女性差別・天皇制・植民地主義:カナダに移住して得た3つの気づき

乗松聡子

カナダの永住資格を取ってから四半世紀が経つ。カナダで育てた子どもたちが大人になった今、日本で過ごす時間も増えてきた。今まで、日本にいたままだったら気づかなかったであろう気づきがたくさんあったが、ベスト3を挙げるとしたら、以下であろう。この3つの順番に優劣はない。そしてこの3つは深く関連している。日本の「三種の神器」と言ってもいいぐらいだ(笑)。

一つめは、日本での女性抑圧の深刻さである。日本の新聞で中東における女性人権侵害を批判した記事など読むと、どの口が言うかと苦笑してしまう。
東京で生まれ育った私は女子が電車で性暴力を受けるのは仕方ないこと(誰にでも起こること)と諦めさせられてきた。今でも「痴漢は犯罪です」ということをポスターで周知しなければいけない社会なのだ。

昔に加え今は盗撮の心配までしなければいけない。1947年憲法で両性の平等は定められたはずなのに、日本にいると朝起きてから夜寝るまで二次喫煙かのごとく家父長制の空気を吸わされる。TVをつければ食卓で女性だけが立ってエプロンをつけて夫と子どもの召使いになっている映像が「家族の幸せ」として出てくる。夫婦でなにかを買うと必ず「ご主人様」「奥様(主人の対比だから、「家来」という意味なのだろう)」と言われ、郵便物が来たと思ったら夫の名前しかない。表札には男の名前だけ。「戸籍筆頭者」、「世帯主」といった「男の家主」を求められる制度。

カナダには戸籍制度も住民登録制度もないが誰も困ってない。最近は時代が変ったとも言われるが、「意識高い系」の男性たちが家で料理や洗濯をしたり「イクメン」をしたりするのをさぞ大変そうにアピールする。自慢できるのは、褒めてもらえる男の特権だということに気づいてないのだ。当たり前のことをしただけで威張るな。「平和」「人権」の世界でも男性支配構造は同じで、同じどころか、自分が立派だと思っているオヤジたちが多いのでもっと厄介だったりする。仲良し夫婦で活動しているかと思えば、妻は補助的な役割を負わされていることが多く、夫が妻を人前で叱りつけたりしている。「平和」集会にいけば大声オヤジの演説大会で、女性たちは後ろのほうで受付をやっていたりする。権力者による性暴力のニュースに触れない日はない。

若い世代との会話でも「長男が」「嫁が」といったボキャブラリーが出てくるので唖然とする。女性の内在化も深刻だ。だいたい声を上げると黙らせに来るのは女性である。とにかく朝から晩まで、性差別の空気を吸わされる。日本の人たちのほとんどはこの空気の味しか知らずに一生を終えるのか。「オヤジ」というのは男性差別だと言われるかもしれない。むろん男性全員が「オヤジ」なわけではない。

しかしあまりにも「オヤジ」が多すぎるので率直に書いている。「オヤジ」差別だと認めて謝るのは、「オヤジ」がほとんどいない社会になってからにしたい。私も内在化と闘ってきた。日本で結婚したときは何も考えずに夫の苗字を採用した。カナダに来て、私も彼も少しずつ変った。一番感動したのは子どもの出生証明書を取り寄せたとき、私の名前が親として、それも旧姓の名前が夫より上段に表示されていたときだ。新鮮な感動とともに、「これでいいのか」と居心地が悪くなる自分もいた。

自分の中に巣食っていた家父長制の声だ。しかしこの子を産んだ私が先で何が悪い! これでいいのだ。これこそが当たり前の表記なのだ、と自らに言い聞かせた。内在化からの脱皮のはじまりだった。カナダでの生活はこういうことの繰り返しだった。

 

二つめは、天皇制だ。日本の人はごく一部を除いて本当に天皇制に洗脳されたままになっている。無理もない。「戦後」の学校教育は、「ふたたび子どもたちを戦場に送らない」という反省で「平和教育」をやったのかもしれないが、天皇信仰から脱する脱カルトの教育をやっていない。

戦争中アジア隣国の人たちを見下し蔑み差別したことにつながった、天皇を頂点とした選民思想からの脱洗脳の教育もやっていない。だからいまだに天皇を崇拝しタブー視し、「純日本人」といった人種が存在するかのような錯覚に囚われ続け、アジア隣人や日本以外にルーツのある人たちを差別的に扱い続けている。日本はヒロヒトの「英断」で「終戦」できたというストーリーがまかり通っており、神格化されたあの男の名のもとに2千万かそれ以上のアジア太平洋の市民たちが残虐に殺されたということを忘れ去る仕組みとなっている。

ヒロヒトは1945年2月の「近衛上奏文」の時点で降伏を拒否したことに象徴されるように、敗色が濃くなっても自分の保身のことしか考えなかった。最終的に降参したのは、ソ連の侵攻により、自分がもっとも恐れる日本の共産主義化が現実味を帯びてきてしまったからだ。追い詰められて自殺したアドルフ・ヒットラーに比べ、ヒロヒトは自らの戦争犯罪について何の咎めも受けず温存された。その息子のアキヒトの代になり、アキヒトが「慰霊の旅」を行なったり、戦争への「反省」を口にするようになったりするにつれ、日本の左派が一斉にアキヒトの賛美にまわった。

「平和主義」で戦争を反省する心も持つアキヒトを右傾化する日本政府に対抗させるかのように。安倍政治反対派が次々とアキヒト信奉者になっていったのである。この人たちは前憲法に戻るようなクーデターを望んでいたのか。アキヒトもナルヒトも、かつて日本軍が侵略したフィリピンやインドネシアに行くが、殺されたり強制動員されたり性奴隷にされた地元住民ではなく、現地で死んだ日本兵が最優先の訪問だ。言ってみれば「巡回移動靖国神社」のような旅でしかない。「戦争を知らない」若い世代でも天皇のタブー視だけは忠実に受け継いでおり、元号のせいで時間まで天皇に支配されたままになっている。

若い人が「新時代の」という意味で「令和生まれの私たち」とか「令和の時代にふさわしい」とか言っているのを聞くと頭がくらくらする。元号と決別するのが「新時代」じゃないの??? しかし何よりも天皇制の一番の害毒は、法制化された女性差別の仕組みの中で、毎日毎日日本の女性や少女たちはメディアを通して「女には価値がなく、価値があるとしたら唯一男子を生む機能にある」というメッセージをこれでもかこれでもかと植え付けられていることだと思う。日本の女性たちの自尊心の低さと性差別の内在化は天皇制と深い関係があるのではないか。外務省のキャリアだった小和田雅子は自分の選択でナルヒトと結婚したとはいえ、その後皇室内で、またメディアからうけたハラスメント(男を産め!さもなくばお前の価値はゼロだ!)は、日本の女性が程度の差こそあれみんなが受けてきた屈辱である。

人格を否定されてうつ病になった雅子は闘病しながらナルヒトの横で形式的な笑顔を作っている。このような完敗状態でいいのか! と頭に来る。皇室反対。数は減り続けどうせ風前の灯になっているのだから廃止するという選択を考えたらどうなのか。皇室廃止のための改憲議論をするべきと思うが、カナダやオーストラリアに比べ日本は皇室タブーが壁になっている。2019年3月1日、朝鮮独立3.1運動記念の集会に呼ばれ新宿アルタ前でスピーチしたとき、「アキヒトが自分の作った琉歌を沖縄出身の歌手に歌わせたのは文化盗用だ」と批判したら、しばらくはネットでむちゃくちゃ炎上した。当たり前のことを言っただけのつもりだったが。

三つめは植民地支配という悪の本質に目が行くようになったことだ。私は30歳でカナダに移住したがそのずっと前、高校2,3年の2年間カナダの国際学校に留学していた。当時の私は「戦争」といえば「広島と長崎」で、日本出身者としては核兵器の恐ろしさを世界に伝えたいといった感覚を持っていたが、この留学で完全に覆された。ここで、中国、シンガポール、インドネシア、フィリピンの友人から大日本帝国の侵略戦争と戦争犯罪について初めて教えられたのだ。日本の学校では一切教えられず、「戦争」では「空襲や原爆で日本人が苦労した」という歴史観をぶらさげて呑気に世界に出て行ったのである。

今にして思えばなんと恥ずかしいことであったろうかと思う。そしていまだに日本の人たちは、日本を戦争の被害者と捉える見方が圧倒的に多い。それは「平和運動」に携わる人も例外ではない。日本の「加害も」学ばなければとか言う人もいるが、加害「も」なんていう見方がそもそも甘い。大日本帝国は、初の海外出兵である1874年の台湾出兵以来、1945年の敗戦による滅亡まで、71年にわたる侵略戦争と植民地支配の連続であった。歴史の中で日本人の多くが「戦争」と認識している沖縄地上戦や米国の空襲、広島・長崎の原爆やソ連の満州侵攻は、その最後たったの半年間に起こったことだ。

そこだけを切り取って「戦争」と思っているということは残りの70年半を切り捨てているということだ。なぜ切り捨てるかというと日本に都合の悪い加害戦争の連続だったからである。「も」をつけるとしたら、侵略戦争の歴史を学んだ上で日本人の被害「も」学ぶという順番なのではないか。自分はアジア系の多いカナダに住むことで日本出身である自分をより意識するようになった。琉球、朝鮮、アイヌモシリを植民地支配し、中国に侵略戦争をしかけその後東南アジアの欧米列強にまで戦争を拡大し、ピーク時の1942年には当時の世界人口の20%と今の日本の20倍もの面積にまで肥大した大日本帝国の戦争と植民地支配への責任を強く意識するようになった。同時に、移民した先のカナダもセトラー・コロニアリズム(殖民植民地主義)の国であることに気づいた。

先住民族の土地をイギリス人とフランス人が支配し、インディアン・レジデンシャル・スクール(先住民族の子どもたちを親元から引き剥がし強制同化教育を行い虐待が横行した施設)といった残酷な植民地政策が今も社会に深い傷を残していることを学んだ。自分も後発の入植者であり「盗まれた土地」に住んでいることを自覚するようになった。多文化主義でジェンダー平等のある平和な国に住んでいると思っていたら、それは誰かを踏みつけた上での「平和」であったと気づいた。沖縄を踏みつけた上で、朝鮮を分断したままにしておいて成り立っている日本の「9条の平和」のように。

世界規模で見れば、グローバルサウスの国々を搾取して「繁栄」や「平和」を築いてきた、グローバルノースの暴力構造について考えるようになった。その上で、偽善的「平和主義」よりも、脱植民地のための言論と行動を行なっていきたいと思うようなった。

いま世界が注目している、米国と西側をバックにしたイスラエルのパレスチナ・ガザに対する「ジェノサイド」「民族抹殺」とそれに抵抗するパレスチナ人たちの闘いは、まさしく脱植民地の闘いである。ここバンクーバーでも私が25年住んで見たこともないような大規模のパレスチナ解放デモが起こっている。カナダに住むことで得た3つの気づきを大事に、虐げられた者たちが解放される社会を作っていきたいと思っている。

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※この記事はカナダ・バンクーバー在住のジャーナリスト・乗松聡子さんピース・フィロソフィーセンター代表)が
サイト「反天ジャーナル 天皇制を知る・考える」に寄せた記事(女性差別・天皇制・植民地主義:カナダに移住して得た3つの気づき)からの転載です。

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乗松聡子 乗松聡子

東京出身、1997年以来カナダ・バンクーバー在住。戦争記憶・歴史的正義・脱植 民地化・反レイシズム等の分野で執筆・講演・教育活動をする「ピース・フィロ ソフィーセンター」(peacephilosophy.com)主宰。「アジア太平洋ジャーナル :ジャパンフォーカス」(apjjf.com)エディター、「平和のための博物館国際ネッ トワーク」(museumsforpeace.org)共同代表。編著書は『沖縄は孤立していない  世界から沖縄への声、声、声』(金曜日、2018年)、Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States (Rowman & Littlefield, 2012/2018)など。

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