【連載】鑑定漂流ーDNA型鑑定独占は冤罪の罠ー(梶山天)

第44回 高熱の中、菅家さんの血液と口腔粘膜を無事採取

梶山天

栃木県下野市の自治医科大学で行われた足利事件の再鑑定の鑑定人尋問は、鑑定試料である被害者女児の半袖肌着の配分や鑑定期間のほかにもう一つ、課題が残っていた。再鑑定の請求人であり、千葉刑務所に収監されている菅家利和さんの試料をどう採取するかだった。

東京高裁の田中康郎裁判長が言うには「血液採取となれば、医師に頼まなくてはいけなくなる。刑務所の医務官に引き受けてもらえるか、仮にそうだとして、やってもらっていいのか……。頭が痛い」という。鈴木廣一教授は、口腔粘膜で十分であると強調した。その上で、「これは定評があります」と厚生労働省が使っているキットを鞄から取り出した。

「なぜ鑑定人立ち会いで血液を採らないのですか。これまで、それ以外の方法で行ったことはないのですが」。逸る鈴木教授を抑え、裁判所嘱託で何度もDNA鑑定の経験がある本田克也教授は提案した。それを聞いた田中裁判長は「そういえば、本田先生は医師でしたね。先生方は忙しいと思ったので……。試料採取は、29日に決まっていますが、ご都合はいかがですか」。日程を確認したところ、鈴木教授は無理だったが、本田教授は「何とかできます」と答えた。

「では、本田先生に採血をお願いしましょうか。それなら問題はなくなると思いますが」との岡田博子書記官の提案に、「それでいいですか」と本田教授が尋ねると、鈴木教授は承諾した。

その後、それぞれが試料を持ち帰ることになり、帰り支度をしていた時のことだ。鈴木教授が言いにくそうに「実は、私はこの後、少し寄るところがあって。それで、月曜日まで大阪には帰らない予定なのです」と言い出した。

「では、来週早々に大阪に私が直接、届けます」。岡田書記官が間髪を入れず応じた。鈴木教授は黙って試料を預けた。その様子に、鈴木教授と岡田書記官の間で打ち合わせ済みなのかという印象を持った。鈴木教授が顔色一つ変えなかったのが印象に残ったのだ。

こんな大事な鑑定試料の採取後に、何の用事があって、いったいどこに寄るのだろうか。重要な試料をなぜ、自分で持ち帰らないのか。鑑定人としての義務感に欠けているのではないかと本田教授は感じた。もし試料がすり替えられたらどうするのか。それでなくても、鈴木教授を鑑定人に推薦したのは科学警察研究所(科警研)の福島弘文所長と聞いている。まさか、福島所長と打ち合わせをするということはないだろうけれども、用事があるなら、出直せば良いのに。出張旅費は裁判所から出ているはずだ。重大事件の再鑑定をするというのに,いったん試料を持ち帰らないなんて、疑惑を招く行為は慎むべきではないか……。腑に落ちなかった。

鑑定試料を大学に持ち帰った本田教授は、直ちに白衣に着替え、検体を実体顕微鏡で観察した。比較的低倍率のこの顕微鏡で試料を見たところ、変色部分にコケのようなものを確認したが、精子は見えなかった。

事件の性質上、機密性を保持するために実験は1人で、大学から人がいなくなる深夜や休日に行うことにした。パソコンに保存したデータのファイルは、本田教授しか開けないようにパスワードをかけた。学生なども実験している機器に保存された映像チャートは分散させ、それと分からないように保存することにした。

まず、増幅感度が高いYファイラーでバンドが出なければ検査は難しいと考え、予備的に検査したところ、1回の検査ですでに増幅バンドが確認できた。試料は意外に保存性がいい、これなら鑑定ができるはず―本田教授は本鑑定に期待を抱いた。

鑑定人尋問から6日が過ぎた1月29日は菅家さんの採血日だった。本田教授は、茨城県つくば市の自宅を出て、千葉刑務所に向かっていた。前日の雨の名残か曇り空が続き、ただでさえ寒々しい冬の一日に拍車をかけていた。

本田教授は前夜から40度を超える熱が出ていた。朝も立ってもいられないほどだった。しかし、重大事件の鑑定である。身体を引きずってでもいかなければならないし、試料をなるべく早く研究室に持って帰りたい。車で行きたいが、この熱では運転などできそうもない―ためらいつつ妻のやよいさんに頼むと、事情も問うこともなく仕事を休んでくれた。

助手席のシートを倒し、ぐったりと横たわった。こんな状態で採血できるのか―不安が脳裏をかすめた。裁判官や検察、弁護士も立ち会う。採血もうまくできないような鑑定人では、信用性が危ぶまれるかもしれない。

車は渋滞をいくつかくぐり抜け、約3時間かけて千葉刑務所に着いた。千葉市郊外ではあるが、民家に囲まれた一角だ。こんなところに刑務所があるのか―本田教授は大変奇異に思った。

採血は1回で成功させなければならない。気力を振り絞って車から降りた。歯を食いしばり、背筋を伸ばして歩いた。刑務所の門に近づくにつれ、鑑定手続きがやっとここまで来たことへの感慨がわいてきた。しかしそれも、刑務所の門を見て吹っ飛んだ。あの世のものかと見紛うばかりに崇高な建物だった。

華麗な千葉刑務所は住宅街の一角にある

 

こんな華麗な門をくぐって現世と隔離されるのかと思うとぞっとした。これから会う人はこの門の向こうにいる。

本田教授は「鑑定人として来た」と守衛に告げ、入り口で署名をした。渡された首掛けを着け、案内されるまま広場を抜けて、刑務所に入った。曲がりくねった廊下は先が見通せず、窓もない。50メートルくらい歩くと、鍵を開けて出入りするシャッターがあった。

それをくぐり、面会室のような小さな部屋に通された。机がコの字型に配置され、裁判官と検察官、弁護士が既に椅子に座っていた。本田教授は机の端に立ち、汚染防止のために用意してきた術衣に着替え、キャップとマスクを身に着けた。採血器を準備して待っているとドアが開き、刑務官に連れられた人物が入ってきた。

この人が菅家さん―テレビで繰り返し報道された若かりし頃の菅家さんとは、別人のように老けている。長年の刑務所生活のためかひどくやつれ、気の弱そうな老人としか本田教授の目には映らなかった。

逮捕時の悔しそうに苦虫を嚙みつぶしたような表情で警察官に連れられた顔をテレビで見るたびに感じた不自然さが本田教授の心に蘇ってきた。本当にこの人があのような残酷な事件を起こしたのだろうか、という思いがわいたが直ちに打ち消し、鑑定人には、先入観は禁物だ、と自分に言い聞かせた。

「DNA再鑑定を実施する予定ですが、そのための採血に同意しますか」。裁判官が説明すると、菅家さんは笑顔で大きくうなずいた。喜びをあらわにした様子が本田教授にはわかった。無邪気に喜ぶその顔を見て、もしかしたら、弁護人たちが言うように本当に犯人でないのかという思いがよぎったが、直ぐに暗い気持ちになった。

弁護団からは菅家さんが無罪であるという説明を受けてきたが、もしも自分の鑑定で犯人のDNA型と一致する結果が出れば、弁護団のみならず、この人を本当の地獄へ突き落としてしまうのかもしれない。本田教授の経験では、望むと望まざるとにかかわらず、これまで検察が期待した通りの結果になっていたからである。

かわいそうであるが、今度もたぶんそうなるだろう。でも、それが真実なら仕方ないではないか。誰かがこれをやらなければならないし、私はそれを引き受けた。またそれが、法医学者としての私の仕事ではないか―。

複雑な思いを抱きながら、本田教授は菅家さんを椅子に座らせてその細い腕を取り、「今から採血します」と言って注射針を刺した。「写真を撮ってもいいですか」。佐藤博史弁護士は裁判官の了解を得てカメラのシャッターを切り、その様子を写した。

菅家利和さんの右腕に駐車針を刺して採血する本田克也教授。左端は佐藤博史弁護士

 

血管を刺す手応えがあり、注射器を引くと、赤い血が静かに注射器内に流れ込んだ。採った血液は2本の試験管に丁寧に移した。それから口を開けてもらい、頬の内側に綿棒を入れて口腔粘膜を採取した。採血などが無事に終わったのでほっとしたのか、裁判官、検察官、弁護士は笑顏で談笑していた。

「試料は私が鈴木先生のところまで責任を持って届けます」。岡田博子書記官がこう言い出したので、本田教授は鈴木教授の分として、取り分けた血液と口腔粘膜のついた綿棒の半分を氷の入ったケースに入れて密封し、書記官に渡した。

帰り際、窓のない曲がりくねった廊下を歩きながら、本田教授は思った。この建物の中には自由はない。生活しているとしても、死んでいるのと同然だ。無期懲役が死ぬまでここにいることを意味するのであれば、それは、生きているといえるのだろうか。菅家さんはここで、どんな思いで過ごしてきたのか……。

本田教授は頭を振った。鑑定に同情は禁物だ。もう考えないようにしようと自分を戒めた。刑務所の門を出ると、やよいさんの携帯に電話をかけ迎えに来てもらった。車のドアを開けて「無事に終わった」と告げると、やよいさんは笑顔でうなずいた。シートに身を置くと、緊張の糸が切れ、ぐったりとなった。高熱はまだ続いており、ふらふらしていた。その後車の中でどうしていたのか、覚えていない。おそらく死んだように眠っていたのだろう。気がつくと大学に着いていた。車を大学につけてもらい、試料を冷蔵庫に保管した。明日さっそく検査をやってみようと決めた。

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梶山天 梶山天

独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。

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