暴動は用意されていた フランス暴動勃発の裏の現実

広岡裕児

〝事件〞と暴動
フランス・パリのシャンゼリゼ通りは、東西まっすぐに走る100メートル道路である。西の凱旋門を越えると通りの名前は変わるが、道路はそのまま続く。2キロほど進むと、もはやパリではなく高層ビルの並ぶ副都心ラ・デファンスである。

人工地盤の下を抜けると、真ん中が公園になった大通りに様相が変わる。15分ほど歩くと左手にオードセーヌ県の県庁がある。

県庁の裏手からナンテール市役所を結ぶ大通りで、6月27日朝、バスレーンを疾走する黄色いポーランド・ナンバーのベンツAクラスが2台のオートバイ警官に止められた。しかし加速して逃走。しばらくして渋滞の車に邪魔されて止まり、オートバイが追いついた。警官の1人がエンジンを止めろと命じた。ところが急発進、警官は発砲し、車は路肩にぶつかって止まった。後部座席の若者は車から出たところで逮捕、助手席の1人は逃げ去った。運転席には、瀕死の若者。警官が救命措置をするも息絶えた。

ナエル・メルズク、17歳。近くの団地に住むアルジェリア移民の子どもだった。累犯少年でこの日も無免許運転だった。ベンツが検問を振り切って、警官があやうく轢かれそうになったので発砲した、というのが警察発表だった。ところがツイッターで流れた動画には、警官が停車中の車の窓越しに少年に銃を突きつけ、発進した直後に発砲したことが明確に写っていた。

その夜、ナンテールはじめ近隣の町の団地で暴動が起こり、翌28日には全国に広がった。29日、発砲した38歳の警察官は殺人容疑で収監され、予審に入った。ナエルの遺族の弁護士は「殺人罪」「殺人共犯」そして警察発表の嘘について「公文書偽造」で告訴した。

全国で4万人の警察官・軍警察官が動員され、いくつかの市町村では、午後9時から夜間外出禁止措置をとった。だが、暴動はさらに拡大し、ほとんど経験のない地方の中小都市にまで及んだ。

焼かれた車の数は1919台。30日、警察官・軍警察官はさらに増えて4万5000人が出動した。フランスの治安担当の約4割にあたる前代未聞の警備態勢である。全国で地上を走る公共交通機関、バスやトラムの運転は午後9時までとなった。その甲斐あってか焼失した車は1585台にとどまった。そのまま減少が続き、1週間後にはほぼ鎮静化した。

7月5日の元老院法務委員会の公聴会で、ジェラール・ダルマナン内務大臣は被害状況を次のように発表した。

・ゴミ箱消失を含む公道火災2万3878件

・車両火災1万2031件

・建物火災または建物損壊2508件(うち警察・軍警察・市町村警察署273、学校168、市町村庁舎105)

2005年にもパリの北の郊外の町で、職務尋問を逃れて警官に追われた17歳と15歳の近くの団地住まいの移民家庭の少年が変電所に逃げ込んで感電死した事件をきっかけに、3週間にわたって全国的な暴動になり、緊急事態宣言を出す事態にまで発展したことがある。あの時よりもずっと短期間で終わったが、激しさは今回の方が上だった。たとえば、焼かれた車は2005年には21日間で8973台だったのが、今回は7日間でその1.5倍である。

 

メッセージの見えない暴動
暴動が素早く広がった背景にSNSの発達を見る声は多い。スマートフォンで何百万回も見られた動画、燃え上がる怒り。マクロン大統領も、「プラットフォームとソーシャルネットワークは、ここ数日の動きにおいて重要な役割を果たした。Snapchat、TikTokほかのアプリで、暴力的な集会が組織され、暴力が模倣された」と、規制を求めた。

伝播のスピードだけではなく、質も変わった。2005年の時には、郊外団地や貧しい地区など彼らが住む地域で暴動が起きた。ところが今回は、離れた市街の中心地でも数多く起きている。

そして、商店やスーパーマーケットを襲う事件が頻発した。警官に対する怒りというよりも、ただ略奪と破壊だけを楽しんでいたようだった。

「05年の暴動の時、あるメッセージがあった。しかし今回、メッセージは聞こえなかった」

7月3日の夜、警官を慰問したマクロン大統領がこう述べたとル・パリジャン紙(7月7日付)が伝えている。たしかにあの時には、社会的不平等や差別を経験している人々の存在を社会に認めてほしいという要求が感じられた。だが、今回はただただ警官と衝突し、火を放ち、略奪する行為しかなかった。

大量に持ち込んだ打ち上げ花火が警察署や学校、役所などに打ち込まれた。現在、打ち上げ花火の購入には身分証明書の提示、販売数量限定といった厳しい規制が敷かれている。これだけの量を用意するには、予めネットでの外国からの購入や密輸をしなければならない。つまり、「仲間」の死に怒って偶発的に起きたのではなく、計画的に用意されていたのが、この機会に実行に移されたということである。

参加者の中には、12、3歳ぐらいの少年の姿も目立ち、これをさして、マクロン大統領は「SNSに導かれて現実を飛び出し、彼らが毒されているビデオゲームを街頭でやっていたようだ」と述べていた。

あながち間違いではない。だが、その裏には厳然とした現実がある。「この若者たちの中にはすべてが詰まっている。働き、社会に統合されている者もいるが、差別に苦しみ、反乱する。そして、すでに多かれ少なかれ深刻な非行に陥っている人たちもいます」とナンテール市役所の職員は打ち明ける(ル・モンド7月4日付)。社会学者ジルベール・ベルリオーズは、「これら(暴動に参加した若者の住む)地域は、同じ住民、同じ都市計画を持ち、見た目も似ている。緊張の対象は複数あり、さらに悪化しています。失業、警察との関係、学校との関係、差別、人種差別……紛争の温床はすでにそこにあった」と分析する(ル・パリジャン6月27日付)。

フランスにおける〝差別〞
でも、なぜこんなことになってしまったのだろう。彼らが住む郊外の団地は、1960年代、アルジェリア戦争後の引揚者などのために住宅不足となり、急ごしらえで次々につくられたものである。のちに栄光の30年といわれるようになる戦後の経済成長の時期で、労働力としてフランス語圏の北アフリカのアラブ人や西アフリカの黒人の移民の受け入れも促進された。続いてその家族もやってきて、そこに住みついた。

ところが、石油ショックで成長も終わった。襲いかかる失業と貧困。1981年にはフランス第2の都市リヨン郊外の団地で暴動が起きた。だが、まだ例外であった。

一方、1983年にそれまでの極右戦士の強面からソフトムードにイメージチェンジしたジャン=マリー・ルペンの率いるFN(国民戦線)が、「200万人の失業は200万人の余計な移民」というキャッチフレーズで躍進した。根深い人種差別のあるアメリカとは違って、フランスでは、自由平等博愛のモットーと、宗教の違いなどで差別しない「ライシテ」の伝統があり、人種による差別は少ない。黒人だからといってレストランに入るのを拒否されることはない。もっとも上下の差別はあって、マクロン大統領も通った公立のエリート高校で、白人でも最低賃金で生活しているような家庭の子どもが先生にいびり出されたりすることもあるが。

少年射殺の映像が流れたあと、黒人のサッカー仏代表、キリアン・エムバペ選手は「フランスに痛みを覚える」とツイッターで発信した。日本のマスコミで「怒り表明」とあったが、むしろ、「フランスはこんな国ではなかったはずなのに」という残念な気持ちだったように思う。

イタリア系のプラチニ、アルジェリア系のジダン、そしてエムバペ。歴代のスター選手を並べてみればわかるように、サッカーのフランス代表には昔から様々な人種が混合している。そして肌の色を意識されることなく応援されている。サッカーが庶民、労働者のスポーツだからだ。ポーランドや南欧、北アフリカ、サハラ砂漠以南と出身地は変わっても、第1次大戦後のフランスは多くの移民労働者に支えられてきた。その反映である。

ルペンのキャンペーンは、フランスに人種差別を持ち込んで、白人の下層階級を取り込もうという戦略であった。また、労働組合や左派政党が、移民がフランス社会に溶け込み統合され、フランス国民の一員とみなされるようにするために積極的に活動していたので、それらへの対抗の意味合いもあった。反動として差別反対運動も起き、左右を問わず広範に支持された。移民排斥は「極右」に限定され、その代名詞となった。

しかし、郊外団地にだけはひろく一般に差別のレッテルが貼りついてしまった。

治安悪化の悪循環
新自由主義経済・グローバリゼーションで世界的に社会的な亀裂が鮮明になる中、郊外団地は貧乏人の集まる社会の吹き溜まりになった。治安も悪化する。その地区の出身だというだけで就職も難しくなる。そこにはたくさんのアラブ系や黒人の移民家族がいる。

かつては、満足に学校に行かなくても、単純労働者として働くことができ、人並みの生活ができた。だが、いまは無理だ。工場は閉鎖され、職につけたとしても、ただの使い捨てだ。いまや授業についていけないことは、人生の落伍者を意味する。努力してなんとか小学校や中学校を出たところで成功する見込みはない。確実に負けるゲームはするだけムダだ。若者はブラブラして徒党を組み、無法地帯をつくった。

「ウエストサイド物語」にあるような不良グループはフランスにはなかったのだが、1980年代から徐々にでき始め、グループ間の抗争も絶えなくなった。それを取り締まる警官は共通の敵である。

団地に派出所を作って住民との対話をしようという試みもあったが、2002年にニコラ・サルコジが内務大臣になって、白紙に戻し、威厳をもって取り締まる政策に転化した。2005年10月には、パリ郊外の問題ある団地を夜間視察。これだけでも挑発だが、案の定若者の罵声に迎えられ、サルコジ内相は、彼らを「ならず者」呼ばわりし、窓から顔を出した住人に向かって大声で、「私が退治する」と見栄を切った。その2日後、前述した2人の少年の感電死をきっかけに3週間にわたる全国的な暴動が始まったのである。

2007年にサルコジは大統領になったが、あいかわらず彼にとって団地の、特に移民系の少年たちは本質的に犯罪予備軍であった。非行少年の側の警察への敵視もまた一段階アップした。消防、学校なども権力のシンボルだと一緒くたにして敵対するようになった。2005年の暴動の前でも劣化した地区で有名な南仏マルセイユの警官は、そんな地区に入ると「上から壊れた冷蔵庫が降ってくる」と話していた。

攻撃を受けたのは、彼らの縄張りに敵が入ってきたからだった。ところが、2014年ごろからは偽の通報をして警官や消防士をおびき出して石を投げつけるようになった。エスカレートして打ち上げ花火を浴びせたり、銃で撃ったりする事件も起きた。

この隙間に入り込んだのが麻薬密売人やイスラム過激派であった。たしかに麻薬取引は前からあった。郊外団地の子が百万長者になるにはサッカー選手になるか麻薬の元締めになるかしかない、ともいわれていた。だが、コソコソと行なわれて、生活の邪魔をするようなものではなかった。ところが、いまや、建物の階段やホールなどで大っぴらに行なわれ、出入りもままならなくなっている。

イスラム過激派は、郊外団地に貼りついた人種差別のイメージを逆手に取って、若者たちに原理主義的イスラムこそ自分のアイデンティティだと植え付けた。そこにはまり込んでしまった若者たちを前にしては、親や学校の先生はもちろん、それまで機能していた地域の社会活動・社会教育をする人たちも無力である。皮肉なことに、そのために2005年以来大規模な暴動がなかった。麻薬密売人は、世の中平穏である方が商売しやすい。イスラム過激派の戦士は団地の外へ出て中東や欧州のテロ行為に向かう。若者を集めて教化するにも、隠れ家としても平穏である方がいい。

見かけは静かでも、社会の吹き溜まりになり疎外され、治安も悪化し、偏見は増大し、そのためにますます荒廃するという悪循環はずっと続いている。

不満のガス
不満のガスはどんどん鬱積した。暴走族がバイクの曲乗りなどをデモンストレーションするのを都市ロデオといい、都市近郊のショッピングセンターの駐車場や団地の中で行なわれる。その数が近年急増し、今年の3月には、たった1カ月で7000件の違反調書がつくられ、逮捕350件、100台を超えるバイクが押収された。

非行グループの抗争は麻薬密売人の抗争にとってかわった。かつてはマフィアや密売の元締めの暗殺だったが、いまは、末端の売人が犠牲者となっている。もっとも抗争の激しい南部のマルセイユでは、今年のはじめから5月21日までで19人が射殺され、さらに1人がリンチ死、もう1人が焼けた車のトランクから発見された。

もともと、郊外団地は都会に近くても交通の便が悪く、物理的に離れていたが、社会的にも疎外されてだんだんスラム化していった。それがいまやゲットー化した。ゲットーはそもそもユダヤ人の強制居住地区のことだが、まさに、そのように外界と隔絶された別世界になった。

6月30日夜、エムバペらサッカー仏代表有志がSNSで呼びかけた。「我々の多くも同じ地区の出身であり、怒りの内容は理解できるが、その形を支持することはできない」として、こう続けた。

「君たちが破壊しているのは君たちの財産であり、君たちの界隈、君たちの街、君たちが楽しむ身近な場所だ。この極度の緊張状況で我々は沈黙し続けることはできず、我々の市民的良心は、鎮静・意識・責任を持つことを求めるよう促す。平和を取り戻すために尽力しているに違いない我々の街の社会事業家・両親・兄弟・姉妹にこれらのことを求める。我々が愛着を持っている『一緒に生きること』は危機に瀕しており、それを維持するのは我々全員の責任だ(以下略)」

サッカー仏代表のデシャン・ディディエ監督も強く賛同の意を示した。

(月刊「紙の爆弾」2023年9月号より)

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広岡裕児 広岡裕児

フランス在住ジャーナリストでシンクタンクメンバー。著書に『皇族』(中公文庫)、『エコノミストには絶対分からないEU危機』(文春新書)他。

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