始めたのだ。さあ、吉と出るか、凶と出るのか。
2008年5月23日、足利事件の弁護団は再鑑定を求める請求を東京高裁に行った。それは、厳格で、信用性を保証する中身の濃いものだった。独自鑑定である押田鑑定をも正しい結果かどうか、吟味するもので、求める鑑定内容を次のように記した。
①申立人のMCT118部位のDNA型鑑定、②本件半袖下着に付着した遺留精液と申立人由来の試料を用いて、MCT118部位の型判定を含む実施可能なDNA型鑑定を行い、申立人のDNAと真犯人のDNA型鑑定の異同識別を行う。
再鑑定が行われる場合の鑑定人には、これまで隠し玉としてその名を伏せていた筑波大学法医学教室の本田克也教授を推薦すると明記した。ただ、弁護側が押田鑑定の検査報告書を添えてDNA再鑑定を最高裁に請求した1997年当初から、検察は一貫して、「足利事件の犯人は菅家さんであるから他の意見を差し挟む余地などない」という態度だった。その検察が、そう簡単に再鑑定に応じるはずがない。しかも鑑定人は捜査機関も頼りにしていた本田教授だ。どう出てくるか、注目された。
弁護団の意見を受けて訴訟指揮をとる東京高裁は、検察に意見を求めた。「無意味で断固反対」であろうという弁護団の大方の予想に反して、東京高等検察庁(東京高検)が08年10月15日付で東京高裁に提出した意見書には、次のように記されていた。
「押田鑑定の存在は別として、科学技術の進歩によって、新たな手法による鑑定等が確立され、その手法による鑑定等を新たに行えば、確定判決の信用性に何らかの影響を及ぼす可能性が認められるような場合、再審事件の審理において、かかる鑑定等を新たに行うべきであるか否かという問題については議論のあるところだと思われるところ、その問題についてはここで論じないし、現在行われている鑑定手法により、本件半袖下着に付着した遺留精液と申立人由来の資料の異同識別を行うDNA鑑定を行うことについても、これを実施する必要性はないものと考えるが、裁判所の判断が実施ということであれば、本件に限り、検察官としてあえて反対するものではない」。
何か回りくどい文章ではあるが、菅家さんや弁護団にとってはビッグニュースだった。このような態度に検察が出たのは初めてのことである。それほどDNA再鑑定について、検察側は頑なに拒否し続けていたのだ。
なぜこの時期に、検察は再鑑定に「あえて反対しない」と言い出したのか。一つには、押田鑑定により科学警察研究所(科警研)鑑定に疑義が生じている現在、このままにしておくわけにはいかないと世論への配慮があったかもしれない。
さらにもう一つ、本田教授には懸念があった。ちょうど08年の春に、何と、かつての上司であった信州大学の福島弘文教授が定年を3年残して突如、科警研の所長に就任していたことだ。
この異動の新聞記事を見て、本田教授は驚いた。福島教授は、実験が生きがいとも言うべき研究者であったからだ。実験は正確性を好み、データの提示の厳格さは尊敬に値するほどだった。だからこそ、菅家さんが逮捕された翌年に本田助手(当時)が見つけた科警研が鑑定したMCT118法の欠陥を見つけた時、すでに足利事件捜査に使われており、冤罪の可能性を重く見て、「これは大変な事態だ」と大騒ぎし、日本DNA多型研究会で本田助手たちに発表させたのは、まさに福島教授本人だったのである。
冤罪の可能性を指摘され、本来なら直ちに正すべき科警研がそれを無視し続けている姿勢を正しい道に導くためにそのポジションを引き受けたのであればいいが、どうも様子が違う。福島教授が研究職ではない管理職のトップとしての科警研の所長になぜ推薦されたのか、そして本人も異動することを決断したのか。大変不可思議に思った。
これにはおそらく、本田教授の研究や押田鑑定を無視できなくなったマスコミ攻勢を受け、次第に再鑑定を阻止できない流れになることも予想され、科警研も次第に追い詰められていき、かくなる上は強力な助っ人を呼ぶしか道はないと考えたことも考えられる。かつて信州大学時代には、本田助手とともに科警研の鑑定の誤りを指摘したのは、他でもない福島教授である。だとすれば、科警研に呼ばれても断るのは当然ではないか。それがなぜ、寝返るような人事に応じたのだろうか。「あの研究は若気の至りだった。助手に騙されただけ。訂正したい」とでも言うのか。法医学者としての立場を捨て去り、科学的な研究成果を否定して、嘘をついてでも警察を守らねばならない立場に立とうとするとは、悲しくてたまらない。
もしも本田教授が再鑑定を引き受ければ、かつての上司で、また気まずい形で信州大学で別れた科警研の福島所長と全面対決になることは明らかだ。それは避けたかった。しかし、その杞憂が現実のものになろうとは当時は予想できなかった。
なぜなら菅家さんと弁護団が要求した再鑑定について検察官は「裁判所が再鑑定を行うのなら敢えて反対しない」という内容の意見書を提出したからだ。これまで拒み続けてきた再鑑定になぜ検察庁が応じたのか。このような鑑定に関わることを、検察官が自身で判断できるはずはなく、必ず科警研所長と相談したはずだからだ。つまり福島所長が科警研に呼ばれたことの背後には足利事件への対策があり、それに応じる形で福島所長が再鑑定のゴーサインを出した可能性が高いと思われるのだ。おそらく、福島所長なら、足利事件の再鑑定をどうにでも検察有利に進めてもらえるはずで、その期待に応えられることも福島所長は自信をもって表明していたと思われる。鑑定人が弁護団から名前が挙がっている本田教授なら、懇意にしている大阪医科大学の鈴木廣一教授をコントロールしていかようにでも潰してみせる、と豪語したことであろう。福島所長は科学者としての道を捨て、私憤にかられ捜査機関の権威を守る役人へと豹変したことは明らかだ。
それからは、福島教授は検察庁と綿密に連絡を取り、足利事件の再鑑定に当たっては「キット以外用いてはならない」という条件を付けた。これは本田教授が、機器を自在に使いこなし、鑑定資料に応じて、最大限の可能性がある鑑定を行う実力があることを恐れていたからだと思われる。そして、その後、本田教授が行ったキットを用いない鑑定については、「独自の鑑定」として、まるででっちあげの手品でもやっているかのように本田鑑定を揶揄し、マスコミもそれを真に受けて、本田鑑定を潰しにかかるのである。当時の新聞では「独自の鑑定」というのは、本田鑑定を潰すための呪文のように用いられていた。
本田教授は当時、苦々しく思ったことを思い出し、以下のように語った。「キット以外は『独自の鑑定』など聞いて呆れる。この見解を認めるとすればすでに科学者であることを捨て、単なる技術屋に成り下がれ、という意味でしかない。キットは先進的な研究によって結果として作られてきたもので、研究は科学的な原理や技術を使って最先端を追い求めなければ意味がない。Y-filerキットも我々の国際的なY染色体法医学鑑定ワークショップの成果として作られたものである。キットに専攻する研究を『独自』というのなら、それは独創性があるという意味での評価の言葉であるはず。キットを用いようが、いわゆる『独自の鑑定』とされるものであろうが、真実を明らかにする鑑定こそが科学的な鑑定である。しかし仮に独自に見えたとしても、それはあくまで既存の試薬や機器、技術を応用しているだけで、そういう意味では科学者が共有できる一般的な技術であり、決して『独自』ではありえない。法医鑑定という狭い世界で勝手に解釈してはならない」。
一方、弁護人たちは、検察側意見書を仔細に検討するうちに、再鑑定への期待が徐々に消えていった。なぜなら、そこに「罠」が仕掛けられていたからだ。検察が再鑑定に応じる意見書をあっさりと出したのも頷ける内容だった。
「東京高等検察庁 検事 牧島聡」名で提出された意見書には、再鑑定を認める条件としてかなり限定した方法が記されていた。それは、DNA鑑定を扱う法医学者としてはどう考えても承服しかねるものだった。検察の主張は次の3点だった。
①菅家さんのMCT118部位のDNA鑑定だけを行う鑑定は、無意味であるばかりか、有害であるとすらいえるので、実施することは反対。また、肌着遺留精液と菅家さん由来の資料の異動識別を行うDNA鑑定についても、実施する必要性はないと考えるものの、この点については、敢えて反対しない。
②123ラダーを使用した場合の16-26型がアレリックラダーを使用した場合の18-30型だけに対応し、18-29型には対応しないということを前提にした弁護人の立論は誤りである。同じ点が争点となった「飯塚事件」の控訴審判決においても認められている。16-26型が18-29型にも対応する場合のあることは明らかである。
③肌着が投棄されるまでの間、被害者の親族を含め、第三者が肌着に付着していた可能性及び、当時はDNA鑑定についての知識が一般的でないこともあり、発見後は領置・押収・鑑定・証拠品の移管等あらゆる過程において、多数の人物が接触した可能性もあるので、汚染の影響を受けやすいミトコンドリアDNA鑑定は原則として行うべきでない。後の検証の必要性を考えると、独自の手法ではなく一般的な手法による鑑定を行うべきであり、市販の試薬を用いたSTR鑑定を行うことが相当である。
検察側は最後に、鑑定人として大阪医科大学の鈴木廣一教授を推薦した。
後に本田教授が得た情報では、鈴木教授を推薦したのは科警研の福島所長だったという。
この鈴木教授と本田教授の2人は、偶然にも05年1月に発生した大阪市住吉区での強盗殺人事件のDNA鑑定にも関わっていた。マンションでスーパー店員、児玉喜久江さん(当時48歳)が首にひものようなもので絞められ殺害されているのが見つかった。財布と台所のサイドボードの中から現金約50万円がなくなっていた。大阪府警捜査本部は。女性がその時に身に着けていたジャージーのズボンから毛根部がない毛髪を1本採取した。一方で、ある男性が被害者宅周辺で目撃されていたことなどから、男性のひげ剃りに残っていた髭の任意提出を受けた。
捜査本部はまず、鈴木教授に嘱託鑑定を依頼した。鈴木教授は髭と遺留品の毛髪のDNA鑑定を行ったが、結果を出したにもかかわらず、「鑑定不能」と判断した。結果に微妙な食い違いがあり、それを解釈できなかったというのだ。
そこで名前が挙がったのが、大阪大学医学部助教授時代に大阪府警から絶大なる信頼を受けていた本田教授(当時筑波大学)だ。そのころ、PCR感度を上げるための触媒作用を持つ金属イオンの一つにバナジウムがあることを発見していた本田教授は、この方法を鑑定に適用することにした。そして毛根のない毛髪からY-STR法や性別、血液型を含めて132部位に及ぶDNA鑑定を行い、両者の型の同一性を6兆分の1の一致率で証明した。本田教授の鑑定後、容疑者は06年1月に全国に指名手配され、半年後に東京の公園で野宿生活をしていたところを逮捕された。その後殺害を素直に認めた。
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独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。