【連載】知られざる地政学(塩原俊彦)

「知られざる地政学」連載(8)「恫喝」におびえるロシアの軍需産業

塩原俊彦

 

 

 

日本には、ロシア経済の「現実」を語れるだけの人物がほとんどいない。仕方ないので、私自身が2023年3月8日、このサイトにおいて、「動員経済の裏側:「国防支援調整会議」=「ゴスプラン2.0」?」を公開した。あるいは、同年4月刊行の拙著『ウクライナ戦争をどうみるか』においても、ウクライナ戦争勃発から1年間ほどのロシア経済について分析しておいた。
しばらく時間が経過したので、ここでロシア経済について論じてみたい。その際、注目するのは狭義の軍産複合体、すなわち軍需産業である(岩波新書『ロシアの軍需産業』を読めば、その基礎中の基礎知識が多少なりとも身につくだろう)。なお、広義の軍産複合体については、『知られざる地政学』〈上巻〉(第5章第3節「軍産複合体の影」)において考察した。こちらを読めば、いま何が問題になっているかがわかるだろう。

戦時経済体制
ロシアはいま、戦時経済体制にある。それを統率しているのが「国防支援調整会議」だ(詳しくは拙著『ウクライナ戦争をどうみるか』186~190頁)。とくに注目すべきなのは、2022年9月24日付で制定された連邦法「ロシア連邦刑法およびロシア連邦刑事訴訟法第151条の改正について」である。

「国家防衛命令に基づく国家契約の条件または国家防衛命令を履行する目的で締結された協定の条件の違反は、罰金に処する」とか、「国家防衛命令に基づく国家契約の条件または国家防衛命令を履行する目的で締結された協定の条件に違反し、当該国家契約または協定の価格の少なくとも5%、500万ルーブルを下回らない額の損害をロシア連邦に与えた場合、または国家防衛命令の任務を履行しなかった場合、移動の自由を剥奪され、または選挙権を剥奪されることにより処罰される」といった規定が追加されたことで、法執行機関は防衛秩序違反に対して納入業者に刑事責任を問うことができるようになった。

たとえば、「国家防衛命令に基づく国家契約の条件、または国家防衛命令を履行する目的で締結された協定の条件に職員が違反し、当該国家契約または協定の価格の少なくとも5%、ただし500万ルーブルを下回らない額の損害をロシア連邦に与えた場合、または国家防衛命令の任務を履行しなかった場合、5年から10年の禁固刑に処され、一定の地位に就く権利が剥奪される」という規定は、軍需産業幹部にとって死活問題となるだろう。

この法律案はもともと、ウラジーミル・プーチン大統領の指示に基づいて作成され、2022年7月、政府によって議会に提案された。ユーリ・ボリソフ副首相は、法案は国防産業複合体(狭義の軍産複合体)の仕事を最適化するためのものだと強調していたことが知られている(資料を参照)。ボリソフの発言を別言すると、「国防発注契約が遅延した場合、牢獄行きだぞ」という脅迫が制度化されたことを意味している。

強面メドヴェージェフの復活
ロシア安全保障会議の副議長、ドミトリー・メドヴェージェフは、2022年12月、プーチン大統領令により、ロシアの国防産業を統括する軍事産業委員会の第一副議長に任命された。安保会議も軍産委もプーチン自身が議長を務めている。また、第一副議長ポストの導入により、議長または第一副議長のいずれかが、議長に代わって軍産委員会の会議を主宰することができることになった。なお、当時、軍産委副議長は、副首相兼産業・商業相のデニス・マントゥーロフであったが、メドヴェージェフはその上のポストに得たことになる。つまり、メドヴェージェフはプーチンに次ぐナンバー2の座に復活したともいえるのだ。

メドヴェージェフは2023年3月、軍産委員会の作業部会で、1941年9月17日付のヨシフ・スターリンCPSU中央委員会書記長からの電報を読み上げたと報じられている(2023年3月23日付RBKを参照)。その中身は、つぎのようなものだ。

「チェリャビンスク・トラクター工場への戦車外板供給の注文を誠実かつ期限通りに履行するようお願いする。祖国への義務を果たしてほしい。数日後、もしあなた方が祖国に対する義務違反者であることが判明すれば、私はあなた方を祖国の名誉と利益を無視する犯罪者として叩き始めるだろう。」

どうだろうか。ロシアの本当のムードが理解できるのではないか。この3月の段階で、ほとんどの防衛関連企業は3交代制に移行していた。まさに、「恫喝」によって、いまのロシアの軍需産業は懸命に戦車などの兵器を生産しているのだ。

2023年6月になると、プーチン大統領は、産業・商業省に対し、「無駄のない生産」手法によって国防企業の生産量を増やす対策を講じるよう指示したことが知られている(資料を参照)。こうして、2023年9月21日付のThe Economistは、「英国政府関係者によれば、ロシアは現在、年間約200輌の戦車を生産できるという」と書いている。別の専門家は、「改修された戦車も含めると、本当の数字は500輌から800輌になる」という。半導体のような重要な部品は香港や中央アジア経由で密輸されているため、西側の制裁は生産量をさほど圧迫していないらしい。

刑罰におびえる軍需産業幹部
とはいえ、恫喝だけでは武器を生産することはできない。実は、2014年以来、期限内に調達が間に合わない件数は着実に増加する傾向にある(下図を参照)。ウクライナ戦争がはじまって以来、ロシア連邦反独占局は軍需工場の従業員419人に対し、契約した商品を納入しなかったとして罰金を科したという。しかし、実際の違反件数は、連邦反独占局が罰金を科した従業員から連邦反独占局に申し立てがあった件数で計算されているため、はるかに多い可能性が高い。前述の刑法などの改正で、違反を繰り返した者は刑事訴追を受け、最高10年の実刑判決を受ける可能性がある。

 

図 国防発注関連の違反件数の推移
(出所)https://novayagazeta.eu/articles/2023/09/18/last-chance-saloon

2023年9月18日の「汚職にまみれ、部品不足のために調達契約に応じられなくなりつつあるロシアの国防メーカーは、不安定な立場に置かれている」という記事によれば、生産ラインの遅れの主な原因のひとつは、慢性的な部品不足である。欧米諸国による対ロ制裁で、ロシア企業は航空機、防空システム、車両の製造に必要な半導体やその他の電子部品を購入することはほとんど不可能になっている。航空と造船は輸入された西側諸国の部品にもっとも依存している二つのセクターだ。

2023年1月16日になって、「イズベスチヤ」は、「ロシアは航空機のいわゆるカニバリゼーションを合法化した。12月下旬、閣僚会議は政令第353号の改正案を採択した」と伝えた。これは、ロシアの航空会社や企業に、一部の旅客機から修理可能なスペアパーツを取り外して、他の旅客機に搭載したり保管したりする権利を与えることを許可することを意味している。もはやロシアの軍需産業は末期的症状を呈しているともいえる状態にある。
すでに民間航空機では、下図に示されているように、外国製民間航空機の事故が急増している。

 

図 外国製航空機および国産航空機のロシア航空事故の推移
(出所)https://novayagazeta.eu/articles/2023/09/21/flying-blind-en

問題は部品だけにとどまらない。人で不足が深刻化しているのだ。一説には、国防産業全体の人員不足は50万人近くに達し、そのうち約12万ポストには特別な資格をもつスタッフが必要だという。国家統計局によると、2022年末までに、40万人が国防部門に雇用されたが、熟練工が確保されたわけではない。

ロシアが長年抱えてきた人口動態の問題に加えて、動員の網がかかったことで、深刻な人手不足に陥った。現在、失業率が歴史的に低い3%にとどまっていることは、実はプラスではなくマイナスの指標である。最新の統計によると、給与は16%増加しており、輸入品に対する消費者の需要を刺激し、ルーブル安のさらなる要因となっている面があるのだ。

国防費の増大
予算面からみると、「連邦予算に占める国防費の割合はすでに37%に達しており、年末までには45%に上昇する可能性がある」との見方がある。37%という数字は、2023年8月にロイター通信が伝えた報道に基づいている。ロシアは2023年の国防支出目標を1000億ドル(約12兆ルーブル)以上に倍増させ、全公共支出の3分の1に達することが、ロイター通信が調査した政府文書で明らかになったというのだ。2023年上半期の国防費は5兆5900億ルーブルで、この期間に支出された総額14兆9700億ルーブルの37.3%にあたるという。

ロシアの予算計画では、総資金の17.1%を「国防」に費やすことになっている。
ロイター通信が入手した文書に基づいて計算したところ、ロシアは最初の6カ月間で、2023年全体として当初計画されていた予算支出の19.2%を国防費に費やしていた。今年上半期の予算歳出は、2022年の同時期を2兆4400億ルーブル上回った。同文書によれば、その追加額の97.1%が国防部門に向けられたのである。同文書は、年間国防費の新たな見積もりとして9兆7000億ルーブルを提示した。ロシアはすでに、新たな年間防衛予算の57.4%を支出していると、ロイターは指摘している。

2024~2026年予算案
9月22日の会議で、ロシア政府は2024年から2026年までの連邦予算案とこの期間の社会経済発展予測を含む広範な予算パッケージを承認した(同月29日に下院に提出した)。2024年度予算の歳入は35兆ルーブル、歳出は36.66兆ルーブルとなる。2023-2025年予算法では、歳入が27.2兆ルーブル、歳出が29.4兆ルーブルとされていた。歳出増加は、プーチン大統領のメッセージを実行するための措置の資金調達が大幅に増加したためと説明されている。つまり、国防費増が背景にある。それでも、2024年の赤字額は1.6兆ルーブル、GDPの約0.9%だ。

この予算のもととなったマクロ経済の基本指標は下表に示したとおりだ。予算案では、基本石油価格を1バレルあたり60ドルと設定している(マクロ予測によると、2024年のブレント原油の平均価格は1バレルあたり85ドルになるが、表では、ロシア産石油価格として71.3ドルとした)。


(出所)https://expert.ru/expert/2023/41/byudzhet-dlya-pobedy/

有力紙「ヴェードモスチ」によれば、2024年に政府が予定している最大の支出分野は、国民経済(10.7%、3.9兆ルーブル)、社会政策(21.1%、7.7兆ルーブル)、国防(29.3%、10.7兆ルーブル)、国家安全保障(9.2%、3.4兆ルーブル)であるという。別の情報では、10兆8000億ルーブルが国防費に充てられるが、これは予算総支出の29.4%、GDPの6%にあたる。国防費の前年比増加率は68.2%、実質で60.9%になるという。これらの支出は国防だけでなく、新領土の開発にも使われる可能性がある点に留意が必要だ。

これは、社会政策歳出にもあてはまる。2024年には、前述したように、全体の21.1%にあたる7.7兆ルーブルが支出される予定(2022年との比較では、名目で19.1%、実質で14%の増加)だが、とりわけ軍人および軍人に準ずる人々への年金、住居を失った市民への社会的支援、軍用住宅ローン、子供のいる家庭への支払いなどが含まれている。増加の大部分は、軍人の状況を改善し、新領土の住民の面倒をみるためとされている。

「ロシア政府の仕事における重要な優先事項は、近代産業の創出である。法案は、民間産業を支援するために2兆7000億ルーブル以上を想定している」とアントン・シルアノフ財務相はのべている。また、自動車産業、航空機製造、無人航空機システム、工作機械、無線電子機器、造船への支援が行われるとした(財務省の公表資料を参照)。

承認された政府予算案について、ロシアの有力紙「コメルサント」は、「当局にとっては快適なものである」と指摘している。つまり、ロシアにはまだ余裕があるといいたいのだろう。

いずれにしても、プーチンによる恫喝にもと、ロシア経済は破綻から距離を置いているようにみえる。しかし、破綻が徐々に迫っていることだけはたしかだろう。恫喝や脅迫だけでは国家を統治することはできないからだ。
なお、次回の連載では、「ウクライナの軍需産業を育てる欧米諸国の政策」を論じることにしたい。

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塩原俊彦 塩原俊彦

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士。評論家。一連のウクライナ関連書籍によって2024年度「岡倉天心記念賞」を受賞。 著書:(2024年6月に社会評論社から『帝国主義アメリカの野望:リベラルデモクラシーの仮面を剥ぐ』を刊行) 【ウクライナ】 『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社、2023)、『復讐としてのウクライナ戦争』(社会評論社、2022)『ウクライナ3.0』(同、2022)、『ウクライナ2.0』(同、2015)、『ウクライナ・ゲート』(同、2014) 【ロシア】 『プーチン3.0』(社会評論社、2022)、『プーチン露大統領とその仲間たち』(同、2016)、『プーチン2.0』(東洋書店、2012)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店、2009)、『ネオ KGB 帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店、2008)、『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社、2005)、『現代ロシアの経済構造』(慶應義塾大学出版会、2004)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書、2003)などがある。 【エネルギー】 『核なき世界論』(東洋書店、2010)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局、2007)などがある。 【権力】 『なぜ「官僚」は腐敗するのか』(潮出版社、2018)、『官僚の世界史:腐敗の構造』(社会評論社、2016)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた:官僚支配の民主主義』(ポプラ社、2016)、Anti-Corruption Policies(Maruzen Planet、2013)などがある。 【サイバー空間】 『サイバー空間における覇権争奪:個人・国家・産業・法規制のゆくえ』(社会評論社、2019)がある。 【地政学】 『知られざる地政学』〈上下巻〉(社会評論社、2023)がある。

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