【連載】鑑定漂流ーDNA型鑑定独占は冤罪の罠ー(梶山天)
筑波大の本田克也教授が再鑑定で出した半袖下着の型は「18‐24型」だった。

第48回 「もう疲れました」と鈴木教授、気になる背後の動き

梶山天

再鑑定が終盤を迎えていた。また、筑波大学の本田克也教授の携帯に大阪医科大学の鈴木廣一教授から電話が入った。2009年4月9日午後6時頃だった。いきなりは、相も変わらずで、「私の方でも急遽、MCT118部位の検査をやりました。本田先生の検査で、科警研(科学警察研究所)の型とは違っていたというのは本当ですか?」。

本田教授は「ええ、違いました」。すると、鈴木教授は「こちらでもやったのですが、バンドが1本しか出ない時もあり、結果が安定しません」。

鈴木教授はMCT118法をするとは言わなかった。すでに他の鑑定で十分な結果を出しているというのに、鑑定書を提出する直前になってなぜ、検査をしたのだろう、と本田は訝しんだ。

前回の電話で、本田教授自身は、十分な結果が出ていると信じていた。これ以上やる必要のない、やるつもりもなかった鑑定を行ったのは、どこからか何らかの要求があったとしか考えられない。

大阪医科大学の鈴木廣一教授が再鑑定で使ったとみられる旧式の「ジェネティックアナラーザー」(310機器)。型判定に狂いが生じることが分かっている。

大阪医科大学の鈴木廣一教授が再鑑定で使ったとみられる旧式の「ジェネティックアナラーザー」(310機器)。型判定に狂いが生じることが分かっている。

 

鈴木:「菅家さんは18‐29型で、これはいいね。肌着は、聞き間違いがなければ18‐24型ですか」

本田:「そうです」

鈴木:「うちでは出方がバラバラで、24は出るけれども、18はでない」

本田:「24が出るならいいじゃありませんか。私の鑑定でもそうですが、旧鑑定で犯人の型とされた18‐29型は出ないのでしょう?」

鈴木:「出ないね。でも、2人の結果は一緒でないとまずいのではないか」

鈴木教授は心配そうな声で答えた。なぜ、MCT118法だけは2人の結果の一致にこだわるのか、不思議だった。本田教授は、それを言うなら、最初から他の鑑定が2人が一致していないから実験を繰り返してもらえないか、と何度もお願いしたのに聞く耳を持たなかったくせに、と心の中で叫んだ。このままでは菅家さんの無罪まで危なくなると思い、あえて、鈴木教授と違っている箇所は鑑定書に記さないことにしたのだ。

本田:「そういうことはないと思いますが。私の実験について言えば、MCT118法は自信があります。だから、鈴木先生にはもう少し、(MCT118法以外の)検証実験をして頂きたいのです。この検査法は実験条件が難しいので、万が一にも誤っていてはいけませんから。私の場合、この結果を鑑定書に書かなければ、中身が希薄になります。だから、これだけは絶対、譲れません。先生がその結果を出さないのであれば、私が全責任をかぶります、安心してください。ただ、強いて言えば、これは常染色体検査なので、あるいは被害者のDNA型ではないか、という可能性はゼロではありません。本当は、それが分かればいいんですが……」

鈴木教授は、これまで聞いたことのないような弱々しい声で返事をした。

鈴木:「もう、帰りますわ。もう、疲れました」

本田:「家に帰るって、どこの家ですか。遠いのですか」

鈴木:「自分の家ですよ」

筑波大の本田克也教授が再鑑定で出した半袖下着の型は「18‐24型」だった。

筑波大の本田克也教授が再鑑定で出した半袖下着の型は「18‐24型」だった。

 

鈴木教授の落ち込み方に、誰かに脅されているのではないか、と本田教授は感じた。菅家さんが無罪になるのはどうしようもない。しかし、MCT118法による間違いだけは、「何としても本田教授には出させないでくれ」、「一致しない結果は出さないようにしようと持ちかけて、MCT118法の結果を鑑定書に書かないよう働きかけてくれ」―そんな依頼をされたのではないか。しかし、それを断った。鈴木教授はその誰かに問い詰められることを恐れているのではないか。

この想像が誤っているなら、逆になぜ、検察や科警研は正しい型が提示されることをこれほどまでに怖がるのか。もしかしたらすでに、鑑定方法の誤りにどこかの時点で気づいているのではないか。いや、そうとしか考えられない―本田教授は決めた。真実を明らかにするために、法医学者としてのプライドを懸けてMCT118法を成功させる、と。恐ろしい闘いになることを覚悟した。

一連の経緯は、本田教授にとって弾圧ともいえる不当な干渉に曝される契機ともなった。検察は裁判の目的を菅家さんの有罪判決を維持することではなく、科警研の権威を守ることに変更したからだ。DNA鑑定をつぶすだけではなく、本田教授の法医学者としての生命を奪うことに傾注したのだ。しかし、賽(さい)は投げられた。本田教授は全力で突き進むしかなかった。

4月20日のことだった。本田教授の携帯に何件もの着信履歴が残っていた。手が空いてタイミングよくかかってきた電話に出てみると、共同通信の記者だった。

「検察側の鑑定では、肌着と菅家さんのDNA型が違っていると聞いたのですが、先生の結果はどうですか」。予想もしなかった質問に、本田教授は腰が抜けそうになった。裁判所に鑑定書を提出する前に、なぜこんなにも早く結果が漏れているのか。怒りのあまり、頭がクラクラした。「まだ結果は出ていません。取材は鑑定書を出した後にしてほしい」と答えるのが精一杯だった。鑑定書を書く気力も失そうになるのを、かろうじて堪えた。

翌日の新聞やテレビでは、すっぱ抜かれた鑑定結果が大々的に報じられていた。しかも、午前中のニュースでは、検察側の鑑定では、菅家さんと型が違うと報道されたのが、午後になると、検察側と弁護側の鑑定でいずれも違うと変わった。その話題に接するたびに、本田教授の頭の中は、ぐるぐると渦巻いた。

本田教授は鈴木教授以外、誰とも鑑定の結果を話していない。弁護団にもだ。それなのに弁護側の鑑定とは、どういうことか。鈴木教授から結果が漏れたのは明白だが鈴木教授が漏らした相手は果たして誰なのか―本田教授は苦悶した。

それからというものは、連日、取材の嵐に見舞われた。本田教授を付け回すNHK記者もいた。研究室の前に居座ったり、エレベーターで待ち伏せするなど辟易したが、
相手にしなかった。

他の報道関係者も入れ代わり立ち代わり訪れ、電話も殺到した。「結果はまだ分からない。最後の確認をしているところだ」とそう言って取材を断るしかなかった。

この報道以降、他の教授や職員たちと共有している鑑定データが流出するのを防ぐため、別のパソコンにデータを移し替えする作業も必要になった。想定外の緊急事態が発生し、鑑定書の作成を一時的に中断せざるを得ず、本田教授は、ほとほと困り果てた。

取材の嵐に晒されている4月の終わり、「鑑定書は期日までに提出できますか」と、東京高裁の岡田博子書記官から久しぶりに電話がかかってきた。ゴールデンウィーク明けに提出すると本田教授が言うと、「それでいいのでお願いします」と書記官は答え、電話を切ろうとした。

この再鑑定期間の非常事態を伝えておかなければならない。そう考えた本田教授は、岡田書記官に訴えた。「鑑定書を提出する前にこの報道です。私は、弁護士にも漏らしていません。私が話をしたのは、鈴木先生だけなので、検察から報道機関に漏れていることは明らかです。鑑定書作成の妨害になっており、大変に困ります。厳重に注意していただきたい」。

話を聞いた岡田書記官は沈黙し、しばらく間をおいて淡々と答えた。「そうですね。そのようなことがないように注意してください」。

私が嘘をついているとでも言うのか―本田教授は不快に思ったが、確かに菅家さんの無罪に繋がる結果を喜んで出すとすれば、弁護側の人間である。検察側から漏れるということは考えにくい。本田教授がリークしたと世間一般には思われるだろう。本田教授の信用性に傷を付ける意図でこの情報を流したとすれば、巧妙な罠であると考えざるを得なかった。

それにしても、なぜこんな早く鑑定結果を漏らす必要があったのか。弁護側の手柄とされる前、つまり鑑定書が提出される前に検察から公表することによって先手を打ちたかったのか。再鑑定の結果に疑義があり争う余地があれば、鑑定の内容を検討もせずリークするなどありえない。しかも、結果が公表されたとなっては、鑑定書の中身に興味を持つ人間はいない。書く方も気力を失う。裁判所もすでに結果を知ってしまった―本田教授は嫌な気分に襲われた。

結局、本田教授の訴えに対して裁判所から返事はなかった。その不誠実な対応に不満を覚えた。その後、6月に大阪で、開催された日本法医学総会で、鈴木教授に会う機会があった。リークのいきさつを聞くと鈴木教授は「北陸から来ていたNHKの記者に心を許し、つい鑑定結果をしゃべってしまった」と苦笑いしながら答えた。リークはそれだけではないのかもしれないが鈴木教授はいうなれば「戦友」である。1人でこの重大な結果を抱え込むことに耐えきれなかったのかもしれない。本田教授はその心を思いやった。

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梶山天 梶山天

独立言論フォーラム(ISF)副編集長(国内問題担当)。1956年、長崎県五島市生まれ。1978年朝日新聞社入社。西部本社報道センター次長、鹿児島総局長、東京本社特別報道部長代理などを経て2021年に退職。鹿児島総局長時代の「鹿児島県警による03年県議選公職選挙法違反『でっちあげ事件』をめぐるスクープと一連のキャンペーン」で鹿児島総局が2007年11月に石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞などを受賞。著書に『「違法」捜査 志布志事件「でっちあげ」の真実』(角川学芸出版)などがある。

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