【連載】沖縄返還50年、日米南西諸島ミサイル要塞化(新垣邦雄)

第1回 連載を始めるにあたって

新垣邦雄

縁あって東アジア共同体研究所の琉球・沖縄センターに勤務し、小西誠さんの本に出会って「自衛隊南西シフト」の実態を知った。日米一体の「台湾有事」軍事態勢は、急加速で次の沖縄戦に突き進んでいる。この動きを止めるために何ができるか。自問自答しながら発信していきたい。

沖縄本島中部のうるま市勝連平敷屋。現在は静かな住宅街だが、沖縄返還前に米軍のメースB核ミサイル基地があった場所だ。同行した松尾武一さん(92)は、かつてのメースB 基地のあたりを指さし、「カマボコ型(の発射口)が幾つも並んで北の空を向いていた」と口を開いた。北の空とは?東武さん(75)は「中国だよ。そう聞いた。ナイキ(ハーキュリーズ)、ホークミサイルもあった」と振り返った。「サイレンが鳴って発射口が開き、北の空に向けてミサイルが立ち上がった」と記憶をよみがえらせた。

筆者にとって驚きの証言だった。当地での「ミサイル要塞化の危機・写真展」の開催初日、展示される「メースB核ミサイル基地」の現場を見ておこうと気軽な気持ちで平敷屋を訪ねた。写真資料を提供した立場ながら、メースBミサイル以外に「ナイキ、ホーク」ミサイルが配備されていたことを知らなかった。松尾さん、東さんの証言に衝撃を受け、遅まきながらネットや本で学び直すことになる。

US Hawk missles in defense readiness

 

『沖縄と核』。NHKスペシャル、BS1スペシャルドキュメント番組を手がけた松岡哲平ディレクターの同名の著書が詳しい。メースB核ミサイルは射程2400キロ。中国、ソ連、東南アジアを射程範囲に置き、米空軍報告書は沖縄メースBのターゲットを「中国の複合工業都市。重慶、武漢、上海、北京など」と記しているという。沖縄メースB基地は、「勝連町平敷屋、読谷村瀬名波、恩納村、金武町」の4カ所に配置された。それぞれカマボコ型の発射口を8連横並びに構え、4×8=32発、予備4発を含め計36発の「中国をターゲット」とする地対地核ミサイルを向けていたのだ。

平敷屋には中国に向けたメースBだけでなく、「ナイキ・ハーキュリーズ地対空核ミサイル」も配備されていた。松岡氏の『沖縄と核』によると「ハーキュリーズ」発射基地は、1958年以降、県内8カ所に配置された。

なぜ沖縄に「メースB攻撃核ミサイル」だけでなく「ハーキュリーズ迎撃核ミサイル」が配備されたのか。同書によると在沖米空軍は「沖縄は敵核ミサイルの最大のターゲット」と認識し、攻撃可能性が高い基地として「嘉手納基地」「普天間基地」「ホワイトビーチ」を想定していた。嘉手納弾薬庫は多数の核兵器を貯蔵。「核を防衛するための核」として、敵ミサイルや戦闘機群の来襲を一網打尽に破壊する「地対空核ミサイル」を配備していたと解き明かしている。

米空軍最大拠点の嘉手納基地、核を貯蔵した嘉手納弾薬庫。そこを取り囲む読谷村、恩納村、勝連平敷屋にハーキュリーズ迎撃核ミサイルは配備された。読谷、恩納、平敷屋はメースB攻撃核ミサイル基地でもあった。攻撃と防御は表裏一体。嘉手納、普天間、ホワイトビーチの米軍重要基地は、攻撃と防御の「核ミサイル要塞地帯」であったことをまざまざと思い知らされる。

平敷屋公民館の「ミサイル要塞化写真展」で60代女性は、「夜の7時、8時ごろ。サイレンが鳴り家の電気が消えた。家族が背中を丸めて身を伏せた」と振り返った。メースB、ハーキュリーズ基地があった当時、平敷屋地区の灯火管制〝住民訓練〟を証言した。米陸軍で勤務していた70代男性は、読谷村残波岬で「ハーキュリーズの発射訓練」を何度か目にした。「ミサイルは白い煙を引き空の彼方に消えた」。80代男性は「芝生の土が轟音を立てて左右に開き、ミサイルが立った」。ミサイルの色は、「白」、「銀色」で一致する。

平敷屋の高台は米軍「ホワイトビーチ」を見下ろす。「陸軍桟橋」と「海軍桟橋」に軍艦が並んでいた。基地ウオッチャーの地元女性によると米海軍ラルフ・ジョンソンミサイル駆逐艦と自衛隊のミサイル駆逐艦という。「ミサイル写真展」学習会の一行も高台に足を運び、平和ガイドの森根昇さんが「米軍、自衛隊が共用し、国連軍基地でもある」と解説した。正しくは「朝鮮国連軍」の基地である。朝鮮有事となれば日本政府との事前協議なしに米軍が出動することが日米間で密約されている。

ホワイトビーチを見下ろす右手の山に陸上自衛隊勝連分屯地のレーダーがそびえる。勝連分屯地は地対艦ミサイル部隊配備が計画され、地対艦連隊本部も置かれる。東浜光雄・うるま市市議が「左隣には海上自衛隊基地。米軍ホワイトビーチと陸自、海自基地が一体運用され、共同訓練を重ねる日米の重要軍事拠点。台湾有事でまっ先に中国ミサイルの標的になる」と解説した。

うるま市勝連地区の「ミサイル要塞化の危機・写真展」は3月末から4月、勝連地区の4公民館で毎週末に連続開催された。写真資料を東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センターが提供。筆者は同センターの前事務局長として会場や現地学習会に立ち会った。主催は「ミサイル配備から命を守るうるま市民の会・準備会」。勝連分屯地への地対艦ミサイル配備に危機感を募らせ、写真展を契機に市民の会を正式発足し、陸自ミサイル配備反対を突き上げることにしている。

奄美―与那国の南西諸島の島々に、自衛隊の地対空・地対艦ミサイル部隊の配備が進んでいる。写真展は、島々の自衛隊、米軍のミサイル部隊配備、地元の反対運動を写真・イラストやアニメ動画で紹介している。

陸自地対艦ミサイルは現在の射程200㌔を900㌔以上へ射程延長を進める。防衛省は、迎撃不能な不規則飛行の「島嶼防衛用高速滑空弾」の開発・配備を計画する。「離島防衛」と銘打ち、南西諸島配備の意図は明白だ。

自衛隊だけではない。写真展開催中の4月2日、共同配信の「米軍、超高音速ミサイル配備」が地元両紙に載った。「米陸軍が開発中の長距離の極超音速ミサイルや中距離の対艦ミサイルなど最新鋭の地上配備型ミサイル3種類を、2023年末までに配備」。「米軍は沖縄を含む第一列島線への地上配備型中距離ミサイル網の構築を検討」とある。

在沖米軍は嘉手納の空軍、普天間などの海兵隊が中心で、陸軍の存在感はない。その「米陸軍」が、新たに「超高音速ミサイル」を南西諸島に配備するというのである。海兵隊も従来の「揚陸強襲部隊」のイメージを一新、ミサイル部隊の配備を計画している。

米軍、自衛隊が最新鋭、長射程のミサイル網を南西諸島に配備。台湾有事に対処する「南西諸島の日米ミサイル要塞化」が急速に進みつつある。

写真展は米軍の核搭載可能な中距離ミサイルの沖縄、アジア配備の琉球新報記事も展示している。米エスパー国防長官(当時)は「中距離ミサイルは核搭載でなく通常兵器の配備」とことさらに強調した。沖縄、日本配備を念頭に、「核搭載でなく通常兵器」と目くらましをかけたのだ。

写真展は1969年、佐藤ニクソン「72年沖縄返還、核抜き」声明(日米共同声明)と、その裏側にあった「緊急時の沖縄核再持ち込み、核貯蔵施設の維持」密約文書も展示する。安倍晋三元首相らの「核共有論」は、配備地を名指しはしないが日米が「核持ち込み」と「核貯蔵」を密約する沖縄以外にはありえない。その虚構と欺瞞を指摘する地元紙社説や論壇に載る県民の声も展示している。

「沖縄返還」から50年。内実を問う記事や県民の声が地元紙を埋めている。生活レベルは上がったが、基地との共存、「次の沖縄戦」「核ミサイル戦争」の危機に県民はどう向き合うか。県民の危機認識と覚悟が問われている。

新垣邦雄 新垣邦雄

1956年、沖縄県コザ市生まれ。コザ高校、明治大学卒業。琉球新報で社会部長、東京支社長。関連会社を経て東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センターに所属。2020年4月から同事務局長。同センター発刊『虚構の新冷戦 日米軍事一体化と敵基地攻撃論』(芙蓉書房出版)監修。22年3月退任。「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」事務局。

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