「知られざる地政学」連載(2) マスメディアの罠と「科学の政治化」に気をつけて(下)
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トリチウムだけではない汚染水
日本政府および東京電力、そしてマスメディアは今回の汚染水およびその処理、そして処理水の放出について不誠実だと指摘しなければならない。しかも、その不誠実さをIAEA(覇権国アメリカの息のかかった国際原子力機関)は追及しようとしていない。つまり、IAEAもまた不誠実だ。にもかかわらず、IAEAを味方につけ、お墨付きをもらったかのような姿勢は、科学を政治化しただけの国際機関の本質を知らない無知蒙昧の態度だ。
説明しよう。IAEAの2023年7月の報告書には、「高度液体処理システム」(ALPS)の処理プロセス(下図)が示されている。問題は、敷地内に貯蔵された汚染水がトリチウムを除くほとんどの放射性物質を除去するために処理される過程にある。本当に、汚染水の処理によって、トリチウム以外の放射性物質は100%取り除かれるのだろうか。
報告書には、ALPSシステムで処理する前に、汚染水はKURIONシステムとSARRYシステムによって定期的にセシウムとストロンチウムが除去される(下図を参照)。その後、燃料デブリの冷却に使用する予定がなくなった水は、さらに62種類の放射性核種を除去するALPS処理に送られる。つまり、ALPS処理する前の段階で、汚染水は放射性物質を含んだままのまさに汚染水だ。しかも、「ALPS処理工程ですべての放射性物質が除去されるわけではないことに注意することが重要である」と、報告書は書いている。
もちろん、トリチウム(3H)は3HOとして水に結合しているため、合理的な方法では分離できないことは常識だが(電解濃縮プロセスによってトリチウムを除去しようとする努力は、コストが非常に高いため実用化には至っていない)、報告書には、「少量の異なる放射性核種は、処理後も水中に残っており(規制値をはるかに下回っているが)、トリチウムはALPSシステムではまったく除去されない」と記されている。
ところが、同じ報告書のなかで、「日本の原子力規制委員会(NRA)は、NRAは、トリチウムはALPS処理で除去できない唯一の放射性核種であるため、他の放射性核種の排出規制値を設定するつもりはないと説明した」と書かれている。IAEAはNRAのこの「いい加減」な説明に納得したらしい。しかし、私のようなまったくの素人が読んでも、このNRAの説明はIAEAの報告書の説明と矛盾している。
報告書では、ALPS処理した水のなかに、トリチウムはもちろん残っているが、「少量の異なる放射性核種は、処理後も水中に残っており(規制値をはるかに下回っているが)」と書いているのだ。NRAの「トリチウムはALPS処理で除去できない唯一の放射性核種である」という説明との整合性を見出すことはできない。
図 ALPS処理プロセス
(出所)IAEA Comprehensive Report on the Safety Review of the ALPS-Treated Water at the Fukushima Daiichi Nuclear Power Station, IAEA, 2023, p. 4, https://www.iaea.org/sites/default/files/iaea_comprehensive_alps_report.pdf
にもかかわらず、トリチウムだけが含まれたという「処理水」という話が神話化されている。誠意をもって説明するのであれば、ここで指摘した点を日本国民はもちろん、中国人などにもきちんと説明してほしい。この矛盾点を解決しなければ、トリチウムだけを監視し、本当はALPS処理では取り切れない、まだ残されているかもしれないさまざまな放射性物質が海に流出している事実を隠蔽することになる。
マスメディアはきちんと報道しろ
マスメディアは私が指摘した矛盾点に気づいているのだろうか。ほかにも疑問点がある。2019年にフィンランドの研究者が公表した論文「福島第一廃液からの放射性核種の除去」のなかには、ALPSの3システムが並行稼働しているという話が出てくる。
最初のものは、米国のEnergy Solutions社が設計し、2013年3月に運転を開始したものであり、二番目のEnergy Solutions ALPSシステムは2014年9月に稼働開始した。日立製作所が建設した第三のALPSシステムは、2014年10月に試運転が開始された。もちろん、これらのALPSはそれぞれに性能に差がある。そうであるならば、今回、ALPSはどんな会社がつくったもので、これまでのALPSとどう違うのかということを説明してほしい。そして、なぜそのALPSで処理すると、「ALPS処理で除去できない唯一の放射性核種」がトリチウムと断定できるのかを「科学的根拠」とともに明らかにしてほしい。科学は政治化しているから、そもそも科学的根拠などは眉唾なのだ。
ついでに、マスメディア関係者は私の疑問にこたえる取材をしてほしい。
もう一つの疑問
汚染水処理問題の変遷をたどると、不可思議なことが起きる。2013年12月、IAEA審査団は、ALPS処理水の取り扱いについて、「すべての選択肢を検討すべきである」との勧告的コメントを出した。そこで、ALPS処理水の取り扱いに関する様々な選択肢を検討するため、汚染水処理対策委員会の下に、国外の技術専門家で構成される「トリチウム水タスクフォース」が設置された。その結果、「トリチウム水タスクフォース」は2013年12月に検討を開始し、2016年6月に報告書を公表した。さらに、2016年9月、汚染水処理対策委員会は、ALPS処理水の取り扱いについて、社会的視点を含むあらゆる観点から議論するため、国外の技術専門家で構成されるALPS小委員会を設置することを決定する。
その結果、2020年2月、ALPS小委員会報告書が発表される。この報告書では、(理論的に検討された多くの選択肢の中から)詳細に分析された五つの処分方法のうち、安全性への懸念、利用可能な既存技術、時間的制約を考慮すると、蒸気放出と海への制御された放出が最も現実的な選択肢であると結論づけられた。
にもかかわらず、日本政府は2021年4月に発表した、「東京電力ホールディングス福島第一原子力発電所におけるALPS処理水の取扱いに関する基本方針」では、「福島第一原子力発電所における汚染水および処理水の廃止措置及び管理を安全かつ着実に進めるため、ALPS小委員会の報告書および関係者からいただいたご意見を踏まえ、法令を遵守し、風評への影響を最小化するための措置を徹底することを条件として、ALPSの処理水を海洋に放出する」とされた。「蒸気放出」はなぜ消えたのか。
当局や東京電力は、コストが高いことが理由と説明するだろう。しかし、汚染水とも呼びうる水を垂れ流し、中国政府から日本の水産物の輸入禁止措置を受けた状況を鑑みると、この対応にかかる費用を考慮すれば、最初から蒸気放出をしたほうが賢明だったのではないか。
要するに、素人の私が疑問にもつようなことさえ、公開の場で、外国人を含めただれもが参加できるような場で、しっかりと放出問題を説明してこなかった政府の責任はきわめて大きい。そして、政府と「結託」して、この問題をしっかりと報道してこなかったマスメディアの責任も重大なのである。
『知られざる地政学』の語りたいこと
ここで指摘したようなことが過去に何度も起きたことが拙著『知られざる地政学』を読めばわかるだろう。科学を支援し、不都合な事実を隠蔽し、繰り返し人類の生命を脅かしながら、その科学技術の普及による影響力の拡大を覇権拡大と結びつけてきたのが米国だ。覇権国アメリカの虜にすぎない日本政府は、同じ「手口」をとっている。しかし、まったく不誠実なやり方は必ずしっぺ返しを受けることになるだろう。
だが、「学ぶ」という行為を「全集中」して行わなければ、つまり、「語る-聞く」の緩い関係のもとでは、ここに書いたような問題にまではたどりつけないのではないか。どうか、「学ぶ」ことの大切さに気づいてほしい。その意味で、「学ぶ」姿勢を「全集中」して貫いた成果として生まれた『知られざる地政学』を読めば、「全集中」して「学ぶ」ことの意味がわかるだろう。
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1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。