犠牲者はだれだ? ナクバを不問にする欧米「国際社会」、繰り返すイスラエル(上)
国際先週土曜日、エジプト・シリアが領土奪回をめざした 1973 年第 4 次中東戦争の翌日 ヨム・キプール(贖罪の日)にあてた 10 月 7 日、全パレスチナの解放をめざすガザの 抵抗組織ハマスがフェンスや壁を越えてイスラエル領内深くに 1000 人を超える戦闘員 を送り込み、かつてない奇襲攻撃を成功させた。ハマスのガザ実効支配 16 年、ナクバ 75 年、たえず敗北と被虐を積み重ねてきたパレスチナ人の反占領抵抗運動の意を決し た反撃は世界に衝撃を与えた。
イスラエルのガザ「報復」は翌日からはじまり、今日現在(11 日)で双方の死者は 2000 人を超えた。陸海空完全封鎖の「天井のない監獄」、世界一人口密集のガザ地上侵 攻となると一般市民を巻き込む大量無差別殺戮も危ぶまれる。イスラエルが電気・水・ 食料・燃料・医薬品などすべての物資を遮断・封鎖するならば、飢餓の殲滅も起こりか ねない。
テレビ、新聞の報道をみると、相変わらずガザを実効支配するイスラム原理主義組織 ハマスの「テロ攻撃」、イスラエル民間人犠牲の数々と 100 人を超える人質の安否、そ して常套句である「暴力の連鎖」はいつまで続くのか、サウジ、イラン・米欧パワーゲ ームの様子見で締めくくられる。「テロ組織ハマス」だけを悪の標的にするパターンは 変わらない。「テロ組織」の烙印は、「自衛国家」の正当化と歴史的現実の消去を一挙に 果たす報道マジックとなっている。「ハマスを壊滅させる」(ネタニヤフ)ことは 200 万人のガザ市民を殲滅することだ。
そもそも戦後、イスラエルほどあからさまな軍事侵略による領土獲得・国家建設はな かった。ナクバは、イスラエル建国の翌日から始まる 1948 年 5 月 15 日第一次中東戦争 開始の日に当てられているが、その前年イギリスが委任統治を国連に丸投げし米ソ画策 の不公正で違法な「国連分割決議(1947 年 11 月 29 日)」直後から、入植者のシオニス ト民兵によるパレスチナ村落への武力襲撃が始まっていた。テロ組織イルグンやシュテ ルンによる 1948 年 4 月 9 日ディル・ヤーシンの虐殺(260 人)など建国以前の暴虐こ そ「ナクバ(大災厄ジェノサイド)」の始まりであった。5 月 14 日の夜あわてて独立宣 言を果たしたのが「イスラエル建国」であった。この戦争で 80 万人のパレスチナ難民 が生み出されたが、翌 49 年には国境も定まらないイスラエルが「平和愛好国家」とし て国連に迎えられる。世界人権宣言と国連憲章でスタートしたかにみえる国際社会は、このパレスチナ人被虐のナクバを不問にして始まったわけだ。75 年後の今日まで。
1967 年の「六日戦争」(第三次中東戦争)で、東エルサレムを含むヨルダン川西岸、 ガザ地区、シナイ半島、ゴラン高原を占領し領土を拡大したイスラエルは、パレスチナ 人の抵抗運動インティファーダ(民衆蜂起)を日常的に武力弾圧するシステムをつくり、 少年も含む恣意的拘束拘禁、無差別深夜家屋急襲、アパッチヘリやスナイパーによる殺 戮、コラボレーター(協力者・間諜)による共同体の分断、数百か所の検問所による移 動制限、総延長 700 キロ超の分離壁による水源確保と移動制限隔離、家屋破壊、土地強 奪、入植地増大、入植者の日常的暴力、ガザ封鎖、間欠的なガザ集団懲罰空爆、人種差 別と民族浄化、世界各地での要人暗殺を恣ままにしている、そもそも建国の動機からし て野蛮な軍事占領国家、侵略国家、テロ国家、アパルトヘイト(人種隔離)国家、人種 差別国家など、戦争犯罪と国際法・国際人道法違反のオンパレード国家であることは、 まぎれもない歴史の現実である。あろうことかイスラエルは、パレスチナ人の人権団体 パレスチナ人権センター(PCHR)をふくむ反占領の闘いとすべての「反イスラエル」 を「反ユダヤ主義組織」のレッテルで攻撃する。もともと中東に植民地主義的な橋頭保 を築こうとした米英欧など西側「国際社会」の容認バックアップなしには存立できない 国家なのである。(※遅きに失したともいえるが占領国家の性格がよくわかる秀作のビデオ: BS 世界のドキュメンタリー『ねらわれた少年たち―ヨルダン川西岸パレスチナ自治区アイダ難 民キャンプ』NHK 2022 を観ていただきたい。)
このたびの奇襲攻撃を、バイデンは「まぎれもない邪悪な行為、まさに悪の所業」と 断罪した。ネタニヤフはハマスを「野蛮なケダモノ」と名指した。しかし、上に述べた 数十年から 75 年に及ぶパレスチナ人の日常的な苦難の日々を思うと、とくにガザの 人々の「いつ殺されて死ぬか、闘って死ぬかわからない…」という限界状況の「まぎれ もない邪悪な行為」をだれが強いてきたのか、私たちは深く考える必要がある。
ちょうど 30 年前、冷戦崩壊後の 1993 年オスロ合意が結ばれた。互いを交渉相手とし て認め合ったというが、ライオンとネズミのように圧倒的武力の差では対等の交渉はあ りえない、イスラエルのサボタージュにどこまでも引きずられる「まやかし合意」に終 わった。イスラエルを容認した国際社会の関与を閉じて相互の交渉にまかせるというこ とは、不法なイスラエルを容認した国際社会の責任をも免罪したことになる。イスラエ ルは占領地からは撤退せず、合意時点の入植者は 11 万人だったのが、30 年後の現在、 50 万人を突破してパレスチナ人を日々襲撃している。パレスチナ自治政府(PA)は、 もはやイスラエルの出先コラボレーター(協力者)に成り下がっている。当時、ラビン 首相とペレス外相、PLO 議長アラファトにノーベル平和賞が授与されたが、「ディル・ ヤーシンの虐殺」などナクバ・ダーレット計画のメナヘム・ベギンも平和賞をもらっている。ノーベル平和賞は、国際政治の演出賞か。
今回の奇襲作戦をハマスは、「アル・アクサ嵐作戦」と名付けた。まずシャロンが 2000 年にハラム・アッシャリーフ(神殿の丘)に侵入し第二次インティファーダのきっかけ をつくった。その後、オスロ合意の反故を確実なものにしたイスラエルは、治安部隊を 送り込み 3 年ほど前からイスラームのアル・アクサ・モスクで狼藉を働くようになった。 ことしの 4 月には、イスラエル治安部隊が礼拝していたパレスチナ人 450 人を拘束した。 シオニスト右派がなだれ込んだり金曜日の聖域ハラム・アッシャリーフは危険な場所に さえなっている。ハマス報道官のハーレド・カドミはこう語っている。「われわれは、 国際社会に対し、われわれの聖地アル・アクサのもとでの残虐行為を止めてほしいと願 っている。これが今回の戦いを始めた理由のすべてだ。」
一方で、イスラエル宗教右派は強固な「第三神殿建設」と神殿の丘改造計画をもって おり、その兆候が近年、ますますあからさまになっている。それは同時に、シオニスト 超正統派が描いてきたシナイ半島からチグリス・ユーフラテス川までの「エレツ・イス ラエル」《神がアブラハムの子孫に与えると約束した「ヤコブ(のちイスラエルに名を 変えられる)の地」(創世記 12・15・28・35 章)》をめざす「大イスラエル主義」にも 結び付いている。シオニズムの「土地の征服」という領土拡大の欲動は、エルサレム首 都宣言に固執させることにもつながり、イスラエルの入植者植民地主義をさらに増大す ることになろう。イスラエル宗教右翼の潜在的な野望は、今後全世界 20 億人のイスラ ム教徒の抵抗を呼び起こすかもしれない。
(下)に続く
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